69 駄々っ子たちの朝
リノさんが国王密室殺人事件の犯人と自供した翌朝――――
「……」
「……」
宿屋の空気は、ただひたすらに重かった。
宿から出される朝食を前にしても、ポメラもレゾンも一言も発しないし、口に何か入れようともしない。恐らく一睡もしていないんだろう、目の下にクマが見える。
斯く言う俺も、昨日は全く眠れなかった。当然だ。こんな時に眠れるほど神経は図太くない。
昨夜、一通り自分の話をし終えたリノさんは、自ら拘束される事を望み、俺もそれを受諾した。
今、リノさんは宿の自室にいるが、両手両脚を縛った状態で待機中。勿論施錠もしている。
ちなみにここは、今まで泊まっていたコルネという宿じゃない。脱獄した身で同じ拠点に居続けるほどの強心臓は持ち合わせていないからな。レゾンの口利きで、決して外部に宿泊客の情報を流さない宿に移った――――とはいえ、嗅ぎ付けられるのは時間の問題だろう。
宿に一旦戻る訳にもいかなかったから、水晶は全て置いてきた。今は俺もリノさんも言霊を一切使えない状態だ。
当然、今の状況をポメラ達に黙っている訳にはいかない。マヤに頼んで、二人のいる場所にテレポートして貰い、そこで手短に話した。
『嘘です……! 私、信じません……! リノさんはそんな事しません……!』
ポメラの取り乱し方は予想していた以上だった。夜なのもお構いなしで、ずっと叫び続けていた。もしかしたら俺の知らないところで女性陣だけ結束を固めていたのかもしれない。
そう思わせる理由は、ポメラ以上にレゾンのショックの大きさが顕著だったからだ。元国王を慕っていた彼女なら、リノさんに殴りかかっても不思議じゃなかったけど、一切そんな行動には出ず、顔面蒼白のままその場に立ち尽くしていた。
ポメラは今も、リノさんが犯人だと思っていない。レゾンも受け止めている様子は見られない。
俺は――――
「おはよう」
「……っ!」
余りに唐突に、俺の真後ろから声が聞こえた。勿論ポメラでもレゾンでもない。つい今の今までこの場には存在していなかった女性――――マヤだ。テレポートでやって来たんだろう。
「探偵さん、今食事中?」
「ああ……いや、このままここにいても食べられそうにない」
「だったら少し付き合ってよ。話がしたいから」
マヤの事は、既にポメラにもレゾンにも話してある。俺を逃がす為の取引をしていた彼女達にとって、既に敵意識は余りなかったとは思うけど。
「勿論リノの事で」
「……わかった。二人とも悪い、席を外す」
「はい」
「ああ」
生返事、というよりそれ以上の言葉をどうすれば話せるのかさえわかっていないような、朦朧とした意識のように見受けられる。今、彼女達に何かを話したとしても、恐らく理解は出来ないだろう。
「俺の部屋でいいか」
「うん」
マヤは――――初対面時とも二度目の遭遇の時とも違っていて、終始覇気がない。昨夜からずっとこんな感じだ。
「探偵さん。これ」
部屋に向かう途中、マヤは水晶を差し出してきた。透明度がかなり高い物を一つ。
「一応、護身用に持っておいて」
「いいのか?」
「頼み事を聞いてくれたお礼だよ。今、一つも持ってないんでしょ?」
「……ああ。ありがたく受け取っておく」
掌に収まる小さい水晶を衣嚢に納めたところで、部屋の前に着いた。前の宿と比べて取り立てて高級という訳じゃないが、一応部屋は広い。ベッドは硬いけど、敷き布団って概念自体がないみたいだから、そこに文句を付けても仕方がない。
「取り敢えず、座って」
「ありがとう」
言葉少なにマヤはベッドに腰掛けた。当然、その隣に座る訳もなく、こっちは入り口のドアを背もたれにして腕を組む。勿論、テレポートが使えるマヤに対し入り口を封鎖する意味なんかない。単に適度な距離感だから、そこにいるってだけだ。
「で、話って?」
「言うまでもないよね? 探偵さんは昨日のリノの話に納得したの? あれが真相だって言うの?」
「飄々としてた頃の面影がないな」
「茶化さないで欲しいな。こう見えてわたし、頭に血が上ってるんだよ。いつ何をしでかすか、自分でもわからないくらい」
……それは怖いな。
「どうしてリノさんにそこまで肩入れするのか。まずはそこから聞こうか」
「大した理由じゃないよ。同郷だから。それだけだよ」
それだけ――――か。
とてもそうは思えない。かといって、嘘をついているとも考え難い。今の彼女に人をからかう余裕はないように見える。
「あの子は恥ずかしがり屋でさ。それを聞き出すのに二〇〇日くらいかかったよ」
「そんなに長い付き合いなのか」
「長いって程でもないよ。毎日顔を合わせられる立場じゃないし。せいぜい二〇日に一度くらいだから」
マヤの説明は、手短だけど的確だった。
最初の出会いは、前国王の調査目的で王城に潜入した際。当時本来の少女の姿だったリノさんから見つかってしまったらしい。
それから、マヤはリノさんと蜜月を重ねた。当然、マヤの存在が他の使用人にバレたら、リノさんの立場が危うい。絶対に他者に見つからないよう、時には言霊を使い、二人は会話を弾ませた。
リノさんは――――友達がいなかった。だからマヤのようにグイグイ来るタイプの同性には免疫がなかったんだろう。当初はかなり狼狽していたみたいだ。
「なんていうか……ね。庇護欲を擽るタイプなんだ、リノは」
「リノさんが?」
「探偵さんは、ほぼ老婆姿のリノしか見てないからピンと来ないかもね」
そう言われると、二の句が継げなくなる。内面がどうであれ、あの外見の彼女と庇護欲は全く噛み合わない。
突然現れた、ミステリアスな女性。リノさんからすれば、マヤはそんな興味をそそられる存在だったんだろう。二人が仲良くなるのは必然だった。
「リノさんが元国王に殺意を抱いていたのは、わからなかったのか?」
「……わからなかった。もし本当なら、相当上手に殺気を隠してた事になるけど……」
マヤはそれがどうしても納得出来ない。それは、昨夜からの彼女の態度を見れば一目瞭然だ。
「ねえ。本当に――――」
「話は変わるけど、マヤは前国王をどれくらいの頻度と深度で調べてたんだ? かなり詳しく?」
「え……? それはもう当然だよ。金の出所を探る為にもね」
「元国王はどんな人物だった? 評判とかじゃなく、君が調査の最中に感じた事を教えて欲しい」
正直、藁にも縋る思いだった。マヤから元国王の人となりを聞いたとして、それが有力な手がかりになるとは到底思えない。
でも……
「噂以上の事は知らないよ。でも一度だけ、本人が城にいる所を見たよ。虚ろな顔で階段を上ってた。あれは……悪魔に憑かれた顔だって思ったな」
成程、評判だけじゃなく自分の目でそう判断したからこそ、リノさんとワルプさんに身体の入れ替えを提案したんだろう。
「なら、ワルプさんは?」
「無茶なお願いを快諾してくれたからね。立派なんじゃないかな」
「随分と素っ気ないな。接点が少なかったのか?」
「そりゃそうだよ。リノ以外の人と仲良くする理由ないし。こっちは一応反王制の立場なんだから」
そう言えばそうだったな。テレポートや性格の所為か、フリーダムな印象を持ちがちだけど、意外としっかり者かもしれない。
「元々は、わたしと入れ替わるようにって話したんだ。あの国王は絶対におかしい。時間をやるから考えておけって。そうしたら、急に老婆が来るんだもん。ビックリだったよ」
「リノさんが相談したって訳か」
「他には考えられないと思うよ。盗み聞きでもしてない限り」
「何処でリノさんと落ち合ってたんだ?」
「一階の使われてない部屋。普段メイドも入って来ないくらい人気のない所だったね」
「成程……」
盗み聞きされるリスク小さいけど、ない訳じゃない。まあ、リノさんを追っていって、単に立ち聞きしていただけかもしれないが。
「わたしが知る限りじゃ、リノは国王を殺そうなんてとても思う子じゃないし、そこまで思い詰めてる様子も……なかったよ。わたしの方が、国王の行為にドン引きして事を急いだくらいだし」
「その気持ちはわかる」
マヤの発言に不審な点はない。矛盾も。
つまり今のところ、リノさん犯人説を積極的に疑う理由はない。これがミステリー小説なら、証拠を見つけ出すよう動く段階かもしれないな。
でもその必要はない。この世界は、証拠なんて幾らでも隠蔽出来る。探す意味は乏しい。
それは証言も同じだ。俺がそうされていたように、言霊を上手く使えば他者の心情すら操れる。だから俺は、城内での聞き込みに注力してこなかった。近衛兵に詳しい話を聞く事もしていない。意味が薄いからだ。
「ねえ、本当にリノが犯人? あの子が……やったの?」
マヤの問いかけは、まるで現実を受け入れられない駄々っ子のようだった。
だから俺は、こう返すしかなかった。
「どうしても受け入れられないなら、共犯者に話を聞きに行くか」




