役場にやってきた未来人
「み、未来人、ですか……」
「やっぱり信じてもらえないですよね」
「い、いえいえ、そんなことないですよ。信じます! で、どういったご相談なのですか?」
ある金曜日の午前中、鳥取県東部のとある小さな町の役場。
町長の肝煎りで新設された「何でも相談係」。その係長に抜擢?された若手女性職員の小森は、窓口カウンターの向かいに座る若者に、やや強張った笑顔でそう尋ねた。
若者は10代後半くらい。まだあどけなさの残る、自身なさげな表情。
小森の問いに、若者が躊躇いがちに言った。
「あの、最初に言ったとおり、僕は未来人なんですが……」
「未来人、なんですね……」
「……やっぱり、信じてないですよね?」
「いえいえ、信じてます!」
嘘でしょ? という気持ちを必死に抑えながら、小森は笑顔でそう応じた。
自分を未来人だと言った若者は、小森に説明を始めた。
「この町の時間で来週5日水曜日の12時34分、町を大地震が襲うんです」
若者曰く、今まで見つかっていなかった活断層によるもので、範囲は狭いが激烈な直下型の地震ということだった。
そして、元々地震が少なかったこの町では、住民は十分な備えをしておらず、町の対応も後手後手で、多大な被害が出るということだった。
「この町の皆さんには色々お世話になりました。何も言わずに元の時代に帰るのが何となく心苦しくなりまして……」
苦笑する若者に、小森がふと気になったことを尋ねた。
「あ、あの、未来人が過去を変えるのは大丈夫なんですか? 漫画とかだとそれが問題になる話が多いですけど」
「はい。歴史に分岐が生じて別の未来が生まれるだけですので。僕の戻る未来には影響ありませんから」
若者が笑顔でそう言った。どうやらそういうものなのらしい。
小森は少し考えてから若者に言った。
「分かりました。ご相談いただきありがとうございます。来週5日水曜日の12時34分ですね。私で出来る限りのことを対応したいと思います」
「ホントですか? 信じてくれるんですか?!」
若者が驚いた様子で言った。小森が笑顔で頷く。
「ここは『何でも相談係』ですしね。ご相談いただいたことに可能な限り対応させていただくのが仕事ですので。どういうことが出来るかは、これからの検討ですけどね」
「ありがとうございます! 無理してここに来て良かった。それでは」
若者はそう言うと、深々と頭を下げて足早に去って行った。
† † †
「さて、どうしようかな……」
若者を見送った後、小森は自席で椅子の背もたれにもたれかかり、天井を見上げた。
正直なところ、未来人なんて信じられない。この情報だけで町として何か対応するのも困難だ。
とはいえ、何もしないのもなあ……天井を見つめながら小森は心の中で呟いた。
何故か、小森にはあの若者が嘘をついているようには思えなかったのだ。
今週はたまたま上司が出張で不在。何でも相談係は小森一人だ。
小森は、悩んだ挙げ句、仕事の基本に立ち返ることにした。一人で抱え込まず、関係者に報告だ。その後の対応はそれから考えることにしよう。
そう考えた小森は、若者とのやりとりの応接記録を作成し、参考情報扱いで防災係にメールで送信した。
† † †
「よう、小森。あのメール見たぞ。トンデモ話だな」
お昼休み。小森が自販機で飲み物を買って役場の廊下を歩いていると、防災係の山田が声を掛けてきた。小森と山田は同期だ。
「あ、山田君。そうなのよ。トンデモ話だけど、何も対応しない訳にもいかなくて……」
「ははは。そんなトンデモ話を共有する必要ないのに……この町の時間で12時34分、来週の5日かあ」
山田が腕組みをしながら言った。小森が意外そうな顔で聞く。
「トンデモ話なのに日付覚えたんだ」
「12345なんて嘘臭さ満点だしな。それに『この町の時間』だなんて、他の町と時間が違うみたいな言い方だったしな。うちの町は田舎だから、未来人から見たら時間の進み方がゆっくりなのかな」
山田がそう言って笑うと、防災係の部屋に向かって歩き始めた。
「まあガセネタだろうけど、備えあれば憂いなし。今日は暇だし、震災対応の手順でも再チェックしてみるよ。それじゃまた」
山田はそう言いながら背中越しに手を振り去って行った。
† † †
週明けの月曜日、役場内は「未来人の予言」の噂で持ちきりになっていた。
昼休み。いつものように小森が自販機で飲み物を買っていると、防災係の山田と出くわした。
「あ、山田君。あの未来人の噂、役場中で噂になってるみたい」
「そうなんだよ。役場以外の住民も結構知ってるんだよな。誰が噂を流したんだろうな」
「山田君は誰にも話さなかったの?」
「え、俺? 俺は家族にしか言ってないぞ」
「……話してるじゃない」
「ま、まあ、ああいうオカルト話は俺も俺の家族も大好きだしな。そういう小森はどうなんだよ?」
「わ、私は……土曜日に一緒に遊んだ親友以外には言ってないよ?」
「お前も喋ってるじゃないか」
「た、確かに。フフッ……」
山田に指摘された小森は、思わず笑ってしまった。山田もつられて笑う。
山田が頭を掻きながら話を変えた。
「そうそう、今朝は県庁の防災担当や警察、自衛隊から立て続けに電話があったよ。あの未来人の噂があちらさんまで届いてるらしい」
「え、そんなところにまで?」
小森が驚くと、山田は苦笑しながら言った。
「噂ってすごいんだな……まあ、誰も本気では信じてないみたいだけど、せっかくの機会だということで、発災時の対応をお互いに確認しといたよ。じゃあ、また」
そう言って、小森は防災係の部屋へ戻って行った。
† † †
水曜日、5日の朝。小森はいつもより少し早めに登庁した。小森だけでなく、他の職員もいつもより早めに登庁しているようだった。
「今日の12時34分だったな」
「そうそう、まあ何も起きないだろうけどな」
「って、お前、それなんだよ?」
「あ、これ? ほら、災害用の衛星電話。倉庫に入れっぱなしだったから、たまには使い方を確認してみようかなと思ってね」
役場のあちこちで、実際に地震は起きないと思いつつ、何となく意識して行動している者が見かけられた。
そして、昼休みになった。
小森がいつもより早めに食事を終え、防災係の部屋の前を通ると、山田をはじめ防災係のメンバー全員が部屋で待機していた。
「まあ、何もないと思うんだけどね」
廊下から部屋を覗き込む小森に気づいて、山田が照れながらそう言った。
小森は自席に戻った。時計を見ると、12時30分になっていた。
あと4分かあ。小森は周りを見回した。皆、何となく普段より早めに食事を終え、自席に座っていた。
12時33分。
「あと1分だな。まあ何もないだろうが」
誰かがそう呟くのが聞こえた。
時計の針が12時34分を指した。
静まり返る役場内。何も起こらなかった。
「ははは、やっぱり未来人の予言は当たらなかったな」
「まあ、俺は最初から信じてなかったけどな」
庁舎内の空気が一気に緩んだ。
小森は何となく山田の様子を見たくなり、防災係の部屋へ向かった。
部屋を覗くと、何故か山田をはじめとした防災係のメンバーは、他の係の職員と違い、引き続きやや緊張した面持ちで自席で待機していた。
小森が不思議そうに防災係の部屋の時計を見た。時計の針がちょうど12時36分を指したところだった。
その直後、猛烈な縦揺れが役場を襲った。
「緊急地震速報受信! 町全域が震度7です!」
「町長の了承確認。県知事に対して自衛隊災害派遣要請を要求!」
「陸自から連絡。先行してリエゾンを派遣するとのことです!」
「町内の状況確認を急げ!」
激しい揺れで物が散乱する中、防災係の職員が一斉に動き出した。
† † †
「震度7の直下型地震で死者がゼロ。古い建物が多いこの町では奇跡だよ」
発災の翌月。仮設庁舎の廊下の自販機前で、山田が小森にそう言った。
町を襲った大地震では、多くの古い建物が倒壊したが、町民のほとんどが発災時に建物の外に出るなどしていた。未来人の予言の噂を聞いた結果だった。
また、未来人の予言の噂を聞いた防災関係者が、デタラメだと思いつつ発災時の対応を再確認していたこともあり、発災直後の対応が迅速かつスムーズに進んだことも有利に働いた。
「でも未来人の予言自体はちょっと外れたわね。どうして2分ズレたんだろ?」
小森が不思議そうにそう言うと、山田が小声で言った。
「実はさ、俺、未来人が『この町の時間で』って言ってたのがずっと気になっててさ……」
山田が近くの時計を見た。小森もそちらに目を向ける。
「あの電波時計は、日本標準時。兵庫県明石市を南北に通る東経135度の子午線を基準とした時刻を刻んでる。グリニッジ標準時から9時間進んだ時刻だ」
山田が指先をクルクルと回した。
「地球は24時間で1回転、360度回る。と言うことは、経度15度で1時間、経度1度で4分の時差が生じることになる」
山田が回していた指を止め、時計の横に掲げられている町内地図を指差した。
「そして、うちの町は東経135度と134度のだいたい真ん中。つまり、厳密に言えば、日本標準時よりもマイナス2分ほど時差があることになる」
「え、っていうことは……」
驚く小森に、山田が得意気に言った。
「そう、未来人は正しかったのさ」
「すごいじゃない、山田君! 見直したわ」
「ははは。まあ、防災係の上司がそう言ってたんだけどね」
「なんだ。山田君じゃないのか」
「ははは、でも、未来人の『この町の時間で』の違和感に最初に気づいたのは俺だからな」
山田が得意気な顔のままそう言った。小森は思わず噴き出してしまった。
「ふふ、強がっちゃって。でも、ほんと被害が少なくて良かった」
「ホントだな。本物だったかどうかは分からないけど、未来人には感謝だな」
小森は自称未来人の若者の顔を思い浮かべた。
彼は、過去を変えると、歴史に分岐が生じて別の未来が生まれると言っていた。
彼は私たちの未来とは別の未来で生きているのだろう。
「ありがと、未来人さん」
小森は時計を見つめながらそう呟いた。
最後までお読みいただきありがとうございました!