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6話 みんなを綺麗にする計画

 宿屋、いや、もう宿屋というのはやめよう。ここの主人であるジョナサンさんも自分の宿屋をbrothel(売春宿)と呼んでるんだし。

 ジョナサンさんは今更だけどサイドバーンを生やして、頭の正面部分が少し剥げているけど結構いけてる感じの渋いおじさんだ。

 前は自分の畑を所有し、一人で切り盛りしながら農作業をしていたそうな。

今も宿屋の力仕事はほぼ一人でやっていることからわかるように、農作業で鍛えられた体つきはそれなりに頼もしい。

 それでそのジョナサンさんが経営している娼館に客が増えたのである。

 兆しはあった。具体的には私が娼婦の女の子たちから体臭をかなり減らしたころ、それまでロビーで待ってる男たちの顔は仏頂面だったけど、今は下卑た笑み…、ではないけど、テムズ川のせいなのかは知らないけど人から笑顔なんてめったに見られるものじゃないので、そわそわしながら待っているようになった。

 ロビーには椅子が置いてあって、私がローリエで香りづけしたラード炒めの豆と安いお酒が提供される。一皿とコップ一杯分だけ。下手に多く提供してやってる最中に吐いたら大惨事だ、だから口が寂しくない程度。

 給仕は私一人でやるけどほとんどの客はこっちには目もくれない。最初はこれはなんだ、俺は食べないぞと言っていた客たちも、今じゃすっかり味に馴染んでて、食べ終わった後に口惜しそうにしていた。

 量はそう多くないにせよ、食べ物を口にすると心理的に安定するので、変に客同士で喧嘩になったり雰囲気が悪くなるのを防げるんじゃないかと思ってやってる。

 まあ、ここを訪問する客は少なくともそれなりにお金を稼いでいる人たちで、心に余裕がある分、暴力的になることは少ないんだけれど。

 だけど仕事を増やすなんてできやしないので、一人当たりにもっとお金を取るようになったのだ。

 そうするとどうなるか。それまで生気のなかった娼婦の女の子たちがおしゃれをしたくなってしまう。新聞とかよく読んでるからね、私が読んであげてるからね。

 いや本当、一から十まで、至れり尽くせりですよ、私ったら。まあ、普通にやることがないからやってるだけということもできるけどね…。娯楽がないから、英語の活舌練習でもしようかと。せっかくだから一人で読むよりみんなに読み聞かせたほうがいいじゃん。

 それで客もおらず一通り仕事が終わった午後の3時くらいロビーに集まって、お茶はないけど野菜の酢漬けをおつまみにみんなでお酒を飲みながら、私も飲んでるけど何か、新聞で面白い記事があったりすると読んであげることにしたのである。

 この頃になるともうこいつまた変なことやってるみたいな目ではなく、また面白いことをやるのね、みたいな、少しだけ期待に満ちたまなざしに見られるようになっていた。

 ジョナサンさんも来てるし。

 「どこで文字を学んだのかはあえて聞かないようにする」

 いや、別に聞いても答えられないからそれでいいんだけど、それでいいのかな。悪魔()きとかには…、ならないか。プロテスタンティズム文化に悪魔憑きなんて表現や発想は割と排斥される。

 アメリカでは違うかもだけど、ブリテン島内ではプロテスタンティズム文化が一般化したのには科学革命による恩恵が大きく、それまでやたらと物事を迷信で説明したがるようなことはかなり減った。瘴気とか信じてるけどね。瘴気を信じるなんて正気か!

 いやまあ…。

 ジョナサンさんは農村出身だし、そっちはカトリックが多いと聞くけど。ジョナサンさんが特別なのかな。比較するにも自営農のカトリック信徒で都会に来ている奇特な人なんて彼以外は見たことないから。

 それで読み聞かせをしたのが仇となるなんて思わなかった。

 可処分所得が増えたらもっとこう、自分のために使うようにするのではないのか、綺麗にして客を喜ばせたいだなんて…。

 綺麗になりたい気持ちもわかるけど。

 つまり、あれだ。

 化粧品を欲しがるようになった。

 それはだめですからね。

 なぜって、この時代の化粧品はヒ素や鉛がふんだんに使われているからだよ。

 ヒ素は肌に塗ると毒物なので、肌にまつわる雑菌や微生物を残さず殺しつくしてくれる。ヒ素が触れた肌の細胞も一緒に…。

 そうなるとどうなるか。まるで人形のような綺麗な…、いや、死体のような能面のような肌になるのである。

 それが美の基準でもあったんだったから、ヒ素を使う化粧品が増えたわけ。

 ヒ素自体は自然に割と普通にあふれるもので、古くから農家でネズミ駆除などの目的で使われていたのだ。その安い素材で儲かるものだから、使わない手はない。いやでもわかるでしょう、毒物ですよ、ネズミが死ぬなら人も死ぬとは思わなかったの?

 思わなかったみたいだ。それともそれも致し方ない犠牲の範疇にしていたのか。

どれほどかって、ヒ素が含まれた化粧品は貴族の女性までもが使っていたくらい。

普通に死にますって。そうでもないのかな、貴族女性は割と活動的なので。スポーツとかやってるからね。みんなやることがないからと。

 それで汗をヒ素とともに流すと。

 民間療法のつもり?そもそもヒ素を肌に塗るなって話だけど。

 それと鉛。鉛はまあ、わかるよね。ただの鉛じゃない。水白鉛鉱。

 これの色が真っ白で、割とポピュラーに使われている。

 エリザベス女王とか愛用していたんだってね。

 だから使わなくていいから。毒性があるのをなぜわかるかって、説明に困るけど…。

 とにかく使っちゃいけないんです。こうなったらゴリ押しだ。

 化粧品買ったら料理作ってあげない。

 文句を言ってくる女の子たちが鎮まった。料理の効果、おそるべし。

 それでも彼女たちの願望を踏みつぶしたいわけではない。私なりにどうにかできることをする。

 ここの娼婦の女の子たちは子供のころから農村などで働き詰めだったので、肌の色がそこそこ黒い。それでも白人だし、黒いと言ってもあくまで上流階級の人間に比べたら、の話だけど。

ビタミンCをたくさんとることで活性酸素を取り除いて、美白効果は期待できる。キャベツに多いので、お砂糖は高いからちょっと難しいけど、酢と塩でサウワークラウトもどきを作って食べるようにする。

 それから血流をよくするよう、運動をする。運動と言っても室内でしかできないので、せっかくだからとヨガも教える。

 「こんなので綺麗になれるの?」

 女の子の一人が聞いてくる。

 「ほら、新聞のこの絵を見てみて。腰が細く描かれているでしょう?ヨガをしたらたるんだ体を引き締めることができるの。こういう体形が美人の条件なんだって」

 ため口なのはあれだ。下層民の英語を使うとみんなため口になっちゃう的な感じ。英語も丁寧な言葉遣いもあるけど、単語と文章が長くなるし、そもそもここの子たちはその上流階級の言い回しを知らないので伝わらないから使わないようにしている。知ってるなら使って上流階級に取り入れることもできるんじゃないかって、私も少しはそう思ったけど、つかえる貴族女性が、クリノリン?(Crinoline)という大きな金属でできたスカートの下に装着してふっくらと膨らませるパニエのようなものがあるけど、それに火が移って火だるまになったら大変だ。絶対夢に出る。

 というかこの時代は貴族家にも例外なく地雷が転がっているわけだから、あまり関わりたくない。

あしながおじさんはお呼びじゃないのです。

誤字報告、ありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 若き遣り手ババア。
[一言] クリノリンは馬車や電車の乗り降りの時に事故の原因となったとか。
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