02-06 王女の帰天
前話のまとめ
女は豊満であるべき。
しかし国王陛下は異論をお持ちの模様。
神よ、私の祈りをお聞き下さい。
私の叫びを御前に至らせて下さい。
神よ、天使があなたの御許に帰ろうとしています。
恵みの御業によって天使をお導き下さい。
砦の岩、城塞となってお救い下さい。
神の慈しみを頂いて、天使は喜び踊ります。
あなたは天使の苦しみを御覧になり
その悩みを知って下さいました。
天使は地に生まれた罪に悩み、苦しみ、そして疲れました。
命は嘆きの果てに尽きました。
疲れた魂は、敵の手の中で惑い、迷い、脅かされます。
敵は謀を巡らして魂を奪おうと企んでいます。
神よ、私は尚あなたを信じ、あなたこそ私の神と叫びます。
その大いなる御手を以て、追い迫る者から助け出して下さい。
あなたの敵を冥府に落とし、黙らせて下さい。
天の国は神の御許にあります。
地の花は散り、地の草は枯れますが、
しかし天の国は永久に変わりません。
天の国は慈しみに満ちています。
御言葉が美しい調べと共に流れ、
御恵みの豊かさは比べる物がありません。
神の輝きが光となって溢れ、
全ての罪と苦しみは神の御名によって解き放たれます。
今なお地にある者よ、神を讃えなさい。
神の栄光を語りなさい。
そして魂が神の御手によって救われる事を信じなさい。
全ての心の正しい人よ、
美しい調べと共に喜びの叫びを上げなさい。
神よ、皆の叫びを御前に至らせて下さい。
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バルドヴィーノ大司教台下による聖典の朗読が響きます。この次は聖歌の斉唱、それから参列者が棺に花を捧げ、火葬して魂を天に送ります。
そんな葬儀の段取りや聖歌などもタミツレルヒ伯爵閣下から教わりました。王族としてのマナーやドレスコードはイリスアンナ王妃殿下より御指導を賜りました。
通常は所属する教会で葬儀を行います。しかし王族や一部の貴族は城の中に専属の聖堂を持っています。
本来は奴隷が聖堂に立ち入るなど許される事ではありません。今回は国王陛下と王妃殿下の特別の御計らいにより、管理室の一つに入る事を許されました。
この部屋は礼拝堂の音が聞こえるようになっています。母さまと私は聖典の朗読を聞きつつ静かに祈りを捧げました。
享年5歳。まだ洗礼前なので天使として扱われます。7歳の洗礼を経て初めてヒューマンと認められます。
ララオレリア王女殿下は正に天使と呼ぶに相応しい方でした。耳の母さま、耳の姉さま、と母さまや私にも懐いて下さいました。目を閉じればちょこちょこと走り回る様子が瞼に浮かびます。涙が止まりません。
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母さまと私が控室に移動して暫く後、王族全員が集まりました。簡単な茶席が用意されます。しかし誰もが悲痛な思いに沈んでいました。
「あれは、このオレンジのヨーグルト掛けを好んでおったな」
国王陛下がお茶請けを口に運び、ぽつりと呟きました。それから少しずつ思い出話が膨らんでいきます。
時々笑い声が混じるようになってきた頃、チプリアーノ王甥殿下が立ち上がりました。
「では叔父上、叔母上、私はこれで失礼させて頂きます。母上、私は自室に戻ります」
「チプリアーノ!待ちなさい!」
サンドラロラ王太后殿下は国王陛下に一礼し、慌てて王甥殿下を追い掛けて行きました。
「あ奴は変わらんな」
国王陛下の溜息が漏れました。
チプリアーノ王甥殿下は私と同い年です。しかし私と違ってアダルベルト国王陛下と仲が悪い、と言うよりも王甥殿下が一方的に他の王族を嫌っています。
私も冷たい目で見下ろされる事があります。そんな時は反抗が許されない自分の立場を思い出して身が竦みます。恐らくはあの目が、通常の貴族が奴隷に向ける目なのでしょう。
控室に再び重い空気が漂ってしまいました。
その沈黙を、ベルトランド王太子殿下が破りました。
「父上。お話があります」
「む?何だ?改まってどうした」
「ララオレリアは暗殺の疑いがあります。保守派の連中を締め上げて、処罰を検討すべきです」
「なん、だ、と?貴様、本気で言ってるのか!」
「ひっ」
思わず私は小さく悲鳴を上げてしまいました。国王陛下が物凄い形相で王太子殿下を睨んでいます。王妃殿下は、とても悲しそうな表情でした。
それでも王太子殿下は怯んだ様子がありません。
「父上が主導している政治革新の賛同者は少なく、まだまだ弱小派閥でしかありません。国王の肩書だけで保っているようなものです。ララオレリアに暗殺の疑いが出た今、ついでに保守派の力を削ぎに行くべきでしょう」
「ララオレリアは病死だ。不審な点など無い。それは十分に調査して信用できる結論だ」
「この際、事実などどうでも良いでしょう。重要なのは保守派を叩く好機であるという点です」
「貴様は妹の帰天を政治利用するというのか!」
バンッ!と国王陛下が机を叩く音が大きく響きます。
二人が睨み合った時、今度はパンクラツィオ第二王子殿下が口を開きました。
「父上!私も兄上の意見に賛成です。我々革新派はこの機会にもっと強くなれます。妹の帰天の政治利用ではありません。妹が残してくれた置き土産と捉えましょう!」
こうなるとイリスアンナ王妃殿下も黙っていられなくなったのでしょう。溜息を一つ吐いて、静かに言いました。
「あのね、2人は覚えていないかも知れないけれど。陛下と私にとっては3人目なのよ。アデルアガタとオリヴィエーロが亡くなった時には、陛下は心を鬼にして利用したわ。最大限にね。私もそれを支えた。けど、あんな思いはもう沢山。ララオレリアは洗礼前だから喪に服す事も出来ない。今回はこのまま静かにしていたいのよ」
「父上も母上も甘過ぎるのではありませんか?」
「ノアロライザ、お前もか」
ノアロライザ第一王女殿下も王太子殿下に賛成のようです。
まだ10歳のエミリエンナ第二王女殿下は、場の雰囲気に当てられて顔を青くしてらっしゃいます。しかし第一王女殿下の裾を握っていて、どうやら王太子殿下に御味方する御様子。
自分の子供達全員に突き上げられてしまいました。国王陛下もさすがに堪えたようです。大きく溜息を吐き、じっと目を瞑り、そのまま固まってしまいました。
そんな国王陛下を王妃殿下は心配そうに見つめています。
やがて国王陛下が口を開きました。
「ベルトランド、お前ももう20歳だ。前々から伝えている通り、間も無くお前に王位を譲る。その後であればお前の好きにしろ。だが、今はまだ儂が国王だ。今回は動かん。以上だ」
「父上!しかしそれでは!」
「国王である儂が決めた」
国王陛下と王太子殿下が睨み合い、そのまま動かなくなってしまいました。
少々拙いですね。最終的には、王太子殿下も一応は国王陛下の命に従うでしょう。しかしこのまま睨み合って終わってしまうのは拙い。禍根を残しそうです。
その時母さまが、控室の壁に掛かっているバルタクトル様の像に向かって跪き、祈り始めました。私もそれに倣って跪き、小声でゆっくりと、聖典の詩の朗読を始めました。
「神よ、天使があなたの御許に帰ろうとしています」
「恵みの御業によって天使をお導き下さい」
私達を見て皆も争いを止め、一緒に祈りを捧げました。
この件は後々まで尾を引くかも知れません。しかし国王陛下に王太子殿下、共に頭の切れるお方。今王族を割ってしまっては取り返しのつかなくなることくらいご存じのはず。冷静になりさえすれば、必ずや何らかの回避策を講じましょう。そう私は信じております。
信じておりますが、しかし、不安を拭い去る事が出来ません。
神よ。恵みの御業によって我々をお導き下さい。
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一方、チプリアーノ王甥殿下とサンドラロラ王太后殿下。
「チプリアーノ、どうして貴方はそうなのですか。洗礼前の天使とは言え、仮にも貴方の従妹が天に帰ったのです。悲しくないのですか」
勿論悲しいですよ、母上、王位があのアダルベルトに簒奪され、それを取り戻す力が未だ足りない事が。
ふん。どうせなら王太子が死ねば良かったのだ。そうすれば俺の王位継承順位が二位に上がったものを。悲しい事だな。
しかし今回の件で状況が動くかも知れない。早急にカザムデイミ侯爵を呼ぶか。
髪よ、私の祈りをお聞き下さい。
私の叫びを御前に至らせて下さい。
(自らの頭皮の呪いに恐れおののく司教の日記より)




