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 僕らが住む街は城塞に囲まれている。城塞の北側には険しい山が聳えており、蒼天一刀流の道場はその山を背にする形で鎮座していた。住宅街から離れた北部は土地が余っているらしく、道場はこれ幸いと平べったい建物を造り、更に巨大な運動場まで保有していた。この運動場で蒼天一刀流の交流会は行われる。


 一人で過ごすことが好きな僕は、城塞でぐるりと囲まれたこの街が好きだった。魔物から街を守るために建てられた壁らしいけれど、僕にとっては未知を弾いてくれる壁みたいに感じていた。未知は僕と相性が悪い。僕は動揺したら何もできなくなる。だから僕は子供も好きじゃなかった。


「レイ様!」


 交流会が始まると、街の住民たちが一斉に運動場へ入った。運動場の中心では門下生たちが剣の素振りをしており、師範を含む高位の有段者たちがその解説を行っている。運動場の端の方では軽食が無料で提供されており、住民たちはその軽食を片手に解説を聞くという流れが生まれていた。しかし中にはその流れを汲み取らない者もいる。それが子供たちだ。子供たちは軽食に目もくれず、思い思いに駆け回り、そのうちの一人が壁際で待機している僕に声をかけた。


「どうやったら僕も、レイ様みたいに強くなれますか!?」


 そんなの僕にも分からない。少年からキラキラした視線をぶつけられて、僕は顔を逸らした。僕はそんな目で剣を振ったことなんて一度もない。命を消費する方法がそれしかなかっただけだ。生まれた瞬間からずっと持て余しているエネルギーは、何をやっても暴発を繰り返してきたが、唯一、剣に注いだ時だけは正常だった。僕は他の人みたいに命を使い分けることができない。僕の命は臓腑の中で激しく捻れ、剣の形に固定されている。


「毎日、剣を振ればいいだけさ」


 僕が沈黙していると、アッシュが隣から割り込んできた。


「そうだろう、レイ?」


 さり気なくこちらを立てるような、アッシュの器用なフォローがむかついた。所作から慣れを感じる。今までもこうやって誰かを支えてきたのだろう。僕だってそういうことができる人間になりたかった。アッシュの命はちゃんと人間の形をしていた。


「正しい振り方はうちの道場で教えられる。よかったら今度、親御さんと一緒においで」


 少年は元気よく頷いて、母のもとへ走って戻った。

 アッシュが僕の方を見る。


「子供は苦手か?」


「まあ」


「分かるなぁ」


 アッシュが同意を示した。


「元気すぎるよな、子供って。俺たちにもそんな時代はあったんだろうけど。振り回されてから初めて気づくっていうか」


 違う。アッシュと僕はやっぱり違う。アッシュの発言は見え透いた嘘だった。この後のパフォーマンスを円滑に進めるために僕との距離を縮めておきたかったのだろう。だがやはり僕とアッシュの間には、決して越えられない大きな溝がある。僕は子供に恐怖を感じていた。掌に滲む汗がそれを物語っている。元気すぎるの一言ではとても片付けられない。僕はボールが足元に転がってきた時のことを思い出していた。子供は僕の醜さを平気で暴く。剣の周りに取り付けられている肉塊を無邪気に剥がし、その手で掲げ、振り回す。いっそ全部剥がしてくれたら、僕は剣になれるんだろうか。


 去って行った子供と入れ替わるように、たくさんの人がアッシュに近づいた。僕のもとには誰も来ない。隣で肩を並べているのに、僕らのいる場所は光と影で分断されていた。僕が一歩下がると、アッシュが「レイはどう思う?」とわざとらしく意見を求める。「分からない」と答えるとアッシュは苦笑して、それから僕のことを見なくなった。アッシュの背中から滲み出る罪悪感が僕の心を毟った。


 集まってきた人たちの対応を済ませたアッシュが、一息つく。


「レイ、そろそろパフォーマンスの準備をしよう」


 頼んでもないフォローをしてみせたアッシュは、最後まで僕を責めなかった。全部、予定調和かのようだった。普通の人なら責められることでも、僕の場合は責められない。僕はいつだって特別扱いを受けている。剣以外は悪い意味で。ひょっとしたら剣すらも悪い意味で。


 実際、アッシュからしたら僕は邪魔者でしかないだろう。僕さえいなければアッシュは蒼天一刀流の第一席だった。僕と違って皆の期待に応えられる正真正銘の第一席になれたはずだ。譲ってやれるなら譲りたい。でも剣を振る以外に能がない僕は、当然のように手加減も不得意だった。アッシュも蒼天一刀流の中ではまあまあ強いらしいけれど、僕とは天と地の差だ。蒼天一刀流は人間が学ぶ剣術なのに、僕みたいな出来損ないが偶々交じってしまった。他の門下生にとっては災害に等しい。申し訳ないと思う。


 アッシュと一緒に控え室に戻ってパフォーマンスの準備をした。今年のパフォーマンスはシンプルな内容で、僕らが皆の前で魔物を倒すというものだ。例年はもう少し複雑なパフォーマンスをしていたと思うけど、今年は馬鹿な僕にも理解できる内容で助かった。或いは馬鹿な僕のために合わせてくれたのかな。


 控え室には十本くらいの剣が用意されていた。そのうちの一振りを手に取った瞬間、僕の準備は終了する。僕は別にお気に入りの剣なんて決めてないから、誰かが勝手に用意してくれた剣をいつも使っていた。でもアッシュは違うようで、自分の命を預ける武器を真面目に選んでいるらしい。鍛冶師も専属の人がいるようだ。


「レイ、剣はそれでいいのか? こっちの方が斬れそうだが」


 アッシュが僕の剣を見た後、棚に置かれている剣を鞘から抜き、刀身を見せた。「なんでもいいよ」と答えると、アッシュは乾いた笑みで「流石だな」と呟く。


 剣なんてなんでもいい。僕自身が剣みたいなものだから。人間になり損ねた剣というより、剣になり損ねた人間だ。僕の本質は剣にある。偶に僕は人間と剣の間に生まれた子供で、父親は剣だったんじゃないかと思うことがあった。


「行こう、レイ」


 舞台の準備も整ったらしく、僕らは控え室を出た。

 先程まで門下生たちが素振りをしていたスペースがぽっかり空いており、そこに僕とアッシュが現れる。周りを街の皆がぐるりと囲んでいた。まるで城塞みたいだけれど、最悪の気分だった。人に見られているだけで胸騒ぎがする。


 師範は「日の当たる場所に出よう」と言っていた。ここがそうなのか? だとしたら僕には無理だ。僕はこんな大勢の人の目に曝されながら生きていけない。僕は普通の人と比べて責められないことが多いけれど、普通の人より失敗する回数は多いし、そのどれもが致命的だ。師範やアッシュは人前で失敗しても大事にはならないけれど、僕の場合は大事になる。僕の失敗はいつだって致命的で、誰かを著しく不愉快にする。それを自覚しているから、できるだけ他人を遠ざけたいのだ。僕はただ誰かを不愉快にさせたくないだけなのだ。


 運動場に現れた僕らを見て、街の皆が騒ぎ出した。うるさい。顔を顰める僕の正面に、大きな檻が置かれている。檻の中には狼みたいな魔物がたくさん入れられていた。


「知っていると思うが、一応説明しておこう。奴らはハウンド・ウルフ。常に群れで行動する獰猛な魔物だ。中型のわりに俊敏な動きをするから、俺たち門下生でも四段くらいまでは苦戦する」


 師範が観客たちにパフォーマンスの内容を説明している間、アッシュが僕に魔物の説明をした。ハウンド・ウルフは腹を空かせているのか、歯の隙間から涎を垂らしている。僕はこんな魔物を知らない。多分、戦ったことがない。僕が最初に戦った魔物はもっと大きくて、多分もっと素早い奴だった。


「足の速い魔物が選ばれたのは、見映えのためだろうな。俺とレイなら、どんな大型の魔物でもその気になれば一瞬で倒せる。少しでも接戦を演出するために、ああいう魔物にしたんだろう」


 アッシュが勝手に納得している。

 パフォーマンスの時が近づくと同時に、僕の心はざわついた。失敗してはならない。絶対に倒さなければならない。いつもと同じ条件で戦っているはずなのに、人に見られているという意識が僕を激しく動揺させる。


 その時、檻の中にいるハウンド・ウルフの一匹と目が合った。餓えか、怒りか、激情が露わになっていて余裕を感じない。その余裕のなさに共感し、それから安堵した。ここには僕よりも余裕がなくて、僕よりも忌避されている存在がいる。衆目の前で殺されるためだけに連れて来られた魔物たちに、僕は心の底から同情した。こんな僕ですら哀れみを感じてしまう。


 せめて、ひと思いに終わらせあげなくちゃ。

 いつもはそちら側だからこそ、僕は魔物たちを苦しめずに殺すと決めた。


 師範がパフォーマンスの開始を合図する。僕とアッシュは同時に動き出したけれど、次の瞬間にはアッシュが僕の視界から消えていた。アッシュが移動したのではなく、その逆で、僕が目にも留まらぬ速さで走った。


 檻から飛び出たハウンド・ウルフに肉薄し、刃を振るう。刎ねられた首が地面に落ちるよりも早く、身体を翻して次の標的へ近づいた。


 ハウンド・ウルフの反応は顕著だった。餓えやら怒りやらに満ちていたその双眸が、僕を見た直後、恐怖に染まる。獣の感情は分かりやすくて好きだ。人間の感情は複雑すぎてよく分からないことが多いから。


 ただでさえ可哀想な魔物に、恐怖を感じながら死んでもらうのは申し訳ない。僕は更に速く走って、魔物たちが驚いている間に斬ることにした。何が起きているのか分からないまま死ぬ。きっとその方がマシだろう。


 斬る。ただひたすら斬る。それだけが僕にできることだから。

 剣を振っている時だけは何も考えずに済む。この時間が永遠に続けばいいと思った。


「レイ!!」


 僕を呼ぶ声が聞こえた気がした。


「レイ!! やめろ!! もうやめてくれ!!」


 師範の声だった。気づいたと同時に僕は立ち止まる。

 剣に集中している時の僕は、周りが見えなくなる。視覚も聴覚も剣を振るという行為に最適化され、余分なものを排除する。だから反応が遅れてしまった。僕が師範の声に気づくまで、師範は何十回も僕を呼んでいたのだろう。


 振り返ると、師範は顔面蒼白で僕を睨んでいた。辺りは凄惨な血の海だった。僕が斬ったハウンド・ウルフの胴体が、ごろりと転がる。血飛沫が激しく上がり、観客の顔を赤く染めた。


 鮮血と臓腑の雨が降っていた。運動場は阿鼻叫喚に包まれていた。客席から聞こえる悲鳴は、師範の声の何十倍も大きいのに、僕はそれに今初めて気づいた。


 アッシュの方を見る。アッシュも師範と同じような青褪めた顔で剣を振っていた。悲鳴を上げる客を落ち着かせるためにも、まずは暴れ回る魔物を殲滅しなければならない。


 アッシュは魔物の下腹部に刃を通し、そのまま心臓がある部分まで剣を這わせて、命を狩った。引き抜いた剣は赤く輝いているけれど、倒れた魔物の身体からは血や臓器が飛び散らない。


 アッシュは血や臓器が飛び散らない方法で魔物を斬っていた。アッシュは真面目な男だから、魔物の構造をあらかじめ調べて臓器とかの位置を把握していたんだろう。そうすればよかったんだな、と思うと同時に、アッシュが僕の方を見る。アッシュの視線に射貫かれた僕は、パフォーマンスが始まる前、彼に頼んでもないフォローをされたことを思い出した。


 ドラゴンに火を吹かれた時みたいに、顔が熱くなる。頭が真っ赤に染まった。剣を握る手が震えている。


 師範の言いたいことが分かった。

 僕にはできないと思ってるんだな。


「できます!!」


 僕だってあのくらいできる。要するに、なるべく太い血管を斬らなければいいだけだ。勤勉なアッシュは下調べによってそれを実現しているようだけど、僕には剣がある。


 適当に斬って、太い血管に当たりそうな感触がしたら、剣の角度を変えればいいだけだろ? そんなの楽勝だ。


 近くにいたハウンド・ウルフを斬る。最初は十八回も角度を変える必要があった。でもコツを掴んだので次は十回、更にその次は五回くらいで斬る。


 怒りが全身を駆け巡っている。プライドなんて全部捨てていたはずなのに、剣だけは駄目だった。蒼天一刀流の第一席という立場なんていくらでも譲ってやりたいと思っていたけれど、いざそうなりそうな未来が見えた時、僕の心は泣き叫んだ。剣だけは誰にも負けたくない。いや、誰にも負けちゃ駄目なのだ。これだけが僕の生きている理由で、皆から辛うじて許されている由縁なのだから。最強の剣士という立場は僕の命綱だった。僕の本質は剣の形をしているけれど、人間の肉を通して呼吸しなければ生きていけない。


 剣になりたい、剣になりたい、剣になりたい。


 こんなことで苦しみたくない。人間の肉から解放されたい。食事すら上手くできないのだから、僕を人間に留めておく必要なんてないはずだ。何故、僕は人間なのだろう。


 全ての魔物を斬り伏せると、心はいくらか静かになった。剣を軽く振って刀身についた血を払い、鞘に納める。


 阿鼻叫喚は過ぎ去り、嫌な沈黙が立ち込めていた。少しでも変なことをしたら、またすぐにでも爆発しそうな空気だ。誰しもが心に抱えている爆弾を僕は理解できない。皆が「それだけはやっちゃ駄目だ」と思っていることが、僕には分からない。


「レイ」


 師範が泣きそうな顔で僕のもとへやって来た。


「客席の近くで戦うと、こうなることが予想できなかったか?」


 それを聞いて、僕はようやく師範が本当に言いたかったことを理解した。

 血や臓器が飛び散るのは仕方ない。魔物と戦っているのだから当たり前だ。しかし客席の傍ではやっちゃいけないことだった。客の顔とか服とかに血がついてしまうから。


 視線に曝されている緊張で聞いていなかったけれど、恐らく師範は事前にこのパフォーマンスでは血が出ることを説明していたのだろう。こちらを遠巻きに見ている街の人たちの中に、子供の姿があまり見えないのはそれが理由だ。


 僕は静かに「すみません」と謝罪した。いつもはこれで終わりだが、今日の師範はまだ溜息を吐かなかった。


「どうやったら、分かってくれるようになるんだ」


 そんなの僕だって分からない。何も答えられず、もう一度「すみません」と謝った。


「謝らないでくれ!!」


 師範が怒鳴る。


「私は、どうやったら分かってくれるんだと質問しているんだ!!」


 だから、そんなのは僕にも分からない。

 目尻から涙が溢れそうになる。でも僕より師範が泣きそうだった。この場にいる全員が、この状況を避けたいと思っていたはずなのに、何故かこうなってしまった。僕と違って師範やアッシュは立派な人間なのに、僕がいるだけで二人の積み上げてきたもの全てを台無しにしてしまった。これって僕のせいなんだろうか? ここまでくると疑問に思う。


「説明してくれれば、分かると思います」


 言葉を絞り出した。僕が変われないことは僕自身が誰よりも理解しているので、こういう状況を避けるにはもう僕以外の誰かに変わってもらうしかない。そんな僕の思いを聞いて、師範は額に手をやった。


「そうだな。いつもそうだ。お前の失敗は、周りにいる誰かのせいになる」


 師範はやっと溜息を吐いてくれる。いつもよりも長くて深い溜息だった。


「レイ…………私は、疲れてしまったよ…………」


 だから言ったじゃないか。

 僕でいいんですか? って。


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