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ほしがおちる

 心騒がしいさまが愛らしいと、女官達が笑いさざめく。

「そんなに恥ずかしがらないでくださいまし」

「でも素敵な方でしたね。こちらまで緊張致しました」

 私はますます赤くなる。神島の世話役のなかに御本人がいらしただなんて、思いもよらなかったから。

「からかうのはよして。恥ずかしい」

「良い流れですよ。あちら様もハホ様をお気に召しておいででした」

「見目麗しく御声もよかった。誠のありそうな殿方で、私たちも嬉しゅうございます」

 身の置き場が無くて固まってしまう。

「ハホ様、可愛い濃茶のお目々が揺らいでおられますよ」

「目は口ほどに、でございますね」

 またからかわれて、とうとうその場で突っ伏してしまった。


 各々の気持ちが伝わりやすい私たちは、交わす言葉に気をつける。言霊は物事を固めてしまうので、発する時には心をくばる。

 想い事は滲み出る。それぞれが礼儀として、所々で気を閉めたり、視えた時にはさらりと流す。

 芯は饒舌なのが常だ。出来る限り真っ直ぐでありたい。




 私の真の名はクニの古い言葉で「衣」をあらわし、通称名をハホという。クニの大巫女である大ばあさまの直系にあたり、大社の麻工房に近い東棟で大きくなった。

 お役目は真の名のとおり。繊維に携わるものとして、ひとさしひとさし命を吹き込む。

 大ばあさま達が祈るとき、私たちの感謝も光に届く。おかげさまで今日も穏やかに暮らせます。誰もが元気で心地よい場所にいられます。お腹いっぱい食べられます。どうか明日も健やかに過ごせますよう。心根よくいられますように。


 毎日の水汲みも大切な日課だ。

 クニの大社は霊山の麓、集落を見渡す丘の上にある。冬場は寒いけれど、夜明け前の静寂は深い藍色のなかにあって、眠る植物の横を抜ける時、私は風になったよう。


 昇降口で待つ女官長と小声で挨拶を交わす。

(私達のお水汲みも明日で仕舞いですね、ハホ様)

(もう、そんなこと思わないで)

(ふいに懐かしくなってしまいました。あんなに小さかったハホ様が、こんなに立派になられて、嬉しいなあって)

 北風が枯葉を足元に落とした。いつだったか、兄弟に笑われたのもこの時期だった。

「枯葉を踏む音で目が覚めたよ。乳母と小さな姫君そのまま、変わらぬ気配も微笑ましい」

 北風で枯葉がカラカラ鳴って、私はあの頃に戻る。当時の乳母が、いま隣にいる女官長だ。


「ハホ様、女官長殿、おはようございます」

 昔に気を取られていたせいで、暗闇からの声に肝を冷やした。

「どなたさま。いきなりの声掛けは無礼ですよ」

「警備の途中ゆえ申し訳ございません」

 次代さまの従者だった。眼光鋭く屈強で「十二人力」の熊をも素手で倒す殿方なので、十三どのと呼ばれている。

「昨晩、何者かが次代さまの元においでになりました。オトシ前ですので一応ご報告を」

 見当のつく私たちはしばしの沈黙で了承し、

「一番水が冷えてまいりました。本日もどうぞご安全に」

 そう声掛けをすると、十三どのは軽く会釈し、風に紛れてその場を去った。




 オトシは古の時代からクニに伝わる厄除の神事だ。

 この地には六十年に一度、必ず何処かに星が堕ちているそうだ。神事は星に合わせた六十年毎の晩秋新月。神島にある祭祀場で神島オトシ、大社が仕切る霊山の祭祀場で大社オトシを行なうらしい。

 星がつつがなく遠い遠い彼方に行きますようにと、神官達と大巫女達が丁寧に祈る。祈り手の責務は重く、祭祀後には総白髪にもなると聞く。まれに、命を天に散らすとも。


 いま穏やかに暮らす私たちも無事を願ってやまず、こたび私は、大ばあさまと共に神島に向かうことになった。大ばあさまは神島オトシの為に大社からの祈り手として。そして私は神官の弟君のもとへ、大社からの花嫁として。

 大昔から、クニの二本柱、神島の神官直系と大社の大巫女直系は、オトシ直会で婚礼を交わす。

 神島と大社の橋渡し。私に出来るのかな。責務を思うと気が遠くなる。お見掛けした弟君はとてもご立派だった。大きな上背に漆黒の髪、涼しげな眼差し。私で良かったのかな。

 当日まで三日を切った。この近くの港から神島までは長舟でほんの二刻なのに、今は果てしなく遠くにみえる。


 心を取り戻そう。今は大社のお役目を一心にやり遂げよう。

 次代サラ様の朝のお支度。私より四つ歳上の美しいお方。神仕えの証とされる翡翠の瞳を持って産まれた大ばあさまの直系。私の兄弟姉妹のうちのおひとり。

 サラという名も通称名で、私は真の名は存じ上げないし、決して教えてはいただけない。響きから浮かぶのは、深い霧が産み出すあの一滴。山奥の凛とした岩清水。谷間に流れるあの清流。翡翠の瞳に良く似合う。



 一番水を大巫女に届けたあと、二番水を掲げて東社の扉を開ける。漂う甘い香りは朝露で湿気を含んだ楓の柱だ。そっと深く息を吸って、次代さまにお声を掛ける。

「おはようございます。サラ様、お手すきですか」

「おはよう。ゆうべは煩かったね」

 奥からサラ様の低く掠れたお声が美しく響く。御簾を開ける音に合わせ、黒髪に塗る椿油の香りが飛ぶ。

「煩かったとはどなたかご訪問……あ、ホノさんですね」

「大ばあさまが呼びつけた」

「一応伺います。ホノさんに触れてなぞ」

「ないよ。いつもの様に勝手に何か発していたけど」

 私はちいさく溜息を付いて、微妙な間を開けた。

「勝手に発していた」

「そう。いつも通り空に向かって」「いつも通り」「うん」

 ぎこちないやりとり。神仕えは清い身であらねばならぬので。


 昔から二人は御簾や壁、窓を挟んで、お互いそれぞれが独り言を放っていた。けれど、私たちはこどもの悪戯と同じとし、常に見て見ぬ振りをした。

「ええと、大ばあさまの御用は、オトシ厄除けの配布でしょうか」

「お目溢しをありがとう。ホノに西集落を回らせたいらしいよ。キリが動いてくれるといいけどね」

 サラ様は自ら明かりとりの窓を開ける。翡翠の眼が朝日を受けて、龍顔はいっそう輝いた。


 いつものことながら見惚れてしまう。ホノさんのお気持ちも致し方なく思う。

 うっかり昔も思い出して、小さく吹き出してしまった。キリは気難しいけれど、昨夜はホノさんの言うことを聞いたのかしら。



 キリを譲り受けた当初のホノさんは、キリの我儘に難儀をしていた。私たちのこども時代の話だ。

 見かねた大ばあさまの采配で出向いたのが、次代を継いで間も無いサラ様と、お付き見習いの私。後ろに十三どのも控えていた。


 芽吹きの季節、陽の光のなか白い服に身を包んだサラ様は美しかった。美しかったし、そこに居るだけで整った。

 サラ様がキリの目前に立つ。佇まいに空気が澄み渡る。と、早朝自ら摘んだ白詰草をキリに与え、それだけでキリはサラ様に従順になった。

 同時にホノさんに対するキリの当たりも丸くなった。

 何が起こってそうなったんだろう。背筋を伸ばしてキリに横乗りする次代さまの、透き通るような美しさ。キリを引いて歩くホノさんがずっとサラ様に見惚れていたのを、私は後ろからずっと見ていた。


「キリがホノのいうことを聞いてるよ。大社のお力はすごいんだね」

 次代さまの神々しさをもクニ中に知らしめた瞬間だったけれど、

「でもキリが一番に懐いたのって、ホノがサラ様に心を寄せてたからでしょ」

「ホノはサラ様が一番大事だからでしょ」

 ホノを慕う女の子達のボヤキも多く聞こえた。実際その通りだったから。




「何か良いことがあった?」

 思い出し笑いを指摘され、慌てて口元を正す私。

「いえ、なんでもないです」

「そう。貴女が楽しいなら良いのだよ。もうすぐ祝言だからね」

「そんな勿体無いことを」

 申し訳なくて口籠ったら、サラ様は銀色の糸の束を私に寄越した。数箇所を細い麻紐で縛る束はキリのたてがみだ。長さは一尺程。

「昨夜ホノから預かった。貴女も忙しいのに済まないね」

 私は黙って押しいただく。今まで上納された糸で、サラ様の覆い布と上着と袴、下着から髪飾り、耳飾りの刺繍も上がった。靴はあと片方に少し。仕上げはこれで充分足りる。

 漆塗りの箱に銀糸を納めた。全力でこなさねば。真の闇に向かうこの方を、益々美しくして差し上げねば。



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