六畳一間の親子劇
もとは忘年会なんかの出し物に使うようなショートコント用の台本として制作したもの。
小説作品として物語への没入を阻害する為、舞台設定のみ書いてあり、演出用のト書きなどは省略。
牧歌的な日常系ショートショートにも見えなくはないか。
六畳一間が二間続きの安アパートに親子が一組。
おかあちゃん(さえこ)と娘のみちる。
おかあちゃん、隣の部屋から顔をだして娘に話しかける。
娘は椅子に体育座りをしながら机の液タブに向かってマンガを描いている。
「あんなぁ、みちる。おかあちゃん、ちょお話あんねんけど」
「えぇ?なにぃ?なによぉ、いそぎの話?」
「いそぎいう訳でもないねんけどな・・・」
「ほーなん?まぁでもここはすぐ終わるからちょっと待ってて」
「うん」
少ししてふすまをあけて隣の部屋から出てくる娘、みちる。
「ゴメン、おかあちゃん。さっきなんやったん?」
「ちょっとそこ座り」
「・・・うん」
「あんな、おかあちゃん、別にみちるが男同士でぬるぬるでエライことするマンガばっかり描いててもなんも思わへんよ。それでおまんま食えんねやったら立派やし好きにしたらええと思うねん」
「・・・・・・うん」
「でもな。一緒に暮らすんやったら普通の生活を送って欲しいんよ。べつに毎朝6時に起きろとかそういうこと言うてんのとちゃうねん。ただ、常識の範囲で普通って意味で言うてんねん。それは分かるな?」
「・・・うん」
「あんな、ハッキリ言うとな・・・・・・・・。あんたメチャメチャ臭いで」
「・・・・・・うそやん」
「うそやんやあらへんよ。あんたそのジャージ何日着てるのよ」
「何日やったやろ、ひい、ふう、みい。よう知らんけどたぶん三週間くらいとちがうかな」
「三週間?・・・三週間はヤバイやろ。近づくとちょっと目にくるんよ」
「いやーないわ。その言い方はないて。二十四、五の乙女に向かって目にくるはさすがにあかんよ」
「乙女がそないなニオイさすわけないやん。そんなニオイさしといて乙女名乗るほうがアカンと思うねやんか。そんなんやったら、おかあちゃん余所でなんぼでも乙女名乗ってるよ」
「ホンマに?そらキツいな」
「せやろ?せやから言うとんねん」
「ええ・・・、でもシャワーはちゃんと浴びてるよ。下着も換えてるし」
「そこまでやって、なんで汚いジャージまた着るのよ。キレイなのだしたらええやないの」
「ちゃうねん。このクタパンが楽やねん。それに上下の長袖みたいなん他に持ってないし」
「つべこべ言わんと早よぉ脱ぎなさいよ。裾も袖も汚れて、アンタこれ白いところ黒なってるやないの」
「きゃあ~~~やめて~~~~スケベされる~~~」
「スケベなんはあんたの描くマンガだけで十分やわ」
「うぅぅ、すっぽんぽんにされてしもた」
「なんで下にTシャツ着て無いのよ。もう・・・。おかあちゃんの貸したろか?」
「びろびろに伸びてるのやろ?要らんて。何か出してくるわ」
「はよしぃ。アンタが洗うんやで。このクッサイじゃーじ」
「そんなん洗濯機入れたらええやん?」
「何言うてんのよ。まずは手で揉み洗いせんと汚れなんて落ちるわけないやん」
「嘘やん」
「洗面所に洗剤いれたお湯張ったから、自分でやりいや」
「しゃーないな。・・・お~し!やったるか~~~!!」
ジャバジャバジャバジャバ
・・・・・・
・・・
・
「なー、おかあちゃん」
「なあに?」
「全然泡立たへんのやけど・・・」
「当り前やん。そないにばっちいジャージで泡立つんやったら洗剤作った人もノーベル賞もらえるんとちがうかな」
「さすがにそんなひどないと思うねやんか・・・。え、ホントにこういうもんなん?」
「そんなガンジス川みたいな色の水作ってよう言えたなそんなこと。ほら、水こぼして新しいお湯はらんと」
ゴポゴポゴポ・・・・
「あたしもしかしたら良い出汁とれるんちゃうかな。これもこぼさんと瓶に詰めたら誰か買うてくれへんかな」
「そんなん出汁と違うわ。アサリが砂吐いた水みたいなものよ。誰が料理に使うのよ。アホなこといわんときい」
「えー、でも、それやったらあたし、砂吐いた今が食べゴロやん」
「それやったらあんたも、おかあちゃんにそのへんで無駄撃ちしてゴミ箱孕ましてるニイチャン引っかけてくるくらいのガッツみせてほしいわ」
「あんさん無茶苦茶言いますやん」
ジャバジャバジャバジャバ
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・
・・・
「なー、おかあちゃん」
「なあに?」
「やっと紅茶華伝くらいにはなってきたわ」
「どれえ・・・?あんたこれストレートティーかと思ったらロイヤルミルクティーの色やん」
「今、下の方洗ってんねん」
「下の方もえげつないヨゴレついとったやんなぁ」
「乙女のジャージにはいろいろあんねん」
「おかあちゃん、あんたが乙女名乗るんはまだ許してないよ」
ジャバジャバジャバジャバ
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・
・・・
「なー、おかあちゃん」
「なあに?」
「もう腕パンパンなってきてんねんけど、まだぁ?」
「どれえ・・・。あーレモンティーくらいの色にはなってきたな。ほんならそれ念入りにすすいで漂白剤つけときい」
「え、大丈夫なん?色落ちとか・・・」
「いまの漂白剤は柄もんもイケる奴が結構あるんやで」
「どれかな・・・。ホンマや。あるやん」
「それで1時間くらい漬けたら、洗濯機で二度洗いしてしまいやな」
「こんな大変とは思わんかったわ」
「アンタが汚れため込むからやわ。こまめに洗わんと余計に手間がかかってくるやん」
「せやなぁ」
「手え洗ったらこっちきいや。レモンティー用意しとるから」
「なんでやねん。もっとほかにあったやろ」
「しゃーないやん。ちょっと古なってきた奴があってん。文句言わんといて」
「ほなしゃーないな」
「せやろ」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「なー、おかあちゃん」
「なあに?」
「あたしもそろそろ乙女になったかな」
「アホなこといいなや。アンタが乙女になるには覚える事がぎょうさんあんねんで」
「乙女って大変なんやなぁ」
「おかあちゃんも苦労したもんやわ」
「なー、おかあちゃん」
「なあに?」
「あんな・・・・、ううん。よろしくな」
「・・・・かまへんで」
(暗転)
ー(了)ー
終盤に再登場する乙女というキーワードは序盤のそれとは違い、明らかに「一人前の女」のメタファーとして発言されているようです。
劇に挑む際にはそのニュアンスを上手く表現できないとオチに持ってくるのは難しいかも知れません。
シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『第二の性』ではないですけれどこの親子はどうも乙女になる、という技能の習得や通過儀礼による手続き論的な価値観を共有しているようですね。
筆者個人的には「オトナになる」というのは責任の自覚によって為されると考えていたので、どこをどうやってこういう文章が成立したのか書いている最中は疑問に思っていたのですが、いまこうしてみるとこの親子の考える「乙女=一人前の女性像」と筆者個人の考える「オトナ像」は一致する概念ではないからであろうという結論に達しました。