52 口調は女子高生ですが終始老婆の声です。脳内再生の際にはご注意下さい
ジョルジュ・エルリロッドがエルリロッド王国の繁栄に多大な貢献をした事は、自国民ならずとも大抵の人間が知っている。
特に優れた功績と言えるのが、言霊および水晶の整備だ。
この世界の人類は、言霊と共に栄えてきた。ただしいつ、誰の手によって生み出されたのかはわかっていない。
何者かが水晶を消費して言葉が具現化する能力として最初からプランニングし、生み出した力なのか。それとも最初から人類が持ち合わせていた潜在的な力で、水晶を所持していた誰かが念と共に発した言葉が偶発的に具現化したのか――――いずれにせよ、その力が非常に強力なのは言うまでもなく、膨大な時間を費やし研究が行われた。
言った事が実現する。ただし全ての言葉が実現する訳ではない。実現可能なものもあれば不可能なものもある。更に、実現可能な内容には個人差がある。そういった事実が判明してくると、今度は実現可能範囲が広い人物の傾向を探る研究が行われ、そこにはどうやら頭の良さが関係している事がわかってきた。
しかしその後も、『言霊とは言葉なのだから、語彙が豊富な人間ほど優れた言霊を使用出来る』『いや、言葉に強い力を持たせる事が出来る者、すなわち言葉の意味を沢山知っている者こそが強大な力を具現化出来る』など様々な諸説が入り乱れ、言霊の定義は混沌としたまま歴史は積み重ねられていった。
その歴史の中で、犠牲となった者も少なからずいた。城すらも吹き飛ばすほどの言霊を操った者は危険人物と見なされ即座に処刑された。研究の為と称し、多くの人間が幽閉され人体実験が行われた。秘密裏に、体内に言霊の源となるような特殊な器官がないか調べる解剖実験まで実施された。
戦争も幾度となく起こった。何処にでもテレポートで移動でき、中隊程度の規模なら吹き飛ばせるほどの人間兵器――――そんな言霊の使い手が一人生まれれば、国家の軍事力は劇的に変わる。彼等が野心を持ち徒党を組めば、新たな国さえ誕生しかねない。長い時代、言霊は人類にとって希望であり劇薬だった。
そして当然、その言霊の使用を可能とする水晶の価値は急騰。水晶自体は平凡な鉱物とそれほど変わらない量が採掘されていたが、言霊の研究を行う為に各国の王家が買い占め独占し、市場に全く出回らなくなった。その為、一時は拳大の大きさ一つの水晶で館が建つほどの取引価格となり、一般人が『自分達は言霊を使えるのかどうか』すら試せなくなった。
このような状態が長く続いた為、一般市民にとって言霊は『禍々しい力』と認知されるようになった。自分達はまるで目の当りにしないのに、確実に存在し、その多くが軍事利用されている状態。そうなるのは必然だった。
使われる用途が固定化され、使用者は才能ある僅かな人間に限られ、その彼等もいつ始末されるかわからない。そんな状況で言霊の研究が進む筈もなく、停滞の時間が永久に続くかと思われた。
それを打破したのがジョルジュ・エルリロッドだった――――
「あーしも詳しくは知らないけど、陛下は王家が独占していた水晶を、徹底的に管理する条件で一般市場にも流通させたの。それに並行して、言霊を使う力は『思考力』によるものって断定して、いろんな言霊をいろんな人に使わせたって。血生臭い力じゃなくなったのは、そのおかげなんだ」
「元国王にそんな実績があったのか……でもだったら、そういう話題がもっと街中でも聞こえてきそうだけど」
元国王の評判を一般市民に聞き込みした時、彼が良い人って意見はたっぷり出て来たけど、国王としての実績や仕事ぶりには全く触れられなかった。でもそれは不自然な事じゃない。俺だって天皇陛下や総理大臣の実績を詳しく言ってみろと言われても即座に答えるのは無理だ。
でも、そこまでわかりやすい実績があるのなら話は別だ。誰か一人くらい挙げてもよさそうなものだけど……
「陛下は自分の功績をひけらかすような方じゃなかった。多分、今あーしが言った事はほとんどの市民は知らないと思う。そういうの、凄いよね」
随分と日本人的な感覚だな……慎み深さに美学を感じるとか。
「あーしにとって陛下は拾ってくれた恩人だし、尊敬する人。だから、何があっても陛下の事を嫌いになんてなれないし、その名誉を守る為にはなんだってしたい」
……つまり、嫌いになるかもしれないような出来事があったって訳か。
「リノさんは、どうして元国王が自ら命を絶ってないって信じてるのか聞いても良いかい?」
単に信じたいだけ、ならそれでも良い。例え感情論でも、名誉を汚したくないという彼女の思惑とも一致する。人間である以上、筋の通った感情論は一種の正論だ。
でも何か、例え確信じゃなくても理由があるのだとしたら、そして今までそれを話せずにいたとしたら――――俺はそれを知らなくちゃいけない。
俺自身、陛下が認知症の影響で自ら毒を生成しそれを飲んだっていう推理にはほぼ見切りを付けている。元々そんなに自信があった推理でもないけど、元国王の行動が予想以上に突飛的だった事、そして彼の晩年の振る舞いが思った以上に王の名誉を傷付けかねないものだった事で、一層自殺説は揺らいできた。恐らくリノさんも同じだった筈。俺とは違い、彼女は認知症による人格変化後の元国王を直接見てきたし、恐らく嫌な思いもしている。つまり……
恨みによる犯行、他殺の可能性が極めて高い。
「それは……」
でも、リノさんは口を噤んでいる。もし何か知っているのなら、元国王の名誉を守る為にも話した方が良い筈。でも俺に依頼をして以降、そして多くの真相を俺が知った今も尚、迷っている。伝えるべきか否かを。
これは……もしかしたら、思った以上に単純な事件なのかもしれない。
もしそうなら――――
「これより、バルコニーにてエルリロッド王国新国王、ヴァンズ陛下によるスピーチがあります! 城内の皆様は二階に設けている来賓エリアにお集まり下さい!」
以前、リノさんと初めて会った時にいた、20歳くらいの執事と思しき男の声。バルコニーから国民に向けて元国王の死因を発表するつもりらしい。
俺にこれを止める意思はない。そもそも俺の入れ知恵だしな。それを阻止するのは道理に反する。
止めるとすればリノさんだ。
でも――――恐らくそれは出来ない。元国王の実子である現国王の顔に泥を塗る事は、元国王の名誉を傷付ける事になるから。
だから彼女は……何も言えなかった。
「リノさん。行こう」
「……あーしは行きたくない。陛下の名誉が傷付けられる演説なんて聞きたくない」
その心理は理解出来る。
元国王の名誉を傷付けたくないリノさんにとって、今日の現国王のスピーチはどうしても阻止したかった筈。今日までに真相を明らかにして、現国王に思い留まらせたいと考えていたに違いない。
でも彼女は、俺にその意思を伝えて来なかった。そしてそれは当然だった。
俺は現国王に依頼され、元国王の名誉が傷付きかねない推論を依頼人の現国王に納品した。現国王はそれを真実と認定した。
これ自体は決して覆す事は出来ない。彼女は『真相は違う。だから発表は思い留まって欲しい』と言える立場にはない。だから、今日をリミットとするつもりは最初からなかったんだろう。
そんなリノさんがどうやって元国王の名誉を守ろうとしているのかは、俺にはわからない。自分だけが真相を知って、それで満足――――そんなふうには到底見えない。
リノさんは命を賭けて、元国王の名誉を守ろうと考えている。そんな気がする。
俺は――――
「俺達がこれから行くのは、王太后と現国王の部屋だよ」
そんな依頼人の意思を尊重するだけだ。
小声でそう伝えると、リノさんの目はあからさまに見開かれた。
「……どうして? 」
「スピーチしている間は外の警備に集中しないといけないから、中は絶対に弛む。唯一無二のチャンスだ」
「そうじゃなくて……エミーラ様の部屋はともかくヴァンズ様の部屋は予定にない」
「現場は刻一刻と変化するもんだ。臨機応変に動けなきゃ探偵なんて出来ないよ」
「で、でも、何しに……」
「ちょっとした捜査だよ」
リノさんが多くを語らないのなら、俺にもその権利くらいあるだろう。
今、城内は一階のホールから二階の来賓エリアへの大移動が行われている最中。ここで二階にある王太后および現国王の部屋に行けば当然怪しまれるだろう。
でも――――三階からなら大丈夫。今はそこに人はいない。着地のリスクはあるけど、上の階から壁抜けで向かおう。
水晶は合計で12個持って来ている。壁抜けはどの色の水晶でも出来るから問題ない。大抵の言霊が使える純水晶はなるべく温存しておきたいところ。
「それじゃ、行こう」
「ま、待って……」
まだ戸惑っているリノさんの同意も得ず、三階を目指す。時間は余りない。演説が終わる前に全てを終わらせたい。
問題は……どちらかの部屋に厄介者がいるかもしれない、ってところだ。王太后は演説する国王の隣にいる立場の方だから部屋にはいない。でも、もし彼女が用心深い人間なら、警備兵とは別に私兵を部屋に待機させている可能性もある。国王も同様だ。
無人の可能性は五割ってところか。
「確か……この辺か」
幸い、三階の廊下には見回りの兵すらいない。国王を守る為に外やバルコニーに出る扉の前に警備を集中させているんだろう。
「待ってって言ってるのに……! もう、トイのそういうトコ本当ムカつく! 自分勝手な男って一番嫌われるから!」
言葉遣いがどんどん若返ってるな、リノさん。俺がより強く彼女を10代と認識したからか。
「ここから言霊で床を抜けて、王太后の部屋に落ちる。リノさん、俺の背中にでも触っておいて。そうすれば、水晶一つで――――」
「はいはい」
……いや、諦めたようなその口調はいいんだけど。
なんで俺は今、リノさんにお姫様だっこされてんの?
「トイは貧弱だから、この高さから二階の部屋に着地したら脚の骨折れるよ。あーしに任せて」
「いや、どう考えても老人の身体の方が骨折しやすいんじゃ……」
「筋肉の量が全然違うから大丈夫。それにトイ、何食べてるのってくらい軽いし」
嬉しくなさ過ぎるシチュエーション……せめて逆であって欲しかった。
とはいえ、リノさんのフィジカルの強さは既に目の当りにしている。この体勢がベストかどうかはともかく、ここは言葉に甘えるしかない。抵抗しても無駄っぽいし。
「了解。それじゃ行くよ」
「いつでもどーぞ」
「《今触れている床を透過する》」
実際には『俺に触れているリノさんの脚が触れている床』なんだけど、言霊的にはリノさんも俺の一部だから、問題なく俺達は自由落下を果たした。
「……っ!」
僅か数秒後にはもう着地。衝撃に耐えるリノさんの微かに漏れる声が、着地音よりも印象的だった。
俺は当然無傷。そして、抱えている俺を落とす事なく、リノさんは無事に王太后の部屋に着地した。多分脚は痺れてるだろうけど。
さて、問題は――――
「本当に来た……」
――――部屋の中に、バイオと一緒にテレポートしてきたあの女性がいて、ちょうど俺と今目が合っているって事だ。




