17 情念(1)
現国王が20代後半と仮定すると、その母親である王太后は恐らく50前後。その割に外見はかなり若く、なんだったら30代でも通用しそうな美貌だ。ただ、息子のような顔の濃さは感じない。そっちは元国王の遺伝なんだろう。
体型はスレンダーで、それが更に若く見せている。贅肉は何処にも付いていなさそうだ。顔もシュッとしていて、鋭さがある。国王とは別の意味で、対峙するだけで緊張してしまうタイプの女性だ。
あと、意外にも化粧も濃くない。この手の人物はガッチガチにメイクを固めてくる印象だけど、エミーラ様は違うらしい。これが御本人の性格によるものなのか、この国――――若しくはこの世界の標準なのかは不明だけど、完全にナチュラルメイクだ。まあ、単にもう今日は人と会う予定がなかったってだけかもしれないけど……
「この度はお悔やみ申し上げます。まだ傷の癒えぬ中、突然押しかけしまい申し訳ございません」
「いぃえぇ、息子から話は伺っていますのよ。協力するようにと。私に出来る事なら何でもするから遠慮しないでねぇ」
まあ見た目の事は良いとして、問題はこの態度だ。とても国王の母親という権力者とは思えないくらいこっちに気を遣っている。まして、自分の夫を亡くしたばかりだというのに。
いや……だからこそ、か?
もしかしたら人恋しいのかもしれない。だからリノさんはこんな時間にでも押しかけて構わないと言ったんだろう。
身内を亡くした経験がない俺にはわからないけど、そういう時は案外、忙しい方が楽だって言うしな……余計な事を考えなくて済む時間の方が過ごしやすいって訳か。
「それでは、お言葉に甘えてお聞かせ頂きたく存じます。先代の陛下が生前、誰かに命を狙われているという話を聞いた事はありますか?」
国王に対してもそうだったけど、王族に対しての正式な話し方なんて知らないから普通の敬語しか使えない。言霊の効果で上手く翻訳されているのを願うばかりだ。
「申し訳ないけれど、全くわからないのよぉ。私、あの人とはもう何年も公務以外で顔を合わせていなかったからぁ」
……何年も、か。まあ珍しい話じゃない。子供が独り立ちした家庭では、同じ家で生活していても会話を交わさないどころか目も合わせないって夫婦は結構いる。仮面夫婦って奴だな。
それに、国王は引きこもりだったらしいし、内向的な性格の可能性が高い。衝突を避けて奥さんとの接点をなるべく少なくしていたとしても、然したる驚きはない。関係は冷え切っていたと考えて良いだろう。だったら、夫の死を全く引きずっていないこの態度も納得だ。
「では、先代の交友関係に関しても近年の事は余りご存じないですか……?」
「その事なら、私よりもそこのリノの方が良く知ってるんじゃないかしらぁ?」
「……いえ、そのような事は」
恐ろしい事に、王太后の声に乗っかっている感情には全く変化がない。さっきまでと同じ調子で、リノさんを威圧していた。
露骨に怪しい。なんなら犯人の候補の一人にしてもいいくらいに。何しろ、この王太后の部屋は被害者の隣。壁抜けの言霊を使えるのなら、見張りに見つかる事なくノーリスクで犯行に及ぶ事が可能だ。
とはいえ……常識的に考えて、当時王妃だったこの人が夫である国王を殺める筈がない。自分の身分、権力に大きく関わってくる。少なくとも、得になる事は何もない筈だ。
「……お茶です」
いつの間にか、使用人と思しき女性が飲み物を運んで来ていた。水晶を持って来た子達とは違う、大人しい感じの女性。年齢は……20代半ばだろうか。
「どうぞ召し上がって。外国から仕入れた最高級のお茶なの。滅多に来客なんてないけどぉ、こういう時くらいは良いものを出さないとねぇ」
「恐縮です」
この世界にもお茶がある……なんてのは別に驚きには値しない。まあ普通にあっても不思議じゃないし。
それにしても、つい先日まで王妃だった人の部屋とは思えないくらい質素だな。国王の部屋はそれなりに威厳がある飾り物が多かったけど、ここは棚ばかりあって金持ちの部屋特有の華々しさは余りない。せいぜい赤い花がテーブルや棚の上に飾られているくらいだ。
……ん?
あの花瓶……っていうか、あれって花瓶ってより……
「あの、付かぬ事をお伺いしますが……あの花瓶、もしかして水筒じゃないですか?」
間違いない。
あれは――――元国王の部屋にあった水筒と同じ物だ!
何故水筒を花瓶として使っているのかも謎だけど、元国王の水筒と同じ物をこの人が持っているのも不自然だ。何しろあれは、元国王の誕生日に息子から贈られた物なんだから。しかも引きこもりの元国王を案じて贈った物。同じ物を母親にプレゼントする理由はない。
「あらぁ、よくおわかりになったのね。そうよぉ」
……多くを語らない、か。こっちとしても、『あれは元国王が持っていた物と同じですよね?』とは聞き辛い。この身分の人に事件の犯人と関連付けるような発言をするのは流石にマズいからな……
何にせよ、収穫は結構あった。これ以上の長居は無用だな。
「では最後に一つだけ質問をお許し下さい。最近は公務以外で顔を合わせていなかったとの事ですが、公務中でも構いません、何か先代に変わった様子はありませんでしたか?」
「それは……まぁ、隠しても仕方ない事よね。公務上の事とはちょっと違うけどぉ、実はあの人の部屋、この一年で二度ほど盗みに入られてるのよぉ」
……何?
聞いていないぞ、そんな話。
思わず反射的にリノさんの目を見てみた。明らかに驚いた様子だ。どうやら彼女は知らなかったらしい。
「盗みって……部屋の前には常時見張りがいるのにですか?」
「ええ。だから、あり得ないのよぉ。そんな事は」
……?
彼女は一体何を言っているんだ?
「だからぁ、あの人がそう言ったのよ。『また自分の部屋に盗みが入った』って。公務中、こっそりと私にね、そう言ったの」
"また"――――それが意味するのは勿論、以前も同じ目に遭ったって事だ。
「あの、一度目の時は……」
「あんまり身内、しかも故人の恥を晒すのは気が進まないけどぉ、最初は部屋の中から大声で叫んだのよ。『大事にしていた婚約指輪が盗まれた』ってね。フフ、滑稽でしょ? 婚約指輪が盗まれるなんて、この世で最も愚かな出来事だと思わない?」
……言いたい事はわかる。本当に盗まれたのなら、婚約指輪をはめていなかったって事になる。愛情がとっくに冷めている証だ。それで『大事にしていた』と言われても、到底受け入れられないだろう。
にしても……国王の部屋に盗み? そんなチャレンジャーがこの世界にはまだいるってのか?
それとも――――今回の犯人と同一人物の仕業か?
「その事は、陛下もご存じなんですか?」
「勿論。当時のあの人の叫び声は、部屋の近くにいる誰もが耳にした筈よ。最悪の言葉を、ね」
……成程、道理で元国王への愛情の欠片も感じない訳だ。それは確かに屈辱的だっただろう。
「折角来てくれて申し訳ないけどぉ、そろそろよろしいかしら? 話せる事は全て話したと思うのよね」
「あ、はい。勿論です。一方的に質問するばかりで大変失礼致しました。どうかお許し下さい」
最後、明らかに機嫌を損ねていたエミーラ様に何度も頭を下げ、部屋を後にする。思い出したくない事を思い出させてしまっったのかもしれない。
とはいえ、収穫はかなりあった。
「ふぅ……」
リノさんは俺よりもずっとお疲れ気味だ。無理もない。城での立場上、絶対服従の相手な訳だし、その人物からあんな言われ方をされたんじゃな。
取り敢えず部屋から離れ、一階へと下りる。城用の馬車を使わせて貰って宿へ戻ろう。
「あの、リノさん。お疲れのようだから今日はもう解散……」
「あーしは構わぬよ。聞きたい事があるのじゃろう? 助手に遠慮はいらんぞ」
いつの間にか、リノさんの表情から陰りが消えていた。
なんつー御老体。俺よりもずっとタフだよこの人。
「歩きながら話すのはマズいですよね。どうします?」
「この階なら資料室があいておるじゃろう。そこで話を聞くとしようかの」
広く大きな背中――――に見えるリノさんの背後を追いながら、俺は頭の中を一旦整理した。




