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第一章 異世界のゲーム ③

「⋯⋯」

「今一度問う——おまえは誰だ?」

 行間に隠れた言葉は、孫ではないなという断言が含まれていた。

 疑問形ですらない——老人の鋭い視線が俺を貫いた。

(詰んだ。完全に詰んだ! 転生初日にして正体がバレるとか、どんな無理ゲーなんだよ!?)

 冷や汗が背中を伝う。

 この老人の慧眼はただ者ではない。

 一瞬で俺が本来の曉人ではないことを見抜いたのだ。

(どうする? 全てを打ち明けるのは危険すぎるぞ。それに、まだ《《転生者》》だと知られたわけじゃない。だが、中途半端な嘘はすぐに見破られるぞ。どう切り抜けるのが最善だ?)

 俺は深呼吸して、この老人に対して最良の返答を考えた。

(俺に興味を持たせつつ、俺が転生してきたことは、絶対に知られたらいけない)

 文學は俺の返答を待っている。

 その目は鷹が獲物を狙うように見据えていた。

 俺は呼吸を整え、《《質問で切り替えした》》。

「お祖父さまは、なぜそう思われるのですか?」

 文學は不意に笑った。老いた顔に皺が深く刻まれる。

「曉人は小さい頃から愚鈍だった。自分の名前を覚えるのにも三年かかり、三歩歩けば用事を忘れ、弓を引かせれば隣の木に矢を射る。そんな孫だからな」

 老人は容赦ない。

(そりゃ……疑われるわけか)

 しかし、文學が正しいことを言っているという確証はないので、話に乗るのは危険だ。

「生まれたときから線が細く。泣き声も弱々しく、母親の乳も十分に飲めなかった」

 文學は続ける。

「学校での成績は下から数えた方が早い。剣術の腕前も同様。跡取りとしては失格だった。正直、清香とお前は生まれる性別を間違えたと言わざるをえない」

 歯に衣着せぬ暴言の数々——家族だからこそできる徹底的な存在の否定。

 あまりにひどい。

「失礼ですが、あまりの言いようです」

「くくく、やすい挑発にのるでない」

 老人は雰囲気を変えて、笑い始めた。

「それが、先ほど、滔々とワシに意見する。これはモノノ怪か妖魔の類というものかと耳を疑った」

「⋯⋯」

 顔が強張るのを懸命に堪えた。

「さぁ、ワシはおまえが知りたかったであろう、《《おまえ自身》》のことを答えてやったぞ」

 そう言って、不敵に笑った。

 まるでこの状況を愉しんでいるようだ。

(ゲームで序盤に最強キャラが出てきたような展開だ。システム的には絶対に勝てないやつじゃないか!)

 俺は思考を巡らせる——

(すべてを打ち明けるのはあまりにリスクが高すぎる。部分的な真実を伝えて、転生者という核心部を煙に巻くしかないな……いまさら、愚鈍な孫を演じても遅いだろうし)

 深呼吸を一つした。

「お見通しのようですね。確かに私はあなたの孫の記憶とは違う記憶を持っていますが、モノノ怪や妖魔の類ではないことは誓います」

 文學は鋭い視線を俺に向けたまま、しばらく静寂を保った。

 その瞳は深い湖のように底が見えない。

 やがて、彼は片方の眉を持ち上げ、口元に皺を寄せた。

「ならば、西の国に伝わるという精神侵食の魔法か? 敵国の術者が我が家の跡取りを乗っ取った、というわけかな?」

 魔法という単語に俺は一瞬目を見開いてしまった。

(は? 本当に魔法があるのか! 本当に異世界転生したのか、俺は!)

 文學はその反応を見逃さなかった。

「ふむ、これは、図星というよりも、魔法の存在は知らなんだという顔じゃな」

 俺は視線を逸らした。

 情報の不足に焦りを感じるが、老練な政治家のような相手に隙を見せたくはなかった。

(冷静になれ⋯⋯感情を制御するんだ……くそ、子供の体なのが影響しているのか、汗がとまらない)

「沈黙していても、おぬしの表情は雄弁に語っておるぞ」

 文學の声は低く、しかし部屋中に響き渡るようだった。

「驚きと混乱——そして恐怖。お前は西の国どころか、魔法の存在すら知らないようじゃな?」

 西の国という言い方も敢えて情報を秘匿しているのだろう。

(クソジジイめッ!)

 苛ついてしまうが、同時に好敵手に出会ったような奇妙な高揚感も湧き上がった。

(落ち着け、落ち着け、心臓よ。脳にだけ血を送れ⋯⋯)

 感情を抑える。

 データを分析するときのように、冷静に、客観的に。俺は施設や学校、社会でも、イジメの標的にされないよう心の動きを隠すことに長けていたはずだ。だが、子供の身体は思うように言うことを聞かない。

 心臓は早鐘を打ち、呼吸が浅くなる。

(このままじゃ一方的に探られて終わる。対等な立場……いや、少しでも有利な状況を作るには、こっちから仕掛けるしかない!)

 俺は身を乗り出した。

「西の国とやらは⋯⋯敵国なのですか?」

 話題を逸らそうと試みたが、文學は鼻で笑った。

「《《同じ手を二度使うのは愚策ぞ》》」

 先ほどの質問返しはもう通じなかった。

 老人の瞳には疑念に加えて、奇妙な好奇心も宿っていた。

 まるで稀少な生物を観察する博物学者のように熟視している。

(ストレートな嘘は通じない。ならば、核心を伝えながらも、それを伝えられない旨の内を明かすしかない)

 俺は静かに言った。

「真実は語れども、真相は消して霧の向こうで見えません。手を伸ばせば掴めそうで、永遠に届かぬものかもしれません」

 言葉を紡ぎながら、文學の反応を窺う——。

 嘘は言っていない。

 なぜなら、俺は世界を説明できたとしても、証明する術はどこにもないのだから。

 老人は口元に掌を当て、微笑を押し殺した。

「なるほど、なるほど。詩人の魂を宿したか」

(からかわれてる? それとも、本当に面白がっているのか? くそ、この爺さんの考えが読めねぇ……)

 文學は瞼を狭める。

「⋯⋯」

「だが、ワシに隠し事をするのは得策ではないぞ」

 その言葉には明確な警告が込められていた。

 すべてお見通しだという圧迫感があった。

(この爺さん、ただ者じゃない。正面からぶつかっても勝ち目はない。なら、どうする? 観察した限り、この爺さんは退屈しているぞ。そして、知的な刺激と、人を試すこと、支配することに喜びを感じるタイプだ。それならば……)

 俺は背筋を伸ばした。

 汗が背筋を冷たくスゥと流れていく——それを顔に出さないように。

「お爺さま、私とゲームをしましょう」

 唐突に提案した。

(乗るか? それとも一蹴されるか? 神頼みならぬ爺頼みだ! ちくしょ!)

 少なくとも俺自身が興味の対象となり続けることが、関係を維持する糸になるだろう。

(悲しいほど細い糸だがな!)

 文學は一瞬だけ眉をひそめた。

「⋯⋯」

「⋯⋯」

 目を逸らしたら駄目だと俺の本能が告げていた。

 一分が数時間のように思えた。そして、老人は破顔した。

「ゲームとな——相わかった」

 今までもっとも老人が長考して出した答えは、俺が望んだものだった。

 自身の膝を叩いて、泰然と構え直し、《《尋ねてくる》》。

「どのような作法で望む?」

 その眼差しには、刀剣のような鋭さと幼子のような好奇心が混在していた。

「お祖父さまは、私を立派な跡取りに育ててくださいませ。私にこの世界で《《生きる》》知識を与えてください。その間に、お祖父さまは私の正体を見破るのです」

 俺は咄嗟にルールを構想した。

(これで時間稼ぎと情報収集ができる。俺が正体を見破られる前に、この世界を生き抜く術を身につける!)

 文學は舌先で唇を湿らせた。

「興味深い。何時から我が孫はこのような機知を備えたのか」

 皮肉を滲ませつつも、明らかに食指が動いている様子だ。

 文學は座に深く沈み、濁りなき瞳を煌めかせた。

「では、若人に一つ忠告だ。『ゲーム』なる言葉、ワシは初耳だったぞ。今後は不用意な発言を慎め。言霊は諸刃の剣、沈黙こそ叡智を司る。肝に命じよ」

 愉しげに文學は目を細めた。

(くそ、こっちの世界の言葉じゃなかったか……知らないくせに話を合わせてくるなんて……この爺さんのほうが妖怪の類じゃないか!)

 俺の完敗だった。

「⋯⋯はい」

 小さく頷く。

「では、問おう。お前の真の名は何と言う?」

「曉人」

 笑った老人の皺が一層深く刻まれる。

白桜蔭(はくおういん)曉人じゃ、わかったな?」

「はい」

 文學は老体を起こした。

「約束は果たす——お前が何者であれ、白桜蔭家の跡取りとしての教育を施そう」

 その言葉には確かな重みがあった。

 安堵とともに不安も俺にはあったが、心が読まれないように頭を下げた。

(本当に信頼していいのか?)

「ありがとうございます、お祖父さま」

 俺の反応に老人は片眉を上げたが、何も言わずに扉へと向かった。

「休め。傷が癒え次第、始める——まずは、嫁探しだ」

 その雄大な背中を見送りながら、俺は安堵と同時に、新たなゲームの始まりに身が引き締まるのを感じていた。

(ん、嫁って聞こえたぞ……気のせいだよな)

 扉が開くと同時に、清香と雪路がすぐに駆け込んできた。

 二人とも心配そうな表情を浮かべている。

「曉人、大丈夫? お父さまは何を?」

 雪路が俺の額に手を当て、熱がないか確かめる。

「お兄さま、怒られましたか?」

 清香の小さな手が俺の腕を握る。

「ふたりとも心配をかけて、すみません。僕は大丈夫でしたよ」

「よかったわ」

 俺は安心させるように微笑んだ。

「それに、お祖父さまはとても優しかったよ」

 二人には真実を告げられない。文學との間に生まれた奇妙な共犯関係は、まだ誰にも明かせないものだった。

 雪路は安堵のため息をついた。

「お父さまが優しいなんて、珍しいわ。あの人はいつも厳しいだけだから」

 彼女の言葉に、老人の複雑な性格が見え隠れする。

 俺は疲れを感じ、目を閉じた。

「少し眠りたい⋯⋯」

 清香が毛布を掛け直しながら、自分も布団に入ってくる。

 子どもの体温の高さが心地よかった。

 目を閉じながら、俺は思った。

(文學の爺さんは、俺の正体におおよそのあたりをつけているだろう⋯⋯興味がなくなる前に、俺は、この世界のことを知らなければならない)

 互いに互いを利用し合う関係だ。

 だがそれは、この世界で生き抜くために必要な関係なのかもしれない。

 そして、俺は今日から白桜蔭曉人として生きる。

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