18 柊命題は恋愛に絶望している
城の資料室――――といっても、本当に重要な資料は俺みたいな部外者が出入り出来る筈もなく、本棚に並んでいる資料は大半がこの国の歴史や王族の偉大さを過剰に記した書物だった。歴史に関しては、それなりに興味もあるし漁ってみたい気持ちもあるけど、それは依頼を果たしてからでいい。今すべきなのは、今日判明した情報の整理と、それによって方針をどう変えるかだ。
そしてその前に、リノさんに聞いておかなければならない事がある。
「先代とエミーラ様は不仲だったの?」
「……そういう訳ではない。エミーラ様が思っておられるほど、陛下はあの方を煙たがってはいなかったのじゃが」
この物言いだと、エミーラ様が一方的に嫌っていたか、嫌われていると思い込んでいたか――――そんなニュアンスに聞こえる。
問題は、そんな事情をこのリノさんが知っている事だ。彼女は元国王とどれくらい親しい間柄だったんだろうか。エミーラ様のリノさんを見る目は、長年夫を奪い続けた愛人を睨み付けるような嫌悪感……には至っていないけど、どうもそれに近いような感じを受けた。リノさんも、未だに元国王を先代ではなく『陛下』と呼んでいる当たり、死を受け入れられていないように感じられる。
でも、仮にエミーラ様がリノさんに憎しみを抱いていたとしたら、今頃リノさんはここにはいないだろう。元国王が亡くなった今、エミーラ様が彼女を追い出すなど訳ない事。何時までも死んだ夫の愛人を城に置いておく理由はない。
この世界、この常識はわからないけど、国王が妾の一人や二人囲うのなんて普通の事のように思える。でも、それが普通だからといって妾に何も感じないって事もないだろう。自分より余所の女に入れ込まれて、誇りが傷付かない女性はいないと思うんだよな。
「もし其方がエミーラ様を犯人と疑っておるのなら、それはあり得ん事じゃ。王妃が王を殺すなど絶対にない。自分を殺すようなものじゃ」
「それは理解してるよ。でも、自ら命を絶つ人間は沢山いる。理屈じゃないんだ、そこは」
エミーラ様の情念が、女としてのプライドが、自分の未来全てを粉々にしてでも元国王を許さなかった……という事もある。それが人間だ。
俺は殺人事件や難事件を解決した事はないけど、男女のそういうトラブルとは何度も遭遇してきた。100%旦那が悪いのに、旦那の不倫相手だけを恨む妻。自分は散々浮気しておいて、たった一度の妻の不貞行為を糾弾し『死ね』と連呼した後に失踪する夫。浮気がバレないよう全く同じスマホを三台用意して全て華麗に使いこなす女子中学生。決して多くはない財産をどうしても妻に相続させたくないって大義名分でキャバクラに入り浸る初老の男……
思い出すだけでウンザリする。
探偵って職業に就いた事を後悔した日はない。どの道、他に生きる術はなかったように思う。俺にはそういう器用さはない。公務員なんて望むべくもないし、ホワイト企業でも会社勤めがちゃんと出来たかどうか。気ままなフリーターとして暮らしても、多分何処かで破綻していただろう。天職とはちょっと違うけど、例え貧乏でも俺には探偵は合っていた。
現実の探偵は大きな事件になんて遭遇しない。俺達の仕事は常に人々の生活の中に埋没している。日々を祈るように生きている一般人と共にある。ほんのちょっと、些細な問題点やトラブルを解決する為に俺達はいる。
でも、浮気調査に代表される男と女の生々しいトラブルだけは、どうしても慣れなかった。
皮肉なもんだよ。そんな俺が、殺人事件を手がけて男女――――それも国王夫妻っていう究極の男女の仲のもつれをあーだこーだと考えているんだから。
「俺は基本、特定の個人を疑うような真似はしない。でも疑うべき根拠が見つかれば、どんなに事件との関連があり得ない人物でも疑う。現状、エミーラ様は重要参考人に近い存在と言える」
「ならば聞こう。根拠とはなんじゃ?」
「あの水筒だ」
偶然同じ物を持っていた――――では当然済まされない。依頼人の発言を積極的に疑う理由がない以上、あの水筒は事件と何らかの関わりがあると断定していいだろう。
「予め同じ水筒を用意していて、その中に毒の入った液体を入れていた。そして、公務で元国王が部屋を開けている隙を狙い、壁抜けを使って隣の元国王の部屋に入り、水筒をすり替えた。これならあの水筒の説明が付く」
ただし、処分は難しい。ゴミに出せば城内の誰かに見つかるかもしれないし、王妃が城の外まで水筒を持って出歩くのは不自然極まりなく、誰かに見られたらマズい事になる。
だから、花瓶に擬態させた。
花瓶として使っていれば、事情を知らない人間は勿論、あの水筒を父親に贈った現国王ですら欺けただろう。
ここで重要なのは、棚の中などに隠さず花瓶として使っている事。隠していた水筒を万が一誰かに見付けられたら、一発で怪しまれる。現に現国王が俺を使って事件を調べさせているからな。その動きを察知していたならば、隠しておくのは危険だと判断しても不思議じゃない。花瓶として使っていれば、『偶々使用人が店で見かけて、花瓶用に買った』とでも言えば一応筋は通る。
ま、所詮は推論だ。指紋でも採取できればいいんだけど、そういう訳にはいかないからな……
「……もし本当にエミーラ様が水筒をすり替えたのなら、陛下の部屋にあった水筒は何故ヴァンズ様の所有物になっていたのかえ?」
そう、問題はそこだ。
もしすり替えがあったのなら、水筒の所有者はエミーラ様でなければおかしい。かといって、すり替えがなかったとしても、元国王じゃなく現国王の所有ってのは妙だ。
ただ、それについては現国王の証言がある。元国王はプレゼントとして贈られたあの水筒を喜んではいなかった……と。
だとしたら、自分の物って意識は希薄だったのかもしれない。それなら、誕生日プレゼント用に購入した現国王の方が所有者の自覚があったのかもしれない。自分の選んだプレゼントだしな。
となると、すり替えはなかったと考えた方が正しそうだ。でも、それだとエミーラ様の部屋に何で同じ水筒があったのかの説明が付かない。水筒を花瓶代わりに使っていた事も。
彼女は部屋を飾るタイプじゃなかったけど、それでも元国王の妻が花瓶代わりに水筒を使うなんてのはちょっと考え難い。何か必ず意図がある。さっきの俺の推理は結構的を射ている気がするんだけどな……
「悩んでおるようじゃな。なら、全く別の人物が犯人という可能性も考えてみてはどうじゃ? 別の視点を持てば物事が前に進む事もあろう」
「確かに……特定の人物が犯人だと思い込んでたら、袋小路に迷い込みそうだしね」
助手のありがたい助言に従い、一旦『エミーラ様犯人説』は置いておこう。
だとしたら、他に犯人の候補は――――
「侵入者だ! 城の中に侵入者が現れた!」
思考の邪魔をする、けたたましい声が資料室を蹂躙した。
侵入者……?
おいおい、ここ王城だよな? なんで侵入なんて許すんだよ。どんだけ警備ガバガバなのさ。
「む……済まぬがあーしは一時助手を離れる」
「侵入者の確保ですか?」
「無論そうじゃ。王族を守るのは、城に身を置く者の最優先事項じゃからな」
リノさんは言葉が終わる前に、もう資料室の扉を開けていた。
彼女くらい強いなら、当然戦力になるだろう。並の相手なら簡単に捕まる筈。
でも、城に侵入するような奴が並とは思えない。かなり厄介そうだ。
結界があるからテレポートをはじめとした言霊での侵入じゃない。恐らく隙を見て、若しくは変装か何かして内部に入り込んだんだろう。
さっきの声、そう遠くには感じられなかった。って事は、城の中にいる兵が侵入者に気付いたと考えられる。
何故、わざわざ城に忍び込もうとしたんだ?
国王暗殺事件と何か関係があるのか?
そう考えると、このまま黙って資料室に閉じこもっている訳にはいかない。以前の俺なら何も戦力にはなれなかっただろうけど、今の俺には言霊がある。相手が誰であれ、十分戦える筈だ。
リノさんに万が一の事があったら困るしな。
よし、俺も行こう。
もし国王暗殺事件絡みなら、行き先は――――




