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「どこへ行くの?」
「『外』だ」
「外へ?でも、外は真空の宇宙よ」
リンが信じられない、と言った。
「大丈夫。非常用の脱出ポットに乗るから」
ぼくはそう言って微笑んでみせた。
コロニーは巨大な円筒形をしていて、回転する際に発生する遠心力を重力の一部に変換している。それで、ぼくらがコロニー世界の外側に向かって進めば進むほど重力が増して、身体が重く感じられた。
だけどぼくは、不思議と心が軽やかだった。
「リン、ぼくはコロニー世界から外へ出たかったんだ」
「コロニー世界から外へ出てどこへ行くの?」
「ぼくらが自分らしく生きていける世界へ」
リンは目をつぶって、そして希望に満ちたその目を開いた。
「私、今だけ仕事のことを忘れたい」
「今だけじゃなくてこれからずっと、だよ」
ぼくらは笑い合った。
いくつか関門があった。アンドロイド警備員やら、ゲートの電子頭脳を相手に、ぼくはコロニーの学習所で仕入れた、機械が壊れた時の対処法を逆手にとって挑んだ。
「本当に大丈夫?」
「大丈夫。時間稼ぎだけはできるよ」
答えがない質問で電子頭脳を混乱させて、それが自己修復するまでの短い間に通り抜けて行く。
そして脱出ポットの一つに乗り込むことに成功した。
「リン、全方位スクリーンに切り換えるよ」
「きゃあ」
いきなり、脱出ポットの中に宇宙空間の映像が現れた。リンはぼくにしがみついてきた。
「大丈夫。ただの映像だから」
「でも、足の下が何にもないわ」
「よく見て。ずっと向こうの星が輝いているから」
「わあ」
リンはぺたんと座り込んで、両手をついて映像に見入った。
「今の脱出ポットの外を映してるから、本物の星の映像だよ」
「すごくきれい」
ぼくは、リンが景色に見とれている間、脱出ポットの進行方向を最寄りの惑星に設定した。
「動いてる」
脱出ポットはコロニーの外壁から離れた。
巨大な円筒形が少しずつ遠ざかった。
「ぼくは、あんな世界は大嫌いだ」
「・・・私も」
リンが言った。
「生まれてから死ぬまであんな世界で過ごすなんて耐えられない」
コロニー世界はマザーコンピュータが支配する世界だ。
人はコロニーコンピュータから教育を施されて、あの世界に必要な歯車の一部になって一生を終える。ぼくにはそれがどうしても受け入れられなかった。
「リンは、何でスマイル・ガールになったんだ?」
「適性検査で割り当てられただけ」
「断れなかったのか?」
「他にできる仕事なんてないもの」
生きていく上で必要だったんだな、とぼくはリンがかわいそうだった。
ぼく自身、あの世界で割り当てられる役割に辟易していた。ぎりぎりまで抵抗していたけれど、きっとこうなる運命だったんだろう。
リンがはしゃいで、あの星は蒼くてきれいだ、とか、新しい場所に行ったら何をしよう、とか言った。
「よかったら、ぼくと結婚して」
「からかわないで」
「真面目に言ってるよ」
ぼくはリンと二人で暮らす生活を夢に描こうとしていた。
リンはぼくの話を目を輝かせて聞いていた。
とても幸せな時間が流れた。
「脱出ポットがコロニーへ戻ってる」
異変に気づいた時、ぼくらは青ざめた。
ぶんん。
映像にノイズが走った。
ぼくらの前に、巨大な『目』が現れた。
「マザーコンピュータだわ」
リンが、ぼくに耳打ちした。
「あなたたちの会話は全部聞いていました。コロニー世界に適応できないのであれば、処分するしかない」
「処分?」
ぼくらはその言葉にぞっとした。
「リンは、ぼくが無理矢理連れてきたんだ。だから、彼女は悪くない」
「いいえ。私は自分の意思で一緒に来たのよ」
マザーコンピュータの『目』がまばたきをした。
「リンは自分の意思で来た。最初から私に助けを求める機会は幾度もあったけれど、そうしなかった」
ぼくはリンを見つめた。知らなかったのはぼくの方だったのか?
「君は、ぼくをどう思っているんだ?」
ただの同情だったのか?ぼくはそうじゃないと言って欲しかった。
「私は、ケンが好きです。もう、スマイル・ガールの仕事なんてできません」
リンはマザーコンピュータに訴えた。
「どうか、処分するなら、二人一緒に」
ぼくも異存はなかった。
「・・・で?今ここにいるってわけかい」
久しぶりに会ったウサは幽霊にしてはぴんぴんしていた。
ぼくは肩をすくめた。
惑星の切り立った崖の上から見晴らしのいい光景が眼下に広がっていた。
ぼくは一日、下の作業場で汗まみれになって働いていた。
「多分、ここに来るやつはみんな、コロニーでは死んだことになってるはずだよ」
のほほんとウサが言った。
「でも、ウサはここに何で来ることになったんだよ?お前はコロニー世界に順応していただろう?」
「そうでもなくてね」
ははは、とウサが笑った。
「結構、いろんなやつがドロップアウトするのさ」
そうらしいことは、ここに来てみてよくわかっていた。
ここは開拓中の惑星リーランド。
ぼくの仕事はここでしか採れないレアメタルを掘る作業。だいたい機械に任せればいいけれど、ここぞというときには自力で解決しなきゃならない、結構きつい仕事だ。ぼく以外にもコロニー出身のやつらがごろごろいて、共同体がいくつもできている。
「実に良くできた世界さ。適材適所つってね」
ウサは開業医をしているらしい。
「なんかあったときはよろしく」
そう言って固い握手を交わすと、ウサと別れた。
ぼくの手のひらは血豆だらけでむくんでいた。でもそれが誇らしかった。
ぼくは、この世界に来てみてまんざらじゃなかったんだ。
そっと胸元のポケットに手をやって、小さな何かがちゃんとそこに入ってることを確認する。
今日は早く家に帰りたかった。
「ただいま」
「お帰りなさい」
かわいい声が響く。彼女がすぐに姿をみせた。
「今日はおみやげがあるんだ」
「なあに?」
ぼくは胸元のポケットから指環を取り出した。この星で採れるレアメタルでできた特注の指環だ。
リンは嬉しそうに傷だらけの左手を差し出した。
ぼくはリンの薬指に指環をはめてやった。
「ありがとう大事にするわ」
「本当に結婚式はあげなくていいのかい?」
「んー、もう少し考えさせて」
「オッケー」
「ご飯にする?」
「うん。それがさ、今日ウサのやつが・・・」
喋りながら食卓へつく。リンが腕をふるった料理が並んでいる。
ぼくはこの上なく幸せを噛み締めていた。
☆
スマイル・ガールは短命であるという。スペースコロニー世界での役職の一つであるが、彼女らが職務を全うした後どう処遇されるのか(コロニー世界では)一般に知られていない。
fin.