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カトリーナは薄暗い室内で、何度目かのため息をついた。
窓はあるがカーテンが引かれていて、不用意に開くと咎められるのではないかと躊躇われる。
馬車が襲われ、この部屋に連れてこられてから、それほど時間はたっていないだろうが、カトリーナはもう何時間も閉じ込められている気がしていた。
粗末な部屋ではない。
ベッドと木製の小さなテーブル、それと対になる一人がけの木の椅子があるくらいで、特に珍しいものは何もない部屋だが、それらの調度品が高級な品であることは作りを見ればすぐにわかる。
部屋も広く、クリーム色の絨毯は厚手で、触れると手に気持ちいい。
連れてこられるときに目隠しをされたため、ここがどこなのかはちっともわからなかったが、それなりに裕福な家であることは間違いなかった。
そのため、身代金目的で誘拐されたのではないかというカトリーナの憶測はすぐに可能性の外に追いやられる。
(お金以外に、わたしを誘拐して得をすること……? お父様を失脚させたいのかしら?)
父であるアッシュレイン侯爵は国の重臣だ。国王も信頼していると聞く。そのため政敵もそれなりにいるであろうことは、政治に疎いカトリーナでも優に想像できた。
すると、カトリーナを誘拐したのはどこかの貴族だろうか?
攫われるときに馬車を使ったが、それほど長い距離は移動していない。もし貴族だとすれば、アッシュレイン領に近いところに領地を持っているか、別宅を持っている貴族のはずだ。
(困ったわ……、どうしましょう?)
そう思いながらも、カトリーナは冷静さを欠いてはいなかった。なぜなら彼女は、過去に二度ほど同じように誘拐されてことがあるからだ。その時はどちらも身代金目的で、粗末な木の小屋や倉庫に手足を縛られて転がされた。それを思えば、上等な部屋の一室に閉じ込められている今の方が、状況的にはましだと言える。
カトリーナはベッドの淵に腰を下ろして、その上に無造作に投げ出されている紙袋に触れた。
誘拐されるときもしっかりと手に持っていた紙袋は、中身が毛糸だったために取り上げられなかった。
カトリーナは紙袋から毛糸を取り出すと、これを編んで縄にして逃げ出せないかと考えた。だが、柔らかい毛糸が人の体重を支えられるとは到底思えず、すぐに諦める。
何とか父の耳に入る前に抜け出したかった。娘に甘い侯爵は、カトリーナが誘拐されたと聞けば間違いなく恐慌状態になる。過去二回誘拐されたときも、カトリーナが救出されたのち、彼女を抱きしめて大泣きしたのだ。仕事よりも家族を優先させる情の深い父親は、誘拐犯に出された要求を飲みかねない。
世間体をひどく気にする母クラリスは、ショックのあまりまた卒倒するだろう。あの人は気絶するのが癖になっているのではないかと、カトリーナはたまに心配になる。そして、クラリスに「あなたの軽率な行動が我が侯爵家にどれほど迷惑をかけるか―――」と説教をされるのは目に見えているので、ずんと気分が重くなった。
なんとしても、両親に知られる前に逃げ出さなくては。しかし、いったいどうすれば―――?
きっとアリッサが助けを求めてくれるはずだが、探し出すのには時間がかかるだろう。馬車が襲われたのは邸に帰る途中の山間の道で、目撃者はいないだろうから。
「困ったわ……」
カトリーナはうしろ向きにベッドに倒れこんだ。
ベッドはふかふかで、弾力もあり、カトリーナの軽い体が三回ほど軽く跳ねる。
蔦草模様の天井を睨んでみたが、いい案は一つも思い浮かばない。
カトリーナが「うーん」とうなって寝返りを打ったときだった。
扉の外が何やら騒がしくなり、カトリーナはハッとして耳をそばだてた。
扉の外に見張りが立っているのはなんとなくわかっていたが、漏れ聞こえてくる声を聞く限り、誰か予期せぬ人物が来たようだ。
お下がりください、とか、あなた様がお気になさる必要はございません、とか焦った声が聞こえてくるあまり、扉の外にやってきたのはそれなりに身分のある人物のようだ。
カトリーナはここで声を張り上げれば、外にいる誰が助けてくれるかもしれないと思ったが、もしもその誰かが味方でなかった場合の危険性を考えて、まだ様子を見ることにした。誘拐犯たちと顔見知りのところを考えると、あまり楽観視はできそうにない。
カトリーナはベッドから起き上がると、じっと扉を凝視する。
やがて扉の外の声は小さくなり、ガチャリと音を立てて部屋の扉が開いた。
「カトリーナ……」
困ったような、そして少し泣きそうな表情を浮かべている彼を見た途端、カトリーナは息を呑んで、大きく目を見開いた。




