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たもとに光る

 

 キリの勝手とはいえ、自分の入山まで許されるとは夢にも思わなかった。大社にとっての自分の立場は、十三どのの視線が雄弁だ。

 今までに何度、彼の脳裏で滅多刺しにされているだろう。不遜の塊ゆえ仕方ない。とはいえ、寒さ以外の震えが来る。こころ鎮めて粛々進む。


 逆に言えば十三どのさえ居れば、サラは間違いなく安全なのだ。祭祀場に向かう山のなか、日中すら薄暗い深い森。新月間際の闇は、いつも以上に道を隠す。

 いつだったか、サラを案じたことがある。

「新月どきにお山にいるのは怖くない?」

「十三がいるから平気だよ」

 明るい返答に胸中が複雑に痛んだのも、今では良い思い出だ。



 柔らかい記憶もある。周囲に気を利かせて頂いたひと時。御簾を挟み、濁り酒で喉を潤した夜の、ふざけた戯言。

「わたし達もいつかは土に還るから」

 酔ったサラの物言いで気付いた掠れ声。

 いつからだったろう。暗闇でかざす掌は白く若く、しかし音を発する器官だけが、ひどく歳を重ねていた。


 こなす潔斎や祭祀はとても多く、どれも非常に厳しいと聞く。垣間見る美しい衣や調度品からして、麓の集落の羨望のまとではあるが、その実情を鑑みると、並の者では務まるまい。

「次代さまの祝詞、遠くまで響きあそばされるようになったね」

「大巫女さまと遜色ないね」

 良い評判も聞くけれど、見かける透明に近い細い姿は、羽化したばかりの蝶のよう。

 今にも消えてしまいそうで、けれど自分如きに哀れに思われたら、きっとサラは怒るだろう。


 お役目はひとによって随分違う。触れてはならぬ薬師は、ご所望の薬草薬石を粛々届ける。納めた品から読める様子は、あまり嬉しくない未来。

 ジクジクと案ずるだけだった。代わりに時々のやり取りを待ち遠しく、幼な子のように楽しんだ。サラも気休めになっていればと、手前勝手に祈っていた。




(だからさ、キリ。俺はサラに迷惑かけたくないんだよ)

 大巫女の戒めはこれか。キリとなら行けると夢みた祭祀場。でもそれはあくまでも妄想、若気の至りだ。この入山は不本意だ。

 大社オトシは髪が真っ白になる程の厳しさと聞くのに、

(だのにキリは邪魔しに行くらしいよ、サラ)

 十三どのの背を頼りながらひとりごちる。

(……無礼を御免な)

 松明の灯は夜の闇を煌々と照らす。その朱色は、ハホにと言付けられた護りの琥珀に似る。花嫁衣装に散りばめた、あの粒琥珀の美しさにも。

 大社オトシの間もその後も、サラに多くの加護があるといい。大社の誰もが「あの方は特別だ」と言うが、その意味がどうしても判らない。普段から軽薄だから、俗な心配をするんだ。だってサラに境を感じないから。


 オトシ自体の無事を一番に祈りつつ、サラの安全を願う。適うなら、サラに渡す護りは翡翠。幼い夏の日、谷川で見つけた翡翠の数珠玉。未だ胸に掛けた、皮小袋の中にある細い数珠。


 自分のなかでサラの印象が昔のままなこと自体が、立場が違う証拠でもある。言葉の応酬だけでつちかった積み重ねが、垣根のない証でもある。




 それでも霊山の禁忌は身に沁みる。一歩一歩歩むごとに全身にまとわりつく冷えた空気。闇に潜む粒子。いつもの山中と全く違う。

 大きな危険と縁が無いのはキリのおかげではあるが、それでも夜の山の怖さは承知している。眠る動植物。動く動植物。既に身体を持たぬ、意識だけになっている多くの何か。

 ここは他の山野とまるで違う。

 身体が勝手に身震いする。足を動かしていなければ格好がつかない程、不自然に体軸が揺れる。気の一粒ひとつぶに別のモノが宿り、部外者の自分に対し「お前は誰だ」ときつく問う。お前は何しに此処に来た。何の為に此処にいる。

 これが大社オトシ、五合目付近で既にこれか。この上にサラは籠っているのか。


 峰に近付くにつれ、足元は低木と高山種の枯草になり、やがて瓦礫路と変わる。

 十三どのは後ろに合わせることなく進み、キリも軽々掛けてゆく。

(松明の灯、キリの背中、見逃すな)

 全身にまとわりつく粒子に抗いながら、懸命に自分に言い聞かす。切り立つ岩壁に触れながら、摺り足でなんとか着いて行く。

 悪路自体は苦ではないが、気張らねばならぬ陰気。少しでも心を削げば、谷底深くに引き摺りこまれる重み。確かに常人が来てはならぬ場だ。



 そのうち松明の動きが止まり、十三どのの足音が途絶えた。キリも止まった。彼等に近付こうとして、ふと真横にある横穴に気付いてしまった。

 昔の祭祀場のひとつ。かつてあっただろう木蓋は朽ち果て、闇の中でポッカリと口を開ける圧倒的な黒い穴。生き物の様子は無いのに、奥からは明らかに何かの意思を持つみえない塊。


 立ちすくむ自分に十三どのが呼ぶ。

「そこを見るな。我等の用はこっちだ」

 急いで身体を動かす。十三どのの前にも、うっすらと木蓋の扉が浮かんで見えてくる。こちらの扉は新しい木だ。かぼそい祝詞も響いてくる。

(小さな声。サラか? 土の中から?)

 音の出所は何処だ。土地の形状や先ほどの遺坑からしても、横穴はかなり小さいと見た。声の通りから、土壁は厚いと見た。

 何処かに小窓か空気穴があるのか。

 近寄ろうとしたら、十三どのに「控えよ」と制された。


「この扉はキリの担ぐ箱と同じく、桐の木で出来ている。毎年我が作りかえる」

 指差しながら、キリから木箱を下ろすよう命じた。

「これから支度に入るが、いま一度言う。貴様はモノである。そこから決して動かぬよう。キリの気が済み次第、此処から即刻立ち去るよう」


 返事をしようにも、キリを抑えるので手一杯になった。祭祀場についたキリは一向に落ち着く様子もなく、むしろ激しく足踏みを繰り返す。

 宥めながら箱を降ろそうとしても決して許さず、歯を剥き出して威嚇をし、自分を乱暴に引き摺る。扉にぶつかろうとする。

「キリ、ここまでだ、キリ、」

 どんなに宥めても容赦がない。十三どのの声に苛立ちが篭った。

「箱は下ろせぬのか」

「今は難しいです、このまま中に行きかねません」

 十三どのの口元が歪んでいるのが読めた。


「……大巫女様は全てはキリが決めると仰る。この状況もそうなのか。仕方ない」

 今生に従う流れ、と聞こえた。十三どのの心中か。

「ではキリが箱を持って入るがいい」

「宜しいのですか」

「キリは『通すもの』、未来を決めるもの。何故その姿なのかは我は知らぬが」

 十三どのは木蓋の扉に手を掛け、松明の灯をひとつの燈明に移すと、

「先ず我が入る。燈明を置かれたら折を見てキリを入れるが良い。本来、入室を許されているのは我だけだった……」

 使わぬ松明を渡された。


 空気穴であろう隙間からこぼれる祝詞の節回しを邪魔せぬよう、十三どのは扉を小さく開ける。重そうに見えた扉は軽い音をたてる。

「今宵、遅れまして申し訳ありません。只今参りました」

 祝詞の音が外に大きく漏れ出した。その響きは外の空気に触れると、漆黒の闇を浄めながら、薄くゆるく溶けていく。

 中にいるのは確かにサラだ。確かに此処がサラの持ち場だ。

 十三どのの口上が聞こえる。燈明を捧げているのだろう、坑内の灯りが強くなる。キリは灯を怖がる事なく、中に入れろといきりたつ。


 片手で松明を持ち、片手で精一杯キリを宥めながら、ふと、胸元の、翡翠の入った皮袋を思い出した。

 自分は不遜だ。

(そうだ、キリ)(そうだよキリ、これを)

 いいや、これは流れだ。

(この皮袋を中に持っていってくれ)

 サラが御役目を受け入れ粛々と果たすのを見続けて、案じた流れだ。

(サラに渡してやってくれ)

 己の役目を受け入れてきた流れ。サラを知ってサラをみて、重ねた逢瀬の先で見つけた諦念。キリの選ぶモノとコトに進む道。

(翡翠を、サラに渡してくれ)


 自分は自らの軽薄さを、今はとても好いている。

 勝手を極め、身軽であれ。何処にでも何にせよ、畏れず受け入れ、流れつけ。

「頼むよ、キリ」

 キリの耳元に小声でささやくと、外した皮袋をキリの口元に持っていった。


 こんな場面に出くわす度に、キリは不思議な生き物だとつくづく思う。

 あれだけ暴れていたキリは、自らの意に気付き、口元に出された皮袋をあっさりと咥えた。そして先に入った十三どのに気を使うことなく、小さなあかりの灯る小さな土部屋に、大きな態度で押し入った。


 キリは自分がサラと関わることを良しとしている。キリが良しとしている。




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