00-01 反抗期の少年
武術の力~身につけた~
正義のヒーロー
功夫マン、功夫マン♪
「隙ありぃッ!」
隙ありじゃねぇよ。ったく。
バレてないつもりだったんだろうな。道場の後ろの戸からソ~ッと入ってきて忍び足で近付いて来ていた。うん、丸わかりだったよ。
後ろから振り下ろされる直前に俺は膝を緩め、予備動作無しで急に体を沈めて動揺を誘い、同時に姿勢を整える。
振り下ろされる力が少し弱くなった。
その一瞬の動揺の隙に、八卦掌の歩法で躱しつつ回り込み、少年の左側に付く。
ほう、持ち出したのは木刀じゃなくて竹刀だったか。
万が一当たってしまった時の事を考えたら、木刀は危険過ぎるからな。その位の分別は持ってたって事かな。
実戦だったらここで急所に寸勁を発して終わりだった。竹刀を選んだ判断に免じて、投げで勘弁してやるか。
回り込んだ勢いを利用して、急に目標を見失って姿勢の崩れかけた少年の身体を、左手首を掴んで前のめりになるように引っ張る。
少年はつんのめって足を一歩踏み出す。
その瞬間に今度は逆向きに力を加える。
力の向きと強さとタイミングを上手に合わせてやると、つんのめった姿勢のまま足を踏み切って、自力で跳び上がる。
中途半端な前宙だ。
地面から離れて浮いてしまえば、後は簡単な物理学となる。
身体の重心が放物線を描いて落下運動し、同時に重心を中心として回転運動する。
宙に浮いた人体が重心の周りで回転するのを少し加速するだけなら、力は少なくて済む。
重心が床に到達する瞬間に背中が真下に来るように調整。
するとほら、
バターン!!!
「がはッッッ」
柔道でもやってなきゃ受け身なんか練習しないだろう。硬い木の床に背中をまともに叩き付けられて、少年は息が出来なくなって目を白黒させた。
この騒ぎに、太極拳教室の生徒が全員こちらを向いた。
生徒と言ってもジジババばかりだ。
俺は太極拳教室を主宰している。その内の年寄り数人が熱心で、夏に合宿したいと言い出した。そこで俺の爺ちゃんが残してくれた山の中の道場に招待したって訳なんだが。
竹刀を持って床に転がって目を白黒させている少年を見て、みんな状況を察したようだ。
「あ~あ~、不意打ちに失敗して返り討ちかい」
「残念だったな坊主」
誰も心配しやしねぇ。全くこの年寄りどもは!
「がは、ごほ、ゲホゲホ」
ジジババの容赦の無い言葉を浴びせられてる内に、少年はやっとむせ始めた。
「おい、大丈夫か?立てるか?」
俺はそう言って手を伸ばした。その手をパシッと払うと、少年は涙目でむせながら一人で道場を出て行った。
ふう。
・‥…━…‥・
翌朝、日課の早朝散策に出ると、昨日の少年がぼんやりと立っていた。
「おう、早いな」
声を掛けたら気付いたようだ。こちらを向いた。
そして目を逸らす。
またしっかり俺を見る。
目を泳がせる。
その様子を黙って見ていたら、ようやく心が決まったらしい。勢い良く頭を下げた。
「昨日はスイマセンっした!」
ふん。問題児ではあるが根は悪くないようだ。
「どうだい、俺は御眼鏡に適ったかい?」
「いや、その、あの、勘弁して下さいよ~」
ははは。折角自分から頭を下げたんだ、あんまり揶揄うのもな。この辺にしとくか。
少年の名は安栗竜太。今回の合宿にも来た安栗の爺さんの、お孫さんである。この爺さんがまた食えねぇ人でなぁ。
その業界じゃ中堅所として知る人ぞ知る会社の創業者で、今は相談役に収まってる。金を持ってるせいか季節の贈答品だの折々の挨拶だの、旅行に行っちゃあ土産だの、何かと気を使ってくれるんだ。センスが良いもんだからこっちもついつい楽しみにしちまう。
その代わり頼み事も多い。これがまた、断り切れない線を見切ってギリギリまで踏み込んでくる。
実に大したもんだよ。俺には真似できないな。
竜太君もそんな頼み事の一つだった。中学生になって反抗期を迎え、ちょっと手に負えない悪戯を繰り返すようになったからガツンとやってくれないか、と。ちょうど良い機会だから竜太君も合宿に連れてきてもらった訳だ。
まぁ、大人が誘ったって素直にゃ乗らない反抗期。すったもんだしたらしい。細かい事は聞いてないが、大体想像できるってもんだ。
そんな拗れた思春期少年の想いと言えば、強さへの憧れだとか、まぁそんな所だろう。昨日の不意打ちは竜太君なりの儀式と言った所か。見事な反撃に遭い、理想を体現する存在として俺を認めてくれたようだな。
第一関門突破。やれやれ。
男の子だからこんなもんで済んだけど、これが女の子だったらどうなった事やら。考えたくもねぇ。
ひとまず散策に付き合ってもらうか。
山の中を並んで歩いていると、竜太君がポツリと呟いた。
「先生、強いっすね」
「そうか?君も強くなりたいか?見返してやりたいイジメっ子がいるとか」
「イジメとかじゃないっすよ。その、えーと」
何だか歯切れが悪いな。黙って待っていたら、危ない事を言い出した。
「昨日あそこで、例えば先生がバタフライナイフとか持ってたら、俺は一発で殺されたっすよね」
「物騒だな。率直に言えば、素手でも殺せたけどな」
俺はもっと危ない事をサラリと言ってやった。竜太君は目を丸くしている。
「あそこから拳で殴ったって簡単には死なないっすよね。タコ殴りにして反撃を封じる位じゃないっすか?」
「喧嘩パンチとは違うさ。寸勁と言ってな。あの姿勢から、そうだな、例えば野球の硬球を時速150kmで投げてぶつける位の威力を出せるんだ。それなら当たり所が悪ければ死ぬのはわかるだろ?その悪い当たり所に、確実に当てるように練習する。俺はそんな練習を何十年も続けてるって訳だ」
我ながら酷い説明だと思うが、武術について大した知識の無い中学生が相手だ。分かり易い方が良いだろう。
それにしてもちょっとやり過ぎたかな。驚いたような呆れたような微妙な表情だ。
そのまま黙って歩いていたが、また呟いた。
「どうして人殺しをしちゃいけないんすかね。先生は人を殺した事はあるっすか?」
またえらく物騒な方向へ話が飛んだなぁ。
しかし、そうだな。雰囲気からしてもイジメじゃなさそうだし、本当に殺したいほど憎い相手がいる訳じゃないと思って良さそうだ。
う~ん。中二病男子の哲学的難問ではあるか。とすれば、そんな物騒な事を考えるに至った経緯など、聞くだけ野暮なんだろう。ここは一つ、正面から語ってやった方が良いか。
「俺は殺した経験は無い。これからも無いだろうな。でも俺の爺さんは復員兵だった。戦争の事を聞くと機嫌が悪くなったから、あんまり聞かなかったがな。どうやら最前線で銃を撃った事はあったらしい。その辺を組み合わせて察するしかないが、まぁ、敵を銃で撃ち殺すような経験はあったんだろう。白兵戦に出て武術が役に立つような事があったかどうかは知らねぇ」
「戦争っすか」
「そもそも、殺人が無条件で罪になったのは、歴史が浅いんだよ。日本だとここ数十年の話だ。知ってたか?」
「えっ?」
「戦争がヒントになる。古今東西一貫した人類のルールは2つあったんだ。味方は殺すな、そして敵は殺せ。殺しちゃいけないのは人間全部じゃない。味方限定だ」
「それがどうして人間全部に?周りの人間全部が味方だとは、とても思えないっすよ」
「経済だよ。金を通じて人間が繋がるようになって、しかもその範囲が信じられないくらい広くなった」
「金っすか。う~ん、金、ねぇ」
「金が仲介するから、為人を知らない相手でも、短時間なら笑顔で付き合えるんだ。例えば、そうだな、メイド喫茶に行けばわかるだろ?規定の金額さえ払えば、初対面のお姉さんが可愛い格好でラブラブな仕草を見せてくれる。わかるか?金によって味方の範囲は人間全部に広がったと言える訳だ」
「ああ、なるほど、そうっすねぇ。でも、金、かぁ」
やけに金に引っ掛かるな。中二病で金を卑しいと考えるのはわからなくもないんだが。それとも何かあるのか?
「金は嫌いか?」
「いや、嫌いって訳じゃないっすけど」
それきり黙る。2人で黙って山の中を歩く。
悩め悩め若人よ。
果たして次は何が飛び出すかね。
暫く歩くと、ポツリと言った。
「俺、多分、親父の会社を継ぐ事になるんすよ」
「ほほう。将来安泰で結構な事じゃないか」
「そう、安泰、なのかも知れないんすけどね。金とコネでレールが敷かれて、その上を歩かされて。俺はこれでいいのかなって」
なるほどな。そう来たか。ふふん。
「先生は金なんかに縛られないで、中国拳法に一生を懸けてるんすよね?すげぇ自由に生きてて、それでも爺ちゃんみたいな人に頼られる存在で。なんか格好良いなって」
ん?ちょっと雲行きが怪しくなってきたぞ?
「俺も一生打ち込めるような何かを見つけて、それで自由に生きたくて。でも爺ちゃんも親父もわかってくれなくて」
ぐわああああ!そりゃ俺でも説教するわ!
「先生はそういうの、どうやって親を説得したんすか?やっぱり家を飛び出したとか?」
真っ直ぐな瞳で俺を見る竜太君。
俺は頭を抱えた。
いやいや、君ね、根本的に勘違いしてるから。俺はそんな悟って解脱したような人間じゃないから。ごく普通の小市民だから。
ここは俺の事を詳しく話しといた方が良いんだろうな。向こうから聞いてきた事だしな、耳を傾けてくれるだろう。
「最初に言っとくが、俺は結構稼いでるぞ。同年代の平均年収はクリアしてる」
「えっ?中国拳法ってそんなに稼げるんすか?」
「そこが基本的な勘違いだ。本業は別にあるんだよ。スパイや暗殺者じゃないんだし、中国拳法だけじゃなぁ」
そう。太極拳教室は趣味だ。一応は月謝を取ってるが、これだけだったら食っていくのは難しかったろう。
どうしてこんな勘違いをしたんだろうなぁ。どうせ爺さんの話をロクに聞かないで、太極拳教室の先生って肩書から変な思い込みをしたんだと思うが。
自分語りなんざ趣味じゃねぇんだがな。ああ、酒が欲しいぜ。
ここまで書いといてナンですが、武術の理論や描写はいい加減です。
今後も含め、実際に修行している方からの率直な御意見をお待ちしております。