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紅燃ゆ  作者: 黒木和久
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第四話 豊穣の女神

 宮本志乃(みやもと しの)は少し疲れを感じていた。ここ最近、彼女の頭を悩ますことが続いていた。まず、久しぶりの新隊員の編入である。志乃は高坂透子(たかさか とうこ)とともに隊を支える立場にあり、これまで第二分隊の分隊長として、綾野晴香(あやの はるか)遊佐薫(ゆさ かおる)を従えて変則的な三機編隊で行動してきた。そしてこれからは、新入隊員と組んで第三分隊を構成することになる。問題は、代わりに分隊長になる晴香だ。もちろん操縦者としての彼女の能力は申しぶんないが、分隊長に求められるのは戦闘力だけではない。冷静な状況分析と判断力が重要になる。晴香には、少し勘に頼りすぎるところがあって、それが志乃の大きな気がかりになっていた。ふっくらとした志乃のほほに、少し影が差すほどに。


 新しい隊員の方はおとといの午後に着任し、今日このあと、初めて二人一緒に出撃することになっている。すごい二つ名のある人みたいだし、どんな乱暴者が来るのかと不安だったけれど、実際にはとても明るくて気さくな人のようで安心した。鏑木天音(かぶらき あまね)さん。少し晴香と似たタイプかも知れない。良いムードメーカーになってくれそう。腕前の方も、どうやら確かなようだし。なにしろ、あの有名な『緋色の死神』を相手に、四対一で生き延びたというんだから。『緋色の死神』か…。志乃は深くため息をついた。


 志乃は、隊舎の裏に小さな菜園を囲っている。いつものように、朝早くからその手入れに来ていた彼女は、水をやったばかりの匂い立つ土のわきにしゃがんで、きらきら輝く緑や赤の野菜たちを見ながら、新人紹介のあとで聞かされた隊長の話を思い出していた。『緋色の死神』と呼ばれる撃墜王スカーレット・ミードが自分たちの近くに現れたというだけでも大ごとなのに、まさかそれが隊長のお知り合いだったなんて。


 隊長の奥沢真琴(おくさわ まこと)はスカーレットについて簡単ないきさつしか説明しなかったが、言葉の端々から、志乃は二人が単なる友人以上の関係にあったように感じていた。淡々と語る真琴の表情が、かえって志乃にはとても辛そうに見えた。同時に、それを聞いているときの透子のようすも、明らかに普通ではなかった。こんな状態で、新たに出現した底知れぬ脅威と戦って行けるのだろうか。朝から何度目かのため息をつき、志乃は隊長室の窓を見やった。中で真琴と透子が対峙している。


「隊長、お話はよく分かりました。そんなに親密だった相手と戦うことになって、胸中はお察しします。ですが今は敵味方、戦いに集中せねばなりません」


「もちろんわかっています。心配はご無用よ」


「心配するなという方が無理です。隊長はいつもそうだ。私たちのことばかり気にかけて、ご自分を抑えて…。少しは私たちにも頼ってください。たとえお二人の過去にどのような因縁があったとしても、今は私が隊長の二番機です。あなたのことは、私が必ず守り抜いて見せる」


「透子さん…」


「隊長…」


「真琴って呼んで」


ひしっ。かたく抱き合う二人。


「へぇ~、あの二人はそういうご関係なんですか」


「ひぇ!」


 いきなり頭の上から降ってきた声に、志乃はすっとんきょうな悲鳴を上げた。あわてて振り向くと、鏑木天音が志乃の背後の木柵にひじを乗せてほおづえをつき、こちらを見下ろしている。しまった。また声に出ていたらしい。


「か、鏑木さん。いつからそこに?」


「ついさっきですけど、何かブツブツおっしゃってるので、声かけそびれて。食堂に集まれって高坂さんが呼んでます。そうかぁ、あの高坂さんと隊長が。そうかぁ」


「あ、あの、これは、単なる私の推測というか、妄想というか、その」


「晴香と薫も知ってるんですか?」


もう呼び捨てなんだ。志乃は少し驚きながら答える。


「い、いえ。お二人はご存じないと思います」


「あ~わかります。あいつら、そういうのには疎そうですよね」


天音は、とても合点がいったようにうなずいて笑った。


「私、実はちょっと高坂さん苦手かなって思ってたんですけど、なんだか親近感わいてきたなぁ。じゃあ行きましょうか」


そう言って歩き出す天音の背中に、志乃はあわてて声をかける。


「あの、この話、他の人には…」


「大丈夫!こう見えて私、口はかたいんです」


天音は振り向きざまに親指を立て、片目を閉じて見せた。志乃はよけい不安になった。すぐに口を滑らす人間の決まり文句としか思えない。


(今日の出撃で、撃ち落としておこうかしら)


           ◇   ◇   ◇


 新しい編成の初日ということで、出撃時のいつもの打ち合わせとは別に、朝食の前に食堂に全員を集めて隊長から簡単な訓示があった。敵にも自分たちにも状況の変化があったが、変わらず平常心が大切であること、当面は新編成での慣熟を第一とし、むやみな戦闘は避けること。手短にそれだけ話すと、「じゃあいただきましょう」と言って真琴は腰を下ろした。すぐに当番兵が配膳をすませる。米茶碗や汁に隠れるようにして、アルミ盆の端の方に置かれた小皿の上に、志乃の菜園で取れた小さな茄子の漬けものが乗っていた。


 朝食のあと、真琴と透子は基地司令室に向かい、残った四人はそのまま食堂で雑談を続けた。志乃は、改めて自分からも三人にこれからの心がけについて話をしていた。


「分隊は二人でひとつ。完全にあうんの呼吸がつかめるようになるまで、決して無理はしないでください」


「まかせてくださいよ、ね、薫」


「特に晴香さん、はやる気持ちはわかりますが、最初がいちばん大事です。くれぐれも慎重にね」


言われて晴香は頭をかき、ペロッと舌を見せた。


「まあ薫ちゃんがついているから大丈夫とは思いますが。よろしくお願いしますね」


薫が恥ずかしそうにうなずく。わざとらしくふくれ面をして晴香が言う。


「今日は隊長たちも一緒だから、なんかあったら隊長の方に逃げるもん」


「神だのみならぬ隊長だのみだね」と笑う天音。志乃は目を細めて微笑んだ。


「うちの隊長は強いですよ。あれは本当に神わざです。私と透子さんの二人がかりで勝てるかどうか」


「そこまでですか、すごいな」


「それと同等の実力だそうですから、『緋色の死神』とは絶対に少数で戦わないこと、いいですね?」


神妙な面持ちで首をふる三人。が、すぐに晴香が目を輝かせた。


「けどさ、その死神から逃げ切った天音もすごいよね?」


「いやあ、こりゃ無理だ~と思って、落ちても痛くなさそうなとこ必死で探してたんだけどね」


「なるほど、それが生還の秘訣かぁ」


「大事ですね」


そう言って、志乃も笑った。笑うのは久しぶりな気がした。


           ◇   ◇   ◇


 今日の天音は、予備の一式戦に乗っている。彼女が持ってきた四式戦は、まだ修理中だ。主翼桁と外板の補修は終わったが、燃料タンク関連の部品に一式戦と互換性のないものがあって、手配に時間がかかるらしい。出がけに様子を聞きに行った天音は、整備班長にずいぶん文句を言われていた。格納庫前で自分の搭乗する機体を教えられたときの天音の顔は、ちょっとした見ものだった。予備機は各隊に共通なので、尾翼に「紅」は描かれていない。てっきり紅マークの機体に乗れるものと思っていたらしく、天音は目も口も大きく開いて、しばし呆然としていた。志乃は笑いをこらえるのに必死だった。


 基地を出発して三十分ほどしたころ、志乃は異変に気付いた。天音が機体を軽く左右にバンクさせている。何か見つけたらしい。するりと横に来た天音が、行く手の下の方を指さしている。志乃は目をこらした。はるか前方の低高度に、小さく四つの機体が見えた。濃紺の塗装に大きな主翼。爆装した艦載機だ。それなら、陸軍の死神さんが一緒にいる心配はなさそうだ。ひと安心して、さらに周囲を確認する。いた。少し後ろに護衛の戦闘機が四機。他にはいないようだ。志乃は天音の機体に目を戻す。風防の中で、こちらを見ている天音と目が合う。


 さて、どうしましょうか。皆には、絶対に無理をしないよう説いた志乃だが、敵の編成から見るに、あれはどこかを爆撃に行く連中とそのお守りであって、対戦闘機戦を目的とするファイターハンターではない。機種も旧式の艦上戦闘機のようだ。敵はこちらに気付いていないし、高度差も理想的だ。これは、天音の実力を確認するのにちょうど良い機会かも知れない。


 志乃は決心し、まず戦闘機群に向けて二本指を指し、次に爆撃隊の方に指を向ける。うなずく天音。志乃は天音を指さし、その指先をまたゆっくりと敵の方に向ける。ふたたびうなずく天音。志乃はそのまま、手を大きく前後に振った。天音の発動機がひときわ音を高め、機体は軽くロールしながら敵戦闘機に向けきれいに旋回していく。それにぴったりと続く志乃。「お手並み拝見しますね」


 射程圏内に入り、敵の姿がみるみる大きくなるが、速度を調整しつつなおも接近を続ける天音。敵はまだ気付かない。そのまま。そのまま。志乃が「今です!」と思ったのとほぼ同時に、天音が射撃を開始した。曳光弾の輝きがまっすぐ敵一番機の操縦席に向かい、すぐに敵の機首がガクリと下がる。それを見た志乃は、二番機に射線を合わせた。命中。天音はそのまま上昇反転に入り、逆落としの姿勢から三番機に攻撃を加える。まったく同じ機動から志乃の銃弾が四番機を襲う。敵機は編隊をくずす暇さえなく、わずか十秒ほどの間に四機とも操縦者を失って落下し始めた。


 続いて天音は艦上爆撃機に向かう。すでにこちらに気付いた敵は、後部の回転銃座から猛烈な射撃を開始している。天音は巧みに機を回転させ、飛来する敵弾の周りを取り囲むような形で突っ込んでいく。お見事ですね。感心したようにつぶやきながら、志乃もそれに続く。守り手のいなくなった爆撃隊が、必死の逃走むなしく全滅するまでに、五分もかからなかった。


 全機撃墜を確認した志乃は、天音の横に機体を並べた。操縦席の天音が、こちらを見て笑って手を振っている。


「大収穫ですね」


志乃は天音に向かってにっこりと微笑み、帰投の合図を送った。


                 <続く>


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