32 レゾンの真実
レゾンの表情は、明らかに勝利を確信したような、心に平穏が訪れた際に滲み出る多幸感が滲み出ている。それは時として油断にも繋がるが、防御一辺倒のポメラにとってはその油断に活路はない。
「《オレ様の拳よ、目の前のガキを超える硬度となれ!》」
……それがレゾンの言霊か!
極めて高い具体性、そして彼女の確信に満ちた表情。クリなんとかサの硬度を上回った経験があるとしか思えない。それじゃ負けが確定している!
どうする?
ここで止めれば勝負はレゾンの勝ちだし、何より一対一の戦いを邪魔したとして俺も粛正される。別にこんなゴロツキみたいな女と雇ったばかりの用心棒との勝負を台無しにするのは全然構わないけど、果たして俺はこの女から自分の命を守れるのか?
……そんなの考えるまでもない。自分の命なんだから、出来るか出来ないかじゃなく、やらなきゃならない。
助けない、なんて選択は最初からない。負けが決定した時点で、ポメラを助けるのは確定事項だ。
まずはもう一度レゾンの気をこっちに――――
「……うううーーーーっ!」
「怖いか? もし今の言霊が成立していたら、オレ様の攻撃は確実にテメェの身体を貫く。即死だったら幸せだ。最悪、地獄の苦しみの中でくたばる事になるだろうよ」
……ん?
「ま、待つのじゃ! 其方の相手はあーしだった筈じゃろうが!」
「ああ? 老いぼれの出る幕はねぇよ。もうとっくにオレ様とそのガキとの勝負に移行してるんだよ。勝負に横やり入れるのがババア、テメェの流儀か? だったらそんな奴は眼中にもねぇなぁ!」
「ぐ……ぬ……!」
おかしい。いや、おかしくはないのか。
最初からこの女は――――
「さぁ待たせたなガキ。命乞いの準備は出来たか? それとも頭の中で遺書を書いたか? なんなら今からそれを読み上げてもいいぜ?」
「う……! ううう……! うわあああああああああああん!!!」
恐怖と意地が絡み合って、ポメラは泣き出した。それでも歯を食いしばって逃げようとしない。怯えながら、それでもレゾンの方を睨み続けている。
この意地はなんだろう?
ポメラには目標や夢はない筈。ついさっき、果たすべき目的が霧散してしまったばかりだ。そんな彼女がここまでして意地を張るのは、何か理由があるんだろうか。
けど、今はそれよりもレゾンだ。
「さぁ、そろそろ行くぜ。あの世でせいぜい後悔するんだな――――」
「もういいだろう」
頃合いだ。
そう判断した俺の言葉を、レゾンは敏感に聴覚で察知した。いや、もしかしたら視覚だったのかもしれない。
「あぁ? テメェ何勝手に割り込んで来てるんだ? 一対一の勝負を邪魔する意味がわかってんのか? オレ様は勿論、そこのガキの尊厳さえ踏みにじってるんだぜ?」
「何処ぞの騎士様みたいに立派な事を言っているけど、これはそこまで高尚な勝負なのか?」
「勝負に高尚もクソもあるかよ。ただ、邪魔する奴は盗賊以下のクズってだけだ。テメェがそうだ。随分嘗めた真似してくれるなぁ?」
「なら攻撃してくればいい。言葉を行動に移せば良い」
「……ンだと?」
「さっきの、貴女が勝負と呼んでいる睨み合いもそうだ。向き合って、お互いに言霊を使った。ならもう言葉は不要だ。殴りかかれば良い。それだけだろ? この上なくシンプルだ。でも貴女はそれをせずダラダラと喋り続けている」
「何が言いてぇんだテメェ……」
恐らくとっくにわかっているんだろう。
レゾンは決して脳筋じゃない。ポメラの硬化を上回る言霊を使えるんだ。少なくとも最低限の……いや、平均以上の思考力を持っている。
だから、俺は心から安堵したんだ。
「ポメラが負けを認めるのを待っていたんだろう?」
それ以外に、攻撃を引き延ばす理由はない。例えば『ポメラの怯える顔を見るのが楽しい』っていうサドッ気に溢れた性癖でもあるのなら話は変わってくるけど、彼女の一挙手一投足に気を配ってみても、そんな快楽主義の様子は微塵もない。
「リノさんは強い。それは同じく強者の貴女には瞬時に把握出来た。だから拳を交えた。でもポメラは違う。そんな彼女に勝負を挑まれ、貴女は恐らく心中で困惑した。だから『勝負を受ける』と明言しなかった。そしてその後も、あれこれ悪態をつきながら攻撃するのを躊躇った」
「ハッ! ンなクソみてぇな意見を言う為にわざわざ嘗めた態度でオレ様を止めたのか? ゴミだなテメェ。脳ミソの出来が悪過ぎだろ」
「だが貴女は具体性のある反論をしない。殴りかかってもこない。貴女のその悪態は全て――――」
人様を指で差すのは失礼な行動。でも敢えてそれをやる。探偵としてやってみたかった事の一つだ。
「行動と伴っていない、単なる見せかけに過ぎない」
よし……満足。でも正直思ったほどのカタルシスはなかった。やっぱ架空の探偵のやってる事って何処か演技じみてるんだよな。でも今はそれが抜群にシニカルだ。
「……」
あれだけ罵詈雑言を巻き散らかしていたレゾンが押し黙る。ここで高笑いの一つでも始めて、俺の言葉を全否定するならば、それはそれで探偵魂に火が点くってものだが――――
「テメェ、名前は?」
生憎、この女性には思考力がある。知性がある。引き際を弁えている。この見た目に騙されちゃいけない。
「トイだ。探偵をやっている」
「探偵……ああ、伝説の職業とかいう訳のわからんアレか」
訳のわからんアレ扱いをされてしまったけど、どうやら俺の指摘は肯定されたらしい。多分敵意は向けられていない……と思う。念の為リノさんの方を見ると、彼女もすっかり毒気が抜けていた。
「いいぜ。勝負は引き分けだ。おいガキ、やるじゃねぇか。オレ様相手にそこまで意地張れる奴は中々いねぇよ。将来オレ様みてぇになるかもな」
「それはちょっと……高望みし過ぎな気が」
「何処見て言ってんだテメェ! あんまフザけた真似してっと殺すぞ!」
今のはなんとなく殺気がこもっていた気がした。っていうか、アンタがデカ過ぎて視線が嫌でも胸に行くんだよ。190cm近くあるんじゃないか……?
「まぁいいか。おう、テメェらちょっくら付き合え。今日の肴はテメェらだ」
「え……反社会性力の事務所に行くのはちょっと」
「何言ってんだ? 酒場だよ。酒くらい飲めるだろ?」
この世界にも酒はあるのか。そういえば、異世界に詳しい子供達が『異世界の街中はギルドと酒場と宿を行き来してたら大体OK』とか言ってたな。何気に重要なスポットなのかもしれない。
「俺は構わないけど、彼女は……」
「しゅわしゅわー……」
炭酸が抜けたような音を口から出し、身体の芯から脱力していた。生命の危機が去って安堵……というか放心状態だ。腰が抜けてるかもしれない。若しくは……いや、本人の名誉の為にこれ以上の想像は止めておこう。
「あーしがポメラを宿に連れて行こう。あーしはそのオナゴと飲む気にはなれんのじゃ」
「気が合うな。オレ様もだ。ババアと交わす杯はねぇよ」
「ほざけ」
殴り合って芽ばえる友情もあるらしいけど、彼女達はお互い一撃も貰っていないから、そんなもの芽ばえる筈もなく、一切笑みを見せる事なくリノさんはポメラを担いで宿の方へ向かって行った。
「酒場はこっちだ。テメェ、この街に詳しくねぇんだろ?」
「わかるのか?」
「オレ様に話しかけて来た時の歩き方でな」
洞察力まで高いのか。道理でこの街の支配者な訳だ。腕自慢ってだけじゃなくオールマイティなんだな。
「これから行くのは、オレ様行きつけの小さな酒場だ。オレ様が来る時は他に誰も客がいないようにしてある。静かに飲めるぜ」
さて……そんな強敵と第二ランドか。果たしてどれだけの情報が引き出せるのか――――
「――――だから子供は苦手なんだよ! あんなに何回も参ったしろってサイン出したのに全然気付かないしさぁ! もうどうしようかって頭の中グチャグチャだったよ本当は!」
……地獄だ。
地獄だ!
まさか泣き上戸だったとは……いやそれはいいんだけど、なんか酒が入ると口調が若干乙女寄りになるのはマジで止めて。さっきまでの雰囲気や見た目とのギャップが尋常じゃない。違和感で酒がマズいったらない。
あとこの世界の酒はアルコール弱過ぎる。1~2%くらいだろこれ。なんでこれで一瞬で酔うんだよ。この女が特別酒が弱いのか、これがこの異世界の標準なのかもわからない。
「そもそも、なんであんな場所に一人でいたんだ? 貴女は影の支配者なんだろ? もっと取り巻きに囲まれてる感じを予想してたから、貴女がレゾンなんて夢にも思わなかったんだけど」
「だって……一人になりたかったんだ」
「え?」
「部下はどいつもこいつもオレにヘコヘコしてきて媚びた笑い浮かべるし、反感持ってる連中は殺気立って襲いかかってくるし……辛いんだよそういう毎日。オレだって一人になりたい時くらいあるよ」
「そ、そうなんだ」
「それにさぁ、オレ別に支配とかしたくないんだよ。ケンカは嫌いじゃないから、挑んでくる奴と片っ端から戦ってたんだけど、そうしたらいつの間にか影の支配者とか言われるしさぁ……」
……なんか思ってた人物像と全然違うんだけど。思考力高い割に人生設計はガバガバだな。流されすぎだろ幾らなんでも。
「一応、青写真はあったんだよ。そこそこ名前を売れば、王に目を付けられて仕官出来るんじゃないかって。前の王は結構頻繁に街に来てたから」
「ああ、そういう事か。要はやり過ぎたんだな」
狙いは悪くない。彼女の実力があって、それなりに野心や功名心もあって、金に困らない生活を望んでいるのなら、十分な合理性のある方策だ。
でも結果的に裏世界で名前が売れてしまった為、王の目には留まらず、真逆の方向で成り上がってしまった……って訳か。なまじ思考力があったのが裏目に出たな。
「そんなに嫌なら、今の生活を放棄すればいいんじゃないの? 『旅に出ます。探さないで下さい』って書き置き残して、一番頼れる部下に全権委ねて、そっと街を去る……みたいな」
「それも考えたけど、後々の混乱を考えると無理だ……オレが支配者じゃないと、この街の治安は一気に悪化する。オレが結構な数の勢力を抑えつけてるんだ。そういう連中は如何にもワルって感じの雰囲気とか喋り方じゃないと言う事聞かねーし……でも演じるのいい加減辛いんだ」
……思った以上に生真面目な人だった!
でもまあ、これだけ素直に話してくれるのなら情報は得やすいかもしれない。アルコールの力は異世界でも偉大だ。
幸い、彼女の口から既に国王の事が出ている。話は繋げやすい。
「貴女は、元国王を恨んでいたのか?」
これが単刀直入な質問にならないのは、本当にラッキーだ。
さて、返答は――――
「素敵だった」
……ぇぁ?
「元国王は……王は……とても紳士的で……オレの理想の王子様だった」
はいもう訳わかりませーん。一旦休憩入りまーす。




