美園のデビュー
フローライト第九十二話
二年生になるとクラス替えがあって、美園は朔と離れてしまった。おまけに二年生は進路を決めなければならない。新学期早々配られた学校からの便りには、進路希望調査もあった。
「朔は進路どうするの?」と美園は聞いた。今日は美園の部屋に朔が学校の帰りに寄っている。
「・・・わからない」と朔が言う。
「進学?就職?専門?」
「わからない・・・」とまた同じ返事。
「えーわからないの?」と美園が言うと朔が「美園は?」と聞かれた。
「わからない」と答えたら「アハハ・・・」と朔が笑ったので美園も一緒に笑った。
「ねえ、あの絵、私が買ったらだめ?」と美園は聞いた。
「ダメだよ」
「私だってお客でしょ?」
「ダメだよ。絶対」と朔が強い調子で言った。
「ケチ」と美園は言ってから「あーあ、つまんない」と足を床に投げ出した。
朔が足を見ている。散々抱き合った今でも、朔は美園の足が好きなのだ。
「足、触る?」と聞いてみる。
「うん・・・」と朔が手を伸ばしてきた。
それから朔が美園の足を夢中で触り始めると、いきなりスマホが鳴った。ビクッとして朔が手を止める。
「あ、私か」と美園が鞄からスマホを取り出した。
「もしもし?」
「あ、みっちゃん?」と電話は明希からだった。
「うん」
「売れたよ!朔君の・・・」
「えっ?!ほんとに??」
美園は驚いて朔の方を見た。
「ほんとだよ。しかも描いた人に会ってみたいって言われたよ」
「えー・・・すごい」
「うん、とにかく先に教えなきゃって思って」
「うん、ありがと。いくらで売れたの?」
そう言ったら朔がびっくりした顔でこっちを見た。
「二万八千円だよ。少しだけ値引きしたの」
「そうなんだ。全然いいよ」と美園は答えた。
「じゃあ、今週来れたらうちに朔君とおいでよ」
「うん、わかった」
「とにかくまずおめでとう」と明希が電話を切った。
朔が驚いた顔のまま美園の方を見ている。
「聞こえた?」と言うと「うん・・・」と朔が答える。
「売れたんだよ。やったね。おめでとう!」と美園は朔の手を握った。
朔は「ありがとう」と涙ぐんでいる。今回は売れるまで二か月近くたっていた。利成や奏空のアドバイスで美園がSNSでかなり宣伝したし、明希も店のインスタグラムで何度か出してくれていたが、それでもなかなか売れなかったのだ。
「今週利成さんのところにおいでって。いつ行く?」
「いつでも・・・今でも」と朔が言う。
「アハハ・・・今は無理でしょ。じゃあ、聞いとくよ、都合のいい日」
「うん・・・」と朔が涙を拭きながら言った。
その週の土曜日の夜、朔と一緒に利成のところに行った。買ってくれたのは利成のデビュー当時からのファンで、利成の絵がすごく好きなんだと話していたと言った。
「それでね、朔君の絵を見たら、ものすごく懐かしい感じになったんだって。若い頃の自分がどんなだったか思い出して、そしたらすごく愛しくなったって・・・」と明希が説明してくれた。
「絵が?」と美園は聞いた。
「うん、絵と自分自身だって」
「そうなんだ」
利成の仕事部屋にいつものように通されて二人は並んで座った。
「お金は受け取った?」と朔に利成が聞いてきた。
「はい・・・ありがとうございます」と朔が頭を下げた。
「どんな感じ?気持ちは」と利成が言う。
「・・・何か・・・信じられない感じ・・・」と朔が言った。
「そうか・・・」
「朔はもっと自分を信じなよ」と美園は言った。
「うん・・・」と朔が自信なさげな声を出した。
「そうだね」と利成も言う。
「利成さん、じゃあ、これで朔と契約してくれるんでしょ?」と美園は言った。絵が売れたら利成が自分の会社と契約して、朔の絵を今後店かオンラインの店で売ってくれると言っていたのだ。
「そうだね。でも、二つ条件があるんだよ」と利成が言ったので、朔が利成の方を見た。
「何よ?条件って」と美園は聞いた。
「朔君の顔出しと、美園のデビューだよ」
「えっ?!」と二人同時に声を出した。
「ちょっと、朔の顔出しはいいけど、私のデビューは朔の絵の契約と関係ないでしょ?」
「そうだね。でも、美園への誘いが来ててね。そろそろいいんじゃないかって」
「そろそろも何もないよ。私は断ったんだから」
「そうだね、昔はね」
「一体何のデビュー?私ドラマなんてやらないよ?」
「うん、ドラマじゃないよ。歌だよ」
「はぁ?」と思いっきり大きな声をだしてしまった。
「私は奏空と違ってアイドルになる気もないし、利成さんみたくなる気もないんだよ。楽して生きたいの」と美園が言うと利成が笑った。
「そう、楽して生きてよ」
「うん、だから私はデビューしない」
「いや、それが条件だから」と利成が有無を言わせぬ感じで言う。
「あの・・・」と朔がそこで声を出した。
「ん?」と利成が朔の方を見る。
「俺の顔出しって・・・」
「うん、せっかく美園の歌にアニメをつけたりしてくれてるでしょ?だからユーチューブで顔出ししてやって欲しいんだよ」
「でも・・・何を・・・?」
「何でもいいでしょ?美園と相談して、そしてその中で、自分の絵とか明希の店のことも話してくれればなおいいよ」
「それも私となの?」と美園は聞いた。
「そうだよ」と利成が平然と言う。
「つまり朔と組めってこと?」
「そうだね」
「組むって?」と朔が聞く。
「デビューだよ。朔と組んで何かやれって言ってんの、利成さんは」
美園が言うと、朔が「えっ?!」とまたひどく驚いた顔をした。
「デビューってどこからするのよ?」
「○○〇ってメジャーレーベルから」
「メジャー?レーベル?いつのまに?」
「結構前から話はあったよ。俺とユーチューブやってたでしょ?あの頃にね」
「・・・サイアク・・・」と咲良の口真似をした。
「こないだの麻美さんの誕生日の時の美園のテープ、聞いてもらっての判断だから、堂々としてていいよ」
「は?あの時の?何それ。聞いてない」
「言ってなかったよ」と利成が笑う。
「美園、俺のことならいいよ」と朔が言う。
「いいって?」
「絵、売らなくても・・・」
「売らなくてどうするのよ?」
「どうもしない・・・今まで通りで・・・」
「朔が絵を売らなくても結局私はデビューさせられるんだよ。朔の話は単なる建前」
美園の言葉に利成が笑った。
「さすが、美園だね」と利成が言う。
「そうなの?」と朔が驚いている。
「そうだよ。利成さんってそういう男だよ」と美園が言うとまた利成が笑った。
「最高だね、美園は」
「はぁ・・・わかった。売れなかったらやめていいんだよね?」
「そうだね。売れなかったらやりたくてもやれないからね」
「そっか、じゃあ、まあいいよ」
「じゃあ、美園のデビューの話は決まりね」
「・・・やだけどいいよ」
「朔君は、美園とユーチューブ頑張って。まあ、ユーチューブでなくても他に何かいいのがあれば、そっちでもいいから」と利成が楽しそうに言った。
利成が「家まで送ろうか」と言ってくれたけれど「大丈夫だ」と断った。夜道を朔と手をつないで駅まで歩いた。朔の家とは反対方向なので駅のホームは逆になる。朔が「帰る?」と聞いてきた。
「どうする?」と美園は時計を見た。時刻は夜九時になろうとしていた。
「・・・美園とまだいたい・・・」と朔が言う。
「でもうちは大丈夫?遅かったら叱られない?」
「大丈夫」
「あ、じゃあさ、明日は日曜日だからうちに泊まりなよ」
「えっ?」と朔が驚いている。
「友達のところに泊まるって家には連絡して」
「・・・友達いないこと知ってるから・・・」
「あー・・・いいじゃん、友達できたことにしたら」
「うん・・・」
朔がスマホを出してラインをしている。
「じゃあ、オッケーだね。行こう」と美園は朔の手を握った。
「うん」と朔が嬉しそうに言う。それから「でも美園のうちは大丈夫なの?」と聞いてきた。
「大丈夫」と美園は答えた。咲良が何というかわからなかったが、奏空は絶対いいと言うとわかっていた。
自宅マンションについてから玄関に入ると、奏空はまだ帰宅していないようだった。
「ただいま」とリビングに入ると咲良が一人テレビを見ていた。
「おかえり」と咲良がビールを缶のまま口をつけた。
「朔のこと今日泊めるから」と美園が言うと、「えっ?」と咲良が驚いてこっちを見た。朔が身を縮ませて「こんばんは」と言った。
「泊めるって?」と咲良が聞く。
「泊めるは泊めるだよ。私の部屋に泊めるから」
「ちょっと、どういうこと?」
「どういうこともないよ」と美園は朔の手を引いて自分の部屋へ行った。咲良は追いかけてはこなかったけれど、きっとまたため息でもついているだろう。
「いいのかな?」と部屋に入ると朔が言った。
「いいの。むしろ最初からそうすれば良かったね」
「・・・・・・」
「じゃあ、ほら今日はたくさん時間ができたからどうする?」と美園は言った。
「しても大丈夫かな・・・」と朔が言う。
「大丈夫。シャワーも入れるよ」
「うん・・・」と朔が口づけてきた。
「先にする・・・」と朔が美園を押し倒してきた。
朔と抱き合っている間、咲良はわかっててなのか来なかった。途中、奏空が帰宅した様子だったが、奏空も来なかった。
朔が裸のままベッドに寝ている。下着をつけながら美園は「シャワー入っておいでよ」と言った。
「でも・・・」と朔が言う。
「大丈夫だよ」
「んー・・・」と朔が起き上がった。
服を着てから浴室まで案内して、シャワーのやり方を教えていると奏空が来た。
「あ、美園、ただいま」と奏空が抱き着いてきた。
「おかえり」と美園が言うと「こんばんは」と朔が挨拶をした。
「こんばんは、朔君」と奏空が笑顔を向けている。
「絵、売れたんだってね。おめでとう」と奏空が言った。
「ありがとうございます」と朔が頭を下げた。
「また描くんでしょ?」と奏空が聞く。
「はい・・・」
「そっか、じゃ、頑張ってね」と奏空がトイレの方へ歩いていった。
「じゃあ、タオルはこれ使って・・・あ、下着・・・新しいの奏空のあるよ」と美園が言うと、「いい、大丈夫」と朔が言った。
「そう?じゃあ、部屋に行ってるね」と美園は浴室から出て部屋に行った。
リビングには誰もいなかった。咲良は寝室にでも行ったのだろう。美園はソファに座ってトイレから戻って来た奏空に聞いた。
「ねえ、デビューって何するの?」
「え?何のデビュー?」と奏空が聞く。
「歌手デビューだよ」
「歌手?誰がデビューするの?」
「え?奏空、知らないの?」
「知らないけど?」
何で利成さんは奏空に言ってないのだろうと思いながら「私だよ」と言ったら、奏空が「えっ?!」と驚いた。
「利成さんに言われたんだよ。もう決まってるからって」
「そうなの?」
「聞いてないの?」
「聞いてないよ」
「あー何なんだろう・・・じゃあ」
「確かにちらちらとはそういう話も出てたけど、美園本人がやりたいって言ってないんだから、ないと思ってたからね」
「でしょ?私ももうまったくやる気なかったもん」
「じゃあ、何でやる気になったのよ?」
「やる気になんてなってないし・・・利成さんの強制だよ」
「強制?珍しいね。基本、利成さんは人のことは放っておくけどね」
「そうだよね。最初朔の絵を売るのに契約してくれるって言う話し、それは条件付きだって言うんだよ。その条件の一つが私のデビューだって」
「アハハ・・・そんなこと言ったの?」
「そう。後は朔と組んで何かやれって」
「へぇ・・・利成さんはよほど朔君が気に入ったんだ」
「そうだよね。でも何で私のデビューまで?」
「さあ・・・美園はいいの?強制だってやりたくないことはやらなくていいんだよ」
「そうだね。でも、高校から進路調査の紙をもらって、自分がまったく何もやりたくないことがわかったんだよね。だったら一度試してもいいかなとは思ったよ」
「そうなんだ。じゃあ、いいんじゃない?デビューはまずレコード会社との契約でしょ?所属する事務所は?」
「さあ、知らない」
「そうなんだ、ま、利成さんが言ったことなら利成さんが責任持つだろうからいいか」
「でも、レッスンとかきっとあるよね?」
「それはあるだろうね」
「はぁ・・・面倒・・・」
「まあ、面倒なことだらけだからね、この世界は」
「奏空は何でそんな面倒なアイドルになったの?」
「俺は、最初から決まってたんだよ」
「決まってたとは?」
「自分で決めてきたシナリオってこと」
「そうなんだ、それに従ったってこと?」
「そうだね、俺の役割は決まってたからそのことがやりやすい職業ってことかな」
「役割って、あの光を届けるってやつ?」
「そうだよ。正確には目覚めを促すかな」
「目覚め?」
「人類まとめて熟睡してるからね」
「まあ、そうだけど、一番身近な人も爆睡中だからね」
「まあ、そこはおいおいね」
奏空がそう言ったら咲良がリビングに入って来た。
「美園、朔君もうお風呂から出たみたいだよ。あんたも入るんでしょ?」
「あ、うん」と美園が立ち上がると「”おいおい”って?」と咲良が奏空に聞いた。
「え?あー咲良のことじゃないから」と奏空がとぼけている。
美園は素知らぬふりでリビングを出て浴室に向かった。
入浴をすまして部屋に戻ると、朔がベッドにうつぶせに寝転んでスマホを見ていた。美園に気がつくとこっちを見て起き上がった。
「何見てたの?」と美園は朔の隣に座った。
「美園のユーチューブ」
「そうなんだ」
「顔出しってどうすればいいのかと思って」
「あー・・・まあ、出せばいいんじゃない?」
「どうやって?」
「カメラ向ければ出ちゃうでしょ?」
「そうだけど、何やるの?」
「それも考えれってことでしょ?面倒だけど」
「んー・・・」と朔が深刻そうに言う。
「大丈夫よ。そんな深刻にとらえなくても適当適当」と美園はベッドに横になった。
「ベッド、一緒でいい?ちょっと狭いけど」
美園が言うと朔が横に入ってきた。
「ん・・・美園と一緒がいいよ」
「うん・・・」
美園が朔を抱きしめると朔も美園の背中に手を回して抱きしめてきた。それから足を絡めてくる。
「美園・・・デビューしたら会えなくなる?」と朔が心配そうな声を出した。
「別に会えるよ。それにユーチューブかはわかんないけど、一緒にやるでしょ?」
「うん・・・」と朔が美園の背中に回した手に力を込めてくる。
「朔は絵を描きなよ。いっぱい売ればいいよ」
「ん・・・」
どことなく不安そうな朔の背中を抱いたままその日は眠りについた。