02-05 感謝の印
前話のまとめ
その凄い匂いは今でも語り草になってます。
「あたしなんかを目標にねぇ。陸な聖職者にならない気がするね」
おばちゃんがそう言うと、司祭様は声を上げて笑った。
「あっはっはっは。良いんですよ。私は今の教会で出世したいとは思いませんし。気心の知れた村人達と共に歩んで行ければ十分です」
「否定してくれないのかい」
おばちゃんも笑い、ゆっくりとオルゾを飲んだ。
「ところで、これからどうしますか?」
「そうだねぇ。取り敢えず今回の告発は司祭様が握り潰してくれるとして、それでもまた似たようなのが押し掛けてきそうな気がするね」
「ふふふ。信じていただけて嬉しいです。そうですね、魔女がここに居るという噂が町で広まると拙いでしょう。他の教会に告発されたら、本格的な魔女狩りが組織されてしまう可能性もあります」
「どうせあのインゴが酒場で吹聴するだろうよ。そろそろ潮時って事かね。まぁ良い機会か。ここらで故郷に帰るとしようかねぇ」
「故郷と言うと、どちらになるのですか?」
「北の果てさ」
「ふむ。最北端のレニテマクムでしたか」
おばちゃんは首を横に振る。
「もっと北ですか?すると商人自治区?え?共和国?そこも違う?しかしそれより北には何もありませんが」
そこでおばちゃんがニヤリと笑うと、司祭様は何かを察したようだ。目を見開いて呟いた。
「北の果てとは…… ま、まさか、あの伝説の……」
驚愕の表情を凍り付かせて、司祭様はおばちゃんを見つめた。
やがて視線をカップに落とし、残っていたオルゾを全部飲み干した。
「あの地が故郷とは、ライラ様は本当に… いえ、この事は誰にも漏らしません。私の胸の奥に仕舞っておきます」
う~む。俺には何が何だかわからんが、口を挟める雰囲気じゃないな。まぁこの場はおばちゃんに任せてる訳だし、後で聞くか。
リクドが皆にオルゾのお代わりを注いでくれた。それを一口飲んで、司祭様が言った。
「しかしそうだとすると、これは不要でしたかな」
ダレスバッグから取り出した1枚の、え~と、何だろう。紙とは質感が違うようだ。そこに何やら文字が書いてある。
おばちゃんはそれを受け取った。
「この者 ライラ 及びその同行者全ての身分を保証する オレルトネウ司教区タレスバルム教区フルツ村教会 司祭ランフランコ」
読んでいるおばちゃんの手が震えてきた。
「通行証。しかもこれは、無制限で、無期限。教会発行の最高ランクじゃないか」
「ライラ様はきっとこの地を離れると思いまして。私に用意できる餞別は、この位しかありませんから」
おばちゃんは大きく深呼吸を一つ。気を落ち着けて、そして言った。
「あたしは勿論、あたしの仲間が何かやらかしても、全部引っ括めてあんたが責任を負う事になる。司祭が魔女と一蓮托生で良いのかい?」
「ふふふ、憧れで目標だと言うのは伊達や酔狂ではありませんよ。ライラ様の罪を共に背負えるならば、これに勝る喜びはありません」
魔女を狂信する司祭、か。俺はきっとその意味を理解できてないだろう。それでもこの司祭様の覚悟は良く分かった。まるで死地を平常心で歩く武人のような、悲壮な覚悟ではなくて悟りを開いた高僧のような、そんな心を感じる。
凄えな、この司祭様。まだ若いのに。名前は、ランフランコってのか。
おばちゃんはジッとランフランコ司祭を見つめた。
「ちょっと待ってな」
そう言うと奥へ引っ込んだ。
ランフランコ司祭は、変わらずニコニコしながらオルゾを飲んでいる。ふと俺に視線を向けた。
「先程は御見事でした。インゴを席へ誘導したのは、あれはどんな魔法ですか?」
「俺は魔女の弟子って訳じゃなくてな。さっきのは体の反応を利用した戦闘技術の応用だ。良かったらちょっとやって見せようか?」
一つずつ解説しながら技を掛けてやったら得心してくれた。
「成程、御見事です。こういう技もあるのですね。貴方が付いていれば大抵の事は大丈夫でしょう。ライラ様を宜しくお願いします」
丁度そこでおばちゃんが戻ってきた。藤のバスケット一杯に詰まっているのは植物の種か?もう一つのバスケットは、苗を何本か土ごと詰めてある。
「これは何でしょう。ハーブでしょうか」
ランフランコ司祭にも分からないようだ。
「ピオニーと言ってね。『幻の秘薬』の一つでね」
それを聞いて、ランフランコ司祭は驚愕に目を見開いた。
「聞いた事があります。『幻の秘薬』、魔女だけが知る旧種族の妙薬。御伽話の類と思っていました。まさかこの目で見ようとは」
そう言ってバスケットを見つめ、ブツブツ呟き始めた。う~ん、何だかちょっと不気味な感じだぞ。大丈夫かい司祭様。
「『幻の秘薬』ってのは他にも色々あるんだけど、今用意できるのはこれだけでね」
そんな言葉も耳に入っているんだかいないんだか。それを見て苦笑いしたおばちゃんは、席に着いてオルゾを飲んだ。
暫くして、漸く正気を取り戻したランフランコ司祭が顔を上げた。
「本当に、何と言ったら良いか」
「なに、通行証の謝礼だよ。気持ち良く受け取ってくれれば嬉しいさね。ただ、あんまり大っぴらにしない方が良いだろうね。無用のトラブルを呼び寄せちまいそうだし」
「確かにその通りです。これは秘密にしておきます。中央へも報告しません」
「育て方なんかを書きたかったんだけど、生憎と羊皮紙もインクも無くてね。済まないが研究しておくれ。これだけ種があれば、暫く失敗が続いても何とかなるだろう」
「有難うございます」
「でもね、これ、あんたも昔、飲んだ事があるんだよ」
「もしや、これはあの時の、破傷風の薬ですか!」
「薬はこいつの根っ子を乾燥させた物だ。あ〜、但し、使えるようになるまで年数が掛かる。株分けした場合で5年位、種から育てるともうちょっとかね。そっちの苗なら来年には使えるよ」
「5年以上ですか。時間が掛かりますね」
「ああ。それで、リコリスと合わせた物が破傷風の薬さね。痙攣を抑える薬効があってね。こむら返りとかね。腹痛や腰痛にも良く効く事例がある。後は肩凝りとか、他の薬効もあって婦人病や皮膚病で処方するけど、その辺は効き目を見ながら組み合わせる薬草を工夫しておくれ」
「え~、株分けで5年、根を乾燥、リコリスと合わせて破傷風、痙攣に薬効、婦人病と皮膚病」
ブツブツ呟きながら必死に覚えようとするランフランコ司祭。それを見て「申し訳無いねぇ」と言いながら、おばちゃんはゆっくりとオルゾを飲んだ。
この後、ランフランコ司祭はピオニーの種と苗を教会に持ち帰り、フルツ村教会の秘薬として取り組む事になる。
やがて栽培方法が確立された。また見事な花も楽しめる事から、ランフランコ司祭の後も永く代々伝わった。
栽培方法や処方などは全て口伝だった。後世、その由来に興味を持った司祭が調べた所、教会の記録には一切の記述が無く、ランフランコ司祭の私的な日記に僅かな言葉が残るのみであった。
曰く、聖母より薬草を賜る。開花、薔薇に類似。聖母の薔薇と称す。
ピオニー=芍薬(牡丹ではない)、リコリス=甘草(彼岸花ではない)
この薬は芍薬甘草湯。実在する漢方薬です。




