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城に来てから、数日がたった夜のことだった。
カトリーナが夏用の薄い夜着に身を包み、ベッドにもぐりこんだとき、コンコンと窓ガラスを叩くような音が聞こえてきた。
侍女はみんな下がってしまったから、部屋の中にはカトリーナ一人しかいない。
薄暗い室内の中に、コンコン、コンコンと音が響いて、怖くなったカトリーナは自分の腕を抱きしめると、そろそろとベッドから降りた。
部屋の窓とバルコニーに続く大きなガラス戸はしっかりと施錠されているだ、所詮ガラスだ。叩き割られてしまうとどうしようもない。
音はガラス戸からしているようで、カトリーナは恐る恐る近づくと、そっとカーテンを開ける。
そして、愕然と目を見開いた。
「え―――、レオン!?」
そこにはレオンハルトがいた。
拳をあげてガラス戸を叩く姿勢のまま、レオンハルトが「あけてくれ」と口を動かす。
カトリーナが茫然としながらもガラス戸の鍵を開けると、さも当然のような顔でレオンハルトが部屋の中に入ってきて困惑した。
「レオン……、なにをしているの?」
どうしてこんな夜に、しかもバルコニーから入ってくるのだろう。
しかし、レオンハルトはなぜか顔を赤くしてカトリーナから視線をそらしていて、どうしたのだろうと首を傾げたとき。
「カトリーナ、その……、頼むから上に一枚羽織ってくれ。目のやり場が……」
「え? きゃあ!」
カトリーナは自分を見下ろして、非常に薄い素材の夜着しか身に着けていないことに気がつくと悲鳴を上げた。
カトリーナは慌ててベッドの足元に畳んでおいてあるガウンを夜着の上から羽織る。
カトリーナがしっかりガウンを着こむと、レオンハルトはホッと息を吐きだした。
「そ、それで、レオンはどうして来たの……?」
恥ずかしさからガウンの袷をしっかりと握りしめて、カトリーナがぼそぼそと訊く。
レオンハルトは、そんなカトリーナを愛おしそうに見つめた。
「エドガーに、結婚前の淑女の部屋に、夜に行くとは何事かと文句を言われたから、バルコニーを伝って来たんだ」
「……はい?」
カトリーナはますますわからなくなった。
レオンハルトはもどかし気に髪をかく。
部屋の中は薄暗いが、カーテンを開けたガラス戸から月明かりが差し込んでいて、お互いの表情が見える程度には視界が確保できていた。
おかげて、レオンハルトが照れているような表情を浮かべていることもしっかりとわかって、カトリーナは何を照れているのだろうかと首をひねる。
「その……、せっかく城に来てくれたのに、まともに時間が取れていないだろう?」
「そう、ね」
レオンハルトは忙しいのだ。それはわかっているから、カトリーナは何とも思っていない。しいて言えば少し淋しいが、壁を挟んで隣にレオンハルトがいると思うだけで、ほんわりと心が温かくなるので我慢できた。
「俺はもっとカトリーナのそばにいたいのに、エドガーのやつが仕事仕事って追い立てるから、ちっともゆっくりできない。俺はもっと、カトリーナといちゃいちゃしたい!」
「い、いちゃいちゃ……?」
カトリーナはかーっと頬を染めた。
レオンハルトは、カトリーナをじっと見つめたあと、やおら手を伸ばすと、彼女の頬に触れる。ふにふにと頬の柔らかさを楽しんだあと、感極まったように抱きしめてきた。
「そうだ、いちゃいちゃしたい!」
ぎゅうっと抱きしめられて、カトリーナは戸惑う。
カトリーナもレオンハルトのそばにいたいし、話もしたい。こうして抱きしめてほしいとも思っていた。けれど―――。
(夜は、駄目だと思うの……)
心臓が変に騒めく。
寝静まった夜。二人以外誰もいない部屋。これはいろいろマズい。
おろおろとするカトリーナをよそに、カトリーナにべたべたできてご満悦のレオンハルトは、ちゅっと音を立てて頬に口づけてくる。
レオンハルトはうっとりとカトリーナの瞳を見下ろして、
「今日は一緒に寝たい」
「ええっ?」
「寝るだけだ。何もしない! いや、キスくらいはするかも……、だが、君の醜聞になるようなことは絶対しないぞ! 婚前交渉は絶対ダメだとエドガーに言われているし、その」
正直すぎる。
朝起こしに来た侍女が、隣にレオンハルトが眠っているのを発見したら、何もなくても瞬く間に噂になるだろう。だが、カトリーナも冷静ではないので、そこまでは頭が回らなかった。
「ほ、本当に、何もしない?」
本当はとても困る。でも、カトリーナもレオンハルトともう少し一緒にいたい。
レオンハルトはぱっと顔を輝かせると、うんうんと頷く。
カトリーナはちょっと考え込んだが、持ち前の能天気さで「何もしないって言っているからいいかな」と思うことにした。アリッサが聞いたら顔を真っ赤にして怒るだろうが、ここにアリッサはいない。
だが―――
カトリーナが「いいわよ」と頷いた瞬間、呼吸すら奪う勢いで唇が重ねられて、カトリーナは目を白黒させた。
「んぅーっ、レ、レオン……っ」
くぐもった声で非難するが、レオンハルトは止まるはずもなく。
あっという間にベッドの上に押し倒されていて、カトリーナはパニックになった。
「やっ、だめぇ……! 何もしないって……!」
「ああ、何もしない」
そう言うくせに、レオンハルトはチュッチュッとカトリーナの目じり、頬、首筋にまで口づけを落としていく。
(確かにキスはするかもって言ってたけど、これは違うと思うのーっ)
カトリーナは身の危険を感じて、ずり上がって逃げようとしたが、レオンハルトの力にかなうわけもなく、あっさり組み敷かれてしまった。
「カトリーナ、愛している」
目じりを染めて、うっとりとささやかれれば、カトリーナの体からふにゃりと力がぬける。
レオンハルトはカトリーナの顔にキスの雨を降らせて、耳元に舌を這わせると、さわさわと腰のあたりを撫でてきた。
「うぅー」
「何もしない何もしない」
呪文のようにレオンハルトが繰り返すが、充分なにかしている。
カトリーナが恨めしげにレオンハルトを睨みつけるが、潤んだ瞳で睨んだところで、レオンハルトの目には「愛らしい」としか映らないらしい。噛みつくように口づけられてしまい、まったくの逆効果だった。
「ああ、カトリーナ……、かわいい」
そう言って頬ずりしてくるのだから、カトリーナも拒めない。
レオンハルトもさすがにこれ以上はまずいと感じたのか、カトリーナの横にごろんと寝転がると、彼女のしなやかな肢体に腕を回して抱きしめる。
「おやすみ、カトリーナ」
ぎゅっと抱きこまれて、ポンポンとあやすように頭を撫でられると、少し怒っていたことなんてすぐに忘れてしまうほど心地よかった。
「落ち着いたら、デートしような」
そんなことを言われたら、にやけてしまう。
「おやすみなさい、レオン」
カトリーナはレオンハルトの胸に顔をうずめて、聞こえてくる心臓の音を子守歌に、目を閉じた。
翌朝、エドガーにこのことがばれてレオンハルトはこっぴどく怒られる羽目になったのだが、全然反省していないレオンハルトは、数日後同じようにカトリーナの部屋を訪れたのだった。




