下着みたいな服と聞いて死んだばーちゃんを思い出す
あくまでもばーちゃんの価値観で、本作に書かれたことが大正、昭和初期世代すべての価値観だとは思っておりません。
国内でも有数のレジャーパークでコスプレして撮影した画像をSNSに投稿した女性が「下着のような格好だ」と炎上した件で、何と無く死んだばーちゃんを思い出したんですよ。
死んだばーちゃんは面白い人だったんですが、若い人の格好を見ては「恥ずかしくないんかな、下着みたいな服で」とよく言ってましたね。
別に否定しているニュアンスではなく、本当に疑問に思ってる感じでしたね。あとは時代が変わるって凄いことだなーと、そんな感じでした。
ばーちゃんが「下着みたいな」といっていたのはキャミソールやホットパンツのような露出の高い服だけでなく、「赤い服」も入ってましたね。
ばーちゃん曰く、「赤は襦袢の色と決まってたからね、人目に触れる上っ張りを赤にするのは恥ずかしい」だそうです。
さて、服飾の文化の話をすれば、洋の東西を問わず、かつての正装はかなり厚着だったと思います。
今や正装の定番、リクルートスーツも、昔から見れば略式過ぎてラフに見えるんじゃないでしょうかね。
服飾文化は時代を経るごとに薄着になり、縫製の進化で体のラインにそって、機能的に美しく「体のライン」を強調するものへと変化したように思います。
これはひとつにはかつては服が総じて高級品だったこともあるんだと思います。
庶民は古着を買うか、自分で繕うしかなかった時代、新品の服を規程や格式にそってオーダーメイドして着飾ることは裕福な証だったんだと思います。
高級な素材を使い、用途に合わせた決まりに則った服を着こなすために幾つも仕立てることは確かに財力が無ければ出来なかったと思いますからね。
それに男性に関して言えば、かつては「太っている」ことは美徳だったこともあると思います。
戦前の日本では「太鼓腹」は裕福の証だったために「太鼓腹になれる薬」なんてのが市販されてたくらいですからね。
「着太り」という言葉がありますが、重ね着して少しでも厚みと貫禄を増そうとしたというのも、あったかもしれませんよね。
現代では所得の多い層ほど、運動習慣があり、健康志向が高いために肥満の割合が低いと言われますね。
所得が低い層は肉体労働や長時間労働になりやすく、運動習慣を身に付けることが難しく、生活にかける食費を高くできないので、健康的な食事を摂ることが難しいために肥満になりやすいためですね。
こうなると、健康的で美しいスタイルこそ、セレブの証となりますから、当然にその整ったスタイルを強調するために「薄着」になるのも必然なのかもと思います。
見栄や格式を求めていた部分と縫製技術の未発達とで、重ね着せざる得なかったところから、様々な服飾技術の進化と文化的な背景の変化で「厚着から薄着」へと服飾文化は変化していった訳で、昨今の夏の暑さを考えると「まさしく下着みたいな」服がスタンダードになる日も、もしかしたら遠くないのかもしれないなー。
でも、自分はブーメランパンツ一丁で街を歩くのは変態だと思うけど、そんな未来もあるのかなー。
と、マッチョたちがブーメランパンツに裸ネクタイで通勤する未来を妄想した奴隷でした。
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