第9話 若いハートを持つ男
アーネリアは入り口の扉を乱暴に引き開けて中に入った。客席が30以上ありそうだが、お客さんは一人も居ない。ガランとした店の壁には、ボトルやグラスが並べられた棚が設えられている。テーブルやソファーは豪華で凝った作りだ。ホールの奥に男女が一人ずつ、カウンターの内に店主らしき男性も立っている。
ここは食堂ではなく酒場!? 店の奥でテーブルの上の何かを見ていた男女が動く。しかしアーネリアの目は店内の薄暗さに慣れていないので、はっきりとは見えなかった。店主はグラスを磨いている。
「やあ、アーネリア! 久しぶり」
「あなたは……剣士マタラング!? どうしてこんなところに!!」
店主は憮然とした表情で言う。
「こんなところっていうのは、ごあいさつだな!」
一度店の外に出て看板を確認する。ここは「氷と酒」という名の酒場だ! マタラングの顔をもう一度見ようと店内へ入る。かっぷくの良い四十代くらいの「店主 マスター」は口ひげを生やしていて、恐らく営業時間外なのであろうが、アーネリアが入って来ても文句を言わなかった。マタラングが近寄って来る。黒いマスクはしていない。
「元気だったかい、若い剣士殿!?」
握手を求めて右手を差し伸べるマタラング。アーネリアは躊躇した。見たところ、相手はお店で働いているらしい。仲良くしていいのだろうかと警戒する。
「勝手にすればいいさ」
と、マタラングは手を出したまま言った。今度はそれを握り返す若者。
「よろしくお願いします、剣士マタラング!」
「こちらこそ。無事でなによりだ、アーネリア君……!」
ワーレル市に数ヶ所設置されている時計台の鐘が、心地よい音色で夕方の4時を告げた。
「あと30分で開店時間だ。そろそろ支度を。私がマスターのジダモだ、よろしくアーネリア」
店主は作業の手を休めてあいさつする。もう一人、マタラングと一緒に居た若い女性とも礼を交わす。身長は160と数cmといったところ。
「私は剣士ハーツ。よろしくね、剣士アーネリア」
握手する二人。微笑んでいる剣士ハーツはとてもチャーミングである。お店の準備をしながら、ジダモは二人の剣士のことを話した。
「この店の用心棒をしてもらっている。忙しい時には雑用もしてもらっているがね。あなたもここで、二人と一緒に働かないか、剣士アーネリア?」
「えーっ! いいんですか!?」
「あなたのことはマタラングから聞かされている。用心棒として正式な給料を支払うよ」
こうして仲間と仕事を同時に得たアーネリアは、ワーレル市で暮らすことになった。喜ばしいことだ。
「失礼ですが……ハーツって変わったお名前ですね」
「彼女はカードゲームが得意でね。特に<ハーツ>というゲームの腕が一級品なんだ。それでハーツと呼ばれている」
剣士マタラングが紹介してくれた。彼女はツイードのハーフコートに茜色のゆったりパンツ、黒のショートブーツを身に着けている。黒髪は肩口で切りそろえられていて、彼女のコーディネートから軽快な印象を受ける。
「あなたを占わせて? 剣士アーネリア」
ハーツはコートのポケットからワンデッキのカードを取り出す。器用にシャッフルして両手で広げて見せた。
「どうぞ、一枚引いてね」
それじゃあと、アーネリアはカードを取る。ハートのJだ。
「ジャックとは男のこと。熱いハートを持つ男ね、アーネリア!」
「オレが!? 熱いって?」
その顔を見てハーツはコロコロと笑っている! ずっと見ていなかった女性の笑顔。とてもまぶしい。アーネリアは恥じらって目を逸らした。彼女はアーネリアと同じ年齢だそうだ。ちなみに剣士マタラングは現在26歳。これから彼がアーネリアたち剣士三人のチームのリーダーを務めることに成る。
「さっき何を見ていたんです?」
「ああ、地図を見ていたんだ。こちらへ来てくれ」
ホールの奥にあるテーブルの上いっぱいを使って、アーマフィールドの地図が広げられている。アーネリアはその、北東を指さして問うた。
「これは何ですか? アインタイルって」
「それは伝説の都市です。地上の楽園、別名シャングリ・ラだと言われていて……でもたどり着いた人の話は聞かないわ」
ハーツが説明してくれた。
「キャスゲートはここ。ワーレル市はその中央辺りね」
「ここがムスカタ? その南は……!」
「エルダインだ。剣士アーネリア」
マタラングの言葉が重く感じられる。地図で見ても故郷から遠く離れているのがわかる。そしてマタラングとハーツの出身はエイベミクスだと教えてくれた。
「これからよろしく! 軽く食事して仕事を始めよう」
店のバーテンダーさんやホステスさんとも、あいさつを交わした。皆、快く迎え入れてくれたようだった。
* * *
<用心棒>と言っても、そんなにしょっちゅう、いさかいが起きる訳ではない。中にはゴネるお客さんも居るけれど、「氷と酒」は良心的な価格の出し物で運営されているので、良い常連客を多く持っている。マスターをはじめ、お店で働いている人たちも皆、感じが良くて大人なのだった。お店はオープンして直ぐ、夕飯と酒を求める人で賑やかに成った。特にトロッと溶けたチーズと濃厚ケチャップのピザトーストが絶品で、アーネリアも舌鼓を打った程だ。
ある日の仕事終わりに剣士マタラングが誘ってくれた。雑務で疲れていたアーネリアだったが、そこはチームのリーダーに従う。
「今日の感謝をしよう。私たちは剣士だ」
三人の剣士は一日お世話に成った者たちへ感謝の言葉を口にする。マタラングとハーツの二人は、それぞれ信仰する神へも感謝を捧げる。
「感謝はなぜするのですか?」
率直に質問してみるアーネリア。マタラングを頼りにしているのだ。黒のロングコートを着た剣士は答える。
「私たちは日々、たくさんの労力やお気遣いを得て生活している。そうしたものへ感謝するのは、して頂いたことの価値を私は認めていますということを伝えるためであり、また次もよろしくお願いしますという意味も持つ。そして感謝はさらに、自分の高潔な精神の表現でもある」
高潔な精神の表現!! そうだとは知らなかった。アーネリアはマタラングの話に聞き入る。
「感謝は突き詰めれば、何かのため、誰かのため、自分のためではなく、相手のことを尊重し大切に思っているからであって欲しいと、私は考えている」
アーネリアは今日のことを忘れないだろう。今の彼は重要な時期にあった。その後、お互いに労いの言葉を掛け合ってから休んだ。
「お疲れさま。また明日もよろしく」
そうだ。剣士ダイトからも「人を大切に」と教わっていたことをアーネリアは思い返す。そしてうろ覚えの住所へ手紙を出すことにした。相手は王子だった頃の兄、ジュダである。彼の身寄り先へ送る。
「マスター、手紙を送りたいんですけれど」
「ならば繁華街の十字路を右へ曲がって2百m先の左側に郵便院がある。行っておいで」
こうしてジュダとの通信が始まる。アーネリアの記憶していた住所は少し間違っていたが、郵便物は届けて頂けた。手紙の中で時代とゾイル王のやり方を批判するアーネリア。ジュダからも同感だという内容の返信を受けた。そして正しい住所が書かれていたので、これを改める。
住まいはというと、アーネリアとマタラングはお店へ住み込み、ハーツは部屋を借りている。だから用心棒の男性二人はしばしば語らい合った。
「マタラングさん、あの時は黙って旅立ってすみませんでした」
「気にしていないよ。よく憶えていたね」
こうしてアーネリアの内で<批判と反省>の精神は自然と高まった。それが一つの<因果>を形成する。
22歳に成ったある日。仕事の途中、休憩時間に控え室でリラックスしていたアーネリアは、座っている椅子の背後でカタンという音を聞いた。部屋には自分しか居ないのに……そう思い振り向く。すると床に、初めて見る、大きくて見事な剣が置かれているのに気付いた。さっきまで無かったのに! 何だろうこれは?
剣の「刃 ブレード」が無数の<言葉>に変化する。それはこの世の真実・論理・演説・詩・格言などで構成されている。言葉でできたブレードは問うて来る。<汝の信念を答えよ>と! 何だって!?
仕事が終わってから剣士マタラングに見せてみた。すると彼は不思議なことを言ったのだ。
「<批判と反省>を司るカラマンディズ! アーネリア、これは<言葉の剣>と呼ばれるグレートソードだ」
マタラングはあまり詳しく知らないそうなので、言葉の剣を管轄する竜神神殿へ行くことにした三人の剣士たち。
ワーレル市の竜神神殿は古い建物だったが正しく清められていた。そして神殿の長たる大神官が話を聞いてくれた。アーネリアは問う。
「簡単に言って、言葉の剣とは何でしょう?」
「所有者の<精神>の生き写し。忘るるなかれ、それが言葉の剣ぞ。人を痛め付けるのも智恵によって救うのも持ち主次第。剣士アーネリアよ、そなたの生き方をもって<精神>とせよ!」
生き方をもって精神とする……それは言葉の剣の「所有者 オーナー」が、一つの<道>を極めんとする者であることを示していた。アーネリアはここに至り竜神神殿に入信し、竜神に清められた泉で手足を洗い口をすすいで信仰告白をする。言葉の剣はオリハルコンでできており、格言・演説・真理・論理・詩といった言葉だけでできている<言葉のブレード>による攻撃が可能であること、経験を積んで<称号>を授かれることも学んだ。そして「大剣 グレートソード」用の鞘も、もらい受けた。
国を追放されたアーネリアは<言葉の剣士>と成り、遂に自分の足で立つべく成長したのである。
* * *
1ヶ月後、アーネリアはジュダへの手紙の中で、自らの内面の変化について明かす。追放された当時、彼は荒んだ心をしていた。
「世界なんて狂ってやがる! 自分の運命も狂った! 人なんて勝手なものさ。私が王子だったからチヤホヤしていただけなんだ。オレは人というものを軽蔑している!」
剣士として自立した今、彼の信念も定まった。
「どんなに狂ったように見える世界でも、その本性は正常だ。人生は生きるに値するし、たくさんの楽しみに満ちている。これまで多くの方々に支えられて来た。これからはその恩義に報いて、他者や世界を支える人間の一人でありたい」
これへジュダは、今でもアーネリアを兄弟だと思っていると返した。彼は現在、帝王学を学んでおり、真に王であるとはどういうことなのか追い求めているそうだ。お互いの良好な歩みを讃え合いつつ、ジュダとアーネリアはその後も連絡を取り合うことにした。
シアリス・ルアーナともわかり合えるように成ったアーネリアを、彼女は祝福した。広場のベンチに並んで腰かけ、ルアーナは「魔除け」や「子猫 キティ」のチャームが付いたボルドーのバッグを探ってハンカチを取り出す。そしてそれでアーネリアの顔に付いた食べカスを拭ってあげた。礼を言うアーネリア。
「何か知りたいことはあるかい、アーネリア?」
「ええ。<自由>って何ですか? どういったことを自由と言うのか、疑問に思っています」
「自由とは何かについて私には答えられない」
ルアーナは、そう静かに述べた。
「でも自分を支配できていない者は、本当には<自由>じゃあないって言われているね。お前さん、自由に成りたいのかい?」
アーネリアは、自由とは何なのかわからないと自由に成りたいかどうか答えられないと言った。
「そうだろうね。だったら女性ともっと交流を持つといいよ。女性から学ぶことはたくさんあるだろう。成長できるよ。お前さんはそのまま伸びれば、自然と自分を支配できるように成るはず……!」
夕暮れ時、空にうっすらと<混沌の渦>を見上げる。あそこから「無限の可能性」が出て来ているんだねと、アーネリアは感激して言った。
「大切なのは想像力と行動力だよ、アーネリア。想像すれば可能性の中に無数の選択肢が浮き出て来る」
「だけど……一つしか選択肢が見えない時もありますよね? それはどういう?」
「それは<運命>が導いている時だね」
ルアーナは熱っぽく語った。運命が導いている時……か! アーネリアは回想する。ゾイル王のこと。デムーでの出会いと別れ。そして今、選択の余地なく言葉の剣士と成っている自分。
ツキが回って来た。アーネリアはそう思った。