第3話 メビウスの魔法陣
夜空では巨大な<混沌の渦>が輝きを放っている。彼らの世界には「天の川」は存在しない。代わりに<全世界>の初期から無限の可能性を発しつつゆっくり回転する大渦が、北の空の中央に無数の光を伴って見えているのだ。
ところで山道の先に、人影が宙に浮いて見えている。あれは何だろう? その下の地面は光っていて小柄な男らしき人物を照らし出している。何か危険な生き物だろうか。道の真ん中に陣取っているので通りづらい。
空中で胡坐をかいている――人物は、眠っていたのだろうか目を開いた。枯れ枝のように細くて暗い色の手足と顔。でも両目だけはらんらんと光を反射してアーネリアを見つめている。高い鼻、束ねられた長い髪。
「こんばんはダンナさま! ご気分はいかがです?」
しゃがれた声。やはり男性だった。
「誰だお前は? なぜこんなことろに!?」
「アッシはレプラコーンです。そしてここはアッシのナワバリでして!」
「何だ、また妖精か。印象悪いな」
「それはダンナさまの偏見というものでございます。妖精にも色々とありまさあ!」
光っている地面を見ると、直径1.5m程の大きさの魔法陣が白いチョークで描かれているのだった。それは丁寧な出来だ。円の中で三角形と逆三角形が重なって六芒星を形成しており、図形にも文字にも見える不思議な模様がたくさん配置されている。
レプラコーンは人を見るという。気に食わない相手の前には現れないそうだ。だから目の前の妖精は自分に何かを伝えたいのかも知れない。アーネリアはそう思った。でも彼はその時、どうせ自分なんてという気持ちだったのだ。
投げやりに「どいてくれ」と言おうとする。しかしレプラコーンは空中でクルッと半回転して見せた。頭が下で足が上に向いている。そして先ほどは持っていなかった何かを両手でつまんでいる。妖精はまたクルッと半回転して頭が上に戻った。
「ダンナさまはまるでコレですね」
「それは?」
「メビウスの帯と言いまして」
レプラコーンは両手の指で、ひとつながりの小さく丸まった帯をつまんで示した。それは途中で半回分だけ「よじれて」いて、材質は布のテープらしい。
「ここから辿って行きましょう。帯をずっとなぞると……一回転して元の場所に戻る。まるでダンナさまのようです」
「どういう意味かな?」
「裏も表もありません。そういう意味で!」
「道をあけてくれ」
妖精の話に飽きて、その場を去ろうとするアーネリア。そんな話を聞いても仕方がない。自分はこれからどうやって生きて行くのか見つけなくてはならないんだから! 彼はそう思っていた。
「ちょいとお待ちを」
レプラコーンは道を譲る代わりにパチン!と指をスナップする。
* * *
妖精とアーネリアの間の空中に、熱い鍋を置く台のような丸い板が現れた。じっとアーネリアのことを見つめるレプラコーン。その手の中で何かがカシャカシャと音を立てている。妖精は指の間に二つのダイスを挟んで見せた。
「アッシと一つ賭けをしてくだせえ。だんなさま!」
「賭けだって? ……こっちには与えるものが何もないけど」
「よござんす!アッシが勝ったらダンナさまのコートを頂きましょう。ダンナさまが勝ったら道案内をさせて頂きます」
「コート? 私が着ている、このコート!? ダメだ! これは困る」
しかしレプラコーンは勝手に「賭け」を始めてしまう。丸い板の上でコロコロと転がる二つのダイス。どんなルールなのかも説明しないなんて!! 出た目は6。5と1で6だ。
「アッシの運勢は6。次はダンナさまの番です。もしダンナさまの運勢が7以上ならばダンナさまの勝ちですぜ!」
気が変わった。勝てるかも知れない。それに道案内をしてくれるそうじゃないか。二つのダイスを振るアーネリア。転がる一つのダイス。出た目は5。もう一つは地面に落ちた。
「すまない。ファンブルだ」
「ダンナさまの勝ちですぜ!ほら、地面のダイスは2だ。合計で7。ダンナさまはツイていますね!」
レプラコーンはジェスチャーで参ったというポーズをとる。その時、そいつはニッと笑ったように見えたのだが……?
「道案内をさせて頂きます。これを見ていておくんなさい。この<メビウスの帯>を!」
アーネリアは目で帯を辿った。表を通り裏を通り……一周して表も裏もなくなった。再びパチン!と指を弾く音。瞬きするアーネリア。
周りの景色がガラリと変化している!! 見たことのない場所だ。さっきの山道とも違う。目の前に、山を下って行く道が示された。
「ここは!?」
「この山の出口です、ダンナさま。下って行けば街道へ出られます。ではアッシはこの辺で。さいなら」
すると魔法陣もダイスも丸い板も、レプラコーンもこつ然と消え失せた! まるでキツネにつままれたようだ。いや、あれはやはり妖精だったな。そんなことを考えながら。アーネリアは山を下って行く。
とぼとぼと歩きながら周りを注意して見る。冬枯れの木と木の間に山小屋が一軒。ノドが渇いたな。あそこで水をもらって休憩させてくれるかな。そうアーネリアは考えて、枝に引っかかれつつ道を逸れて小屋の前へ。扉を叩いてみる。誰か居るだろうか。
* * *
扉が乱暴に外へ開く。大きな体の山男だ。部屋の中にも人の気配がした。
「水を分けてください。それと休憩もしたい」
「何だテメエ!? 何さまだ? 失せろ!!」
コップの中の液体をかけられたアーネリア。どうやら酒らしい。だけど自分の立場をわきまえていないのがいけなかった。ほうほうの体で山小屋を後にする。
平野へ出た。街道が近くを通っているのでそれを北西へ。これからどうしよう? どこへ行くのも自由だ。行くあてなどないが。眠く成らない。夜を歩き続けて<混沌の渦>を見上げる。あの<渦>から無限の可能性が出ているって学んだ。星空の下を何時間歩いただろう、夜が明けて来た。
何か変だ。アーネリアの後をつけて来る者が居る? 振り返るけれど姿はない。気のせいかな。街道はゆるゆると曲がりつつ続いている。数百m先に、10名程の人たちが西の方へ歩くのを見た。街道からは外れた道だ。どうしよう? ためらったが、急いで追いつくことに決めた。
速足で集団に近づく。空は明るく成りつつあり、お互いの顔を判別できる程だ。向こうからも手を上げてあいさつして来た。アーネリアも手を上げて害意のないことを知らせる。
皆コート姿で荷物を背負っている。馬は連れていない。そしてその全員が武装していた。走って近寄ると、壮年から若そうな者までちょうど10名の男女だとわかる。フードを被っていて良く顔の見えない者も居た。
「おはようございます。あなた方は?」
「剣士さ! 旅のな」
「おはよう!」
「やあ、おはよう、若い方」
「剣士って何です!?」
そう言って咳き込むアーネリア。
「水を飲みなよ」
水筒を渡された。ありがたい! ガブガブと水を飲む。
「歩きながら話そう!」
彼らは旅人で、どこか住める町を探しているそうだ。見ず知らずのアーネリアを同行させてくれるという。笑い声。笑顔。陽気な人たち。
「旅人にも見えないが、どうしたね?」
自分が追放された元王子だということを隠して、その場をしのぐ。上手くアピールできたろうか。
「オレたちと町を目指そう! ついて来られるかな?」
「行きます! ところでここは?」
「ムスカタ王国の中央辺りだ」
剣士とは何かについて語ってくれた。自分で決めた<信念>に従い、剣の道の先に明日を見る。それが<剣士>だと。
「凄い! ……ところで、リーダーはどなたなのです?」
「あそこに居る、背の高い黒い肌の男性がそうだ。剣士バチョール=ダイト」
「剣士ダイト……!」
こうして彼らはムスカタ王国の地方の町、デムーへ到着する。どうやらアーネリアは命拾いしそうである。