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 馬車に乗って街まで戻った僕は、師範と合流し、凱旋をこなした。

 もはや僕にとって凱旋はこなすものだった。交流会で僕の正体が人間でないことを見抜いた街の住民は多く、拍手は疎らで、賞賛よりも疑いの視線の方が突き刺さっていた。僕と一緒に歩いている師範も居心地が悪そうで、僕がさり気なく歩く速度を速めたら、師範も一緒に速く歩いてくれた。


 道場に戻った時刻が丁度昼過ぎだったので、師範と一緒に食堂で昼食をとることにした。案の定、ごった返している食堂も、師範がいると簡単に座れる。


 互いにほとんど無言で食事を済ませた。僕はスープを飲んでいる間、どうして師範はこの期に及んで僕と一緒に食事してくれるんだろうっていう疑問と、さっき話した老人のことは内緒にした方がいいんだよねって不安について考えていた。


 老人は街に魔物をけしかけている張本人だから、師範が彼の存在を知ればすぐに捕まえようとするだろう。でもそれは僕が嫌だった。僕はまたあの老人と話したかった。


「師範」


 僕はちびちびと水を飲む師範に尋ねる。


「魔物愛護団体って、知ってます?」


「誰から聞いた」


 師範の目が鋭くなった。

 師範の怒りは僕に向いているわけではなく、僕に魔物愛護団体という言葉を教えた何者かに向けられている。師範は僕を怒らない。怒っても無駄だと知っているから。


 どうしよう。誰から聞いたことにしたらいいんだろう。後先考えずに質問してしまった。僕は役に立たない頭に鞭打ってなんとか嘘を思いつく。


「凱旋中に、聞こえた気がして」


 ボソボソと答えると、師範が鋭い目つきのまま「住民にも漏れているのか」と呟いた。


「レイ、その名前はもう忘れろ。詳しくは説明できないが、その団体は極めて危険な組織だ。絶対に関わるな」


 いつになく真剣な師範の忠告で、僕らの昼食は締め括られた。

 仕事があるらしい師範は早足で執務室に向かう。僕も物置だった部屋へ向かって歩き出した。


 廊下を歩きながら考える。師範は結局、何も答えてくれてないんじゃないか。なんだか誤魔化された気がする。詳しく説明できないって言ってたけど、その理由は? 僕が馬鹿だからかな? 僕以外の人には説明できるんじゃないの?


 凱旋の時に浴びた冷たい視線を思い出した。何人かは僕に暖かな声援を送ってくれたけど、僕の肌は冷たいものに敏感だった。魔物を斬ったところで、もうこの街に僕の居場所はないのかもしれない。


 少し前までなら、パニックになっていただろう。でも今は驚くほど冷静だ。それは僕が外の世界を知ったからに他ならない。


 道場の外では、生きていけないと思っていた。

 でも、もしかしたら、僕はここ以外でも生きていけるんだろうか?




 ◆




「世界は広いよ」


 荒野の岩に腰を下ろした老人が言う。


「君を受け入れてくれる組織は、君が思っている以上にたくさんある。ただ悲しいことに、それを君たちが自力で見つけるのは困難だ」


 そのために私みたいな人間がいるんだよ、と老人は語った。

 老人の唇から放たれる言葉は優しさを帯びていて、とても聞き取りやすい。なんて表現したらいいんだろう。言葉の矢印が僕に向いている感じではなく、まるで風みたいにゆったりと僕の周りを漂っていた。他の人と話している時に感じる「ちゃんと受け答えしなくちゃいけない」という緊張が、この老人との間では生まれない。


「それにしても」


 老人が背後を一瞥する。

 そこには僕が斬ったばかりの魔物が倒れていた。


「またしても一刀両断か。先日、君が倒した大蛇と同じように、この魔物にも刃物の耐性はつけていたんだけどね」


 今回の魔物はゴーレムと呼ばれる種類だった。見た目は岩の巨人で、刃物が通りにくいという特徴がある。僕はそれでもゴーレムを斬るのに苦労したことなんてなかったし、今回も普通に剣で戦ったけど、言われてみれば確かにちょっとだけ斬りにくかった気がしなくもない。


 ところで大蛇とは、アッシュの仇だったあの魔物のことだろうか?


「あの蛇も、貴方の仕業だったんですか?」


「まあね。我々は世界各地の魔物を保護しているけれど、一部の好戦的かつ理性的な魔物は、私たちの理念に共感して戦ってくれることもある。彼なら第二席の青年も倒せると思ったんだけど……」


 難しい話だったのであまり理解できなかったけれど、僕にとって大事なのは、老人が魔物を「彼」と呼んだことだった。

 多分、この人は本当に魔物を大切にしている。なんだか魔物を斬ることが申し訳なくなってきた。


「僕が魔物を斬ったら、貴方は悲しいですか?」


 僕がそう訊くと、老人はきょとんとした顔で僕を見て、やがて盛大に笑った。

 老人は一頻り笑った後、目尻の涙を拭って説明する。


「心配しなくてもいい。魔物たちも覚悟した上での結末だ。君がちゃんと魔物を倒さないと、蒼天一刀流に疑われてしまうだろう?」


 それはそうだ。僕が魔物を倒せなかったことなんて一度もないから、斬り損ねたって報告すると、多分師範は物凄く驚くし、僕を疑うかもしれない。


「今日は、私の娘について話そうか」


 僕は老人の話に集中した。その話が聞きたかった。

 老人の娘は、生まれつき上手く喋ることができず、勉強が苦手だったらしい。僕と比べても会話が苦手なようで、意思疎通が困難な時が多いとのことだった。


 人の話を理解できない老人の娘は、学校に馴染むことができなかった。生徒同士の輪からは孤立するし、先生も困らせてしまい、最後には校長から「うちでは面倒を見られません」と頭を下げられたとのことだ。仕方ないので家で勉強を教えるも、やっぱり理解できず、今度は母親が根を上げてどこかへ去ってしまった。この時から老人は一人で娘の面倒を見ていたが、何度も心が折れそうになったらしい。特に辛かったのは、注意するとすぐパニックに陥ってしまうところだったとか。老人の娘は、自分が叱られていると思ったら、壁に頭をぶつけて自傷する癖があるようだ。いなくなりたい。消えたい。死にたい。そんな思いを見せつけられている気がして、老人もまた死にたくなるほど苦しかったとか。


「そんなある日、庭の方から娘の楽しそうな声が聞こえたんだ」


 悲しそうに語っていた老人の瞳に、仄かな光が灯った。

 庭の様子を見に行ってみると、そこには魔物の子供と遊んでいる娘の姿があったらしい。老人はすぐに武器を手に取り、魔物を退治しようとしたが、娘は必死になって魔物を守った。


 魔物は娘に危害を加えるどころか、とてもよく懐いていた。娘は会話が得意ではない。だが魔物はそもそも会話をしない。二人は言葉とは違う何かで通じ合い、絆を育んでいた。


 魔物は娘の友達になってくれたのだ。

 娘にとって、生まれて初めての友達に。


 娘は魔物に好かれる素質があり、それからも色んな魔物と仲良くなった。その光景を目の当たりにするうち、老人は魔物への認識を改めたらしい。


 世間は叫ぶ。魔物は駆除するべきだと。だがその世間は娘を守ってくれなかった。娘の心を癒やしたのは、世間ではなく、家族でもなく、駆除するべきとされている魔物だった。


「だから、私は立ち上げることにした。魔物を守るための組織をね」


 語り終えた老人は、唇を閉じる。

 僕はいつの間にか涙を流していた。全部同じだった。老人の娘と僕の境遇には、偶然とは言い難いほど重なる部分があった。会話が苦手で、居場所を失って、家族にも見放されて。普通の人ならできることが、自分にだけはできないくて。足掻いて足掻いて足掻き続けた先で手に入ったのが、僕は剣だったし、老人の娘は魔物だったのだろう。


 いるんだ。僕以外にも、僕みたいな人が。

 老人のことを信じてよかったと思った。もう一度話してみたいと思ってよかった。僕はこの話を聞いただけで、心が救われた。


「レイ君」


 涙を流す僕に、老人が優しく語りかける。


「私はね、本当に君の力になりたいと思っているんだ。してほしいことがあれば何でも言ってほしい。可能な限り応えてみせよう」


 僕はただ、剣を振ることさえできればいいと思っていた。でも、この人にはもう少し心を曝け出してもいいかもしれない。そう思った瞬間、今まで決して口に出せなかった様々な願い事が胸から溢れ出し、全身を駆け巡った。本当はもっと美味しいご飯を食べたいし、本当はもっと色んな人と仲良くなりたい。師範と仲直りしたいし、アッシュともちゃんと友達になりたい。酷いことをしてしまったユウに謝罪したい。


 たくさんの願い事が僕の中にはあった。蓋がほんの少しだけズレただけで、目が回るほどの願いが溢れ出してしまった。


 その中でも、一等星みたいに特別輝いているものがあった。僕はそれを拾って、この老人に見せることにした。


「母に……」


 僕は泣きながら言った。


「お母さんに……会いたい」



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