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紅燃ゆ  作者: 黒木和久
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第五話 阿吽の呼吸

 綾野晴香(あやの はるか)は興奮していた。親友の遊佐薫(ゆさ かおる)と久しぶりに二機分隊を組んでの出撃から戻ってみると、おととい着任したばかりの鏑木天音(かぶらき あまね)に関する、驚くような知らせが待っていたのだ。晴香はこれまで、薫とともに隊の最年少者だったが、同年代の天音が加わったのが嬉しくて、昨日一日ですっかり仲良くなっていた。その天音が、今日の出撃で、この部隊での初戦果を上げたのである。


 晴香と薫は航空学校の同期で、それ以来ずっと一緒に戦ってきた。天性の身軽さを誇る晴香と、冷静で正確な攻撃を特長とする薫のコンビネーションは抜群で、またたく間に揃って十機撃墜の壁を越えて撃墜王の名を獲得し、その後も順調に戦果を重ねてきた。内地でエリートだけを集めた教導戦隊が編成され、学生時代の教官だった高坂透子(たかさか とうこ)がその一員になっていることを知った晴香は、透子に推薦依頼の手紙を書くとともに、薫を誘って転属願いを提出し、無事認められて紅の隊員となったのだった。


 しかし、いざ部隊に来てみると、そこにいたのは信じられないような空戦技術を持つ人ばかりで、これまで我こそ天下無敵と疑わなかった晴香が、まるで子供扱いだった。晴香と薫は、先輩格である宮本志乃(みやもと しの)の列機につけられ、その指揮の下で攻撃を補佐することになったが、ほとんどの敵は志乃の一撃で落とされてしまうため、自分たちの撃墜数はあまり伸びない。別に数にこだわるつもりはなかったが、なんとなく停滞した気分になっていたところに、この新人の快挙である。晴香の心は、まるで自分のことのように浮き立っていた。


 隊長の奥沢真琴(おくさわ まこと)が、基地司令への報告のため透子と志乃を伴って席を立つと、晴香はさっそく身を乗り出し、食いつくように天音に話しかける。


「すごいよ天音、初出撃でいきなり、それも一度に六機も撃墜なんてさ」


「いやあ、まあ四機は志乃さんと共同戦果だから」


頭をかきながら嬉しそうに言う天音に、さらにたたみかける晴香。


「それでそれで、全部で何機になったの?」


「二十九だねぇ」


「おおお、あと一機で大台かあ。すごいなあ。私も負けてらんない」


「晴香はいま何機なの?」


「二十六機だよ。くそぉ、今日はぼうずだったからなあ。私も隊長の前でかっこいいとこ見せたかったなあ」


「そんなこと言ってると、また志乃さんに叱られるよ」


「志乃さんずるいよ、私たちにはあんなこと言っといて、自分は天音といいことしちゃってさ」


「ちょ、変な言い方しないでよ」


「天音はさ、なんで戦闘機乗りになろうと思ったわけ?やっぱりかっこいいから?」


「う~ん、なんでかな。私、山奥で育ったんだけど、小さいときから空はいいなぁって思ってたのはあるかな。とんびなんか見て、あんなふうに飛べたら、もっと遠いところに行けるのになぁ、とかね。そう言う晴香は、どうして飛行機乗りになったの?」


「私?そりゃ私ってば生まれついての天才操縦士だもん。戦闘機乗るしかないでしょ」


「あはは~。すごい自信だね」


「私と出くわした敵はかわいそうなもんよ。もうあっと言う間に全機撃墜だからね。ま、仮に万が一私が討ち漏らしても、後ろにいる薫が残らずきれいに落としてくれるんだけどね」


天音は薫の方に顔を向けた。薫は驚いたように目を見開いたあと、うつむき加減で口を開く。


「私、皆さんみたいにいっぱいすごい機動できないから…。晴香ちゃんが敵を引きつけてくれるから助かるんです」


「薫はね、日本一の射撃の名手なんだよ。狙った獲物はぜったい逃がさないからね。だから私も安心して後ろを任せられるってわけ」


「晴香ちゃん、それ言い過ぎだよ」


「いやいや、謙遜することないって。薫はほんとに天才的なんだから」


「もうやめてってば晴香ちゃん」


天音はどう対応していいのやら、困ったように笑いながら尋ねた。


「それで、薫はどうして飛行機乗りに?」


「兄が航空兵で、それに憧れて私も…」


「そうなんだぁ。なんかいいね、兄妹でって。お兄さんはどこの部隊にいるの?」


「ニューギニアで戦死しました」


「え、あ…、ごめん…」


「いえ。私、今でも兄が自慢だし、それにいつも私を守ってくれてるような気がするんです」


「薫ぅ」


晴香が泣き声を出す。天音も少し胸が詰まるのをごまかすように言う。


「きっとそうだよ。晴香もあんまり薫を困らせるとお兄さんに怒られるんだからね」


晴香はあわてたように目をぎゅっと閉じ、その前で両手をこすり合わせた。


「お兄さん!薫は私がぜったい幸せにします!一生大事にします!だから私のことも守ってください!」


「もう晴香ちゃん!」


薫は真っ赤になって晴香の背中をたたいた。


           ◇   ◇   ◇


 翌日も、晴香と薫の分隊には、真琴と透子が同行した。出撃前から、今日こそはと意気込む晴香のようすに、二人だけで行かせるのは危険だと判断されたのである。当の晴香は、隊長たちと一緒に飛べることを単純に喜んでいた。


 出発からしばらくして、行く手に海が広がり始めたころ、真琴は眼下に二つの機影を発見した。機体をゆすって、後続機に合図する。不思議なもので、全員の操縦席に、一様にピーンと張り詰めた空気が満ちる。周囲を見回しても他に機影はないが、雲が多いので油断はできない。真琴は改めて敵機をつぶさに観察する。このところ増えている、新型の艦載機だ。小回りは効かないが、頑丈な装甲と強力な武装、こちらの倍以上の出力を持つ発動機を備えているので、一撃離脱をかけられると厄介だし、高空での戦闘にも苦労する相手だ。


 今回は幸い、こちらに十分な高度の利がある。若手二人の分隊行動の肩慣らしに、ちょうど良い状況と思われた。真琴は晴香に攻撃の合図を送る。軽く敬礼のポーズを見せてから、晴香はひらりと機を横転させ降下に移った。それに続く薫。真琴は(しっかりね)と二人を見送り、周囲の警戒を続けた。なにも気付いていない敵機に向け、美しい軌跡を描いて接近する二機の一式戦。


 すべて順調と思われたその一瞬、真琴は前方の雲間に新たな機影を認めた。出現した二機の敵は、眼前の目標に集中している晴香たちに向かってまっすぐ降下している。


(まずい)


真琴はすぐさま、敵機と晴香たちの中間点に向かうコースで旋回降下を開始した。ぴたりと続く透子。いやな予感がした。もし敵が熟練者なら、確実に当たる距離まで近づこうとするだろう。それなら逆にありがたく、真琴と透子でしとめることができる。だがもし敵が素人で、早めに射撃を開始したら。まぐれ当りなど、めったにないことはわかっているが、それでも真琴は気持ちが逸るのを感じた。危険を冒してでも、無線で知らせるべきだろうか。


 そのとき、今まさに照星ど真ん中に敵を捕えて舌なめずりしていた晴香の後ろから、いきなり薫が発砲した。晴香の機体をかすめ、あらぬ方向に向かう曳光弾。突然のことに驚いて振り返った晴香は、後上方から接近する敵機に気付いた。


(そういうことか!)


 晴香は目の前の敵をあきらめると、思い切りよく反転した。それを追い越して、そのまま反対方向に大きく旋回する薫。目論見が外れた敵機は、それでもまだ優位な高度差を活かして追撃に移る。速度を失った晴香が、敵の射程距離に入る。照準が合う。その瞬間、くるりと回転して落下する晴香。それによって回復した機速を使って、さらにくるりと回転を繰り返す。あわてて方向を合わせようとした敵一番機の操縦席を、いつの間にか旋回を終えて背後に回っていた薫の銃弾が貫いた。機体を滑らせるように向きを修正した薫は、逃げようとする二番機にも容赦のない一撃を加える。


「ほんとに息ぴったりね」


 目の前で展開された華麗な空中ショーに、途中から手をゆるめて様子を見ていた真琴は満足げにうなずき、晴香たちが取り逃がした最初の獲物に向かって、透子とともに突進していった。


                 <続く>


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