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「婚約、破棄?」

「そ、そうはっきり言われてしまうと、身も蓋もないと言うか……」


 場所を玄関から今に移して、カトリーナと彼女の父アッシュレイン侯爵、そしてエドガーの三人は三者三葉の表情を浮かべて顔を突き合わせていた。

 カトリーナの母である侯爵夫人は婚約破棄という言葉を聞いた瞬間に卒倒して、今はカトリーナの弟のアーヴィンが付き添っている。

 カトリーナは特に衝撃を受けた様子もなくポカンとしており、アッシュレイン侯爵は蒼白、エドガーはだらだらと冷や汗をかいていた。


(可哀そうに……、現実が受け止められないんだな)


 エドガーはカトリーナのポカンとした表情をちらちらと見やりながら、胃がキリキリしてきた。

 銀髪に紫色の瞳をした、楚々としたという言葉がよく似合う美しい少女。線が細く、肌は日に当たったことがないのかと思うほど白い。いかにも儚そうなカトリーナが、彼女の母親のように卒倒してしまわないか、エドガーは心配でならなかった。

 エドガーはカトリーナに向きなおると、眉を落としながら、けれども強く力説した。


「カトリーナ嬢。勘違いしないでください。今回のことは、決してあなたに責任があるわけではなく、すべてあのろくでなし―――いえいえ、殿下の我儘によるものです。あなたには大変申し訳ないことをしたと思います」


 エドガーは話しながら、心の中でレオンハルトの頭をハンマーでぶん殴り、気絶したところを地中深くに埋めて、その上に大きな岩で蓋をした。そうしてその岩をさんざん蹴飛ばして「あほ王子め!」と叫んだが、溜飲はちっとも下がらなかった。

 確かにあの王太子は、幼いころの事件から非常にひねくれていて、かつ面倒くさい性格になってしまっているが、今回の我儘はやりすぎだ。

 エドガーはぱちぱちと(まばた)きをくり返すだけで何も言わないカトリーナにひどく同情した。

 エドガーはなんとかしてカトリーナを慰めようかと頭を悩ませたが、彼女を慰めるよりも前に、アッシュレイン侯爵がおずおずと口を開いた。


「それで……、婚約破棄は、もう決定事項なのでしょうか?」


 そう疑問に思うのも不思議はない。新聞が出る前にと大慌てでアッシュレイン邸にやってきたエドガーであるが、彼のほかにこの事実を知るものはレオンハルトと新聞記者をおいてほかにおらず、城から正式な婚約破棄を記した書簡が出る前なのである。

 エドガーは非常に気の毒に思いながらも、黙っていても仕方がないと腹を決めた。


「それが……、このことはまだ王の耳には入っていないのですが、その、カトリーナ嬢との婚約破棄が、本日の夕刊に掲載される運びとなっておりまして……」

「―――は?」


 アッシュレインはエドガーの言葉を噛み砕くように、ぱちぱちと目を瞬いたのち、突如くわっと目を剥いた。


「新聞ですって―――⁉」

「まぁ大変」


 アッシュレイン侯爵の絶叫と、ほわわんとしたカトリーナの声が重なる。

 アッシュレイン侯爵は水の中からあげられた魚のように口をパクパクさせ、半分白い頭をかきむしって取り乱した。


「なっ、なっ、なっ!」

「お父様落ちついて」

「これが落ち着いていられるか!」


 アッシュレイン侯爵は一転して顔を真っ赤にすると、エドガーに詰め寄った。


「エドガー殿! どういうことですか! 我がアッシュレイン侯爵家は、なにか王太子殿下のお気に障ることをしたでしょうか⁉ あんまりな仕打ちではないですか⁉ わ、私の娘が何かいたしましたでしょうか⁉ 親の私が言うのもなんですが、こ、こんなに、こんなに気立てのいい娘なのに⁉」

「まあ、お父様ったら」


 絶叫する父の隣で、カトリーナが頬に手を当てて照れている。

 しかしエドガーは、婚約破棄をされたにもかからわらず、今にも憤死しそうな様子の父を見上げて照れているというカトリーナの奇妙な反応には気づかなかった。アッシュレイン侯爵に詰め寄られてそれどころではなかったからだ。

 エドガーはしどろもどろになりながら、


「で、ですから、カトリーナ嬢には全く落ち度はなく、その……」

「落ち度がなかったらなんだと言うのですか!?」

「ですから……」

「だから!?」


 興奮のあまり、アッシュレイン侯爵はエドガーの肩を掴むとがくがくと揺さぶりはじめた。頭が上下に揺れて、軽い脳震盪を起こしそうになったエドガーは慌ててその手から逃げ出すと、ソファの背もたれのうしろに非難して「ええい、ままよ」とばかりに叫ぶ。


「殿下がどこの誰とも知れない女に恋してしまったんです―――!」


 シーン、とアッシュレイン侯爵家の居間に奇妙な沈黙が落ちた。

 息苦しさすら覚える沈黙を破ったのは、「まあぁ」というほやーんとした声だった。


「それなら仕方ありませんわねぇ」


 カトリーナがおっとりとつぶやいたその言葉に、エドガーとアッシュレイン侯爵は二人そろってギョッとした。


「仕方ない⁉」

「何を言っているんだカトリーナ!」


 カトリーナは喉を潤そうと紅茶を探して、そういえばお茶もお出ししていなかったのだわと気づくと、近くで茫然としながらやり取りを見つめていたメイドを呼んで三人分の紅茶を頼む。

 そして、二人に向かってにっこりと微笑んだ。


「だって、恋は稲妻ですもの。突然やってくるものです。仕方がありませんわ」

「こ、恋は……」

「稲妻……?」


 エドガーとアッシュレイン侯爵はポカンとした。

 カトリーナは口を開けたまま硬直している二人を無視して、メイドがいれた紅茶を口に含む。

 ややして、先に我に返ったのはエドガーだった。

 彼は(いぶか)し気にカトリーナを見つめたのち、こう結論づける。


(可哀そうに……、気をつかって無理に明るくふるまってくださっているのだな……!)


 エドガーはカトリーナのそばに膝をつくと、その細い手をぎゅっと握りしめた。


「カトリーナ嬢、この度の殿下の仕打ち、許してくださいとは言いません。しかし、私はあなたの味方です! 困ったときは必ず力になりますから、どうか悲しまないでください!」


 エドガーは他人を(おもんぱか)って気丈にふるまおうとする健気なカトリーナに強く心を打たれた。

 一方カトリーナは―――。


「ありがとうございます?」


 意味がわからないとばかりに、小さく首を傾げたのだった。


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