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異世界へりくつ商会、カモにした貴族が最強すぎて詰んだ件。

作者: 辛島ミリカ

(は? マージンってこんだけなの?!)


 典子は給料明細を開いて絶句していた。


 今日は念願の一億円の契約を取った報酬が貰えると、朝から浮き足立っていた。ペラペラの紙が手汗でよれている。典子はもう一度、特別報酬の欄の数字を数え直した。


(いや、やっぱり五万しかない……え? 0.5%ってこと?)


 何度数えても桁がおかしい。 そんな訳がない。典子は周囲に目を向ける。周りの席では同僚や、上司がパソコンを睨んでいた。ぴしっと着たスーツの生地も皆上等なものに見える。部長の手元ではロレックスがぴかっと光っていた。

 典子はまたもや給料明細に目を向ける。


(……は?)


 何度見てもその数字は変わる様子がない。突然桁が増えたりしないかと思ったが、思いの丈とは裏腹にそんなことは起きなかった。

 営業の補佐を続けてきて数年。やっと自分でとってきた案件だった。今までも取れそうな案件は何度かあった。けれど、荷が重いだろうと言われ結果的に先輩に取られた。

 この案件のために毎日終電帰りだった。今回やっとここまでこぎつけたというのに。


(営業の基本給なんて少ないんだから、どんどん契約取らないといけないのに……なのに、取ってもこんな少ないの?)


 周りの先輩たちは確実にもっと貰っている。典子と比べて案件の数は確実に多いがそうはいってもこれは少なすぎないだろうか。契約の場には私しかいなかった。なぜ先輩たちは良いスーツを着て、ボーナスで旅行に行けるというのか。


(どうして? 掛率がちがうってこと? 私だけ……?)


 小さくため息をつく。事前に報酬額について確認しなかった自分が悪いのだろうか。この会社への不信はいまに始まったことではないのに。典子は鞄に、汗でよれよれになった給料明細をしまって席を立った。


「外回り行ってきます……」


 周りに声をかけて自分の外出票をかける。やっぱり早いところ転職しよう。典子は決意しながら駐車場へ向かう途中、早速求人サイトを調べようとスマホを開いた。通知にメッセージが来ていて一旦そちらを開く。女友達からの飲み会の誘いと、もう一つ。男がピースして笑っているアイコン。典子はそれを見た瞬間眉を寄せた。


(ブロックし忘れてたわ……)


 メッセージには「おつかれ! 元気?」とだけあった。半年前、浮気されて別れた元彼ケイタだ。元気もクソもない。典子は手早く既読をつけないようにブロックする。


(ほんと、どいつもこいつもろくでもない……どっかにまともな男はいないのか……)

 

 ケイタに限らず、いつも男運がない。自分の趣味が悪いのか、いつも付き合う相手は自分のことばかりで典子のことなど考えてなどくれない。


 自分が相手のことを粗野に扱ってしまっているせいなのかと思い当たって、ケイタにはとことん尽くしたつもりだった。それが悪手だったのか。

 とある日風邪で寝込んでいると聞いて、一人暮らしの家に飲み物と食材を持って訪ねたら、大学生の女を家に連れ込んでいたのだ。思い返すとため息しか出ない。きっと、そういう身勝手な男に魅力を感じ取ってしまうサガなのかもしれない。

 

 別に、王子様みたいな人を求めてるわけではない。ただ、お互いを大事にしあえる関係が築きたいだけだ。それが好き合った相手がいいというだけなのに。現実はかくもうまくいかない。

 

 何度目かのため息をついて、角を曲がるとここら辺でよくみかける野良猫が歩道の隅で気持ちよさそうに寝ていた。茶トラで人懐っこい猫だ。

 前を見ると、先の交差点からトラックが曲がってきた。どうにも軌道がおかしい。右に左にと揺れている。運転席を見ると、うとうとと若い男が船をこいでいた。歩道と道路は段差もなく、ただ白線が引かれているだけだ。明らかに線を越えて走っている。


「ちょっと!」


 気付けば典子は鞄を投げ捨てて走っていた。トラックの進路が猫へと向かう途中で典子は猫を抱き上げた。強い衝撃と全身に痛みが起こって、次の瞬間典子は弾け飛んだ。




 ✧・゜:*




「いやあ、トラックにタックルするなんてアメフトの選手でもしないよねー」


 変な金属音のような声がして、典子は目を開けた。真っ白な明るさに目を瞬いた。何度か瞬きを繰り返して周りをみると真っ白な空間に白い球が浮いていた。


「なにここ……?」


 声は出せた。自分の手をみる。次に足をみた。なにも異常はないようだった。今朝着てきたグレーのスーツを着ている。傷ひとつない姿だった。


「あれ? 私トラックとぶつかって……」


 身体もどこも痛くない。周りをもう一度みる。少し目が慣れてきたようだったが、変わりない。どこまでも真っ白な空間にみえた。


「キミ死んだの覚えてないの? まあ死んだら意識ないから覚えてないかー」

 また金属音がしゃべった。白い球が揺れている。


「死んだの? 私?」


「残念だったねー。キミ、本来まだ死ぬ予定じゃなかったんだけどね。本当はトラックのってた人間が死ぬ予定だったのに」


「は?」


「手違いで死んじゃったのキミ。ツイてないね」


「え」


「こういう場合って希望聞いて転生させるんだけどさ、今空きがないんだよねー。もう何年前も前からさ、やたらと多いんだよ転生案件」


「……転生?」


「特にそう、キミの住んでた日本からが異常に多いんだよねー。流行ってんの?」


 典子は白い球をじっと見る。そんな漫画みたいなことがあってたまるか。しょうもない夢でもみているのだろう。


「夢じゃないって。キミ、死んだんだから。希望なければ空いてるとこいれるけど……ないってことでいいよね?」


「え、なに? 転生ってアニメの世界とか乙女ゲームの世界とか、好きな異世界選べるってこと?」


「だから今は立て続けに転生させちゃってるから、好きなとこ選べないんだってばー」


 白い球が典子の前にふよふよと近づいてきた。典子はその球を即座に両手でグッと持ち上げた。


「空いてるとこってなによ! 私なんてずっと安い給料で都合よくこき使われて、他人のせいで死んで? また誰かの都合で適当に転生させられるってこと……?」


「て、てきとうってわけじゃないけどー」


 白い球がチカチカ光りながら暴れる。典子は鷲掴みにしたまま目の前の球に顔を寄せた。


「じゃあどこだっていうのよ! 私、カスみたいな男と別れたきりで……次こそまともな人とって思ってたのに! 幸せになったっていいじゃない!」

 目が熱くなる。ポロポロと涙が溢れてきた。


「な、泣くなよー! オレが悪いことしてるみたいじゃないかよー」

「あんたのせいで転生してもどうせろくなとこじゃなくなっちゃうのよー!」


 典子は次々と溢れてくる涙を拭いもせずに白い球を床に叩き付けた。衝撃はなく、ほわほわと浮いたままだ。


「や、やめろって! わかった! 希望いえ! 特別に好きなとこにねじ込んでやるって!」


「ほんとに?」


「ほんとのほんと! ほらはやくいえ!」


「じゃあ……」


 典子は真っ白な空を見上げて考えた。最初に浮かんだのはシンデレラのお城だった。灰かぶりの少女が素敵な王子様に見初められる……。次に職場のことが頭に浮かんだ。いくら頑張って成果をあげても、見返りは生きていくのに最低限の報酬。「もっとほしけりゃ、もっとがんばれ」と言った上司の顔。

 

 典子は白い球に視線を戻して口を開いた。


「真っ当な評価が得られる世界かな。お金も、あと恋愛も」


「もっと甘い世界じゃなくていいのか? 王子様の婚約者でも、なんなら王女にでもなれるぞ?」


「そんなのつまらないじゃない? うーん、でもせっかくなら魔法と剣のある世界がいいかなあ」


 典子は空想に浸る。絵本みたいな優しい世界じゃきっとすぐ飽きてしまう。せっかく生まれ変われるというのなら、搾取される人生より、自分が選ぶ人生がいい。


「私、転生するなら頑張った分、報われる世界がいいわ!」




 ──瞬間、全身に衝撃を受けた。手が焼けるように熱い。ぎゅっと瞑っていた目を恐る恐る開けると目の前に白い石畳が並んでいた。


「なんだい、クロエ。足元も見えないのか?」


 鼻につくような声が頭上からした。どうやら転んでしまったらしい。手を見ると擦りむいて血が吹き出ていた。


「まったく。淑女教育は受けてるのだろう? これじゃ私の婚約者として恥ずかしいよ」


 声の主を見上げる。金髪をもったりと固めた変な髪型をしている。やせ型の男で、神経質そうな唇の上に金色の細い髭を左右に流して整えていた。ハの形だ。一瞬ふざけているのかと思ったが、そうでもなさそうだ。


 典子――いや、クロエ・シルヴェスターは、上半身を起こして周りを見た。真昼の明るい石畳を敷き詰めた広場に、着飾った紳士と淑女が散らばるように立って、皆こちらをみてひそひそと話している。


「早く立ったらどうかね」

 もう一度男を見ると、奇妙な髭を撫でながら蔑むようにクロエを見ていた。彼の名前を知っていた。ハルク・クラーク。伯爵家の長男だ。そしてなにより、クロエの婚約者である。


(紳士なら手を貸すものでは?)

 

 返事をするのも馬鹿らしく思い、ため息をついて立ち上がった。

 クラーク領は王都から随分離れた田舎の領地だ。どうせ領地の仕事をほっぽり出して、クロエの名を使って王都まで遊びにきているくせに器量の悪い男だ。

 転んだおかげで、前世のことをようやく思い出した。あのよくわからない白い球に願ってこの世界にクロエとして生を受けたのだ。


(これのどこが報われる世界だというのかしら……)


 貴族社会。しきたりに縛られた社会。クロエは子爵家の娘で、幼い頃に政略結婚として親が決めたこの男と婚約させられた。不自由はない、でも。自由でもない。


(あの球、結局適当なとこに飛ばしたんだわ……)


 考えたら怒りが沸々と沸いてきた。血だらけの手を握りしめると痛みが走る。結局、このまま決められた人生を歩むのだろうか。頭の中で過ごしてもない未来が走馬灯のように駆け巡った。このつまらない男の小言を聞かされる毎日。このつまらない男の子供を産み育てる自分。ただただ、むなしく消費されていく日々――。


「はぁ……本当にキミはグズで愛嬌もない。この私と過ごせることにもっと感謝してもらわないと」

 ハルクがやれやれと肩を落とす。声だけでなく、表情もいちいち鼻につく男だ。


「感謝することがないので、今日で婚約破棄させてください。よろしくお願いします」


 クロエは真っ直ぐお辞儀しながら、通る声で言った。周りでみていた者達からざわめきが起こる。


「はっ何を言ってるんだ! そんなことしたら、自分の家がどうなるかわかっていってるのか?」

「あなたと結婚するくらいなら、家をでる方が有益です」


 うろたえるハルクに、クロエはこの上ない笑顔を浮かべてみせた。


 


 屋敷へ帰ると、既にどこかから一部始終を聞きつけていた両親に詰め寄られた。ここまで育ててもらったことへの感謝はあるが背に腹は代えられない。せっかく与えられた第二の人生なのだ。

 

「勝手に婚約破棄をしてしまい、申し訳ございませんでした」


 クロエは父に土下座を決め込みつつ、胸の中で決意していた。頑張っても報われない社会じゃないから頑張らない、なんて言い訳もいいところだ。

 

(絶対幸せになってやるんだから!)


「二度と顔を見せるな! 親不孝者が!!」 

 有り難く勘当をしてもらったクロエは急いで身支度をすませると、大きな荷物を抱えて街にやってきていた。


(日が落ちる前に宿を取りたいけど……)


 屋敷を出る前に執事がそっと紙幣を渡してきた。クロエはポケットからそれを取り出す。百ゴールド、日本円で大体一万円だ。なんとかこれで生き延びないといけない。


 周りをキョロキョロとみていると宿らしきものが見つかった。看板をみると一泊十ゴールドと書かれている。


(は? こんなとこ泊まったら十日ですっからかんよ! 食費もかかるのにむりむり!!)


 クロエはそそくさと撤退する。この際、雨風凌げればなんでもいい。最悪、教会にでも逃げ込もうと地図を広げた。どこへ行こうかとあたりをつけていると、地図に水滴があたってインクが滲んだ。


(え? 雨?!)


 さっきまで晴れていたのに、見上げるとポツポツと降っていた雨が途端に勢いを増した。前世の死因もツイていないし、折角の転生先も変な男の婚約者。家を出て人生を立て直そうと思えばこれだ。前世より前に、よっぽどの大罪を犯したのだろうか。いい加減にしてもらいたい。クロエは重たい荷物を抱えて近くの店の軒先に駆け込んだ。

 

「なんだい、嬢ちゃん。家出か?」


 駆け込んだ先の店から男が声をかけてきた。偏屈そうな老人だ。古びた道具屋のようだが客もおらず、暇そうに新聞を眺めていた。


「そんなところです。倉庫でもいいんで安く使える部屋があればいいんですけど……」


「近くに使ってない空き家ならあるぞ。まあ貸してやってもいいけど……なあ?」

 

 男はクロエの姿を上から下まで舐めるようにみた。ぞっとして鳥肌が立ったが、自分の姿を見て考え直した。動きやすい服に着替えてきたが、街で過ごす庶民に比べれば上等な服に見えたのだろう。

 クロエは気を取り直して、鞄から指輪をひとつ取り出した。


「これ、隣国で人気の魔法石がはめ込まれてるんです。見てください、この緑色の石。フィーテっていうんですけどなんで人気かわかります?」


「へえ、なんでだ?」


「身につけた者の願いを引き寄せる魔法がかかってるんですよ。例えば商売繁盛、とか。これ、一か月分の家賃ってことで……どうです?」


 まったくの嘘である。クロエはにこにこと笑顔を浮かべて男に指輪を渡した。

 

「これ、他の人に貸すと効き目が増すんですよ。うちの父がよくやってて……知り合いに貸したら事業が三倍になったって。わりと有名でして」


 ペラペラと嘘が弾む。男は指輪を興味深そうに、角度を変えてみた。ただ見た目が綺麗なだけのただの石である。


「しょうがねえなあ。ボロ家だからな? 文句言うなよ」


 男は顔を歪ませてみせたが、どことなく嬉しそうにみえた。近くの紙きれにペンを走らせて、クロエに手渡す。見ると住所らしきものが書かれていた。こんな見ず知らずの娘に、棚から取り出した鍵も貸してくれた。


「空き家の住所だ。とりあえず今月は貸してやるから、それ以上使うなら金持ってこい」


「ありがとうございますう」


 宿代をケチったかいがある。男は気前よく傘まで貸してくれた。


(あの指輪、たしか30ゴールドくらいだったかしら……雑貨屋で可愛かったから買ったのよね。物の価値なんて、言い方ひとつだわ)


 にやにやと笑いながらクロエは重たい荷物をしょい直して、住所の場所を目指し始めた。



 ✧・゜:*


「ほんとにここ……?」


 住所と地図を見比べるが、何度見ても間違えているようには見えなかった。


「こんなの、幽霊屋敷じゃない!!」


 ツタと苔が建物を隠すように覆っている。土砂降りの中、ドアの前のツタをぶちぶちと切って進んだ。


(あのジジイ、何も管理してないじゃない!)


 イラつきながらもなんとかツタを除けて中へと入る。外の様子に比べれば中はマシなようだった。クロエが歩くと同時に埃が舞う。しばらく人が入った形跡がないようだった。


「まずは掃除ね、ぎゃっ!」


 何かにつまずいて盛大に転んだ。見ると床に穴が開いている。手をついた床もきしんで、今にも抜けそうだった。

 クロエは埃まみれになったまま、深いため息をついた。

 

 ・゜:*✧



 翌日は、ぼろ屋敷の寝室ですこやかな朝を迎えた。


「なんでこんな全部ボロボロなのよ……」


 寝室らしき部屋にベッドがあるのまではよかった。埃が溜まってるのも仕方ない。でもなぜかマットレスが異様に硬いのだ。石の上で寝ているようだった。持ってきたブランケットを敷いて一夜過ごしてみたが、どうにも硬く、ごわごわとして寝心地が悪い。屋敷のベッドが恋しかった。


「いや! 新しいのを買えばいいのよ!!」


 クロエはベッドから起き上がって鞄を漁る。自室から金目の物は一通りくすねてきていた。元々、宝飾に興味がなかったためか最低限のものしか持ってなかった。こんなことになるならもっと高い物を買ってもらえばよかった。後悔先に立たずである。持ってきたものを並べてみたが、子爵家にとってはどれもはした金にしかならないようなものばかりだ。


「とりあえず売るならこれかしら」


 大きな石が埋め込まれたペンダントのネックレスを持ち上げる。十歳の誕生日祝いに買ってもらったそこそこ値の張るものだ。ハネットという赤い石が光をキラキラ反射している。当時から人気のあった宝石だが、今は取りづらく希少性が上がっていると聞いていた。


「コイツで現金稼いで、それを元出に一発稼いでやるわよ……」


 前世の仕事を思い出す。需要と供給を結べば、自然にそこにはお金が発生する。この世界だって仕組みは同じだ。クロエはにやりと笑った。



 ☾⋆⁺₊✧


 

「いやだから、加工してんだからそんな高く買えねえって」


「そんなわけないでしょ! だってそこのペンダントは同じハネットで五千ゴールドなんでしょう?」


「嬢ちゃん、そいつは産地が違うんだ。こっちはいいとこサイネール産だろ? ほらみろ、赤色が違うだろ?」


 クロエは貴金属屋の男とにらみ合っていた。蛇のような男だった。どこか探るような、鋭い視線を向けられたが舐められたら負けだと睨み返す。


「千ゴールドなら買ってやるが。どうする?」


 完全に足元を見られている。地味な恰好をしてきたが世間知らずのお嬢様にでも見えているのだろう。


(前世の感覚なら買取は販売の三割くらいだから、結局五千ゴールドくらいが売値ってことじゃない。それなら千五百ゴールドまではあげられるってことかしら)


「他で売るわ。ごきげんよう」


 男からネックレスを取り返すと素早く店を後にした。地図で見た限り、あと三店舗は貴金属屋があった。


(まあ相見積もり取るのは普通よね)


 スタスタと大通りを進む。昨日の土砂降りが嘘のように晴れていた。街は平日だというのに人で賑わっている。


(そういえば私、学校もこのまま退学なのよね……)


 つい先週まで当たり前に通っていたが、すっかり忘れていた。来年で卒業だったのに。少し惜しい気持ちはあるが、庶民として生きていくなら無用の長物だ。貴族社会であれば学は必要だが、この世界で庶民として生きてく分には特に必要ではない。


 しばらく歩いていくと、目星をつけていた別の貴金属屋に着いた。中をのぞくと老婆が棚の掃除をしている。そのまま小さい木製のドアを開けた。


「こんにちはあ」


「はい、いらっしゃい」


 少し気難しそうな声を出して老婆はクロエを見た。


「このネックレス査定してもらえませんか。母の形見なんですけど……」


「おや、見せてみな」


 ルーペを持ち出して老婆はネックレスを見始めた。クロエは両手を不安げに握って落ち着かない様子で近くの小さな椅子に腰掛けた。


「どうでしょうか……。私もう、それだけしかなくて、急に母もいなくなってしまって……」


 俯いたまま言って、少ししてから老婆をちらりと見た。心配そうにクロエを見ている。本当に母が死んだような気持ちになってきて目が潤んできた。幸い、家を追い出された時は両親ともピンピンしていたが。


「可哀そうにねえ。本当に売っちゃっていいのかい?」


「ええ。生活費も払えませんから……」


「ハネットなら人気があるから、そうねえ、三千ゴールドでどうだい?」


(えっ六割も?!)


 目を見開いて老婆をみた。二千ゴールドになれば御の字だと思っていたが、なんとも気前がいい。思わずひしっと老婆の手を握った。


「ありがとうございます! ぜひお願いします!」


 その時、店の奥からドカドカと何かが崩れるような音がした。思わず立ち上がって店の奥を見ると、ドアが開く。黒い目出し帽をかぶったガタイのいい男三人が威勢よく飛び出してきた。


「おい! おまえら動くなよ!!」


 そう言うなり、袋に店の宝石を詰めていく。男の一人が老婆とクロエに短剣を向けた。


「おお、ハネットか。それも寄越せ」


「は? アンタなにしてんのよ!!」


「殺されたくなけりゃだまってろ!」


 一分もかからない内に袋詰めを終えてまた裏口から男が逃げていく。クロエはすぐに後を追った。


「ふざけんじゃないわよ!! 待ちなさいよ!!!」


 裏口を抜けて男たちに怒鳴った。その辺に落ちていた棒を片手に拾って追いかける。


(私の三千ゴールド……!!!)


 学校で習った魔法の感覚を思い出す。棒でも少しくらいの威力は出せるだろうと、力を込めるも走りながらだと魔力が分散してうまくまとまらない。男たちが走って角を曲がった。見失わないようにひたすら走って、棒に練り上げた魔力を込める。角にさしかかったところで全力で投げた。

 大きく風をまとった棒が回転しながらまっすぐ進む。クロエは風魔法が得意だった。大きな音を立てて一人の男の頭に突き刺さり、そのままの勢いで前に倒れ込んだ。男が抱えていた袋が地面に落ちて宝石が派手に散らばる。先を行っていた男が振り向いて、転んだ男に罵声を浴びせた。


 すると背後からパカパカと馬の蹄の音が近づいてきた。振り向くとすぐ後ろに馬車が来ていて、反射的に端に避けると馬車がゆっくりと止まり、ひとりの男が紺青のローブを翻して降りてくる。


「なに……」


 その男が目出し帽の男たちを見て、静かに片手を向けた。まばたきをする間もなく、キンと音が鳴ったかと思うと一瞬で辺り一面が凍りつく。


「は?」


「お嬢さん、怪我はない? 危ないよ、あんなゴロツキ相手にしちゃ」


 ぽかんと口を開けたまま見ていると、ローブの男が振り向いた。尋常じゃないくらい麗しい見た目をしている。陽の光を浴びて光る白に近いブロンドヘアに青い瞳。絵本に出てくる王子様を、理想を描いて立体化したかのような気品のある姿だった。

 目の前に立たれてやっとローブに金糸の刺繍がされていることに気付く。クロエの兄が同じ物を着ているのを見たことがある。魔法庁の制服だ。


 呆気に取られている内に、馬車に乗っていた従者らしき男がゴロツキたちの元に向かった。その後を追うようにローブの男もそちらについていく。


(助けてくれたの? このイケメンが? 顔もよくて、腕もいい。通りがかりに人助けまでする、人の良さ……)

 

 じっくりと男の背を見た。どこの貴族だろうか。気づいた時にはクロエは頭の中の電卓を叩いていた。


(コイツ、格好のカモでは……?!)


 馬車を見ると、家紋の紋章があった。中央に鷹がいる。この国では爵位によって、家紋に描かれる動物が異なる。鷹は侯爵家のものではなかっただろうか。


「あの宝石、どこから盗まれたものかわかる?」


 クロエが頭の中で算段をつけている内にローブの男が戻ってきた。


「あ、ええ。少し先の貴金属屋にやつらが押しかけてきて。私、査定で来てただけなんですけど」


「そうか。いま兵を呼ぶから少し付き合ってもらえるかな?」


「もちろんです」

 

 当然だと大きく頷く。三千ゴールド換金してもらえるまで帰るつもりなど毛頭ない。この貴族が取りなしてくれるならきっと大丈夫だろうと安心しきっていると、男が手を差し出して、煌びやかな笑みを向けてきた。


「ユーグ・リュステだ。名前を教えてもらっていい?」


「クロエです」


 まるで後光が差しているかのようなユーグの手を握り返す。こんな庶民の娘の身なりをしているのに、わざわざ丁寧な男だ。クロエは改めてお人好しのカモだと烙印を押した。

 触れた手は思った以上にひんやりとしていた。先ほどの氷魔法を思わす温度だった。


「クロエ嬢ね。ファミリーネームは?」


「……え?」


 予想外の言葉に喉が詰まる。流石に勘当された身で名前を言うのは気が引けた。侯爵家の者に、子爵家の者だとバレていいものか思案する。


(いや、やっぱりまずいわよね……どこで噂が立っているかもわからないし)


「ローデンです」


 思いついたのは前世でずっと見ていた海外ドラマの主演の名前だった。この世界にありそうな名前がすぐに思いつかなかった。

 

「……へえ、珍しい名前だね」

 

 一瞬鋭い目を向けられた気がして背筋が凍る。ただ、気のせいだったのだろう。すっかり元の美しい微笑みを浮かべていた。

 

「あの、ところで……」


「何?」


「荷台にいっぱい積んでるのってカールニンですか?」

 

 話をそらそうと、ずっと気になっていたものを指さした。貴族が農産物を大量に運搬しているところなど見たことがない。人参に似た見た目をしているが、ものすごく硬くて人気がない野菜だ。

 

「ああ、よく知ってるな。領地で採れすぎて困ってるんだ。使い道もないしな……」


「もしかして捨てるんですか?」


「売れないからな」


 ユーグは小さく自嘲気味にため息をついてみせた。美貌も相まって無駄に色気を放っている。だがクロエは色気よりもカールニンのことで頭がいっぱいであった。


(硬いなら漬物とか、煮込みとか……これだけあれば色々試作もできるだろうし……うまくいけばこのカモを体のいい金づるにできるかも……)


「これ、頂いてもいいですか?」


 クロエはユーグに向き直って、とびきりの笑顔を作った。


 ✧・゜:*


 袋いっぱいのカールニンを抱えて、クロエはボロ屋敷のドアを開けた。


「はあ、腰やっちゃうわよ。こんなの……」


 持てるだけ持ってっていいと許可をもらえたので、素直なクロエは袋に詰め込めるだけ詰め込んできた。しっかり、三千ゴールドも換金してもらえた。お金だけでなく無料でこれだけの根菜までもらえて、いつになく上機嫌だった。

 だが、このボロ屋敷の惨状を思い出して一気に憂鬱な気分が湧いてくる。昨夜、寝る前に最低限の居住スペースを確保するため、玄関入ってすぐのこの居間と隣の寝室を掃いて床拭きまでは済ませてはいた。

 昼間の日差しが差し込むと、夜の内は気にならなかった棚の埃や、壁のひび割れ、穴の空いた床がつまびらかに広がっている。


「まったくどこから手をつけたらいいんだか……」


 大きくため息をつくと、同時に腹が鳴った。昨日の夜にパンをかじって以来何も食べていなかった。クロエは大量のカールニンに目を向ける。他に食材などない。奥の台所に向かい、目に見える汚れを布でふき取った。幸い、埃がたまっているくらいで汚くはない。鍋やナイフ、食器類も一通りは揃っているようだった。


 鍋に水をためて沸かすと、カールニンを細切れにしてみた。にんじんに似ているが筋が多く、とにかく硬い。木の根っこを切り刻んでいるようだ。かぼちゃを切るように体重を押し付けてなんとか刻むと、沸いた湯につっこんだ。

 待ってる間に棚を漁ると塩のようなものが出てきた。いつのものかわからないが、これも入れてみる。

 

「どんだけ煮れば柔らかくなるのかしら……」


 しばらくしてから一切れ試しに食べてみた。硬い筋が歯に引っかかる。味も苦い。どう考えても木の根っこである。


「なんか人参っていうより、ごぼうみたいね」


 目をつむって咀嚼するがいつまでも嚙み切れない木の根っこが口の中に残る。ごぼうならキンピラにでもすれば良いだろうか、と考えあぐねる。しばらく噛み続けるも、どうにもごぼうよりも繊維が多くて硬い。とにかく食べづらい。


「ごぼう……ごぼうね……なにか良い方法ないかしら……ごぼう茶とか、あったっけ」

 

 前世でそんなものを母が飲んでいた気がする。食物繊維が多くて良いとか言っていたのを思い出した。

 クロエはカールニンを薄くそいで、新聞紙の上に広げる。深呼吸をしてから両手をかざす。風魔法に温風をのせるイメージでカールニンに力を注いだ。次第に乾いたカールニンが丸まってくる。カラカラになったところで薄い鍋に広げて煎ってみた。しばらくすると香ばしいような、焦げ臭い匂いがした。クロエはそれをお湯に入れて煮だすと、お茶らしい色水ができあがった。


「カールニン茶の完成ー!」


 コップに注いで、息を吹きかける。何とも言えない香ばしい匂いが立つ。期待を持って一口飲んでみた。


「苦っ」


 思った通りの根っこの味である。ただ、香ばしさはあるので効能さえあるのなら、効能茶として飲めそうな味ではある。


「うーん、他の茶葉と混ぜたらもう少し飲みやすくならないかしら?」


 先ほど塩が出てきた棚にお茶の缶のようなものが見えていた。また棚を漁って缶を取り出す。開けてみると紅茶のような鼻に抜ける匂いがした。


「いつのよ、これ……」


 カビてはなさそうだ。気を取り直して鍋に茶葉をつっこんだ。物はなんでも試しである。しばらく煮て上澄みをコップに注ぐ。香ばしい匂いは強いが、ほんのり紅茶の匂いを感じる。クロエはまた一口飲んでみた。


「うん、いけるじゃない!」


 苦味は強いが許容範囲だ。割合を調整すればちょっと香ばしい紅茶くらいにはなりそうな気がする。クロエは確信した。これは売り物になる。

 いてもたってもいられずにボロ屋敷を後にした。



 ☾✩˚。⋆



 翌日。クロエは大量の紙袋に詰め込んだ茶葉を抱えて街に出ていた。

 夜なべしてカールニンを乾燥しては煎り、買ってきた茶葉とブレンドした。クロエが導き出したベスト配合はカールニン三割であった。それ以上入ると根っこの主張が強すぎるのである。


「後は売るだけよ……」


 寝ずに作っただけあり、目がぎらぎらと冴えていた。すでにクロエは売り場の目星をつけていた。昨日紅茶を買った茶屋に入るなり、口を開く。


「おはようございます!」


「なんだ、本当にきたのか」


 茶屋の主人ビートが裏から顔を覗かせた。


「当然です! 約束通り、店の前お借りしますね!」

 

 それだけ言って、外へ出る。店先の客用テーブルを拝借して勝手に店を広げ始めた。持ってきた板の看板を立てかける。夜中に即席で《クロエ商会》とこれみよがしに書いておいたものだ。

 

 ビートには紅茶をまとめ買いするから、しばらく店先を貸してほしいと約束を取り付けていた。紅茶をそのまま売るのではなく、カールニンと混ぜて売るという話をしたら、半信半疑な顔をしていたがクロエのしつこい熱意に折れてくれた。


 テーブルの上に袋詰めした茶葉を並べていく。今回はアールグレイ、ダージリン、アッサムの三種類にした。もちろん、すべてに香ばしいカールニンが三割配合されている。小分けにした紙袋を麻紐で留めて、ラベルを張り付けていた。こういうものはパッケージが一番大事だ。


 ラベルには一つ一つ手書きで《Chloé Selection 艶肌湯~つやはだとう~ 根から、美しさは育つ》と書いてある。我ながらオーガニックのハーブ屋みたいな小洒落たパッケージになって満足していた。こんなことをしていたために寝る時間がなくなったのだ。


(これは売れる!!)


 とどめとしてテーブルに硬紙を張り付けた。これにも寝ずに考えたキャッチコピーが書いてある。「腸活新時代! カールニンで腸をキレイにして美肌をつくろう」本当に効果があるかはわからない。クロエも昨日初めて飲んだばかりだ。色々書いておけばプラシーボ効果くらいはつくだろうと踏んでいた。準備を終えたところで、また店内に入った。


「ビートさん! ちょっとお茶淹れてもいいですか? 試飲用に出したいんですけど」


「試飲?」


「はい! お試し用に……ビートさんにもぜひ飲んでもらいたいので!」


 手でゴマをすりながら、にこにこと笑顔を浮かべる。ビートが押しに弱いことは、軒先を貸してくれた時点で証明されている。


「しょうがないな。ちょっとだけだよ」


「ありがとうございます!! カップも少し借りていいですか? ちゃんと洗いますので……」

 

 更なるお願いを重ねるとビートは苦笑いを浮かべていたが、なんだかんだと貸してくれた。厨房に入り、小鍋を借りて持ってきたカールニン入りの紅茶を煮出し始めると、店先で貴婦人たちが足を止めているのが見えた。クロエは急いで店先に出る。 


「いかがですか? 今試飲の準備中なんですけど、腸に効く美味しい効能茶なんですよ!」


「へえ。紅茶に肌が綺麗になる効能があるなんていいわね。毎日飲んでればずっと効果があるってことよね?」


「まさに仰る通りなんです。こういうものって一度だけ我慢して飲んでも意味ないんですよ。続けて飲んで効能が出るものなので。これは毎日飲めるように飲みやすくしたんです!」

 

 クロエが熱弁していると、店内からお盆を持ったビートが出てきた。小さなカップが並んでいる。全く、気の利く男だ。前世の元カレに爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。

 

「はい、クロエちゃん」


「すみません、ありがとうございます」


 お盆からカップを取り、貴婦人に配った。ビートは我先にと飲み始めていた。


「ああ、普通の紅茶より香ばしいね。これはこれで美味しいなあ」


「へえ、これアッサム? 私こっちの方が好きかも」


「本当ねえ」


 貴婦人たちも盛り上がっている。クロエはにこにこと頷いた。


「おひとつずつ、いかがですか? 一個十杯分で二十五ゴールドです!」


「じゃあアッサム一個もらえる?」


「私はダージリンとアールグレイもらうわあ」


「ありがとうございます!」


 手早く代金をもらい、紅茶の紙袋を渡すと貴婦人は「また来るわね」と言って帰っていった。


「よかったね、さっそく売れて」


「ええ、おかげさまで! 何から何までありがとうございます」


 ビートに深々と頭を下げた。感謝してもしきれない。


「それにしても、うちの茶葉は十杯分で十ゴールドなんだけどねぇ……商売人だね?」


「えへへ……カールニンの加工手間もありますし、これはクロエセレクションですので」


「はいはい、お見それしましたよ。まあうちの紅茶が売れるならいいかね」


 ビートは楽しそうに笑いながら店内に戻っていった。




 ✧・゜:*



 クロエはボロ屋敷の隅っこで現金を数えて、にやりと笑っていた。


(仕入れは紅茶だけ、無料のカールニンでこんだけ儲かるのね……)


 カールニン入りの紅茶を売り始めて数日。貴婦人の口コミ効果もあって出したら出しただけ売れる嬉しい悲鳴を上げていた。加工からパッケージまで一人でやっているので数は増やせないが十分な売り上げであった。

 今月分の家賃は例の指輪で済んでいるし、かかる費用と言えば食費くらいだ。

 ボロ屋敷を綺麗にする資金にしようかと思っていたが、意外とこれが住めば都とはよくいったものですっかり馴染んでしまっている。初日に散々文句を言っていた硬いマットレスですら、今となったらあの硬さがないと眠れないといった始末だ。

 

 おかげで溜まる一方のお金にクロエは笑いが止まらなかった。ただ一つ避けては通れぬ懸念がある。カールニンの在庫が尽き始めているのだ。前に近くの八百屋を訪ねてみたが案の定売られていなかった。あまりのまずさに食用として流通していないようだ。


 あの、美しい顔が頭にぽわんと浮かぶ。リュステ侯爵の息子であろう彼。


「もう一度会えないかしら……」


 またカモがネギをしょってくるみたいに、カールニンを持って来てくれないだろうか。クロエは深いため息をつく。


「いや、来ないなら手紙を出せばいいんだわ!」

 

 拳を握って立ち上がった。どこの家かわかっているのだから手紙くらい送れる。クロエは急いで郵便局に向かった。



 ・゜:*✧



「いやあ、奥様すっごくお肌ツヤツヤですね!」


 クロエは両手を合わせて笑顔を浮かべていた。

 

「そうなのよお。クロエちゃんの紅茶が効いてるみたい! 最近はこれ飲まないとどうもすっきりしなくてねえ」


 すっかり常連となった貴婦人がクロエの肩を叩いて笑う。


「今日ももらっていくわね。友人の分も頼まれてるから二つ頂ける?」


「勿論です!」


 今日も順調に在庫を減らしている。クロエは現金を受け取りながら、にやつく顔を抑えて微笑んだ。


(順調だけど……もうこれで在庫終わっちゃうのよね……あれから返事もないし)


 麗しの青年に手紙を送ってはみたが、何の連絡もない。なんとかしてカールニンが手に入る場所を見つけ出すのがクロエの目下の目標だった。今日は早めに切り上げて街の商人に聞き込みにでも行こうかと考えていた。


「へえ、随分面白い商売してるんだね」


「あ、ぜひ見ていってくだ……」


 貴婦人と入れ替わるように新しい客に声をかけられる。その客の姿にクロエは目を疑った。


「売れてるみたいだね」


 恋焦がれていたユーグがクロエの目の前に微笑んで立っていた。あまりにも神々しく輝いて見える。


「あの……私、手紙を送ったんですけど……」


「ああ、届いたから来てみたんだよ」


 テーブルに並べた紙袋を男は手に取ると興味深そうに見た。


「ご足労いただきありがとうございます!」

 

 さすがにボロ屋敷の住所を書く勇気がなく、ビートの店の住所を書いていたことを思い出した。自分の采配に心から感謝する。この絶世の美青年にあのボロ屋敷に住んでることがバレるのは、いくらクロエでも恥ずかしくて耐えられそうにない。


(カールニンも持って来てくれてれば、これ以上ない喜びなんだけど……さすがに持ってるわけないわよね)

 

 残念ながらどうみても身軽そうな姿であった。鞄すら持っていない。そもそもカールニンを抱えて歩く貴族などみたこともないが。ただ、ネギはなくてもカモはカモだ。わざわざ来てくれるなら話は早い。


「カールニンを紅茶に混ぜているのか」


「そうなんです! 腸に効く効能があるのでそれを生かせるように、乾燥して煎ったカールニンを紅茶に混ぜてるんですよ。飲みやすい配合も研究して、これは飲みやすい効能茶なんです!」


 流暢になった営業トークをペラペラと話す。興味深げにクロエの話を聞いてくれた。


「あの、誰も目を向けなかったカールニンをこんな風に活用するなんてね。すごい商才だ」


「そんな……」


 真っすぐに褒められて素で照れてしまう。赤らんだ頬を両手で包んだ時、はっと我に返る。


(いや、違う。喜んでどうするクロエよ……)

 コホンと咳を払って、仕切り直す。


「せっかく販売が伸びているのに、こないだ頂いたカールニンの在庫が無くなって困ってるんです。それで手紙を送ったんです……リュステ様の領地で余らせてしまっているのでしたら直接仕入れさせていただけないかとご相談したくて」


「あれの活用方法ができるなら大歓迎だよ。それなら、供給契約を結ぼうか」


「えっ……そうですね! 安定して仕入れさせていただけるとありがたいです! 契約書も必要でしたら作ってお持ちしますし」


 とんとん拍子に話が進む。クロエの背中を押す風が吹いている。きっと、神は見捨てていなかったのだ。

 

「じゃあ契約書つくって持って来てくれるかい? ああ、君の家に伺っても構わないが……早い方がいいだろう?」


「いえ、私がお伺いしますよ!」


 あんなところにユーグを迎え入れられるわけがない。そのまま話は進み、明日ユーグの屋敷で契約を行うことになった。


「良かったら飲んでください」


 一応手土産にと紅茶を渡すと、ユーグは受け取った。在庫が少ないが致し方ない。クロエは手渡した手をそのまま広げてユーグに微笑んだ。


「三十五ゴールドです」


「あ……お金は取るんだね」


 通常価格より盛った金額を言うと、ユーグは小さく吹き出して内ポケットから財布を取り出した。

 


 ☾⋆⁺₊✧


 

 クロエは心地よい馬車の揺れで、眠りに落ちかけていた。また今回も、一晩中契約書とにらめっこして過ごしてしまった。

 前世で営業職をやっていたときは契約書のひな型があったので一から作るなんて発想がなかった。この世界にもひな型がないかと、ユーグが帰った後急いで探しに行った。それらしいものを法務局でみつけたのはいいがクロエの目的はただひとつ。自分が得する契約にすることである。折角こちらで用意していいと言ってくれたのだ。この機会を逃すわけにはいかない。


(カモにしてやるわよ……契約書なんてそれっぽいこと沢山書いてあればわかりようなんてないんだから……)


 にたにたと笑みをこぼしていると、馬車が止まった。外を見るととんでもなく大きな屋敷がそびえたっている。元婚約者の伯爵家の屋敷にも行ったことはあるが、それとは比べようもない大きさである。


(さすが侯爵家ってところね……)


 しばらく待っていると御者がドアを開けてくれた。クロエはそっとスカートの裾を上げて降りると、門の前でユーグが待っていた。使用人にでも待たせておけばいいものの、どこまでも律儀な男だ。


「よく来たね」


 本日も変わりなく麗しい微笑みを浮かべている。待たせると失礼かと思い、急いでユーグの元に近づいて、ワンピースの裾を広げて挨拶をした。


「本日はありがとうございます。お忙しいのに、わざわざお迎えまでしていただいて……」


「クロエ嬢みたいな可愛らしい女性に会えるなら毎日でも時間くらい作るよ」


 軽く笑って見せながら豪勢な屋敷の中へクロエを手招く。


(て、手練れだわ……!)

 クロエは確信した。

 


「――それで、なんで二種類あるの?」


 案内された応接間のテーブルに、早速契約書を並べているとユーグが口を開いた。


「折角の機会ですので二種類お持ちしました! こちらは当初お話していた通り、カールニンの仕入れだけの契約」

 右手の契約書に手を添えて、次に左手を指す。


「こちらはもう一つご提案として。リュステ領でカールニンの加工まで済ませていただいて、紅茶ブレンドの販売は私が請け負うというものです。いかがでしょう?」


 ユーグは左手の契約書を手に取り目を落とした。自分一人で製造を続けるよりも、効率も販売量も増やせると踏んで新しい提案を持って来ていた。カールニンの加工から手が離せれば他の事業も始められるかもしれない。ぜひ乗ってほしい所だ。


(そんなじっくり見なくていいのに……)

 読んでる間、仕方なくユーグの顔を眺める。伏し目がちな瞳もどうにも麗しい。


「まったくキミは……面白いね」

 ユーグは笑って、また口を開いた。


「利益はこっちが三割ねえ……」

 ちらりと契約書の端から視線を向けられる。クロエは一瞬焦ったがすぐに答えた。


「製法の提供もしますし、販路もこちらです。ブランドもこちらのものなので妥当かと……もともと活用してなかったものですし十分ではありませんか?」


 にっこりと微笑み返す。夜中のテンションで作った契約書だ。少しだけ欲が出ていたかもしれない。


「うん、まあそこはいいとして。これ、本当に君が書いたの?」


「ええ、そうですけど……」


「販売価格の決定権はクロエ商会に帰属する。卸売および小売先への供給量、時期の調整はクロエ商会が行う……価格も供給量も、全部君が決める? 僕は黙って言われた通りに働くだけ……ってことかな」


「いえ、その……そんなつもりでは……」


「こういうのって、奴隷契約っていうんだよ」

 ユーグはにっこりと笑う。


(確かに前世でも一方的な契約は法的に無効にされるとかって……あったような……)

 冷や汗がこめかみを伝う。クロエは調子にのっていた夜中の自分を脳内で殴った。


「まあ面白いから、付き合ってもいいけどね。結果的にキミも不利益被るだろうから手直しさせてもらうよ」

 そう言ってペンで契約書に何かを書き始める。


(利益七割は書き換えないでくれないかな……)


 クロエはドキドキしながら、じっとりとペンの行き先を見つめていると、ひとしきり修正が終わったのか契約書を返される。

 急いで目を通し直して、利益配分の項目を見て肩を落とす。ご丁寧に七割に二重線が引かれていた。


(六割かあ……)


 契約書を前に明らかにがっかりした様子のクロエを見て、ユーグは楽しげに目を細めていた。

 


 ✧・゜:*


「それで、リュステ領の方でカールニンの加工までやってもらって、こっちで紅茶ブレンドの独占販売する契約したんですよ」


 昼下がり、クロエはビートの茶屋で一服していた。カウンター越しにビートに先日の出来事をつらつらと話している。


「へえ、あの銀氷の冷血王子と契約したの?」


「え? なんですかそれ……」


「知らないの? うちのお客さんたちがそう呼んでるよ。昔、魔法庁の査察である領地に行ったとき、提出書類に誤魔化しがあったらしくてさ」


「はい?」


「それを見た瞬間、無言で机に氷を這わせて、領主の前で書類を凍らせて粉々にして『これは記録に残さない』ってだけ言って帰ったんだって」


「……え、怖」


「目が合っただけで泣いた使用人もいたらしいよ。あまりに綺麗すぎて怒ってるのか無表情なのかわからなかったって」


「たしかに見た目はとんでもないですけど……そんなに怖い人じゃないですけどねぇ」


 紅茶を飲みながら、ユーグの姿を思い浮かべた。どちらかというといつも微笑んでいるイメージだ。仕事中は普段と違うのだろうか。しかし、異名が絶妙にださい。クロエは少しだけ麗しの美青年に同情した。


「いえ、そんなことはいいんです。私、今日はビートさんにご相談があってきたんです」

 クロエはカウンターの丸椅子にぴしっと座り直した。


「うちと提携してほしくて……ビートさんのお店でカールニン紅茶を販売してもらえませんか?」


「え、じゃあもう、うちの前で売らないの?」


「たまになら来てもいいですけど……」


「なんだ、クロエちゃんが前で賑やかにやってくれてると客入りよかったのになあ。それでうちの取り分は?」

 ビートはにっこり笑う。


「できれば、紅茶のブレンドとパッケージ作業もお願いしたいんです。その分の原材料と作業費、販売手数料……」


 そそくさと契約書を取り出して、ビートに渡した。先日のユーグとの契約書を使い回して作ったものだ。


「はい! これでサインしちゃってください」

 クロエは手早くペンを渡す。


「クロエちゃんねえ。契約書読まずにサインする人なんていないからね」


「大丈夫ですって。任せてください!」


「へえ、手数料一セットごとに二ゴールドねぇ」


「悪くないですよね? だってビートさんとこの紅茶使うんですよ? 紅茶の粗利だってあるじゃないですか。私としては紅茶はもっと安い問屋のもの使ったっていいんですよ!!」


「そんなことされたら、うちで販売しないよねぇ」


 ビートは楽しそうに笑っている。クロエは頬がひきつった。至極まっとうな意見である。


「ビートさんお願いですって!」

 もう泣き落としするしかないと、クロエはとっさに目を潤ませた。


「ははっ冗談だよ。カールニン入ってくる日わかったら教えてね」


 (神様ビート様! ふふふ、これでもう夜な夜なカールニンの仕込みも販売もせずにお金が生まれる体制ができたわ!)

 

 取り分は自分だけでやるよりも減ってしまうが、その分売る量を増やせばいい話だ。クロエはビートにサインしてもらった契約書を受け取った。


「もちろんです! ありがとうございます!」


「カールニン以外はやらないの?」


「そうなんですよねぇ。なにかいいものあればいいんですけど……」

 

 クロエは腕を組んで考える。紅茶の種類を増やして、バリエーションは増やしているがこればかり増やしても売り上げはいずれ一定の値で収束すると思っていた。もっと他の商材に手を出すべきかと考え始めたところだった。


「いずれは自分の店を持ったりできるといいんですけどね。でも、固定費も増えるし……」


「まあウチも親から引き継いだ店だからね。新しく店を借りるってなると、まとまった資金は必要だよね……けど、クロエちゃんくらいの年齢だと結婚とかもあるでしょう?」


「結婚……?」


「ボクもクロエちゃんくらいのときに奥さんと知り合ったんだよねぇ。いやあ、あの頃は毎日楽しかったなぁ」

 

 カップを洗いながら、顔を緩ませている。結婚など、どこか遠くのおとぎ話に思えた。今は生きていくだけで兎に角精いっぱいである。

 

「ビートさんって結婚されてるんですね」


「してるよ! 娘もこないだ十歳になったんだよ」


 これがかわいいんだとまた顔を綻ばせた。思わず、顔が引きつる。指輪などしてなかったから気付かなかった。考えてみれば、ビートは腰も低く、柔和で人当たりも良い。見た目も前世ならイケオジと呼ばれても不思議ではないような爽やかな容姿をしている。


 やっぱり、いい男はすぐに売り切れるのだ。


「リュステ様も結婚されてますよね」


 あの美貌と、後ろ盾があれば当然に思える。下手したら子供がいてもおかしくない。ぼんやりとユーグの奥様を想像してみたが一向に浮かばなかった。けれど、きっと美しいのだろう。


「いや、それがされてないから社交界でもアプローチがすごいみたいだよ。うちのお客さんたちも、自分にもチャンスがあるかもってさ……」


 遠い目を浮かべて、ビートは棚にカップをしまった。妙な異名があってもモテるらしい。罪づくりな男だ。



 ☾⋆⁺₊✧



 数日後、ユーグに呼び出されて、またもや大きな屋敷にやってきていた。

 試作のカールニンができたようだ。ユーグの領地で乾燥して煎ってもらったものだ。念のため、品質が変わるとまずいので確認させてほしいとお願いしてあった。


「これなら十分です。薄さもお願いした通りになってますし」


「じゃあ、これで約束通り量産してもらうよ」


「ただ……この匂い、なんですか?」


 すっかり嗅ぎ慣れた焦げたようなカールニンの匂いに、ほんのりと花のような匂いがついている。

 

「ああ、うちの領地の木は燃やすと独特の匂いがするんだ。乾燥させるのに薪を使ったと言っていたからそれだろう。匂いがつくとまずいかい?」


「紅茶と混ぜて気になるかですけど、いい匂いですし大丈夫かとは思いますけど……」


 薫り高く改良しましたとでも言えばいいだろう。紅茶に合いそうな匂いだ。

 クロエは端と気付く。花のような匂いのする木って、もしかして香木ではないだろうか。


「その木って少し頂けますか?」


「木を? 別に良いが……何に使うつもり?」


「粉にして火で焚くと、きっとこのいい香りが広がりますよね。リラックスグッズみたいにして売れないかと思ったんですが……」


 前世で見たお香を想像する。あれは木粉を水で練って固めているものではなかっただろうか。自分でも作れそうだ。必要なのは乳鉢とか、石臼も売ってるだろうか。帰りに道具屋に寄って帰ろうとクロエは考える。


「次の商売かい? 今度はもう少しまともな契約書、作ってくれるかな」


 からかうような目で見ている。少しだけばつが悪く思い、クロエは居住まいを正した。どうせ貴族なんて世間知らずのカモだと思っていたが、このカモは意外に手ごわいことは学んでいる。


「勿論です! リュステ領にとっても悪い話じゃないですよね」


「しかし、娘一人で商売なんて大変だろう。そんなにお金にでも困ってるのか?」


「いえ、そういうわけじゃないんですけど……」


 借金でも抱えてると思われているのだろうか。生きていくためにお金が必要なだけなのに。けれど、どうせ働くならたくさんほしい。


 前世では、ただ搾取されるばかりの人生にうんざりしてた。この第二の人生は自分が選ぶ側でありたい。この世界が《頑張ったら報われる世界》なのかはわからないが。

 金に無心する女だと思われないように、クロエは困ったような微笑みを浮かべる。


「あって困るものじゃないですからね」


「それだけが理由? まったく――」


 美しい顔を少し歪める。眉間に皺を寄せる様も絵になる男だ。


「シルヴェスター子爵令嬢が突然、婚約破棄したなんて噂が流れてから数週間、気付いたらうちの領地のもので王都を賑わせてるなんて、思いもしなかったよ」


「……え?」


「今後も楽しみにしてるよ」


 にこりと微笑みを向けられる。魔法を使ってもないのに空気がひんやり冷たくなった気がした。

 名乗ってもいない本名をなぜ知っているのか。まだ学生だったクロエは社交界にすら出たことがない。なぜ……と、じわじわ悪寒が広がる。


(カモだと思ってたけど、もしかして私泳がされてた……?)


 溢れる冷や汗をそのままに、クロエは作り笑顔を張り付けるだけで精一杯だった。


「ええ、今後ともご贔屓くださいませ……」



 麗しく微笑む銀氷の冷血王子の顔には、「契約違反したら即・冷凍刑」と書いてある気がしてならなかった。


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