09 宿の一室で二人きり。何もおこらないはずもなく
異世界生活初日の夜――――
「……一部屋しか取らなかったんかえ?」
「二部屋も借りたら勿体ないだろ。倍かかるんだよ倍。俺が床に寝れば良いだけなんだし」
この世界のベッドが硬いと判明した時点で、そう決めていた。
金は幾らあってもいい。決して困らない。節約出来るのなら絶対にすべきだ。貧乏探偵歴6年の俺が言うんだから間違いない。
「仮にも男と女なのじゃぞ? 全く困ったものじゃな、貞操観念がなさ過ぎるぞい」
「いや、もうそういう対象にならないの自覚しようよ……いつまでも若い心持ちでいるのは立派だけどさ」
リノさんの顔立ちから察するに、若い頃は可愛い女の子だったんだろう。美人ってよりは可愛い系だろうな。年齢を重ねても上品な可愛らしさってのは消えないもんだ。
「それに、一部屋の方がいちいち行き来しなくていいだろう? これから作戦会議なんだし」
「全く、陛下の人望を確かめるなど、無礼な真似をさせおって……」
リノさんはどうやら亡くなった元国王を慕っていたみたいだ。既に王位は継承されているのに被害者を『陛下』と呼んでいるのがその証。
そして、支持していたのは彼女だけじゃない。夕方まで城下町を練り歩いて聞き取り調査を行った結果、実に80%以上の市民が元国王に好意的だった。支持率80%なんて日本の内閣総理大臣じゃまず無理だな。まあ本来の比較対象は天皇陛下なんだけど。
国民の声を聞く限り、元国王は人柄が良く、租税もかなり抑えていたらしい。それでいて治安も悪くないし、確かに支持率80%も納得だ。
そんな元国王の死は、依頼人の現国王が遺体を発見してから3日後、今から9日前に発表された。国葬は当然国をあげて行われ、皆悲しみに暮れたという。俺は平成生まれだから大喪の礼をリアルタイムで見た事はないけど、恐らく沢山の涙が流れた事だろう。
けれど、これだけ支持率が高いって事は、反体制派は忸怩たる思いをしていたって訳だ。そういう連中の仕業って可能性がかなり高くなった。
「リノさん。王家は反体制勢力の存在を把握してるんだよね? どういう連中なのかわかる?」
「無論じゃ。小さい組織を除けば、二つの組織が明確な敵意を表明しておる」
二つか……まあ国王暗殺を企てて実行するなんて、小さな組織じゃまず無理だろう。取り敢えずどっちかに絞っても良さそうだ。
「一つは、言霊のデータを王家が把握している事に激怒し、自分達が具現化実績を管理するといきり立っている連中じゃな。『ジェネシス』と名乗っておる」
旧約聖書の冒頭か。勿論、俺の知識の中から出た単語なんだけど。要はそういう意味のこっちの言葉を用いた名前って訳だな。中二病集団臭いな。
「もう一つは、『この世界の全ての女性は肉感的であるべき』という宗教に狂った連中じゃ。『痩せ細った女は究極の自己満足である』『胸の谷間を見せるのは義務』『太股は顔面より太くあれ』の三大原則を掲げ、現在の王政では少子化の一途だと訴えておる馬鹿者どもじゃな。『エロイカ教』と名乗っとる」
「……へ? それがこの国を代表するテロ組織なの?」
「そうじゃ。奴らの操る言霊は強力で、軍も手を焼いておる」
そういえば聞いた事がある。あらゆる発想や発明は、食欲や性欲といった衝動が原動力になっていると。だからなのか、著名な芸術家には意外と異性関係ガバガバな人が多いらしい。
にしても、なんか急に変なの来たな……そんな連中を怪しまなきゃいけないのか。事情聴取したくねぇ……
「そのどっちかの勢力にテレポートが使える奴っていたりする?」
「奴らは申請義務を怠っとるから、正確にはわからんの。じゃが、恐らくおるじゃろう」
マジか……となると、嫌でも接触は避けられないな。
だとしたら、今の俺では明らかに荷が重い。言霊で自分の身を守れるようにしておかないと。リノさんに助けられてるようじゃ足手まといにしかならない。
「方針が固まりました。その連中に話を聞く前に、明日は俺の特訓に付き合って下さい」
「特訓? 言霊のかえ?」
「ええ。不本意ですが、武力派の探偵を目指します」
出来れば拳銃を武器に犯人とドンパチ繰り広げる正統派の探偵を目指したかったんだけど、この世界には多分ないだろう。仮にあったとしても、所持と使用が合法とは限らないし、そもそも扱えるようになるまで時間がかかる。
だったら言霊を使いこなせるようになる方が都合が良い。
「それじゃ今日はここまで。寝よっか」
「その前に、あーしに質問をさせてくれんかの」
「勿論。なんですか?」
そう言って、暫く――――間。
何か聞き辛い質問なんだろうか。
「あーしは其方をどう呼べばよかろうか」
「え? そんな事?」
「大事なことじゃろうが。あーしは其方より遥かに年上じゃが、其方は陛下とその御子の客人と聞いておる。対等という訳にはいかんじゃろう」
御子……多分現国王の事か。なんかちょっと違う気もするけど、俺の中で彼は『王子』と呼ぶ気にはなれないらしい。
「対等で良いよ。助手なんだから。助手ってのは相棒だ。気を遣われるのは嬉しくない」
「む……ならばどう呼べばよい?」
「孫を呼ぶようにトイと呼んでくれればいいよ」
「……そこまでは離れておらんと思うんじゃが」
いやいや、こっちも子供ほど近いとは思えないって。40以上離れてるだろうし。
「そもそも、何故あーしなのじゃ。理由は聞いたが、今日のように歩き回るのなら経験の豊富さより体力じゃろう。それに、どうせ連れて歩くのなら若いオナゴの方が気分も良いじゃろうに」
「別に。俺、そこまで性欲強くないし。恋や愛にもあんまり関心ない」
「……まだ枯れるような歳でもないじゃろ?」
「昔、ちょっとね」
別に手痛い恋愛を経験した訳じゃない。ただ、何度も何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も浮気だの不倫だのを調査してきたから、男女の関係性に嫌気が差しているだけだ。
そりゃ、中にはいるだろう。純粋に惹かれ合って、その時の気持ちをそのまま持ち続けて、多少形は変わってもお互い愛情を抱いたまま子育てをして、幸せに添い遂げる人達も。
でも、自分がそうなるビジョンは全く見えない。仮に見えたとしても、それはきっと願望が見せた幻だ。
人の心はロジックでは支配出来ない。それでも、愛情でもどうにもならない事だって幾らでもあるんだ。
「悲しい顔をしておるの」
ベッドの上から、リノさんは少し困ったように小皺を深くした。
「思い出したくない事を思い出させてしまったようじゃ。済まぬな」
「いえいえ。それと、そういう所です」
「何がじゃ?」
「俺が貴女を選んだ理由は」
年寄りだからといって、人格者とは限らない。丸くなるなんてのは単なる先入観。寧ろ人間は老いる事で易怒性を増したり感情表現が激しくなったり、嫌な面が強調されたりするものだ。
それならそれで、どうにでも出来る自信はあった。
でも、この人は優しいに違いないと予想していた。
顔つきも温和だけど、それよりも水晶を抱えて王室に入ってきた時の並び。
老体でありながら、先頭でも最後尾でもなかった。
水晶を運び歩く順番まで国王が指示している訳がない。あんな重い物を抱えながら、それでも彼女は前後の速度に合わせなきゃ行けないポジションにいた。
「トイ。其方は……」
初めてリノさんが俺の名を呼んだ。
その嗄れた声は何処か懐かしくもあった。
「勿体振って意味深に物事を言う悪い癖があるようじゃな。ハッキリ物を言わん男は異性からも同性からも嫌われるから気を付けい」
「……はい」
躊躇なく説教してくる、この感じも。