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皇國の白き魔女  作者: 花園野リリィ
9/12

第二章 黒い山への調停者 ①

 俺は、千鶴と別れると、眼帯を握りしめたまま、急いで文學のもとに走った。

 今は何年だ。皇國はどうなっている?

「お祖父さま!」

「なんじゃ?」

 文學が振り返った瞬間——。

 視界が揺らぐ。

(やめろ!)

 俺の意志に関係なく、未識眼が発動してしまう。


 濁った映像が鮮明になっていく。

 石壁。

 湿っている。触れれば、手のひらに冷たい水滴が滲むだろう。

 カビの匂い——鼻腔を這い上がってくる。甘く、腐った、生き物の匂い。

 そこは、牢獄だった。

 鉄格子の向こうに、何かが、蹲っている。

 最初は、獣かと思った。

 だが、違う。

 人だ。

 骨と皮だけの人。

 白髪が乱れ、泥に汚れた衣服。藁の上で、小刻みに震えている。

 その顔を見て、息が、止まった。

 文學だ。

 かつての鋭い光を失った瞳が、ギョロギョロと虚空を彷徨っている。

 まるで——出口を探しているかのように。

 文學の声が、石壁に反響する。

「ワシの言うことを信じろ!」

 だが、その咆哮を聞く者は誰もいない。

 それでも、老人は叫び続ける。

「あれは、孫ではない! 皇國の守護者でもない!」

 声が枯れている。

 喉が裂けたように、ガラガラと奇声をあげる。

「招かざる客だ。化け物だ!」

 叫ぶたびに、体が震える。

 藁が擦れる音——カサカサと。

 そして、また、沈黙。

 老人の目が、虚ろに天井を見つめている。

 しばらくして——また、叫ぶ。

「曉人ではない——あれは、化け物なんだ⋯⋯」

 今度は——嗚咽に近い。

 泣いているのか、笑っているのか、わからない。


 胸が締まる。息ができなくなる。

(俺が——)

 この老人を、こんな未来に?

 どうして?

 わからない。

 何が起きたのか——何も、見えない。

 何をすれば、こうなる?

 何を言えば、こうなる?

 だが——この目は呪い(結果のみ)を見せる。これは未来だと、俺に突きつけてくる。

 この光景の原因が——曉人を奪った、この俺にあるのは明白だ。

 再び胃酸が、込み上げてくる。


 未識眼の映像が終わると、視界が元に戻った。

 俺はその場に倒れ込みそうになる——両脚で、踏ん張った。

 床に汗が垂れ落ちていく。

 そこに、文字が表示される。

 未識眼——。

 回数が二回から一回に減っていた。

(残り回数は1/3……未識眼は、あと一回しか使えないのか? それとも、条件を満たしたら三回まで回復するのか?)

 俺はゲームの設定になかった能力に頭を抱えた。

 目の奥が——疼く。鋭い痛みが、眼球の裏から頭蓋骨に突き刺さる。

 これが代償か——右目を抑えて蹲る。

「うわぁぁぁ⋯⋯」

「どうした?」

 威厳に満ちた文學の声がした。

 俺によってくる祖父の足元が見える。

 顔を上げるのが怖い。

 脳裏には、未識眼で見た変わり果てた老人の姿が焼き付いていた。

「⋯⋯お祖父さま」

 文學の顔が——左目に映る。

 鋭い視線が俺を見下ろしていた。まるで刃物のように。

「右目がどうした?」

「いえ、大丈夫です」

 痛みが嘘のように収まっていく。

 右目を覆っていた手を離して、立ち上がった。


 未識眼という項目の下に、天算眼選択がある。

 天算眼は回数無制限になっている。

 そちらに切り替える。

(一体何だって言うんだ?)

 思うだけで切り替えられるのは、便利だが気を緩めると勝手に未識眼で他人の未来を見てしまいそうになる。

 文學の上に浮かぶ数値が鮮明に見える。


 筋力: 6

 敏捷性: 8

 耐久力: 8

 知力: 18

 判断力: 18

 魅力: 16

 神くず:なし


(知力と判断力が十八⋯⋯これが意味することは、ただの知識人じゃない。知識を分析する能力も同時にあるということだ)

 俺は警戒した。

(最大値がいくつかはわからないが、十八が最高峰なのは間違いない)

 この老人に真実を話すことが、どんな結果をもたらすか。未識眼で見た未来——囚われの身となった文學の姿。

 それは俺が今後、真実を話した結果なのか、それとも別の原因があるのかわからない。

(どちらにしろ、不用意に俺の正体を明かすことは得策じゃない)

 俺は眼帯を嵌め直した。

 俺は真実をそのまま話してはいけないと再確認した。

 この世界の、情報を集め、信頼を築き、立場を確立するまでは、転生者としての正体は隠さなければならない。


「大切な話があります——」

「ほぉ」

 老人は俺を頭の天辺から足先まで見つめた。

 これからの対話が、今後の俺の運命を大きく左右していくだろう。

「《《ゲーム》》とやらの続きか?」

「いえ、本日、神くずなる人智を越えた力を見ました」

「見合いをした三名のなかに能力者がいたか⋯⋯ここにやってきた時間から見て、白蝋梅家の娘といったところか」

 文學は薄く笑った。

「はい」

「白蝋梅家か……あそこは金庫は空にしても書物を買い漁り、頭脳に知を満たすことを美徳とする家柄じゃ。金はなくとも知恵が財産という稀有な考え方で、わしは嫌いではない」

 十歳の孫を前にして言う台詞ではない。しかし、文學にとって、子供は家を存続させるための道具に過ぎないのだろうか。

「ワシはおまえを十歳児として扱わんからな」

 狼のような視線が俺を刺す。

 おまえは何者だ——と常に問い続けられている。

「⋯⋯」

 心が読まれている——?

「少しだけならな」

 老人の目が、三日月のように細められる。

「読めるというより——誘導できる、と言ったほうが正しいかもしれんが、な」

 文學は薄く笑いながら、立ち上がり部屋の隅に置かれた刀掛けから打刀を手に取ってくる。

 漆黒の鞘には細い銀糸で何か桜の文様が描かれている。

 文學は打刀を杖のようにして、俺の前に仁王立ちになる。

「神くずの力を見て、ここにくるということで、また、おまえの正体が識れたぞ。この国で、あの能力を初めて見たなんてことはどんな田舎者でもあるまい。お前は海外の間者か? それともやはりモノノ怪の類か?」

 老人が刀の鞘を撫でる。

「⋯⋯」

 ゲームだと言う訳にも行かず、かといって転生者だと打ち明ければ、未識眼で見た地下牢の光景が現実になるかもしれない。

 俺は一瞬の沈黙の後、決断した。

 文學に嘘は通用しない。しかし、すべてを語る必要もない。

「私は皇國について知識があります」

 文學の目尻に皺が深く刻まれる。

「例えば、花葬朽姫の能力や、三色家のことを」

「三色家だと?」

 打刀の鞘を床に、叩きつけた。鈍い音が響く。

「赤家、青家、黄家のことです。そこには白家と黒家が含まれていない」

 これは賭けに近かった。『七女神大戦』のゲーム内設定では、皇國の初期から三色の家しかない。

 これが後から白と黒が生まれたのなら、ゲームよりかなり後の年代を意味するが、俺にはゲーム開始年代よりも前に思えて仕方なかった。

 文學の表情がはじめて動いた。眉が、ほんの一瞬、上がった。

 だが、すぐに元に戻る——だが、確かに見えた。

 動揺と驚愕の色だ。

「ほう⋯その知識はどこで得た?」

 詰問するような声音と視線だ。

 彼の右手が刀の柄に近づいている。

(確実な事実を告げるしかない)


「私は、七神歴六百六十六年のことしか詳しくは知りえません」


 今が決してその年代でないことだけはわかる。ゲーム内の時間が流れ出す重要なスタート地点を口にした。

 文學の顔色が——変わった。

 血の気が引く。唇が青白くなる。

「何と言った?」

 声が震えている。

「七神歴六百六十六年です——開幕の年です」

 俺はゆっくりと続けた。

「その年に何が起きるのか、どうなっていくかが、それが私の知識の限界です」

 文學は打刀を握りしめたまま、じっと俺を見つめた。

「預言者や巫女の類か? その二つは、愚か者が自分の無能を隠すために使う香辛料のようなものだ。お前もその味付け役か?」

「いいえ。ただの知識を持つ者です」

 俺は眼帯が食い込むほど握りしめた。

「……」

「この目で見たものを語っているだけです。そして、お祖父様は六百六十六を未来と言われました。そこに私は当家、白家がないことを伝えましたが、その点を否定されませんでした」

 本来、人間は自分の家が滅ぶなどと言われたら感情的になるだろうが、そこで憤怒を示したりしなかったのだ。

 つまり、この《《聡明な老人は白家滅亡の兆候を掴んでいるのであろう》》。

「ワシの裏を読むとは、我が孫は聡くなったな……今は七神歴六百五十六年だ」

 文學が静かに言った。

「お前が言う開幕の年まであと十年ある」

 文學の言葉が、頭の中で反響する。

 ——あと十年ある。

 胸の奥に一筋の光が灯る。


 ——過去だった。


 だが同時に、その短さに背筋が冷たくなった。

「そのときに何が起こる?」

 文學の声は今や好奇心に満ちていた。老人の目に野心の炎が燃えていた。

「三十年に渡る世界大戦が起き、皇國は早々に滅びる可能性が高いです」

 俺は静かに言った。

 文學は打刀を床に突き、深い息をついた。

「その未来は変えることも可能というわけじゃな」

 俺は頷いた。

「はい——必ず、変えます」

 脳裏に浮かぶ。

 千鶴の琥珀色の瞳。

 雪路の優しい笑顔。

 清香の無邪気な表情。

 彼女たちを——必ず守る。

 そして、文學の未来も——変える。


 文學はそんな俺を黙って見つめる。

 再び、動物の気配が——彼の背後から、そして周囲から、音もなく現れ、俺を取り囲む。

 おまえは何者だ?

 おまえは信用できるのか?

 おまえに何ができる?

 無数の生き物がそれぞれの目で、俺を余す所なく解体しようとする。


 沈黙が部屋を満たす。

 老人と俺の緊張した対峙が続いた。

「これは、長く……興味深いゲームになりそうだな」

 文學が最後にそう言って、打刀を俺に突き出した。

「我が家に伝わる家宝の一つ、雨琉木末広(うるきすえひろ)の妖刀の一つ。『蒼天一抹(そうてんいちまつ)』を——お前に託す」

「刀を子どもに託すのは危ないのでは?」

「大丈夫だ。すぐには使い切れん」

「……それでは無用の長物です」

「いずれ必要になる——それに、お前なら、いずれ使いこなせる」

 なぜ、そう言い切れるのか? 疑問に思ったが、それ以上に、祖父の言葉に逆らうことはできなかった。

 蒼天一抹を受け取る。

 ずっしりと——重い。腕が下がる。両手で支えた。


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