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てのひらの図

 身内みたいなものかな。

 谷川での休憩中によぎった思いつきを、キリは即座に否定した。水しぶきが見事に顔面を襲う。

「わ、なんだよ、冷たいなあ!」

 怒ってみせたらキリはフフンと鼻を鳴らした。

「ハイハイそうだね。ホノは家来だね。とんだご無礼でした」

 今度はブーと息を吐く。モタモタするなという意味だ。

 やれやれ。苦笑しつつ衣の裾を腰紐にたくし、流れの緩い浅瀬にキリを引いた。藁束で背中から腹、首側から順繰りに、ゆっくり梳いて汚れを落とす。

 うっとり細めた目尻の皺が笑顔にみえる。

「よしよし、キリはいいこだな」

 今度はツゲの櫛でたてがみをゆっくり漉く。キリのたてがみは銀色の真っ直ぐな細い糸だ。櫛に絡んだ数本を、細木に巻いて懐に仕舞う。


 大の男を背に乗せ、険しい山谷を駆け回るキリの風貌は、馬や鹿や山羊、少し山犬の気配もある。熊や狼を一切恐れず、鷲や鷹の如く軽やかに舞う、どうにも謎な相棒だ。

 クニの一番高い頂は霊山で、薬草分布の豊富さは遠くまで知れ渡る。けれどキリのような生き物の話は、まるで聞いたことがない。先の世話人の爺様も、先代から引き継いだと言った。霊獣との噂も有るが、神々しさは見当たらない。



 爺様は里外れの岩穴に棲む薬師だった。博識なのにちっとも偉ぶらず、風通しの良い明るい気配が、幼い自分を惹きつけた。つきまとう童を疎むことなく、星や動きや雲の流れ、月と潮の満ち引き、草木や土、石の声まで教えてくれた。


 構ってもらえて有頂天になって、習った薬草や獲った鳥や魚を届ける。すると爺様はたいそう喜ぶ。大袈裟なくらい褒めてくれる。もっと嬉しくなって、もっと出向く。

 風雨を厭わず通った。爺様は幾つだったろう。矍鑠としていた。長い白眉が見事だった。長生きは難しいものなのに。


「爺様はなんで爺様になれたのさ」

「儂は自然にお役目が降りたからな」

「それは自然なお役目なのか。独りで、山ん中で」

「独りで、山ん中、」

 真っ直ぐな物言いに爺様はゲラゲラ笑った。

「確かにこの独り身は向き不向きがあるの。ホノは寂しん坊じゃしな」

 言われてバツが悪くなる。そんなに寂しん坊だろうか。

 確かに自分は賑やか好きだ。けれどそればっかりな訳じゃない。人が集まる所には諍いも出来る。寄り添い暮らすなかに潜む、明るいだけではない気配。あれはどうすればいいのだろう?

 幼い沈黙に爺様は察し、黙って横に座ると「何処にでも影は有るものだ」と、謎かけのような同意をした。


 自分は爺様を見た。わからないだけなんだ。この世は何の為にあるのか。

 日の出と共に起き皆で糧を集め分け合い、入れるモノを入れ出すモノを出し、日の入りと共に闇に溶けるのか。そのうち誰もが同じ様に、あっという間にこの世を去る、その仕組み。その繰り返し。


「なんで生きてるのかな」

「難しい事を考えとるな」

「爺様はそういうの、考えたりしなかった?」

「うん、わしの幼い時分は食うに困っていたから、それどころじゃなかった」

 爺様は懐の干し芋を半分ちぎって自分に寄越すと、もう半分を口に含みながら言った。

「じゃがお前さんは毎日が事足りているようで良かった。食べるモンも棲む家も有る。狩りも上手い。それだけでわしは嬉しいよ」

「狩りって……俺、まだ小モノしか捕れないさ。この先だってわかんない」

「小さくともいつも大漁じゃないか」

「そうだけど、えっと、そうじゃなくて」


 やっぱりうまく言えない。つまり爺様は、やっぱり他の大人と同じように、皆で助け合って生きてゆけばいいと言うのかな。里に授かるこどもを皆で育てあげ、年長を看取り、そして自分も土に還る。

 でも何処まで繰り返せばいいんだろう。


「なら、早く逝くモノは、お役目が終わったってこと?」

「そのモノがそういう御手配だっただけじゃないかな」

「そうかな」

「そうじゃよ。全て大事なおひと様だ。病のひとや老いたひとも、どなたも欠かせぬよ」


 それはサーさんを思ったらなんとなく判った。

 同じ郷に住むサーさんはこどもの頃から歩けないので、出来ない部分を皆で手伝う。サーさんはいつも座っている。手元の明るい所で色んな手仕事をしている。穏やかにひとの話を聞いて、自分の考えも丁寧に話す。サーさんは居るだけで嬉しい。居なくなったら心底悲しい。


 だけど、いま欲しい答えはそれじゃない。

「ホノはもっとお役目が欲しいのか?」

 聞かれて返事に困る。それもちょっと違う。

「……長生きしたいかってこと?」

「そうじゃのうて、お役目じゃよ」

「俺は無理だ。大層な事は出来っこない」

「そうかいの」

 爺様は自分の両腕をとると、左右の掌の観察を始めた。


「なんだ。何すんだ」

「知らんだろうが、ここにはお前の世界が描いてある」

「掌に。嘘だ」

「本当じゃよ」

 爺様は時折「ほお」と言いながら、指先から関節、手の甲までもしげしげ眺めた。

「狩りの仕事がかなりあるな。冬前の狩りから叔父さん達の組に入るか。熊は手間だから気をつけろと伝えとけ。春先に梟の仔を拾うな。大鷲の世話もくる。飼育小屋を直しとけよ」

「へえ、そう?」

「それから子も沢山授かる」

「そりゃ大変だ!」

「そんなことはない。子沢山は幸運だ」

「爺様、何処に描いてあんだ。全部嘘だろ」

「嘘じゃない。皆に喜んでもらえると嬉しいぞ。そうだ、お前は薬の話も好きだな。全て教えよう。明日から毎日寄りなさい。年が明けたらキリも譲ろう。お前のお役目はキリの世話だ」


 随分前の話だ。聞いていた通り直後の熊狩りは手間で、拾った梟の仔は愛らしく、大鷲の世話は楽しかった。

 キリを譲られた八つめの冬に、爺様は眠る様にこの世を去った。次いでサーさんも風邪をこじらせていってしまった。雪の結晶が綺麗な朝だった。涙をこぼしたら睫毛と頰が凍った。

 なんでか判らないけど、生きなきゃいけないんだな。

 薬師の役を継いだ自分は、今は譲られた道具と知恵と技を抱え、キリと一緒にクニ中を巡る。



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