1
ガタン―――
王都を出ると、舗装されていない道が続く。
ガタガタと揺れる馬車の中で、カトリーナは不貞腐れていた。
カトリーナの真向かいに座っているアリッサは、風船のように頬を膨らませているカトリーナにこっそりとため息をつくと、馬車の帳に手をかける。
「お嬢様、もう帳をあげても大丈夫ですわ」
勤めて明るく言って、アリッサが馬車の帳をあげると、小さな窓の外に広がる一面の田畑の緑が太陽の光を浴びて青々と輝いている。
だが、カトリーナは窓の外にはちらりと一瞥を投げただけで、頬を膨らませて拗ねたまま、馬車の座席にごろんと横になった。
いつもなら行儀が悪いと注意するアリッサも、今回は多少なりともカトリーナに同情しているので黙っている。
カトリーナは座席の天鵞絨に頬をぴったりとくっつけて、昨日のことを思い出していた。
※ ※ ※
「お母様、今、なんておっしゃったの?」
突然カトリーナの部屋にやってきた母―――クラリスは、厳しい表情を浮かべてこう告げた。
「しばらく、カントリーハウスにお行きなさい。ほとぼりが冷めるまでこちらに戻ってきてはいけません」
「いやよ!」
カトリーナは間髪入れずに返答した。
王太子に婚約破棄されて、大手を振って自由恋愛を楽しめると思っていたのに、なぜ山とブドウ畑ばかりがひろがる領地に引っ込まないといけないのだ。せめてあと少しのシーズンが終わるまでは王都にいて、初恋の少年との再会を夢見ながらダンスパーティーに明け暮れたい。もちろん、顔を隠さなければいけないので、仮面舞踏会くらいしか行けないけれど、それでも婚約していた期間に時間を無駄にした分だけ楽しみたいのに。
カトリーナはいやいやと首を振るが、クラリスは片眉を跳ね上げてこう言った。
「あなた、王太子殿下に婚約破棄されたと言うことがどれだけ重大なことなのかわかっているの?」
わかっているのかと言われたら、あまりわかっていない。
なぜならカトリーナは王太子に好意は持っていなかったし、婚約したときも、顔見せすらなく、一方的に肖像画が送られてきてとんとん拍子に進んだのだ。
むしろ、婚約破棄されて万々歳なのに、そんなに青筋を立てて、この世の終わりのように言わなくてもいいではないか。
「あなたがいつまでも恋愛小説ばかり読んで、妄想ばっかりしているから愛想をつかされてしまうのよ。まったく、それもこれも、あの人があなたに甘いから……!」
あの人、とはカトリーナの父でクラリスの夫である侯爵のことだ。
確かに父は昔からカトリーナに甘くて、母は常にそのことに対して小言を言っていた。
クラリスは額をおさえると、よろよろとソファに体を沈めた。
「とにかく、これ以上わたくしを煩わせないでちょうだい。アーヴィンもこれから大事なときなのに……。とにかく、あなたはしばらくカントリーハウスでおとなしくしていてちょうだい。今回のことが落ち着いたあとに、あなたのことをどうするかは改めて考えます」
クラリスは決定事項としてそう告げると、カトリーナの言い分も聞かずにさっさと部屋を出て行ったのだった。
※ ※ ※
「お母様ったら、あんまりだわ……!」
思い出したことで腹が立ってきたカトリーナは、馬車の座席をバシバシと叩いた。
クラリスが部屋を出て行ったのと入れ替わりに父がやってきたが、今回のことで父もさんざん妻のヒステリーを浴びたのだろう。ぐったりとした様子でやってきて、カトリーナにただただ「すまん」と謝っていた。
(落ち着いたら迎えに行ってやるってお父様は言ってくれたけど、お母様のあの様子じゃあ、しばらく落ち着きそうにないわね)
母のあの様子では、ほとぼりが冷めたころに、カトリーナの意思もなく勝手に婚約を決めてきそうだが、それについては父がなんとか止めてくれると約束してくれたから、まあ良しとしよう。
カトリーナは体を起こすと、アリッサが保温ポットからカップに注いで差し出してくれたカモミールティーに口をつけながら、ぼんやりと窓外に視線をやった。
王都を出て少しすると、山と田畑に囲まれた道ばかりが続く。
アッシュレイン侯爵家が管理する領地は王都より北にある、水と空気の綺麗なところだ。ワインが名産で、高台にある大きな風車が有名なことくらいで、あとは何もない田舎だが、カトリーナはカントリーハウスが嫌いなわけではない。
夏でも比較的涼しく、のどかな領地は、カトリーナの心を落ち着けてくれるし、母へのせめてもの反抗に、邸にあった恋愛小説を馬車に積めるだけ持って来たので、ひたすら本を読んで妄想に浸れて、それはそれで楽しいだろう。
小説の中のような素敵な恋愛は期待できないだろうが、口うるさい母もいないし、そういう意味では悪くはない。
「ねえアリッサ。エドガー様は本当にわたしの初恋の王子様を見つけてきてくれるのかしら?」
「……お嬢様、何度も申し上げましたが、金髪と青い瞳だけで絞り込めるなら、お嬢様はすでにその方と再会しているはずです」
「そうよねぇ……」
はあ、とカトリーナはため息をついた。
カトリーナ自身が探し回れない今、エドガーだけが頼りなのだが、アリッサが言う通りさすがに無理があるだろう。
「別にね、アリッサ。初恋の王子様にはそりゃあ会いたいけど、彼じゃないといやっていうほどこだわっているわけでもないのよ? ただわたしは、どきどきするような恋愛をしてみたいの」
「気持ちはわかりますけど、お嬢様の大好きな恋愛小説のような恋愛は、そう簡単に転がっているものではありませんよ」
「夢がなさすぎるわ、アリッサ」
「お嬢様が夢を見すぎなんですよ」
「そうかしら?」
カトリーナはからになったカップをアリッサに返して、背もたれに体重をかけると目を閉じた。
「少し休むわ。まだ、先は長いんですもの」
カントリーハウスまでは、休憩をはさみながら三日かかる。
アリッサが帳を下ろして薄暗くなった馬車の中で、カトリーナは幼いころにたった一度だけ出会った少年の姿を思い描いた。
残念ながら、カトリーナが幼かったこともあり、顔立ちまでははっきりとは覚えていない。
ただ、ブランコから落ちたカトリーナを抱き留めて、言った彼の一言だけは鮮明に覚えている。
―――天使が落ちてきたのかと思ったよ。
彼は優しく微笑んで、幼いカトリーナの頭を撫でてくれたのだ。




