38 リノは真実を語らない
リノさんと同じ服を着た少女が、リノさんの泊まっている部屋にいる。
この事実をどう解釈すべきか迷った俺は、混乱もあった為、重要な事実に暫く気付けずにいた。だから――――
「リノさん、そんなに年老いたのを気にしていたなんて……それだけ若返るのにどれだけの水晶を消費しなくちゃいけないのか……」
この発言も決して悪気があった訳じゃない。そこはきっちり自己弁護したい。言った事が実現する言霊って力がこの世界にはある。そして眼前の少女はリノさんと同じ服を着て、彼女の部屋にいる。この事実から導き出される答えとしては、それなりに妥当性を帯びているだろう。
とはいえ……早合点だったのは認めざるを得ない。それを自認したのは、目の前の少女の顔をしっかりと見た時だった。
何しろ、この世界の照明は薄暗い。元いた世界の電球と同じ原理かどうかはわからないけど、恐らく白熱電球だ。明度が低いのは仕方がないところで、彼女の顔をしっかり把握するのに若干の時間を要してしまった。
「……あれ?」
この顔は……見覚えがある。
リノさんと共に、俺と国王の元へ水晶を届けに来た中の一人。そして、その後も廊下などでこっちの様子を窺っていたあの10代半ばと思しき女の子と同じ顔だ。
同一人物? それともよく似た別人?
普通ならこの二択だろう。そして、ここがリノさんの部屋で彼女と同じ格好をしている関連性から、前者と判断する。それが自然な流れだ。同じ職場で働いているのなら、同じ夜着を愛用するくらい仲良しでも不自然じゃない。
でも、この世界にはもう一つの可能性がある。言霊を使った変化だ。
とはいえ、他人に化ける言霊なんて姿を消す以上に難易度が高そうな気がする。何より、宿の自室でそれを使う理由がない。
じゃあ、この状況は一体……?
「……」
少女は一向に口を開かない。怯えているような様子はなく、でも驚いて絶句しているような、不安げな目をこっちに向けている。このリアクションだけを見ると、『魔法でムリヤリ姿を変えられてしまったリノさん』って感じがしなくもない。
まさか、バイオがリノさんを無力化させる為に少女の姿に変えたのか……?
いやでも、『触れたものだけを50歳以上若返らせる』なんて言霊、幾らテレポートの使い手でもそう簡単に実行出来るとは思えない。制約が余りに多過ぎるし、それなら他に幾らでも無力化する方法はある筈。それこそ毒を体内に生じさせるとか。
状況が全く飲み込めない……とはいえ、取り敢えずこちらに危害を加えるような存在じゃなさそうだ。だったら会話を試みよう。
「えー……まずは無断で部屋に入って驚かせた事を謝罪したい。申し訳なかった。この部屋に寝泊まりしているリノさんが倒れたり襲われたりしたかもって心配して、つい様子を見に来てしまった」
「……」
返事がない。そして安心した様子もない。
でも相変わらず怯えたような雰囲気は感じない。元いた世界基準でいえば、『張り込んでいた所に現れた下着泥棒を現行犯で捕まえた時の顔』というより、『浮気現場の写真を突きつけた時に標的が見せた顔』に近い。どちらも似てはいるんだけど、前者はまず初対面の人間が突然現れた事への驚きが大きく、後者は後ろめたい事が露呈した痛恨の現実への絶望が前景にある。
彼女の反応は後者。つまり、俺と初対面って感じがあんまりしない。
となると――――
「リノさん、なんだよね?」
「……!」
まあ、リノさんがこの部屋にいない時点で十中八九そうなんだけど、なまじ見覚えのある顔だから判断が難しくなった。でもやっぱり、彼女がリノさんである可能性が最も高い。
「どうして……そう思う……の?」
初めて聞いた彼女の声は、リノさんの年季入って芯の通った声とは全く違う、澄んでいて少し揺らいでいるような声だった。明らかに声質が異なる。仮にこの少女が50歳年老いたとしても、リノさんの声にはならないだろう。
「まあ、その辺の考察要素は色々あるけど、一番の理由は俺を見た時の反応。他人を見る目じゃなかったし、無断で入った俺を見てパニックにもなっていなかった」
「でも……全然顔違うよ……?」
「そこら辺は言霊絡みで説明でき――――ん?」
不意に違和感が走る。
まさか……
いや、でも今はそれを追及しても仕方がない。この少女がリノさんだとまだ確定した訳でもないしな。まずはそこからだ。
「まずその前に、リノさんかどうかを確認したい。リノさんで間違いない?」
「……うん」
良かった。彼女がリノさんじゃなかったら、リノさんは何処に行ったのかって別の問題が浮上するからな。
次は――――
「その顔、というか姿をした少女はお城で見た事がある。リノさんはあの少女に化けているの?」
「……」
返答なし、か。話したくない、若しくは話さない事情があるんだろう。
どうする……?
ここでなあなあにしても、今後の為に良くない。絶対モヤモヤするし。リノさんへの信用も揺らぐ。
かといって、明らかに話すつもりのない相手にそれを強要するのは、それはそれで人間関係の破綻に繋がる。この部屋に無断で入った事と合わせると、余計強引な感じになるしな。
「話したくないのなら、ここは折衷案だ」
「折衷……案?」
「リノさんが隠さなければならない事は、全て隠して良い。でも嘘はつかないで欲しい。俺も、憶測だけで決め付けないように心がける。それでどうだ?」
正直なところ、リノさんがなんでこんな姿なのか、誰が何の目的でそうしたのかは気になって仕方ない。多少強引にでも詰め寄りたい気持ちもある。冷静さを欠いている自分もいる。口調が少し荒くなっているのを今自覚した。
でも、俺は探偵で、彼女は依頼人だ。契約を書面で結んだ訳じゃない、あくまで口約束だけれど、それでもこの関係性は揺るがない。
「俺はリノさんを信じている。だから、その姿が俺やポメラやレゾンに悪い影響を与えるものじゃないって前提で言っている。そこはわかって欲しい」
何より、彼女には国王が依頼人の時に手伝って貰った恩がある。恩義のある人間への誠意は信頼だ。
「どうして、あーしを信じるの?」
でもそれは、ある種の礼儀……表層的なものに過ぎない。リノさんの今の疑問は、そういう事を聞いているんだろう。
出会って間もない、まだ大した積み重ねもない人間を信用するなんて、薄っぺらい価値観に基づく形式的なものに過ぎないんじゃないのか、って。
彼女の円らな瞳がそう語っている。前にも似たような事を聞いてきたし、俺の言葉が軽いと感じているのかもしれない。
なら、重くする努力を。
「それを説明する為には、二つの話が必要になる。長くなるけど、構わないかな」
「うん。聞きたい」
リノさんとは思えない、あどけない物言い。でも彼女の言葉は恐らく変わっていない。俺の言霊による翻訳が、少女の外見に引っ張られているんだろう。
「なら、まずは論理的観点から」
床に座り、これから話す事を脳内で整理する。長くなるとは断ったけど、話好きの年寄りじゃないんだから要点を纏める努力はしないとな。
さて――――
「この場合、もし俺がリノさんを疑うのなら、それは『リノさんが真犯人の場合』『バイオ達ジェネシスと影で協力し合っている場合』『ジェネシスに限らず、事件の真相を闇に葬りたい勢力と協力している場合』のどれかだ。要は俺の捜査が邪魔なのが前提になる」
余りダラダラとならないよう、リノさんの反応を見ながら一呼吸。一応聞き入ってくれているのか、さっきまでの不安げな表情は次第に薄れていた。
「でも俺の捜査はリノさんの希望で行っている。もし現状のままなら『元国王は誤って自分の生成した毒を飲んで死亡した』という、恐らく真相とは違う話が事実としてこの国で定着する流れになるけど、それを良しとしなかったのは他ならぬリノさん、貴女だ。だから真犯人と組んでいる可能性はない。真犯人は当然、真相が明らかになるのを嫌がる訳だからね」
ここまでは、誰でもわかる理屈を並べただけ。問題はここからだ。
「となると、リノさんが何かヤバい事を裏でコソコソしている可能性があるとすれば、それは貴女が真犯人だった場合だ」
「え……? でも、私が犯人だったら余計、真相が明らかにならない方がいいんじゃ……」
「普通ならね。でも『元国王が誤って毒死した』という決着が狙いと外れていた場合は?」
「え、えっと……」
あくまで仮定の話だから、ちょっとややこしくはあるけど、この事件はここまで考えておかないといけない。
つまり――――俺が現国王に対して納品した『若年性認知症に起因する誤飲による毒死』って推理が、真犯人にとって都合が悪かったってケースだ。
例えば、真犯人の狙いは国王の抹殺だけじゃなく、それをやったのが現国王や王太后など特定の誰かの仕業に見せかける事も重要な目的だった……という場合。もしその目的までがワンセットだったら、このままでは中途半端になってしまう。だから俺にもう一度捜査を依頼した……って流れが成り立つ。
元国王の死因は、公にされていない。知っている可能性があるのは、王太后から情報を得られるバイオ及びジェネシスか、リノさんを含む城内のごく一部の人間のみ。でも、バイオがリノさんを使って俺に再調査を依頼するよう仕向けたとは考えられない。もしそうだとしたら、わざわざ俺達の前に現れて捜査を止めるよう警告したあの行動と明らかに矛盾する。自分達が疑われないよう敢えてそうした――――ってのも考え難い。そんな回りくどい事するくらいなら、最初から潜伏していた方がマシだ。
よって、リノさんが俺達に危害を加える可能性があるのは、リノさんが真犯人の場合のみだ。
元国王への度重なる敬愛表現は、それを隠す為のフェイク。一応それで辻褄は合う。
でも――――
「それでも、リノさんは真犯人じゃない」
そう信じる理由が、俺にはあった。




