シルヴァンディール応援団
目の前の男は僕に剣先を向け、じりじりと間合いを取っている。
僕は動かず、ただ彼の目を真っ直ぐに見据え、剣を握る手に力を込める。
「フィン、すまん……。俺には……できない……っ……!」
彼の苦しげな声が耳に届く。僕は目を逸らさず告げる。
「余計なことを考えるな。己を信じろ」
「だがっ……!」
その瞬間、場外から嵐のような声が飛び交った。
「兄上、今です! 相手の腰が引けています!!」
「フィン兄さまに剣を向けるなんて、許せませんわ……!」
「フィン兄上に敵う相手ではありませんね」
「わたしあの人キライっ!」
「うわぁぁぁん、フィン兄さまをいじめるなぁぁ!!」
「フィン兄さまがんばってー!」
「ふぃんにいたまだいしゅきー!」
「だぁっ! ばぁっ!」
二男のフェリクス(11)が、僕に全力でアドバイスを叫んだ。
長女のアレクサンドラ(10)は、怒気を孕んだ目で相手を睨んでいる。
三男のラウレンツ(8)は、理知的な口調で僕の勝利を確信していた。
二女のルイーザ(7)は、完全に相手の悪口だ。
四男のラファエル(5)は、涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃだ。
三女のリオナ(4)が、無邪気さ全開で旗を振っている。
五男のルシアン(2)が、幼児語で一生懸命声を張っている。
四女のナディア(1)は意味不明の音を発している。
ちらりと観戦席に目を向ければ、父親譲りの黒髪と赤い瞳を持つ僕の弟妹たちが、最前列で思い思いの声援を送っていた。
「精神の乱れは隙を生む。集中するんだ」
「あら、お腹が空いたの?」
父は腕を組み、冷静に僕を見つめていた。僕の一挙手一投足を見逃すまいとするような、真剣な眼差しを向けている。母は末娘をあやしながら、他の弟妹たちの騒ぎにも動じることなく、穏やかに微笑んでいる。
今日は、騎士学校で年に一度だけ開かれる剣術大会。格式と誇りがぶつかり合う場である。家族の観戦も許可されており、従僕やメイド、乳母までを引き連れたシルヴァンディール伯爵家は、二十人弱が会場に詰めかけ、ちょっとした応援団と化していた。
さらりと流したがもう一度言おう。
剣術大会は格式と誇りがぶつかり合う場である。
だというのに……。
「フィン、ごめんっ……! 参りましたっ!」
僕の対戦相手は一歩後退すると、剣を置いた。
(え……?)
「……勝者、フィニアス・シルヴァンディール」
審判が告げた瞬間、シルヴァンディール伯爵家の観戦席が、まるで祝賀会のような盛り上がりを見せた。
「兄上、お見事です!」
「早々に剣を置いたこと、賢明ですわ。フィン兄さまへの無礼は許してあげます」
「当然の結果ですね」
「さすがフィン兄さまね!」
「やったー! わーいわーい!」
「フィン兄さまが勝ったわー!」
「ふぃんにいたまだっこー!」
「きゃーぃ」
対戦相手は一礼すると、それから逃げるように、そそくさと剣技場を下りていった。
(なんか、ごめん……)
彼の背中に心の中で謝り、僕は家族が待つ観戦席へ向かった。
「フィン、よくやった。うちの息子は天才か?」
「えらいわ、フィン」
(いや、見てた? 僕、なにもしてないよね?)
父は満足げに頷き、母は末娘の小さな手を取り「パチパチ〜」と口にしながら拍手のまねごと。弟妹たちはそれぞれが歓声をあげ、ジャンプしたり万歳したり僕に抱きついたりと、一帯の騒ぎっぷりはまったく落ち着く気配がなかった。
「次はクリスの番だな、頑張れよ」
「クリス、しっかりね。怪我には注意するのよ?」
両親の声にふと隣を見れば、出番を控えたクリスが、顔を背けプルプルと肩を震わせていた。
「はー可笑し……んんっ……。うん、わかった。じゃ行ってくるよ、みんな応援頼んだぞ」
クリスは弟妹の頭をひとりずつ撫で剣技場へ向かっていった。そのあとを弟妹たちの応援が追いかける。
「任せてください、クリス兄上!」
「クリス兄さまが負けるはずないわ!」
「クリス兄上相手では、最初から勝負はついています」
「絶対勝ってね、クリス兄さま!」
「クリス兄さま負けちゃやだぁ……!」
「クリス兄さまファイトー!」
「くりしゅにいたまいいこいいこね!」
「だっ、だっ!」
クリスの試合が始まると、案の定、同じような応援が繰り広げられた。僕は生徒応援席に戻り、その様子を他の生徒たちと一緒に冷めた目で見つめていた。
「よかった……俺、くじ引きで当たらなくて」
「だよなー。あの場外戦力には勝てないもんな……」
「特にサンドラ嬢には嫌われたくないっ!」
友人たちは己の矜持を捨て、シルヴァンディール応援団の圧から逃げる選択をした。
「なぁフィン。サンドラ嬢、紹介してくれよ。十歳にしてあの美貌……将来は間違いなくとんでもない美人に……」
そう目を輝かせる友人に、僕はそちらを指差し答える。
「いや、無理」
試合を終えたクリスは、剣技場を下りシルヴァンディール伯爵家の観戦席へ戻るなり、周囲に見せつけるようにアレクサンドラの頬にキスをした。
「えっ……!?」
それを見た友人は目を剥いて固まり、手に持っていた水筒を落とした。
「くそぅ……! クリスのやつ、あんな美少女と婚約しやがって!」
「俺だって密かに狙ってたのに!!」
「サンドラ嬢~~~っ!」
友人たちは試合そっちのけで悔しそうに騒ぎ始めた。
そう、つい先日、乳兄弟であるクリスが義兄弟になることが決まったのだ。
「あれっ……?」
乳兄弟と義兄弟、紹介の肩書きどっちがいいかな、などと考えていた僕は、母の顔色が悪いことに気づき、急いで母の方へ走った。だが僕が着くより先に、母の様子に気づいた父が声をかけた。
「リア、どうした!? 顔色が良くない」
「大丈夫よ、病気じゃないから。あのね、実は……」
「なにっ……!?」
父に耳打ちし、「ふふっ」と微笑む母と、オロオロしだす父……。
僕は察した。
(またか……。父上、九回目なんだからいい加減慣れようよ)
父は席を立つと、母を抱き上げスタスタと歩き出した。
「フィン、クリス、弟妹たちを頼んだぞ」
「うん、任せて」
「えっ!? ちょっ……父上! 僕たちまだ試合が……」
「兄上、アナウンスされています。いざ! 参りましょう!」
「次もフィン兄さまの圧勝ね!」
「フィン兄上の剣術はもはや芸術ですからね」
「フィン兄さま格好いいーっ!」
「フィン兄さまが勝つんだもん……!」
「フレーフレー、フィン兄さま!」
「ふぃんにいたまぴっかぴっかね!」
「ぶばばっ! ばばーーっ!」
父の肩越しに顔を出した母が、にっこりと笑いながら手を振っていた。