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75 探偵の真骨頂

 通行人は相変わらずレゾンを恐れてか、俺達の周囲には近付こうとはしない。

 公道のど真ん中じゃなく、かといって店の前って訳でもないから、一応迷惑にはなっていない。

 もし町民が憲兵とか自警団とかその手の連中に現状を報告しても、この城下町を裏で牛耳るレゾンがいる限り、いきなり撤収を求めては来ないだろう。


 とはいえ、直ぐ傍じゃないものの少し離れた場所には肉屋と果物屋とパン屋が並んでいる為、この一帯を人が通り難い状況になると、営業妨害って事になりかねない。

 でも、そこを気にする理性もまた、この勝負を左右する要素の一つなんだろう。


「さっさと参ったしろよ。まさか公衆の面前でお漏らしなんてしたくねーだろ? オレにはその心配がない。この差はデカいと思うぜ?」


 既に勝った気でいる――――って訳じゃない。これも駆け引きだ。俺に便意を意識させ、早く催すように誘導している。


 ただし、俺をビビらせる言動は厳禁。それをすれば、俺の姿は一瞬だがレゾンから認識されなくなる。俺はその空白の時間を使って、彼女を立たせれば良い。耳に息でも吹きかければ反射的に立ち上がるだろう。そういうのに一切免疫なさそうだし。


 そこまでわかっているから、レゾンも慎重だ。幾ら彼女が脳筋じゃないとはいえ、決して得意分野じゃないだろう。


 負ける訳にはいかない。絶対に。


「まあそう言うなよ。折角の機会だ。ちょっと腹を割って話そうじゃないか」


「はっ。そうやってオレをハメようってんだろ? その手にゃ乗らねーよ」


「侮るな。駆け引きで勝つつもりはない」


 これは、その決意表明だ。


「探偵は耐える職業だ。尾行対象が潜伏した場合、そこから動き出すまで何時間でも待ち続ける。それが出来なければ探偵は務まらない」


「……」


「耐久力で負けるのは、俺にとって人生最大の屈辱だ。この勝負は一切小細工なしでやらせて貰う」


「……面白ぇ。面白ぇーじゃねーかよ! まさかお前にそんな気骨があるなんて思わなかったぜ!」


 何がそんなに嬉しいのかは全くわからないが、レゾンはそれはもう楽しそうに笑っていた。共通の趣味を持った同級生と知り合った夏休みの子供か。


「とはいえ、このまま黙って座ってるだけじゃ時間の無駄使いにしかならない。そこで雑談って訳だ。レゾン、お前は普段何をしてこの街を裏で仕切ってるんだ?」


 何気に謎だった、レゾンの日常。俺達と行動を共にする前、こいつは一体何をしていたのか……


「大した事はしてねーよ。街中に怪しい奴がいねーか下っ端の連中に探り入れさせて、真っ当な商売してる連中に迷惑かけるような奴にはヤキ入れるとか……あと、裏でコソコソ怪しい動きしてる奴とか、胡散臭い商売してる奴に話聞きに行ったりとか」


 上納金吸い上げてたら完璧ヤクザの仕事だな。


 でもまあ、この世界は明らかに日本のように治安は良くないだろうし、ある意味ではレゾン達が自警団みたいなものか。


「なら、元国王の件は当然知ってたんだな?」


「……ああ。フザけた教団だとは思ってたけど、まさか風俗経営の隠れ蓑とは思わねぇよ……」


「それを知っても、元国王を軽蔑出来なかったって言ってたな。で、贔屓目抜きにした元国王はどんな人間だったんだ?」


 被害者の人物像は、これまでもリノさんや町の人々、城でも聞き込みをしたから、もう十分にわかってる。そして、既に裏の顔まで知っている今となっては、彼の人となりを正しく認識する意義は薄い。まして晩年は認知症濃厚だったんだから、他者の印象自体が余り意味を持たない。


 それでもレゾンに質問したのは、もう一つ先を見据えての事だ。


「立派な実績を持ってて、それを鼻に掛けて高圧的になるでもなくて、国のトップに相応しい人間だった。悪い評判がごく一部で出回ってたのも事実だけど、そんなのやっかみに決まってる……って思ってたよ。でも、お前の推理を知ってようやく納得した。若くしてボケる病気があるんだな」


「ああ。だから、身内は大変だったと思うんだ。息子の現国王も……妻の王太后も」


 つまりは、ここへ持っていく為の布石。 


「確かお前、ジェネシスの拠点に来た王太后を一度見かけたんだよな。そっちはどんな人間だった?」


 俺の推理が正しければ、国王密室殺人事件における彼女の関与は――――確実。だから客観的な彼女への評価が聞きたかった。


「そりゃ、不倫なんかするんだからロクな女じゃねーだろ。それに、身分も弁えずに反体制組織の拠点に来るような女だぜ? 頭も悪いに決まってる」


「そういう理屈じゃなく、見たまんまの印象を知りたいんだ」


「それは……まあ、王后なだけあって品はあったよ。盛りのついたメスブタって感じじゃ全然なかった」


 表現は、俺のレゾンに対する粗雑な印象がこういうふうに翻訳させてるだけだから無視するとして、どうやら王太后は愛人のホームグラウンドでも愛人感を出していなかったらしい。


 レゾンの言うように、自分達に反旗を翻している勢力の本拠地にわざわざ単身で出向くなんて、当時王后だった人間のとる行動じゃない。もしそれが愛人のバイオとイチャイチャしたいが為の行動なら、そこで上品に振る舞うとは到底思えない。もっと本能の赴くままにはしたない姿を晒していただろう。


 それこそ、発情した女の貌になって。


 でも実際は違った。この証言はかなり大きい。証拠とか証明とか、そういう重大さとは違うかもしれないが――――


「ありがとう。参考になった」


「結局、情報提供になっちまったな。ならそっちもオレの知りたい事教えろよ」


「それは勝利の報酬だろ? こっちだって、本当に知りたい事は聞いてない。お前の裏に誰がいるのか……まあ、今の話で大体わかったけどな」


 レゾンに俺達の監視を命じて、現国王に情報を流していたのは――――バイオだ。


 最有力候補だったエウデンボイに関しては、レゾンのエロイカ教への酷評からしてあり得ない。性格的にも、風俗店を裏で営む宗教家と組むとは考えられない。


 レゾンはバイオと、そしてジェネシスと今も組んでいる。つまり……バイオがマヤと一緒に俺達の宿に現れた際の裏切られただの何だの言っていたあのやり取りは、演技。ブラフだ。


 俺達がレゾンを信用して傍に置いておくよう、バイオ達とは敵という事にしておきたかったんだろう。


 そう考えると、今度は別の問題が浮上する。


 バイオ達はどうしてあの時、俺達に忠告しに来たのか?

 

 レゾンをスパイとして送り込んでいるのなら、自ら乗り込んで来る必要は何処にもない。警告が目的だったとは到底思えないけど、本当に『事件から手を引け』と警告したいだけなら、部下でも使えばいい。レゾンがスパイなら、彼女に手引きさせればテレポートを使わずとも宿まで来られる。


 しかも、あの時は敢えてマヤには何も喋らせなかった。あのお喋りに黙んまりを命じた。そうじゃなきゃ、絶対口出ししてきた筈だ。マヤの性格なら。


 そうなってくると、あのバイオの乱入は非常に大きな意味を持ってくる。レゾンを使うんじゃなく、自分でどうしても言わなければならない事があった。


 言霊は使っていない筈。そもそも、奴の言霊が強力って言うのはデマの可能性が高い。奴が使っていると見せかけて、実際にはマヤが使っていたと考えるのが自然だからだ。


 言霊で何かをしたかった訳じゃない。なら何をしに来た? 何を――――いや。


 誰に会いに来た?


 伝説の職業に就く人物に一目会いたかった、と奴は言っていた。鵜呑みにするなら、俺に会いに来た事になる。でもレゾンとのやり取りが演技なら、そんな発言に信憑性は一切ない。


 俺じゃないのなら、リノさんかポメラだ。


 この二人のどちらかに直接会って、一体何がしたかったって言うんだ?


 当時をもう少し詳細に思い出してみよう。何か不可解な点があったかもしれない。



 ……そうだ。


 マヤはリノさんと親しい関係にある。それはつい先日明らかになった。


 だから当時は全く気に留めようもなかったけど……



 どうしてリノさんは、あの時マヤについて何も触れなかったんだ?



 もしこの疑問が事件と関係あるのなら、真相は俺が思っている以上に厄介で面倒なのかもしれない。暴く事で、誰も得しないどころか損失ばかり生まれそうだ。


 でも、このままだと俺は国王殺しの真犯人扱い。そんな理不尽を、正義感だの利他主義だのでスルーするつもりは全くない。



 探偵は、言うほど真相を知りたい訳じゃない。それは架空の探偵の性質。現実の探偵は、我が身が一番可愛い。そしてごく普通に、ほどほどに利己主義だ。


「フン、それじゃ雑談は終わりだ。もうここからは完全にガチだからな。先に立った方が負け。わかってんな?」


「ああ」


 ただ、架空の探偵とリンクする事も幾つかある。それは認めなきゃいけない。


 考え事をしている最中の集中力。それは確かに奇妙な領域かもしれない。なにしろ腹も減らないし眠くもならない。


 そして――――便意も催さない。


 不倫調査の尾行中、ラブホに入った標的を一晩中待ち続ける事なんてザラにあった。その時は、ラブホから標的が出てくる瞬間をちゃんと視認出来るよう意識を保ちつつ、脳の大半のリソースを思慮に割いていた。だから苦痛なんて殆ど感じなかった。


 丁度良い。この状況を、事件に関する詰めの思索に充てるとしよう。



 まずはどこから着手するか――――









 ――――――――――――――――



 ――――――――



 ――――



 ……










「ヘッ、済ました顔しやがって。その強がりがいつまでもつかな?」


「――――」









 ――――――――――――――――



 ――――――――



 ――――



 ……









「へへ。中々粘るじゃねーか。結構根性あるんだな。見直したぜ」


「――――」









 ――――――――――――――――



 ――――――――



 ――――



 ……









「お前……もしかして目開けたまま寝てないか? つーか息してるよな……?」


「――――」









 ――――――――――――――――



 ――――――――



 ――――



 ……









「……なあ、おい。返事くらいしろよ……オイってば。オイって……なあオイ! 聞こえてんだろ!? わかってんだよ! そのボケーってした顔の裏で本当は今にも漏らしそうなんだよな!? 今ならまだ間に合うぞ! なあ! 行けって! 無理しないでトイレ行けって! オレはお前が醜態晒すの見たくないから言ってやってんだぞ!? なあ……止めろよ。止めろって! なんだよその顔。なんだよ……なんなんだよ! どうなってんだよ! もう何十時間経ったと思ってるんだよ! なんでそんな平気な顔していられるんだよ!? 違うんだろ……? 本当は尻が痛くて仕方ないんだよな。退屈で死にそうなんだよな? そうだろ? そうだって言えよ! 素直になれって! なあ……なあ!!!!!!!!!!」


「――――」









 ――――――――――――――――



 ――――――――



 ――――



 ……









「ああ……あああああ……あああああああああああ……ああ……あああああああ……ア――――――――――――――――あぁ……ひぃ……ひぃ……水が飲みたい……水……水……」


「――――」









 ――――――――――――――――



 ――――――――



 ――――



 ……









「……ぅぁ……ぅぁぁ……ぇっぇっ……」


「――――」









 ――――――――――――――――



 ――――――――



 ――――



 ……









「わかった。わかったよ。オレの負けだ。なあ、負けだって。負けって言ってるだろ。笑えよ。早く笑って勝ち名乗りしろよ。オレを笑えよ。なあ、なあ。なあ。負けって。負けってば。負けって言う。言うよ。言ったよ。負け負け負け。ほら負け。負けたって。負けたってー。なあ。なあ……ふわぁぁ……なんか言えよう……頼むから……言ってくれよう……」


 ――――ん?


「終わった? 意外と音を上げるの早かったな」


「もう三日目の夜だよ!!!!! マジかよお前……人間じゃねぇよ……」


 そういえば辺りが真っ暗だ。


 よし、宿に帰るか。そろそろエウデンボイも動き出す頃合いだろう。



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