27 エロイカ教
エロイカ教とは、エウデンボイ=アウグストビットロネが設立した独自色の強い宗教だ。哲学者の父と風俗店で働いていた母が運命的な出会いを果たしたことでこの世に生を受け、共働きする両親に育児放棄されながらも独自で勉学に勤しみ、教職に就いて神学を学び、ある日突然『太股は鼓動』と脳内で響き渡った言葉に従い開祖となった。
エロイカ教における説法の原点は太股の偉大さであり、エウデンボイは教義として『真理は太股に芯を作らず』と持論を掲げ、女体の重要性を波及的に展開。女体の神秘に関するあらゆる研究論文を学習し、歴史を重んじた上で『太股を崇めるには太股を孤立させない他の部位こそが肝要』と新説を唱え、これを『全身これ太股なり』とし、肉感的な身体こそが至福の入り口と訴え、賛同者を募った。
当初は邪教と揶揄されたエロイカ教だが、エウデンボイの卓越した女体論と賛同者による熱心な活動が奏功し、『乳・尻・太股』の三位一体改新を教えの源泉とした教典【黄金律】がカルト的な人気を集めた事で、信者の数は年々増加。
女性は神から愛された聖なる器を肉体とする存在であり、それを最適化する事で男に対し唯一無二の『愛』という観念を与え人類の繁栄をもたらし、この世を統べている――――とした『絶対女政』を理想に掲げ、女体こそが国の支配者たるべき概念であると断定。
黄金律の一節で『私たちはふくよかなる女体を唯一の神、全知全能の母、森羅万象だと信じ、一筋の光をここに嘗め回します』と説き、肉付きの良い女性を絶対的な存在として崇めている。
「一般女性の肉付きは平均体重と密接な関連性があります。そして女性の平均体重が高い国は、出生率も高いというデータも出ているのです。女性がふくよかな国には幸せが訪れるのですよ。だがそれは、私達にとって啓蒙の為の一材料に過ぎません。太股は柔らかくあるべし。弾力があるべし。ムチムチであるべし。こういった本能に訴えかけてくる言葉の方が、遥かに重要なのです」
「……そ、そうですか」
応接室に通されて暫くの間、エロイカ教の実績と自慢話を聞いてみた結果、予定通りだったにも拘らず体調を崩してしまった。
予想はしていたけど、やっぱりダメだ。こういう連中と関わると具合が悪くなる。一体どういう精神構造をしていたらこんな訳のわからない人生を真顔で送れるんだ?
「少し長話が過ぎましたな。では、用件を窺いましょう」
しかも対応は終始常識人のそれだし……ギャップがヤバい。
実際、このエウデンボイって人は怪しい宗教団体の教祖にはとても見えない。怪しい白装束を身に付けている訳でもなく、服装は若草色を基調とした少し派手な上着と枯草色のボトムスという、この世界では珍しくもない組み合わせ。顔立ちも落ち着いていて、十分な睡眠時間を確保出来た日のエリートサラリーマンに見える。
マズいな、戦う前から大分精神を削られてしまった。勿論今日はあくまで話を聞くだけなんだけど、情報戦も立派な戦い。このままだと敗北しかねない。
まずは相手のペースから脱しないと……
「実は、とある事件を追っていまして、貴方がたに話を伺いたくて足を運んだ次第です」
「ほう。どのような事件でしょうか。当方、問題を起こした心当たりがまるでないので、正直想像もつかないのですが」
ま、この時点でボロを出すほど間抜けには見えない。イッちゃってはいるけど。
「密室で起こった殺人事件です。その為、容疑者になり得る候補としてテレポートの使い手を特定しているところなんです」
当然、国王の不審死について話す訳にはいかない。でも連想はさせないといけない。この辺が落としどころだ。
「貴方は相当な思考力を持っている。テレポートを使用出来るかどうか、聞いても宜しいですか?」
テレポートの使用者は、国に申請している分には特定する事が可能。そのデータを今朝方確認させて貰ったところ、レゾン一味、ジェネシス、そしてこのエロイカ教と、いずれも該当者はいなかった。でもそれはあくまでも申請されていないというだけ。自分の使える言霊を隠しているかもしれない。
その隠蔽はこの国では犯罪行為だけど、反体制派の連中がお行儀良く法律を守っているとは限らない。だからこの質問自体にも多少の意義はある。
「残念ながら、そのような力は私にはないようだ。使えれば、ぜひ使ってみたいものだが」
「例えばどんなふうに?」
「そうだな……エロイカ教のシンボルとなる女性を探す旅をしたい。テレポートが使えれば、いつでもここへ帰って来られる。有事の際に開祖が不在ではしまりがないと思われる」
……なんだろう、真面目な顔でこんな事言われると対応に困るよ本当。
あと、俺の左右に据わっている女性二人がさっきから一言も発していないのが怖い。基本的には俺が話をするって事前に決めてはいるんだけど、それでも生返事くらいはして少しでも空気を良くして欲しいところだ。
とはいえ、彼女達が今どういう心理状態なのかは俺の想像出来る範疇にない。エロイカ教という存在は兎も角、ふくよかな女性を絶対的な正義とする目の前の男に対し、決して肉付きが良いとは言えない女性が何を思うのか――――うう、想像するだけで疲労感が増していくばかりだ。
「やはり、そういう女性が身近にいて欲しいって主旨の宗教活動なんですか?」
「中々に本質を突いた質問だ。特定の女性を囲いたいか、という主旨ならば否定するが、日常的に視界に収まる女性全てが豊満であって欲しいか、と問うているのならば肯定しよう」
それは正直どっちでもいい。
「私は、自分達が変態である事を否定はしない。何故なら変態とは、マジョリティではない揺るぎなき信念を持っている者の総称であるからだ。人はそれを好ましくないと思い、蔑称を付けた。それだけの事。信念は時として他人を蹴落とすし、傷つけもする。私も少なからずそうしてきた人間だ」
……教祖様の視線が俺の両隣に向いているのは、『君達みたいな身体付きは要らないの。傷ついた? ゴメンねー』って事か?
気の所為か、リノさんの方向から殺気が……いやいや、武術の達人でもない俺にそんなの察知出来る訳ない。単なる先入観だろう。
「話はそれだけかな?」
「いえ。一つ気になる噂を聞いたので、その確認させて貰えれば」
このままだと収穫ゼロのまま、単に具合を悪くしただけの来訪になってしまう。それは避けたい。
「レゾンという人物をご存じですね?」
顔色は――――変わらないか。変態を自称するだけあって、面の皮が厚い。
「名前だけは聞いた事がある。この街を裏で支配する男……だったか。生憎男には興味がないので、動向に関心を抱いた事はない」
「そのレゾンと貴方がたが手を組んだ、って噂が流れていたんですが」
「全く心当たりがない。大方、エロイカ教を煙たがっている人間がイメージダウン目的で流したのだろう」
「え?」
「……何かおかしな事を言ったかね?」
ずっと隙を見せずにいた教祖様が、微かに揺らいだのを見逃さなかった。この集中力、誰かに褒めて欲しいね。
「大変失礼を承知で言わせて貰えれば、エロイカ教のイメージが悪いという前提は、女体に強過ぎる拘りを持っているからだと拝察します。なら、男であるレゾンと手を組んだところで、イメージは悪化しないんじゃないですか?」
「街の支配者と手を組んで、女性を拉致していると思われれば、十分に印象は悪くなるだろう」
「成程。確かにそうですね」
実にまともな意見だ。でも、それでいい。そうであってくれた方が俺にとっては救いだ。
「でも、『エロイカ教はレゾンを取り込むほど求心力のある宗教だ』って思われてるかもしれませんよ? 貴方はご自身の宗教に余り自信がないようですね」
顔色は変わらない――――が、露骨に目付きが変わった。そうでなきゃな。これは情報戦なんだから、それくらい睨んで貰わないと。
「私は現実を知っている。まだまだエロイカ教は布教が足りない。この街の女性の多くが細身である事が証拠だ。そこのお二人もそうだろう」
悪くない逃げ口上だ。二人がこの場に辟易しているのを見越した上での発言だろう。話を逸らすには格好の標的だ。
そして、教祖の目論み通り――――
「あ……あの……!」
顔を強ばらせたポメラが重い口を開いた。




