5話 パイと黒いパンとテムズ川のウナギ
修正しました。この時代のイギリス人がトウモロコシを食べていたなんてでたらめを言ったのはどこの誰だ(私でした。申し訳ございません)
この時代のパンは味気ない。ただ味気ないならともかく、中身にやばいものが混ざっている。石炭とか、砂鉄とか、砂とか。意図して混ぜているわけではなく、作ってる過程がただの重労働なので、そうなってしまうわけである。
見た目もちょっと黒ずんでる。
黒いところがあるんだけど、石炭が表面に付着しているんだよね。
パンを焼いている労働者が石炭でオーブンを加熱するので、石炭を触った手で生地も触ってしまうという。
石炭の味がアクセントが効いて美味しい。そう言えるようになったら、一人前の労働者ね。
その味気ない黒ずんだパンの上にトリークルという、また石油のようなものを塗って食べる。
ただ甘いだけのものだけど、これの正体はお砂糖を精製した後に残る残りカス。
石油と石炭の奇跡のコラボ。下には石炭、上には石油。パンは真ん中でサンドイッチ状態。パンだけに。
そんなパンでも労働者には貴重なカロリーになってくれる。この時代の労働者の労働量を考えると食べる量が多くなるのは必然。
成人男性が食べるパンは自分の頭より大きい。
そしてそんな黒にまみれたパンの悪評は国中に広まり、中産階級以上はパンに対して極端な白さを求めたという。
白いご飯ならぬ白いおパン…。
そんなわけだからパンなんか食べていられないので、豆とパイを食べるようにしているのである。
パン職人というか、この時代のパン屋は労働者がたくさん集まって集団作業のようにパンを作っていた。
お金持ちがたくさん住んでいる西ロンドンには職人が作るパン屋さんがあるらしいけど、それはもはやここでは都市伝説レベルである。
それでもパンはメソポタミア文明からの由緒正しい伝統料理。これを食べなければ真の力は発揮できないと言わんばかりのパンへの執着。
数十キロの生地を労働者たちが分担作業でこねる。
そして一日生産量がちょっと大きなパン屋だったら数百人分にも及ぶのである。
生地をこねるだけでも重労働。オーブンの大きさもさながら焼き終わったらすぐに出して別の生地を入れて焼くということをひっきりなしに繰り返す。
なので使われている労働者の数もそれなりにいる。町のパン屋を夫婦と子供たちだけで運営しています、なんて。現代ならともかくこの時代の西洋では魔法でも使わない限り無理な話である。
パイは、まあ、くず肉を入れて焼いたら労働者の一食分にはなれるからね。石炭も入ってない。砂鉄は…、磁石で取り除く。なぜ砂鉄が入ってるのかって、小麦粉の精製をしている機械は鉄でできていて、製鉄技術がまだそこまで発達していないため機械を動かしたら摩耗された分が入っているものだと思われる。
だから磁石を買いに行く。磁石は昔から離れた場所にある金属を引っ張り出すところから呪術的な意味を持っていて、科学革命が起こった後の時代のイギリスでも何かあるんじゃないかと健康にいいんじゃないかという、根拠があるのかないのかわからない知識をもとに雑貨屋などで売ってある場合がある。
それを買って、小麦粉から砂鉄を取り出す。
砂鉄はそのまま食べてしまうと消化器官に炎症を起こし、肝臓に負荷をかける。一般的に鉄分と言ってるのはイオン化した鉄のことで、砂鉄じゃない。
臭い街中を闊歩しながら雑貨屋をいくつかめぐり、磁石を見つけたので購入する。
戻ってパイを作る前の小麦粉に一回磁石を近づけると、ほんの少量ながら黒い砂鉄が磁石にくっついた。
小学校の科学実験のようで結構楽しい。この楽しさをみんなと共有したく暇そうにしていたまだ10代の娼婦の女の子と磁石で小麦粉から砂鉄を取り出して遊んだ。
遊んだ…?
これで安全にパイが作れるね。
パイは父もよく食べているものだ。
パンも食べていたけど、石炭の入ったパンなんか食べてたら体を壊してしまうからね。それでも砂鉄が入っているので、どちらにせよ寿命を削る原因からは逃れられないという。
父は朝早くから夜になるまで港で荷物を運ぶ仕事をしている。
大体10時間ほど、休み時間はトイレ休憩と食事時間を合わせて20分くらい。
それを休日もなしに毎日やってて、そりゃもう死にそうな顔をしているのである。
休日がないので、日が昇る前か夜遅くでしか会えない。比較的に海に近いためそこまで臭くない港に行って、野菜の酢漬けを渡して戻る。
できればどうにかしたいと思っているところ。
宿屋に戻ってる途中にウナギのパイを買って食べる。中身がくず肉ではないウナギである。東ロンドンでは労働者の間では肉と同程度で消費される。父はそれすらも買えないほど貧乏人だけど。
私は最近になって賃金が増えた。そりゃ増える。建物の中も綺麗になってるし、みんな顔色もよくなった。体からの匂いもあまりしなくなって、栄養が足りているので肌の質も改善した。
その原因を作ったのが私であることは火を見るよりも明らかである。それに出しているお料理も美味しくなってるし。
子供だからとお金をもらえないこともない。ここの宿屋の主人は成り行きではあったけどそこそこまともな人間性の持ち主である。
農村部から都会に追い出されたら下手したら初日で詰む。農村から来た女性が乱暴されることは少ないけど、殴られたり殺されることは割と普通にある。乱暴されないのはこの時代の異様な禁欲主義のせい。
プロテスタンティズムの倫理ってやつ。別にそれを守ってるから乱暴をしないわけではない、プロテスタンティズム文化は禁欲主義を通して精神の内側にある衝動やエネルギーを積極的な経済活動に費やするように強いる。
人間は神に捨てられたので、神に拾われるには死ぬほど働くことで自らが捨てられていないことを証明する必要があるという話。
この死ぬほど働くってのがどうにも人の暴力性を引き出しやすくしているみたいで、反抗する手段が少ない弱者である女性は殴られたり殺されたりするのだ。
犯すという選択肢より殴り殺すという選択肢が出る時点で文化の違いを感じざるを得ない。
警察だって下層民同士での犯罪は見て見ぬふりをしてるし。この時代の警察は相当腐ってるというか、捕まえても意味がないのは捕まえようとはしない。替えが利く下級労働者とか守る意味がないってか。どうせ寿命も短いわけだし。道端で商売をしている娼婦とかは特にひどくて、警察に捕まったら終わりで、違法だかなんだか知らんが、稼いだ金も持っていかれるのはもう予定調和みたいなもので、ひどい時はその警察に汚い娼婦が病気をばらまくと殴られ、その傷が悪化して死亡するとか。
なのでこの娼館は労働環境としてはいい方と言える。誰もそんな目にはあってないからね、その警察さえもお世話になっちゃってるわけだし。
それで殴られるのが日常の下層民女性の日常なんだけど。
そんな、物騒極まりない状況で、自分の利益にもなれるよう、できるだけ見目のいい女性に声をかけて売春の斡旋をするようになったんだと。
結果、最初はただの宿屋だったものが娼館に入れ替わったという話。この時代にしたらいい人と言えなくもない…のかな?私はやんないぞ。私は大きくなったらここを出るんだ。何なら新大陸にでも飛んでやるさ。日本?白人女性が、江戸時代の日本に?ないない。どうなるか予想もつかない。地球の反対側なので無事にたどり着けるかも定かではない。
この時代は新大陸との交流では手紙でも同じものをいくつも作成して別々の船で送ったくらいだ。なぜって、たどり着かない船も普通にあるから。途中で嵐にでもあったら一巻の終わりである。
それでウナギのパイだけど。まあ、普通に美味しい。これ以外食べられる魚がないんだよね。
テムズ川にはウナギ、日本のウナギと種類は違うけど、見た目はそのまんまのウナギが大勢でいるのである。それはもう、石を適当に投げたら当たることもあるくらいに住んでいる。
養殖でもしているのかってくらい。ある意味していると言えなくもないか、栄養素となりそうな有機物は毎日供給されているから。
その有機物の中身が何なのか聞いたらいけない。
川は真ん中に行くほど流れるスピードが速くなって、外側は相対的に遅い。よく整備された下水施設を持つ川がそんなにきつく匂ったりしないのは堆積もしない、変に固まってたりしないから。下水が真ん中でも深いところに集まるとそれはもうにおわない川である。
それが現代の先進国で一般的にみられる川だ。下水が堆積しない、川の外側で遅い速度で流れたりしない、浮遊物もない。
別にテムズ川が汚かったのはテムズ川が悪いわけじゃないのだ。ウナギは普通に美味しい。
毎日でも食べられる。だが、ジェリーはちょっと。なぜジェリーにする必要があった?生臭さが残ってるじゃん。
とにかくテムズ川が一番汚いこの時期にもウナギは元気に過ごしていたのだ。まだ汚さに限界は来てないのがまた恐ろしいけど、それまでできるだけテムズ川から離れないと。引っ越しを真剣に検討するべきです。
それとウナギは食べられるからいいとして、飲料水に使えるようなものではないから。
この時代には瘴気が病気の原因であるという話が流れていて…、そう、異世界ではやたらと聖女に浄化されてしまうその瘴気である、本当の原因であるテムズ川の水を生活用水にも使ってて、煮沸しても飲めないのに普通に飲んでもいる。
だけど病気の原因は直接的な匂い、目に見える霧などにあって、飲み水とは無関係なものだという迷信があったのだ。
これに関係性があると指摘していた学者もいたけど、案の定誰も彼の言葉を真摯に検討しようとはしなかった。
実際に病源菌が病気の原因だというのが分かったのは1883年のことなので、その手の知識がなかったのも納得が…、できないが。
できないよ。
川がやばいのは見ればわかるでしょう、下水道整備はしないんですか。
私が女王様だったら何とかしていたかもしれないのに。
残念なことに昨年にご結婚なさったヴィクトリア女王陛下を悩ませる問題は植民地を安定化する我が大英帝国の国家戦略がどこまで順当に遂行されているのかに集約している感じなので、内側でどう見てもネズミの死体が流れるテムズ川を飲料水に使っていることまでは手が回せなかったと言われたら謙虚な心で受け入れるしかない。
所詮はネズミの死骸であると。
イギリスでは大きな問題が起きても小さく言う文化があるが、それはこの時代のせいかもしれない。川の惨状に比べるとすべてが些事に見えるから。