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72 あーし

 もしかしたら、って疑念は前からずっとあった。


 例えば――――



『探偵は戦いが得意じゃないって聞いてる。確か助手の方が大抵強いんだよね』



 マヤのこの言葉。恐らくはリノさんから聞いたんだろう。リノさんも一緒にいる中で、敢えてそれを言うのがいかにもマヤらしい。



『陛下はあーしを理想の体型にするって言った。最初は意味がわからなくて、モデルにでもしてくれるのかって思った。美味しい物を食べさせてくれるのも、あーしに目をかけてくれているからって自惚れてたんだよね』



 この発言もそうだ。


 モデル? この中世ヨーロッパのような世界にいて、そんな職業を思い浮かべるとは到底思えない。せいぜい『舞台役者』や『歌手』だろう。リノさんの言葉はあくまで俺の言霊による自動翻訳で日本語化されているだけだけど、舞台役者や歌手をモデルと訳す事はないと断言出来る。そもそも、モデルっぽい職業がこの世界にあるようにも思えない。


 俺の中には、子供達から聞いた『異世界ってこんな所』の知識が詰まってる。その知識が正しければ、異世界にモデルなんて職業はない。


 ただしそれは所詮、創作物の中の話。現実の異世界にモデルがいる可能性は十分ある。


 でも――――『異世界にモデルはいない』って知識と先入観が俺の中にある以上、異世界の住人であるリノさんの言葉を『モデル』と自動翻訳する事は絶対にない。それでもこう訳した理由は一つだ。


 リノさんはこの時、この世界の言葉じゃなく『モデル』という言葉をそのまま使った。だから他に翻訳しようがなく、そのままモデルという言葉が俺に届けられた。そういう推理が成り立つ。


 リノさんは俺と同じ知識を持っている。それはこの世界では決して得られない知識だ。


「召喚を行ったのに、君がこの世界から消えなかったのも、恐らくはこれが関連している。君は元々、俺がいた世界の住人だった。だから君は、俺を召喚した瞬間に元いた世界に移動しなかったんだ。それじゃただの帰還。等価交換にならない」


 いや……厳密には、彼女は一瞬だけ元の世界に還れたのかもしれない。でも即座にこの世界に戻された。


 リノさんが抱いた期待が――――元の世界に還りたいって希望が犠牲になった。水晶のように消費された。


 これはあくまで推測に過ぎない。でももしこれが正鵠を射ているのなら、リノさんはもう……


「あーしはもう、あの世界には戻れない。その可能性が消費された」


 ……やっぱりか。


「あーしもわかんない。でも多分、そういう事なんだと思う。トイがここに召喚されたのに、あーしが向こうに行けなかったのは」


「ワルプさんに自分の若い身体をあげたいから、じゃなかったのかい? この世界から消える理由は」


 少し意地悪を言ってみる。でもリノさんの顔は曇ったままで――――


「最期を故郷で迎えたかっただけ」


 ……若い身空でそんな事を言い出した。いや身体はちっとも若くないけど。


「でも、それも叶わなかったから……あーしはもういいんだ」


「何がもういいのかはわからないけど、折角同郷の人間に会えたんだし、何か話したい事とかないのかい」


 探偵ってのは、他人の話を聞くのが好きじゃないと到底やっていけない仕事だ。そこに煩わしさを感じるくらいなら、最初から踏み入れるべきじゃない。この業界は耳と足と心が伴っていないと務まらない。


 他人の話には、自分の中にないものが必ず何処かに混じっている。俺が何をどう頑張っても、決して生み出す事の出来ない、湧いてくる事も絶対にない、何かが。


 それは人によっては部屋の隅で丸まった埃かもしれない。草むらに捨てられた空のペットボトルかもしれない。真夏の街路樹の下でひっくり返った蝉の死骸かもしれない。


 でも、俺にとってそうであるように、何人もの人間にとっては花火のように、向日葵のように、子猫のように、心を鷲掴みにする何かになり得る。そうだろう、きっと。じゃなくちゃこの職業、とっくに廃れてる。


「リノさんにも今日まで生きてきた意地ってものがあるだろう。自分が何をしてきたのか、何を見てきたのか、誰かに教えたいと思わないか?」


「……どうしてそこまであーしの話を聞きたいの? 犯行動機とか、そういうのを裏付けたいから?」


「いやあ、違うね」


 この世に、意味のある事象は山ほどあるけど、意味もない事も無数にある。でもその大半は、後付けで無理矢理意味を持たせられている。


 俺の今のこの気持ちも、恐らくそうなるんだろう。


 でも今は――――


「深い意味はないよ。ただ話したかっただけだ」


「トイが?」


「そう、俺が。どうして俺に昔の事を話してくれやしないのかなー……って、ぼやきたかったの」


「そんなの……簡単に言えないよ。わかるよね、トイなら」


 まあね。


 異世界……なんてものを信じていた訳じゃない。だから初めてここに来た時には、それはもう盛大に狼狽したし怖じ気づいた。


 でもそれよりも先に、まずこうも思った。


『守らなきゃいけない』


 何を、ってのは後になって考えた。自分の命なのか、なんなのか。結局答えは出ていない。


 だから、これが保身の正体なんだってふと思った。人間、切羽詰まった時や追い詰められた時は、何かを守らないといけないと反射的に考える。地位も名誉も、未来も過去も。今ある全てを保持したい、手放せない――――そう思ってしまう。


 異世界に来たなんて実感はなかった。ただ、知らない人が目の前にいて、明らかに俺の知る世界の服装じゃなくて、夢という実感もない。


 訳がわからないその状況でまず、自分の全てを守らないといけないと感じた。だから懸命に虚勢を張った。余裕綽々なフリをした。


 きっと、リノさんもそうだったんだろう。ずっとそうやって、ここまで生きてきたんだろう。


「もうすぐセンター試験が終了する。年号も変わった。平成の次、何か予想出来る?」


「え……」


「日本語で答えよ」


 恐らくリノさんは日本人だ。


 俺が最初に彼女に向かって話したのは、助手にする事を伝えた時。


 リノさんは何を話しているかはわからなかったけど、戸惑っていた。


 戸惑う必要はないんだ。言霊で既に俺を信頼という檻の中に入れていたんだから。彼女は、俺が絶大な信頼を寄せているのをその時点でわかっていた。自分でそう仕向けたんだから当然だ。


 でも戸惑った。何に対して?


「最初に俺が言った日本語、理解してたろ? でも君は何故か戸惑っていた。恐らく、つられて日本語で返事しそうになったのを慌てて止めたんだろう?」


「……はぁ」


 溜息を返された。なんか理不尽だ。


「トイは賢いね」


「学校の成績は上の中くらいだったけどな」


 トップにはなれない。その器でもないんだろう。この世界でもそれは変わらなかった。


「リノさんはどうだった?」


「あーしは上の上だよ。勉強しかしてなかったから」


 どうやら、長い長い布石がようやく結実したらしい。過去を話してくれる気になったみたいだ。


 ようやく真相がわかる。



 ……どうしてリノさんの一人称が『あーし』と自動翻訳されたのかが!



 だって、どう見てもギャルっぽくないしな……いや今の老婆の姿じゃなく、本来の姿が。


 あと性格も全然ギャルっぽくない。まあでもギャルって一皮剥けば真面目って話も聞くけど……


 何にせよ、彼女の一人称をあーしと翻訳しているのは他ならぬ俺自身だ。俺の言霊だからな。でも理由は全くわからない。


 ある意味、この世界に来てから不動の一番謎だ。一番謎って何。


「ずーっと勉強ばっかり。そうするように親から言われてたから。でも、いつの日か馬鹿らしくなったんだよね。勉強して何になるのとか、将来何の役に立つの、とかじゃなくて……」


「じゃなくて、何?」


「勉強をしない自分を考えるのが」


 ……洗脳完了、って感じか。


 教育ママだったのか、パパだったのかは知らないけど、ここまで子供を追い詰める親もいる。それが露呈したら、今度は『自分の果たせなかった夢を託したかった』とか訳のわからない事を言って同情を買う。お決まりのパターンだ。


「だからもう一生、そういう生き方しか出来ないって思ってた。誰かに言われてそれをするだけの人生。でも、ある日あーしは突然、あーしに何か言う人が一人もいないこの世界に喚ばれて……何も出来なくなった」


 それで天涯孤独の身に……か。


 何歳の頃にこの世界へ来たのか、聞いて――――いや、止めておくか。そこまで野暮じゃない。


「だから、陛下が『こうしろ』って言った事は疑問を挟まずにずっとそうするつもりだったんだよ。だって、そんな生き方があーしだったんだから。それが、あーしの全部だったから」


「でも、そうは出来なかった。いや……正反対の自分がいるのを、君は多分知っていた」


 束縛の正反対、自由の象徴――――それでギャルか。


 俺が見抜いたんじゃない。彼女はきっと、リノさんはきっと……


「見つけて欲しかったんだな」


 ようやく、真相がわかった。


「……」


 沈黙するリノさんの全てを、まだ理解出来た訳じゃない。だからこの沈黙の理由も掴めない。


 でも、もしかしたら、明日わかるかもしれない。


「さんきゅ、トイ。聞いてくれて」


 多分、これは自動翻訳なしの日本語だ。そんな気がする。


 リノさんは、俺よりもずっと頑張った。この国の言葉を覚え、必死に生きようとした。身体を売るくらいの覚悟で生きようとしていた。


 死にたいなんて思っていない。故郷で最期を迎えたかったなんて言葉とは裏腹に、自暴自棄にもなっていない。


 それがわかったのは、最高の収穫だ。


「こっちこそ、話してくれて嬉しかったよ。お陰で確信が持てた」


 今日も、よく眠れそうだ――――









 ――――そして、翌日。



 手筈通り、マヤの盗んだ金を入れた袋と手紙をエウデンボイに送った帰り道。


「少し話がある。真面目な話だ」


 "そいつ"に向かって、俺は刺すような視線を送った。



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