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この部屋で過ごすようになって三ヶ月が過ぎた。
師範もアッシュもあれから一度も来ていない。人と会うのは、一日三回、門下生が食事を持ってきてくれる時だけだった。当然のように僕はその門下生と会話をしていない。門下生の方も僕と会話する気がないのだろう。僕は最初から人間ではなく剣のなり損ないだけど、門下生もこの部屋にいる時は無機物を装っているようだった。
あれだけしつこかったアッシュが来なくなったことを考えると、やっぱり形見の件は彼にとって相当重たかったらしい。もしかすると僕を殺しに来るかもしれないと思ったけれど、今のところ実行されてはいなかった。
どちらかと言うと師範が心配だった。僕は馬鹿だから、正直に言うと、アッシュの形見を壊した件を結構忘れていたと思う。当初は気まずかったはずだけど、最近はアッシュと話す時、形見の件を忘れたまま口を動かせていた。
でも師範は多分、無理だったんじゃないかな。
僕と違って師範はマトモだから。
「あっ」
剣を振っていると刀身が折れた。最近よくやってしまう。どうしよう、もう替えの剣はない。全部使ってしまった。
次の食事時になれば門下生が来るだろうから、その時に伝えればいいかと思い、僕は布団の上に寝転んだ。でもすぐに耐えられなくなって身体を起こす。
この三ヶ月間、ずっと剣を振っていたからだろうか。剣を振らないと頭がおかしくなってくる。脳味噌の端っこに寄せていた色んなことが、もぞもぞと蠢き出して、真ん中を何度も過ぎる。
駄目だ、吐き気がする。
気持ち悪くなった僕は、部屋の外に出ることにした。恐る恐る扉に手をかけると、簡単に開く。鍵は締められていなかったらしい。端っこに寄せていた嫌なことのうち、一つが解消される。
それでも、誰も僕に会いに来なかったのは事実だった。
師範がいつもいる執務室へ向かうと、廊下の角から門下生たちの話し声が聞こえてくる。反射的に身を隠した。本来、自分はあの部屋から出ちゃいけないのだと思った。
門下生たちは僕に気づくことなく通り過ぎた。安堵に胸を撫で下ろしていると、彼らの会話が耳に届く。門下生たちは深刻な声色で「倒せるのか?」「アッシュさんでも厳しいんじゃないか?」と話していた。
アッシュが戦場に出ているということは、そこそこ強力な魔物が現れたんだろう。長らく引き籠もっていたせいで、外の情報が他人事に聞こえる。でもこれが適切な距離感なのかもしれない。僕が当事者になると全てが台無しになってしまう。師範もアッシュも交流会でそれを学んだはずだ。
門下生の多くが魔物との戦いに出払っているようだった。道場を包む雰囲気が、アッシュの形見を壊してしまったあの日と似ている。おかげで僕は誰とも会わずに執務室へ到着した。
ノックして、「どうぞ」と師範の声が聞こえてから扉を開く。書類仕事をしていた師範は僕の顔を見て、跳ねるように椅子から立ち上がった。
「なんで、ここに」
酷い見た目だった。痩せこけて頬骨が浮いており、髪はボサボサ、肌は青白い。師範を最後に見たのは、僕を部屋まで案内してくれたあの時だけど、その時よりもずっと酷い顔色をしている。
そんな顔をさせてしまった原因は、多分、僕だろう。僕に果たせる責任があるとしたら、少しでも早く師範の目の前から去ることだと思った。だから簡潔に用件を伝える。
「すみません。剣の補充をお願いします」
「……レイの部屋には、大量の剣を用意していたはずだが」
「全部折れました」
師範が怪訝な顔をした。ほんの少し、いつもの顔に戻った。
「何をしたら全部折れるんだ」
「素振りです」
師範は立ち上がり、壁に立てかけていた剣を僕に渡した。執務室とはいえ、ここは蒼天一刀流の道場だ。各部屋には大体剣が置かれている。
師範が「やってみろ」と言うので、僕は鞘から剣を抜き、振った。
一瞬、刀身が霞んで消える。
再び現れた刀身は、ぐにゃりと折れ曲がっていた。
「最近、こうなることが多くて」
木の棒を全力で振ると、簡単に折れてしまう。あれと同じことが剣でも起きているだけだ。空気抵抗って言うんだっけ? 身体を速く動かすと、空気の壁が硬くなる。剣がその壁にぶつかって折れちゃうんだろう。
注意して振れば折れることはないんだけど、最近は僕の身体が成長しているのか、大して力を入れなくても折れることが増えた。これ以上、剣をデリケートに扱わなくちゃいけなくなると、いよいよ素振りが難しくなる。僕は剣に没頭したいのだ。僕を受け止めてくれる剣が必要だった。
「お前は、どうして……」
師範は乾いた笑みを浮かべる。
「誰も求めてないのに……どんどん強く……」
師範は額に手をやって、しばらく一人で笑っていた。
やがて師範は冷めた顔つきに戻り、僕を見る。
「……倉庫にある剣を持っていけ。後でもっと頑丈な剣を用意する」
「ありがとうございます」
僕は頭を下げた。師範は優しい人だけれど、今回のは恐らく優しさじゃない。師範も知っているのだ。僕は一人で剣を振っている時が一番安定している。
すぐに執務室を出ようと思ったら、扉の向こうから足音が聞こえた。別に出てもいいはずなのに、気まずくなって足音が遠ざかるのを待つ。足音と共に門下生たちの話し声が聞こえてきた。「勝てない」「どうする」、そんな声が聞こえる。
足音が遠ざかった後、僕は師範の方を振り返った。
「アッシュが苦戦してるんですか?」
「お前には関係ない」
それもそうだ。
僕は執務室を出た。