13
アッシュの仇討ちを代行して以来、僕は部屋を自由に出入りできるようになった。
今までも自由に出入りできたとは思うけど、僕はこの部屋にいるべきなんじゃないかという不安で身動きできなかった。でもあれ以来、アッシュがしばらく体調を崩し、その間は僕が度々魔物の討伐に駆り出されるようになった。そうして何度か部屋を出入りする用事ができたことで、師範からさり気なく「元の部屋に戻ってもいいぞ」と言われたのだ。
僕はあの広々とした部屋に居心地の良さを感じていたため、これからもあの部屋で暮らしたい旨を師範に伝えた。師範はあっさり了承してくれて、「でも遠慮する必要はないからな」と言った。
「そういえば」
師範が思い出したように言う。
「アッシュがそろそろ復帰できそうだ。よければ顔を見せてやってくれ」
いいわけがないので、僕は師範の言葉を聞かなかったことにした。
僕が蛇の魔物を倒した後、アッシュは長いこと眠っていた。アッシュは今まで表面には出さなかったけど、実は仇討ちのために色んな想いを注ぎ込んでいたのかもしれない。師範は病室で眠るアッシュのことを「糸が切れた人形のようだ」と言っていた。
病室でアッシュが目を覚ました日は、道場が過去一番の盛り上がりを見せた。多くの門下生がアッシュの覚醒を祝い、歓喜していたんだと思う。彼らの感極まった声は僕の部屋まで届いていた。
それから数日、僕は相変わらず部屋に引き籠もっている。でもある日、唐突に扉が開き、アッシュが部屋に入ってきた。
「レイ」
アッシュは今までのキラキラした雰囲気を取り戻していた。でも身体の方は全快とは言い難いらしく、まだ手足の骨が折れているので杖を支えにしている。
アッシュの背後には大勢の門下生がいて、僕らの会話を黙って聞いていた。きっと万全でないアッシュを心配して、常に傍にいるのだろう。
彼らの睨み付けるような目を見て、僕は口を開けずにいた。でも対照的に、アッシュは僕に対して深い敬意を払った。
「ありがとう。あいつを倒してくれて」
深々と頭を下げるアッシュに、僕は困惑した。頭を上げたアッシュは、狼狽える僕を見て小さく笑みを浮かべる。まるで予想通りの反応だと言わんばかりに。
不思議なことに、アッシュの笑みからは蔑みを感じなかった。狼狽する僕を見て嘲笑っているわけではないらしい。それどころか、まるで僕の態度を見て安堵すら覚えているように感じる。
「誰がなんと言おうと、レイは俺の恩人だ。蒼天一刀流の第一席は、間違いなくお前だよ」
アッシュは真剣な顔でそう言って、僕の部屋から出て行った。今のは僕に対する言葉なのか、それとも背後にいた門下生たちに対するものなのか。もし後者だとしたら残念ながら効果はなさそうだった。アッシュがいなくなった途端、彼らは敵意を隠すことなく僕を睨む。
「あんたの才能が、アッシュさんにあれば完璧だったのに」
アッシュを慕っている少女が、苛立ちを露わにして吐き捨てた。誰も部屋の扉を閉めずに去って行ったので、仕方なく自分で閉める。
世の中のマトモな人たちは、言われなくても分かっていることを度々僕に伝えてくる。分かった上でどうしようもないことくらい知っているくせに、無意味にしつこく忠告してくる人がいる。きっと彼女たちは言いたいだけなんだろう。最初から意味があると思って話していない。彼女たちは、ただ口にしないと気が済まないだけだ。
その日の訪問者はアッシュたちだけではなかった。剣になりたい、剣になりたい、剣になりたい。何度も頭の中で唱えながら剣を振っていると、師範が訪れた。
「レイ、倒してほしい魔物がいる」
師範は少しだけ僕と目を合わせてくれるようになった。それでも交流会の前と比べると、まだ避けられている。
この関係を直したいと思えない辺りが僕の悪いところなんだろう。人との距離が空くと、僕は「正常に戻った」という感想を抱く。人と関わることで嫌な思いばかりしてきた僕は、人との距離が空いているほど安堵するのだ。長年、一緒にいた人が相手でもそう思ってしまうくらいに。僕にとっては孤立こそが自然な状態だった。
それでも仕事は引き受けた。僕は今も門下生たちに部屋まで食事を運んでもらっている。このくらいはしなくちゃいけない。
街に近づいている巨大な鳥の魔物を、僕は真っ二つにした。ずっと上空にいてなかなか下りてこなかったため、思いっきり跳躍して斬ったけど、雲の上まで跳んでしまったせいでしばらく寒かった。力の加減はあまり得意ではない。
着地して、剣を鞘に入れた。すぐ隣には鳥の亡骸が横たわっている。この魔物はアッシュでもギリギリ倒せたかな。アッシュが完全に復帰したら、また僕は部屋で剣を振るだけの日々に戻れそうだ。やっぱりあの日々が僕を一番安定させていたと思う。普通に生きていると誰かの迷惑ばかりになってしまうから、早くあの日々に戻りたい。
「こんにちは、少年」
街に帰ろうと思った時、変な老人に声をかけられた。ここは戦場になるから、街の住民には近づかないようにとあらかじめ師範がアナウンスしていたと思うけど、この老人は無視しちゃったんだろうか?
老人は「少し話をしないか?」と訊いてきたけど、僕はどう答えればいいのか分からず口を噤んだ。この後はやることがいっぱいある。馬車と合流して、街まで帰って、師範に報告して、凱旋しなくちゃいけない。マトモな人間にとっては簡単なことでも、僕にとってはパンク寸前だ。
子供が落としてしまったボールを無視したことを思い出した。無視しちゃ駄目なんじゃないか? でも今は近くに師範の目がないし。どうすればいいんだろうって思っていると、老人が再び口を開く。
「あまり会話は好きじゃなさそうだな。では単刀直入に伝えよう」
老人は真面目な顔で言った。
「少年、我々の仲間にならないか?」