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蓋をまもらば

 


 祈り場近辺の土や岩は他に見ない質のもので、少しでも肌に着けばその部分は酷く荒れる。僅かに生える数種の低木や草には、全てに棘や毒が有る。


 狭い祈り場のなか、四隅に燈明が揺れる。次代さまがお産まれになるひと月前、大巫女さまの神託により作られた横穴だ。

 作業時には土が直接触れぬよう、手足や顔を皮袋で覆った。坑内の壁と床に煉瓦を組み、その上に厄除けの朱、まじない模様を白で描いた。空気孔の先には北の星。古の遺構と寸分違えず、出入り口には桐の木蓋。

 全てひとりで仕上げた。六十年に一度。当事の巡り合わせを思う。


 さて従者にああは言ったものの、キリの体高では扉をくぐれない。頭を突っ込むのがせいぜいで、その後は彼奴が引っ張り出す事となろう。

 場の乱れの手間を憂う。あの薬師。夜が明けぬうちに帰さねばならぬが、キリの動きが皆目読めぬ。

 だが要らぬ世話だった。

「十三どの、キリが参ります」

 彼奴の声が聞こえたと思ったら、キリは既に中に居るではないか。




 どうしたことだ、どうやって入った。木蓋の出入りが出来ない筈だ。

 手前の混乱をよそに、祝詞を唱える次代さまの左隣で、キリはブウと鼻を鳴らす。しかも空間にはかなりの余裕が有り、四隅の燈明にも動きはない。どうなっているのだ。キリは形が変わるのか。雪が溶けて水に、熱すれば湯気ともなる質か。

 キリが再びブウと鳴いた。従えと言われたのだ。大巫女さまの、次代さまの意志に従え。気を正し息を整えた。


 喉を開き続ける次代さまは正面を向いたままだ。キリは次代さまに顔を寄せる。次代さまも祝詞を唱えつつ頬擦りを受け、左の掌をキリに寄せる。


 そのあと視線だけを合わせていらっしゃる。(お友達のようだ)

 そしておふたりで気を放ちあう。(御心が通じ合っていらっしゃるようだ)


 ふいに我は、次代さまがお寂しくなくて良かったと感じ入った。そうでした。次代さまはいつもお寂しいのではと勝手に穿っていたが、キリとは親しんでおられましたな。

 有事を共に向かう方がおいでになられて、心底嬉しゅうございます。


 それにしてもこの狭い祈り場だけが夏のようだ。おふたりの気熱は膨れ上がり、入道雲の如く湧きあがる。中央に鎮座する次代さまを柱に、まずは下から上へ。低い天井で流れを変えると、今度は壁を伝って上から下へ。


 室温は上がるが、四隅の燈明は微動だにしない。気が美しいので乱れない。


 次代さまはキリの気を取り込みながら、自らの気もキリに渡していらっしゃる。

 このまま溶けこんでひとつになるか。

 身動ぎせず眺めた。オトシとはこういうものだったのか。オトシ自体は毎回違うと聞いてはいたが、此度はこうなのか。この話を次に伝えることは出来ぬのか。

 出来ぬなあ、此処だけのものだ。思った途端に何かが満たされた。お目溢しくださいと切に願った。



 燈明がジリと音を立て、ふと我に返る。

 そんなに時が過ぎたのか。いや、ほんのいっときか。そうだ、役目をせねばならぬ。キリが木箱を早く外せと小刻みに揺すっているではないか。

 キリの身体に腕をまわし縄を解く。その身体に気流を発する手応えは無く、まるで馬や鹿の背腹に触れているようだ。桐の箱、留める縄、触れた銀のたてがみ。

 なるほど、我に対してキリは、只の生き物として対峙する。立場を弁えよと告げるのだ。


 キリの背の向こう、見える次代さまが、しきりに胸に手を当てていらっしゃる。

「どこかお辛うございますか」

 次代さまは黙って首を横に振り、下ろした箱を指して、我に支度を促される。

「お着替えの前に、多少は間をとっても宜しゅうございます。少し休まれては」

 水の入った竹筒を捧げるも、次代さまは左手を胸を押さえたまま、右手で竹筒を押し戻す。

 祝詞は続けていらっしゃる。


 お身体は保つだろうか。クニ衆からは羨望の眼差しを受け、ひたすらに潔斎と神事をこなしてこられたお方だ。幼い頃からお背だけが伸びた、陽の元にもなかなか出向けぬお方だ。

 まさかこのまま。

 いや、此処でこそ、我こそ落ち着こう。役目に徹しなければ。まずは我が背を伸ばせ、静かに息を吐け。厳かに箱を開けろ。

 白い靴を次代さまのお足元に捧げ、覆い布を広げ、頭上に掲げた。

 すると左側に、チカリと光るものがある。キリの顔、口元。次代さまの左手だ。キリの足元に落ちる皮らしき小袋。

 次代さまの左の掌に、翡翠の数珠玉を見た。次代さまがそれを、強く握っておられる。


 我は目元が緩む。よくしたものだ。いつ現れるかと案じていたが、既にそこにあったのか。

「誰も見たことがないのだが、必要な時には有るのだそうだ」

 その数珠。先代が申しておりましたが、もしかしたら、キリが届けに参りましたか。


 祝詞は途切れず溢れる。互いの気は益々流れ、次代さまの身体が自然に揺れる。大きく揺れる。揺れる毎に、気流が膨れる。解ける説ける溶ける。

 キリと殆どが重なって映る。白く光る何かがある。キリと重なり、もっと光る。


 大きく広く見よ。我心が矮小に揺れたのは、幼い欲にこだわったからではないか。オトシ自体として見ればどうだ。まだ始まったばかりではないか。

 何事もなるようにしかならないものではないか。いまするべきしごとはなんだ。


「お召替えを始めさせていただきます」

 肝を据えて、しかし震える声で声掛けをすると、今度はキリだけが明確に見えた。

 我の前ではただの生き物に戻る。足踏みをし後退りを始め、しかしはっきりと我に告げる。

「外に出る。これから西へ向かう」

 キリから響くは次代さまの声だ! しかし元のお姿は中央の台座にあって、祝詞は途切れず続いている。

 これが我の携わるオトシか。


 なるようにしかならん。

 我は衣を丁寧に箱の上に戻したのち、静かに扉を開ける。キリは通すもの。此処にあって此処に無いもの。退出するキリに向かって頭を下げたのも、その場の流れである。



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