42 華麗なる前フリ
女性のふっくらとした身体を崇める変態宗教の教祖が、シャツと長ボトムという一般人と変わらない服装で街中を歩いている。明らかに異常事態だ。事件の臭いしかしない。
「ひぃぃ……!」
エロイカ教にロクな思い出がないポメラは、反射的に顔を手で覆いしゃがみ込んでいた。まあ気持ちはわかる。俺も出来れば関わりたくない連中だ。なまじ会話が通じる相手だけに、脳を汚染されかねない恐怖もある。
潜伏言霊の効果がまだ継続しているのか、単に視界に入っていないだけか、俺に気付く様子はない。そのまま大通りの向かいを歩いて行き、俺等に背を向けるようにして――――俺等が使っていたのとは違う路地裏へと入っていった。
「ポメラちゃん、追うぞ」
「えええ……い、嫌です……! 私あの集団にもう関わりたくありません……! あと絶対に太りたくありません……! あの集団からいやらしい目で見られると思うと……うぇぇ……」
勝手に想像して勝手にえづかれても困るんだけど……
「わかった。じゃ俺だけで追うからポメラちゃんは宿に戻って――――」
「戦力外通告……!? あああ……私また使い物ならずの風塵に……あああ……ああ……」
何かトラウマがあるとしか思えない反応だ。どうやらこの後、葛藤の末に泣きながら『やっぱり行きます……!』と言い出す流れらしい。
あのエロイカ教が国王の暗殺に関わっている可能性は、今のところ低い。無理して追いかける必要は正直言ってない。持って来た水晶も残り一つしかないし、単なる好奇心だけなら思い留まる選択肢もある。
でも、あの格好はどうにもキナ臭い。一般人に紛れて好みの体型の女を物色しているだけなら凡庸な変質者で済むが、それなら路地裏に入るより大通りを歩き続けた方が効率が良い。空いた時間を利用して風俗店に……って時間帯でもない。
「あの……! 私……!」
「よし行こう」
「えええ……私の決意はそんな易々と見透かされていましたか……」
尾行は二人組が理想であり基本。元いた世界じゃ最終的には所員約一名になったから叶いようもなかった。
兎に角、見失う前に早く後を追おう。
大通りといっても、自動車が通っている訳じゃないし、辻馬車が頻繁に往来している様子もないから、移動時間は大してかからない。幸い、教祖が曲がった角までの距離も短く、三十秒とかからず辿り着いた。これならよっぽど近くに建物があってそこに入ってない限り、見失う事は――――
「……え?」
思わず間の抜けた声が漏れ出てしまう。それだけ一瞬で事態が飲み込めてしまった。
路地裏と思っていたその角を曲がった先は――――行き止まりだった。空の酒瓶や割れた植木鉢が転がる細い路地のその先は、扉も窓もない、三階建てくらいの建物の壁で塞がれている。三十秒あれば十分歩行でそこまで行ける距離ではあるが……
変態教祖の姿は当然、見当たらない。彼がそこにいれば、行き止まりだろうが何だろうが関係ないからな。彼がいないからこそ、この場所に不自然さが生じる。
「いませんね……どうしちゃったのでしょうか……」
教祖と顔を合わせずに済む安堵よりも、忽然と姿を消した不気味さに怯えたポメラの声が、俺の心にも伝染してくる。
人が消えた――――それ自体は特に驚くべき事じゃない。この世界の言霊には、それを可能とする力がある。俺もついさっきまで同じ効果のある言霊を使っていた。壁抜けやテレポートもあり得る。まさか空は飛ばないと思うが……一応天を仰いでみたけど、当然のように空しかない。
言霊を使ったのは間違いないだろう。でも、あの教祖がここで使う意味は一体なんだ?
考えられるのは……誰かに尾行されている危険性を考慮し、そいつらを撒く為に定期的に路地裏へ入り、壁抜けを使って尾行者の目を欺く……とか? 俺等は路地裏に入るまでは尾行の意思はなかったから、あるとすれば他に尾行者がいる場合だ。
でもそれなら、ここにその尾行者が駆けつけないとおかしい。それがない時点で尾行はないと考えるべきだ。
となると、単に尾行予防とか……? あの変態宗教の教祖なら、誰かに命を狙われても不思議じゃない。
だったら単独で外出しなければ良いだけの事……と言いたいところだけど、あの格好がどうにも気に掛かる。教祖である自分のアイデンティティを敢えて捨てているように感じるし。
……とまあ、色々と考えてはみたけど、結局のところ一番高い可能性は、今まさに目の前に広がっている。
「もしかして……あの建物の中に入ったんでしょうか……」
ポメラの言う通り、この先の行き止まり――――ここを壁抜けして建物内に入ったってのが、最も妥当かつ合理的な答えだ。尾行どうこうじゃなく、ここがそもそもの目的地なら、何の矛盾も違和感もない。
あの教祖はテレポートは使えず、でも壁抜けは使える。そしてあの建物で何らかの怪しげな活動を行っている。それはエロイカ教とは関係のない、裏の活動。だから表から堂々とは入れず、教祖の格好ではなく一般人の服装でここに来た。
辻褄は合っている。後は建物内に入って実際にこの目で確かめれば済む話だが……
「ど、どうしましょうか……」
万が一、サバト的な事をやっているとしたら、とてもこの子には見せられない。水晶が残り一つしかないのも厄介だ。
かといって、あの教祖が現場にいる状況で踏み込まなきゃ、何の意味もない。そもそもエロイカ教の教祖がサバトを開いているからといって、俺には何の関係もない。
でも……どうにも臭う。
俺達がエロイカ教の拠点を訪れた翌日、バイオが宿に奇襲を仕掛けてきた。あの教祖はジェネシスとは無関係だと言っていたけど、ちょっとタイミングが良過ぎる。バイオは尾行者の存在を仄めかしてたが……
「ポメラちゃんはここがどんな建物なのかわかる?」
「いえ……見た事もないです」
「了解。俺はこの建物の出入り口を探すから、ポメラちゃんは一旦宿に戻って水晶を取ってきてくれ。全部……は重いから、各色一個ずつお願い」
「わかりました……! 必ず、全力疾走で必ずお届けします……! この命に代えても……!」
宿までは往復1kmもないけど、全力疾走は途中でバテるから止めて――――と言う前にポメラは行ってしまった。水晶は軽くはないし、恐らく十分以上はかかるだろう。
それまでに出入り口を探し、ここでポメラを待つ。
……という訳にもいかないだろうな。もしこの中で教祖がバイオか他の誰かと密談でもしているのなら、十分って時間は長すぎる。ポメラが戻ってくる頃にはもう全部終わってるかもしれない。
それでも、教祖が壁抜けでここから出てくるならばまだ良い。そこで話を聞けるしな。仮に激昂されたとしても、水晶一つあれば危険を回避する事くらいは出来るだろう。
でも、普通に出入り口から出ていかれた場合や、バイオと一緒に出てこられた場合はヤバい。前者は収穫なしで終わる話だけど、後者はガチで命の危険がある。ここで待つって選択肢は、実はかなり危うい。
だったら、中に潜入して様子を探った方が良い。危険度は大して変わらないし、上手く行けば事件の情報を得られる。教祖が変な集いを開いているだけなら、それを見届けてそっと出ていけば良い。
人気のない場所で何かコソコソやってる奴は、侵入者の警戒まではしない。人が来ない事を前提にする為、そういう場所を選ぶ訳だし。
大通りに一旦出て、建物の大きさと位置関係を頭の中に描き、出入り口がありそうな場所を特定する。普通に考えたら、さっき見たのは建物の背面だ。その反対側に出入り口はある。向こう側の通りへ行こう――――
「……あった」
正面から見た建物は、鉄筋コンクリート造の小さなビルのような外見だった。通りに面している建物じゃなく、奥まった所にポツンと建っている。
敷地内は雑草が茂っていて、建物自体もかなり薄汚れている様子が見て取れる。少なくとも人の出入りが頻繁に行われているような気配はない。
正直、この手の建物に入るのは勇気が要る。ましてここは異世界。元いた世界の常識は通用しない。なんかとてつもないトラップが仕掛けられていたら防ぎようがない。ポメラみたく身体を硬質化させればリスクを大分軽減出来るけど、残り一個の水晶を予防には使えない。これはあくまで緊急避難用とすべきだ。
覚悟を決めて、建物の前に立つ。
当然だけど、入り口には自動ドアはない。アンティーク感溢れる両開きの四角い扉があるのみ。上の方には窓らしき物が見える。三階建てで間違いなさそうだ。
深呼吸を一つして、音を極力立てないよう扉を開ける。
一瞬――――息が詰まった。
正面に受付と思しきカウンターがあったからだ。
でもそこに人影はない。外見の印象通り、無人の建物らしい。元々どういう目的で作られたのかは知らないが……
エントランスはそれなりの広さで、地方のビジネスホテルみたいな感じだ。テーブルや椅子は見当たらない。掲示板のような物が幾つか置かれている。
扉はないみたいだし、一階に教祖はいないだろう。二階へ向かおう。
人とすれ違うのも困難そうな狭い幅の階段を上がった先には、正面と右側に二つの扉があり、階段は逆向きに三階まで伸びている。
まあ、余り深く考えても仕方がない。正面の扉を開けよう。音を立てないように、そーっと……
……ん?
開けた瞬間、物音が聞こえてきた。隣町の祭りのような、遠くから聞こえてくる喧騒。実際には扉と壁で音が遮られているんだろう。
扉を開けると、その先には通路が延びていた。驚いた事に赤絨毯が敷かれている。さっきまでの荒廃したビルのイメージとは違い、それほど古さも感じない。
そして、通路の奥の右側に立て看板らしき物がある。扉が見えるから、その奥で何かやっているのを報せる看板なんだろう。字は読めないが。
……なんか、この先の展開が読めた気がする。
これはアレだよな、完全にパーティー会場の入り口だよな。
そして、こんなビルの中で日中からやっているパーティーなんてロクなものじゃない。ましてあの教祖がこっそり参加しているとなれば尚更だ。
いやでも案外、パーティーじゃなくて会合かもしれない。この街を代表する人間が集まって、街の未来を語る真面目な……
ダメだ、無理があり過ぎる。もうどう考えてもそんな訳がない。これは完全にダメなパーティーの流れだ。サバトならまだマシで、もっと酷いかもしれない。
とはいえ、ここまで来て引き返す訳にもいかない。一目だけでも見て行かないと。最早義務感だけだな……
頼む。真面目な集まりであってくれ――――




