22 可能性の安売り
名探偵は、事件を解決する為に存在する。だから病的なまでに真実を追究し、真相を解き明かそうとする。その為なら命を危険に晒す事だってあるだろう。
それは別に創作だからって訳じゃない。わざわざ戦場に足を運ぶジャーナリストがいるように、殺人犯をわざわざ追い込んで殺される確率を上げる探偵がいたとしても、それは決して不思議じゃない。実在すれば、とてつもなく間抜けな人物だろうが。
俺は名探偵じゃない。事件解決を目的とはしていない。
だから、この推理を依頼人に納品する。
「被害者である元国王、ジョルジュ・エルリロッド様は若年性認知症、私達の世界ではアルツハイマー型認知症と呼ばれるタイプの認知症によって、記憶力の低下が顕著に現れていたと推察されます。故に、自分の持ち物の在り方を忘れ、また被害妄想が重なり物盗られ妄想……誰かに盗まれたと思い込んでしまう症状が現れたのです」
「まさか……引きこもりになったのも、家族や家臣の事も記憶から薄れて信頼を失ったから……なのかえ?」
心当たりがあったのか、リノさんは愕然とした面持ちで俺と目を合わさず虚空に問いかける。それでも答えるのは俺の役目だろう。
「一番の理由は気力の低下だと思う。でも、リノさんの意見も的を射ているだろうね」
彼女にとって、元国王から忘れられていたかもしれないという現実は、きっと辛いものなんだろう。そう思うとやりきれない気持ちになる。
「余の事も忘れちまった、ってのかよ」
「恐らくは。陛下が贈ったプレゼントの水筒も『誕生日に息子から貰った物』ではなく『良く知らない人物が置いていった物』と感じたのでしょう。だから自分の物と認識していなかった」
「なんてこった……」
「認知症になると、強い不安と孤独感を抱いて怒りやすくなります。心当たりはありますか?」
「……ああ。婚約指輪がないってブチ切れてたしな。以前の父上ならあり得ない剣幕だったよ」
人格変化、若しくは性格の先鋭化は認知症につきものだ。それまで穏やかだった人が急にキレやすくなったり、元々嫌味ったらしい人間が更に口が悪くなったり、そんな変化が起こる。
探偵の仕事をしていると、嫌でも認知症には詳しくなる。徘徊によって行方不明になった老人の捜索を依頼されるからだ。
これも子供同様、最初の失踪は警察に話が行く。でも子供以上に、認知症の老人は頻繁にいなくなってしまう。その度に警察に連絡する訳にはいかないから、探偵に依頼するって流れだ。
田舎なら、親戚やご近所に声がけして十分な人員を確保出来る。防災無線で呼びかけをする事も可能だ。でも、都会ではそんな訳にはいかない。
ただ、これは探偵にとっても中々辛い仕事だ。上手く見付けられればいいけど、場合によっては不幸な事故が既に起こっている事もある。
何より、何度も何度も失踪されて家族が精神的にも経済的にも疲弊していく様を見続けなければならない。
プロとしては失格かもしれないけど、そういう場合は最低賃金を割り込むくらい報酬額を下げる事もある。定額プランと称して、一ヶ月幾ら払えばいつでも捜索する……なんて提案をしようと思った事さえあった(流石に実行は出来なかったが)。
名探偵なら、認知症なんて推理は恐らくしないだろう。でも俺は、これが最も妥当な"落としどころ"だと判断した。
「さっき貴公が言った『誤って毒を生成した』ってのは……認知症でボケちまった父上が、水筒の中の水を言霊で毒に変えた……って訳か? でもそれは無理だろ。毒の生成は比較的ハイレベルな言霊だ。認知症を患っている状態の思考力で可能とは思えねぇ」
当然そう思うだろう。でも、こう考えればどうだ?
「水筒の中の水が腐っていて、それを言霊で致死性の毒に変換したとしたら?」
引きこもり状態の国王が持っていた水筒を、誰かが回収したとは思えない。ずっと部屋の中にあった筈。もし元国王が食事した直後に水筒の水を飲んでいたとしたら、水筒内の水には食べカスが混入した可能性が極めて高い。そんな水をずっと放置していれば、やがて腐る。既に人体に悪影響を与える状態の水を毒に変えるのは、通常の水を毒に変えるよりもずっと簡単な筈だ。
「認知症によって攻撃性と易怒性が高まっていた御父上が、水筒を片手に『死ね』とか『殺す』とか呟いたとしたら……そして水晶を身体の何処かに持っていたとしたら、誤変換が起こたっとしても……」
「矛盾はねーな」
そう。
あくまでも矛盾はないというだけ。確固たる証拠なんて何処にもない。
証拠のない推理なんて、名探偵は絶対に公開しない。頭の中に留めておく仮説の段階だ。でも、俺には証拠なんて必要ない。
「……よし、わかった。貴公のその推理、余が責任をもって公表しよう」
「御父上の名誉はよろしいんですか?」
「若くしてボケた、って言えば恥になるだろうな。国民はそう受け取るだろうよ。でもお前の言う若年性認知症ってのは病気なんだろ? ならそう公表すればいい。父上は病気によって意識が混濁し、誤って飲み物を毒に変えてしまった。何も嘘はついちゃいねぇ」
――――やっぱりか。
国王の目的は事件の解明じゃない。自分の疑いが晴れる為、納得度の高い推理を欲していた。事故死なら、王族の恥にもならないし、自分への疑いを払拭出来る。
「ただし公表は貴公の名がしっかり城下町の国民に知れ渡ってからだ。それはどうなっている?」
「一応、既に冒険者ギルドで布石は打ってきました。後は時間の問題です」
「わかった。暫く様子を見て、状況次第では別の一手を打って貰う。準備して貰えるか?」
「御意」
アフターケアは探偵の基本。それを煩わしく思うようでは到底務まらない。
「良い返事だ。全て終わったら、貴公を元の世界に戻す方法を提供しよう。しかし貴公さえよければ、この国に留まる事を勧めたい。今回の報酬として特別な官職を用意してある。無論、他では決して手に出来ない好待遇だ。余に仕えるつもりはねぇか?」
……驚いたな。まさかそう来るとは。
実際のところ、報酬目当てで受けた依頼じゃなかったし、元の世界に戻る為に動いていたつもりもない。
事件解決後にどうするかは、その時に考えれば良い――――そう先延ばしにしていたから。
"その時"が今訪れた、ってだけの話だ。
「まだ時間はありますので、考えさせて頂けないでしょうか」
「ああ、構わねぇよ。もし元の世界に帰りたいのなら、その方法とは別に十分な報酬を用意する。暫く豪遊してから帰っても良いし、すぐ帰りたいなら好きにすりゃいい。こう見えて感謝してるんだぜ。貴公が何も聞かない事にな」
どうやら、こっちの気遣いは伝わっていたらしい。なら口止めで消される心配もないだろう。
今回の異世界召喚――――俺はずっとこの国王から命運を握られていた。
何しろ相手は国王だ。逆らえば殺されるかもしれない。少なくとも国内にはいられなかっただろう。幾ら召喚された――――招かれた客だとしても、だ。
俺が自分の命運を取り戻すには、彼の依頼を満点かそれに近い点数で果たさなければならなかった。それはつまり、国王が満足する『事実』を用意出来るかどうかだ。
推理の整合性は重要だ。綻びがあれば、国民はそれに気付く。そして国王を糾弾するだろう。やはりお前が前国王を殺したのかと。前国王の人徳からすれば、そういう風潮になるのは間違いない。
その上で、国民が納得する『前国王の死のストーリー』を用意する。当然、犯人は疑いを向けられている現国王であってはいけない。かといって、王族を無闇に傷付けてもいけない。なら『非業の死』が一番納得を得やすい。
病気だけなら、事故だけなら、国民は納得しないだろう。元国王が病気という話は出ていなかっただろうし、事故だと作為性がどうしても感じられてしまう。
でも、病気による事故死となると、なんとなくそれっぽいと納得してしまう。一つ複雑性を足す事で奇妙な満足感を得る。大衆心理ってのは不思議なもので、そういうところが多々ある。
だからこそ、国王は俺の推理に満足したんだろう。
これで俺はようやく、心臓に突きつけられていたナイフを床に叩き落とす事が出来た訳だ。悲壮感を出さずにいるのに必死だったけど、それももう過去の話だ。
「……」
リノさんは自分が忘れられていたかもしれないと知ってから、ずっと黙ったままだ。余程ショックだったんだろう。
「暫くは城下町で暮らして貰うぜ。その方が知名度も上がるし、知名度の把握もし易いだろ? 宿代や生活費は当然こちら持ちだ。良いモン食って好きな宿に泊まりな」
「ありがとうございます。では、今日はこれで失礼します」
これ以上の長居は無意味。でも――――
「あの、リノさんは……」
「連れて行きたいのなら好きにしろ。それにしても貴公は変わってんな。俺なら断然、連れて歩くなら若い女だが」
「深みのある人間が好みなもので」
「なら、余の事は嫌いか?」
不意に――――
一つ間違えば首を撥ねられそうな質問が襲いかかってきた。




