82 真相究明のその先へ
ヴァンズ国王――――当時はまだ王子の立場だったが、それでも彼にとって重要だったのは、この国の安寧だった。それは父親からも散々言われ続けてきた事でもあったという。
『言霊は使い方次第では非常に危険な力だが、かなり管理しやすいところまで持って来られた。お前にはより健全・堅実な管理方法を模索して欲しい。それがエルリロッド国の平和、そして国民の安全に繋がるのだからな』
口癖のように、ジョルジュ前国王はそう話していたという。その願いが根本にあったからこそ、彼は国民から慕われていた。
だが次第にジョルジュ前国王は人格を崩壊させていった。そして彼は殺されてしまった。恐らくは妻――――ヴァンズ国王の母に。
この事実をありのまま、嘘をつかずに国民へ伝えれば、これまでの王家に対する信頼は瞬く間に地に落ちる。王族として、これまで国を治めてきたエルリロッド家の末裔として、それだけは絶対に許されない。
では何処までが、ヴァンズ国王にとって許容範囲となるのか。
被害者はどうしようもない。ジョルジュ前国王を蘇らせる事は出来ないし、彼の死を隠し続ける事も不可能。国賓との会合などの重要な公務をいつまでも欠席するようでは、エルリロッド国の名を汚す事になるだろう。
だが死因はそのまま発表は出来ない。身内に、それも妻に殺されたなど決して公には出来ない。自分の信念を曲げてでも、この事実は伏せなければならない。
「母上が自らの犯行を公にする事は絶対にない。理由は余と同じだ。何百年もの歳月をかけ積み上げてきたエルリロッド家の信頼、そして国民を混乱と混沌の渦に巻き込んではならないという責任。詭弁と言われようと、責任転嫁と罵られようと、ここは絶対に曲げられぬ」
彼等の王族としての矜持と使命について、俺がどうこう言うつもりはない。ましてこの世界、この国において贖罪や罪の概念がどうなのかも知らない。よって、彼の告白に口を挟む理由はない。
「無論、憑かれた悪魔に殺された……等というのは論外だ。故に余は独自に動いた。当初は病死と発表するのが最も適切と考え、その算段を練った。近年は引きこもりで余り表に出ていなかったのだから、真実味は十分にある。だが余は、全ての城勤めの者を信じる事が出来なかった」
毒死と診断した医者、国王が病気との噂を一切耳にしなかった従者や兵士達……彼等が一人でも外部に漏らせば、そこから瓦解する可能性がある。ヴァンズ国王はそれを恐れたんだ。
「次善策、などと言えるものではないが、余は決断を下した。リノに全て被って貰うと」
「……」
無念そうに語る国王を、リノさんはずっと変わらない眼で見ている。恨みなど一切ないんだろう。
リノさんが以前、俺に真相と称して白状した事――――彼女が犯人で、ヴァンズ国王が協力者だったという話は当然、嘘だった。ただ、この嘘には幾つもの『王家に仕える者としては不適切な証言』が含まれていた。
まず、ヴァンズ国王が共犯者だと認める証言。彼女はまず何を差し置いてでも現国王たる彼を守らなくてはならない。でも、敢えて共犯者という中途半端なポジションに彼を据えた。これは庇った内には入らない。
そして『エミーラ王太后の犯行に見せかけようとした』という証言に至っては言語道断だ。王族に対する裏切りだけではない。俺に『エミーラ王太后が犯人かもしれない』という可能性を想起・熟考させるきっかけになり得る。事実、今こうしてその推理に至った訳だし。
リノさんの立場なら、本当は『全部自分がやった。国王も王太后も一切関係ない』と証言しなくてはならない筈だ。例え整合性がとれていなくても。
でも違った。なら理由は一つしかない。彼女の意思じゃなく、彼女に命じた人間がいる。それは当然――――ヴァンズ国王だ。
「リノはこの世界の外への転移の可能とする言霊が使用出来る。元々リノはこの世界の住民ではなかった。よって、全てリノの犯行という事にして、元の世界に戻って貰う事にしたのだ。幸か不幸か、リノは父から苦痛を受けていた事は城内の人間の大半が知っていたからな。犯行動機は十分だった」
「リノさん。間違いない?」
「……うん」
やはり彼女の語った嘘の真相は、全部が全部妄言って訳じゃなかった。寧ろ多くは事実を少し変えただけだったんだろう。
「だが予想外にも、言霊が行使されたにも拘わらず、リノはこの世界に留まり、貴公が召喚されるだけに留まった。そこからは時間との勝負もあり、正直妙案とまでは言えなかったが……」
「リノさんが被る役割を、俺にシフトさせた訳ですか」
「余としても、見ず知らずの貴公の方が被せやすかったからな」
迷惑な話だ。とはいえ、一度転移に失敗したリノさんにもう一度……とはならないだろう。俺が犯人役に選ばれたのは自然だ。
「この世界には以前、貴公のように探偵と名乗る人物が訪れていて、その人物の功績によって探偵は伝説となっていた。しかしリノが言うには、探偵とはそこまで優れた存在ではないとの事。なら、その名声と実態を利用しようと思い、リノと交換でこの世界に来る人間を探偵にしたのだ」
「当初の予定では、リノさんが犯人であると推理させ、それを公表する際の説得力とすべく俺を召喚したんですね」
「そうだ。しかしリノが残った以上、それは叶わぬ。よって今度は、貴公を一定期間泳がせ、貴公が容疑者であると城下町の人間に印象付かせ、罪を被って貰おうと画策したのだ」
……トリックなんて何もない。ただの策だ。
でもそれは逃れようもない、極めて厄介な策だった。もしマヤがいなかったら、俺は彼の目論見通り、国王殺しの凶悪犯として永久にこの国の国民から恨まれ続けていただろう。
「リノさんに俺の前で嘘の自白をさせたのも、俺をハメる為の一手だったんですか?」
「保険だ。貴公が脱獄する事は流石に想定になかったが、もし途中で推理を投げ出すようなら、貴公を城におびき出すよう命じていた。その方法はリノに任せてな。貴公と行動を共にしていたリノの方が、良い案を思いつくと思ったのだ」
成程な……そういう事か。
「王太后の犯行と見せかけ、国王と共に殺人事件を犯した――――と証言すれば、俺は当然その裏を取りに城に行く。危険を冒したでも。そこまで読んでの事だったって訳か。やるねリノさん」
「……ごめん、トイ」
「謝るなよ。リノさんの立場上、最高の仕事だよ」
そして何より、俺の事を熟知しているからこその虚言内容。悪い気はしないよ。騙されるのには慣れてるしな。
「だが既に貴公は余の思惑を読み切っていた訳か。城に赴くのではなく、余をおびき出すとはな……まさかエロイカ教の資金に手を出しているとは夢にも思わなかったぞ」
「そこは、俺が脱獄した時点でマヤと組んでいると想定すれば、自然と読めただろうに。俺をハメた罪悪感が邪魔したんじゃないですか?」
「買い被りだ。余はそこまで頭の回る人間ではない」
「でも、俺を最後まで殺そうとせず、元の世界に還そうとした貴方は、人としては尊敬に値しますよ。王としては甘いとも言えますが」
そしてその甘さが……“あの男”を増長させた。
「甘いと言われれば、そうかも知れぬ。余は正直、貴公の一度目の推理を聞いた時点で気持ちが揺らいだ。病死は病死でも、若くして痴呆になるという病気……そして、それによる毒の誤飲……無論、滑稽な死として嘲笑の対象にはなろうが、事件を丸く収めるにはわるくない結末だと納得してしまった。歴代の王の中でも随一の実績をあげた父の最期が無様というだけなら、国民に一時失望はさせてもエルリロッド家への冷視には繋がらないのではないか……と思い悩んだ」
そこは正直微妙なところだ。素晴らしい実績を残した王だからこそ、その失望も大きなものになる。求心力の低下に繋がるかもしれない。でも優れた実績に敬意を表し、失望はしても信頼の失墜まではいかないかもしれない。国民の心情がどっちに傾くかは半々といったところだ。
それでも俺は、後者に傾くと判断した。それは現国王の人となりを見ての判断だ。彼が愚王なら難しかったかもしれないが、前国王のちょっと残念な死くらいなら新たな王が払拭出来ると思った。父親を上回る器かどうかはわからないけど、彼には彼の魅力がある。異世界人の俺に対して決して威圧せず、寛大に接してくれた彼なら……と。
でもヴァンズ国王自身が自分を――――
「余は自分を信じる事が出来なかった。貴公を国民の敵とする事でしか、父の死は納められないと思ったのだ」
偉大な父親を持った息子の悲劇。それがこの事件のもう一つの鍵だったのかもしれない。
「ふぅ……」
全てをさらけ出したヴァンズ国王は大きな溜息をついた後、深々と頭を下げた。俺にという訳ではなさそうだ。
「余の我侭で皆には迷惑をかけた。ポメラ……だったか。貴公の家庭は先代の王……世の父の命によって混迷してしまった。心から詫びる」
「そ、そんな……! 恐れ多いです……!」
どうやら全員に謝罪するつもりらしい。やはりこの人は、本来なら国民を統べる度量を持っていたんだろう。
それでも、一つの判断が全てを狂わせる。好事魔多しと言うけど、傑物魔多しでもあるんだろうな。
……さて、これからどうするか。
勿論このまま犯人になるつもりはない。かといって、真相をそのまま国民に伝える訳にはいかないんだろう。
真相究明がそのままエンディングには繋がらない。この事件の落としどころを見つけなくちゃいけない。俺はミステリーの世界には生きていないから。
そうなると――――
「……くく」
良い笑顔をしている男が一人。
どうやら、もう一捻り加える必要がありそうだ。




