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「目が覚めた?」
隣室で待っていたのか、リンが声をかけた。ぼくは泣いていたのを悟られたくなかった。大きく深呼吸して、気持ちを落ち着ける。
「どのくらい眠ってたのかな?」
「2時間くらい」
そんなものかな?でもだいぶ気分的に楽になっていた。
リンがキッチンからパンケーキと紅茶を運んできた。甘いものなんていらない、と言おうとして、急にお腹が空いているのに気づいた。
「どうぞ」
勧められるまま、パンケーキに手をつける。うまい。
「これ、君が作ったの?」
「うん」
「美味しい」
「良かった」
にっこり笑うリン。不覚にもちょっとかわいいと思ってしまう。
ダメだなぼくは。惚れっぽいのかと自分が不甲斐なく思う。
「失恋したんだ」
「そう。・・・新しい恋をしたらすぐに忘れられるわ」
「そんな簡単じゃない」
「本当に好きだったのね?」
ぼくは無言で頷いた。
本当に本物の恋だったんだ。世界中が新鮮であの娘さえいれば何も怖くないくらい本当に好きだった。
「だけど、もうダメなんだ」
ぼくは深く溜め息をついた。
リンは小首をかしげてぼくを見つめた。
「ダメじゃないわ。好きだって気持ちは本物だったら、その気持ちを無くさないで」
「彼女をとった奴がどうしても許せないし、劣等感しか感じない」
「いつか祝福できる日は来るはずよ」
ぼくはかぶりを振った。
「自分のことを嫌いになりたくないでしょう?」
「え?」
「自分を勇気付けられるのは自分だけだし、気持ちをどうコントロールするかも自分次第だと思うわ」
そうかな・・・?ぼくはリンをまじまじと見た。
「その人達はひどい人なの?」
「いっそのことそうだったら諦めもできるよ。ぼくには手が届かないくらい優れてる」
だからこその劣等感だった。
「あなたにはあなたの良いところがあるでしょ?」
「気休めだったらやめてくれないか」
「自分のことを好きでいてね」
リンはそう言って、ぼくの肩を軽く叩くと隣室へ戻り、ぼくを一人にしてくれた。
お腹がほわんと暖かだった。さっきのパンケーキのせいかもしれない。ぼくはいつになくくつろいだ気分になっていた。
眠ることと食べることがこんな風に今のぼくに薬になるのかと軽い驚きがあった。
澱みたいにはりついていた嫌な感じがとれていくのがわかった。ぼくはリンに感謝した。
まだ、すべてを解決することはできないにしても、だいぶましになった。
「リン。今日はありがとう。ぼくはもう帰るよ」
「ええ」
リンは玄関まで見送ってくれた。
「・・・で?どうだったんだ?スマイル・ガールは」
再会したウサが聞いてきた。
「ああ。良かったよ。紹介してくれてありがとう。・・・でも多分もう行かないだろうな」
「何で?色々相談してこいよ」
「もう、いいんだ」
「そうかぁ?」
「なんだよ」
「悩み事を溜め込んでると、いつか爆発するぞ」
「おどかすなよ」
ぼくはその時ウサがちょっと煩わしかった。足早に別れてコロニーコンピュータの学習を受けに行った。
「おはよう、ケン」
「・・・おはよう」
失恋した娘がいつも通り声をかけてきて、ぼくはやっとこさ返事した。彼女は彼氏の姿を見つけると駆けて行った。二人は幾人もの友人たちに取り囲まれていた。ぼくは目を伏せた。
課題の提出のことを考えながら、ぼんやりリンのことを想った。
「大変だ!」
授業の合間の休み時間、誰かが血相を変えて飛び込んできた。
「ウサが、死んだらしい」
「何だって?」
ぼくは目の前が真っ暗になった。
にわかには信じられなかった。
だけど、どこを探してもあいつの姿はなかった。
ぼくは気がついたら、リンのいる住所にまた来てしまっていた。
「友達が死んだんだ」
ぼくの言葉に、リンは何も言えずに息を飲んだ。
部屋にあげてもらって、ソファーに座った。リンは向かいの自分の椅子に座った。
「ぼくはあいつをちょっとでも煩わしいなんて思わなければ良かった」
ぼくは、悔やんでも悔やみきれなかった。
「・・・その人は生きているわ」
「えっ」
「あなたの記憶の中にちゃんと存在している限り、生き続けているわ」
「そうだろうか?」
ぼくは、リンのことがちょっと疑わしくなった。
「君は、スマイル・ガールは、そうやって悩み事の相談をするのが仕事なのか?」
リンは一瞬、悲しい顔をした。
「私は・・・」
その時、玄関の呼鈴の音がした。リンは立ち上がって玄関の来客が誰なのかを確認したが、応対に出なかった。
「出なくていいのかい?」
「あの人はここを出入り禁止になっている人なの」
ぼくは興味にかられて立ち上がり、来客が映る映像を見た。
中年の男が、大きな花束を抱えて玄関の扉が開くのを待ち構えている。
そこへアンドロイドの警備員が駆けつけて、その男を連れ去ってしまった。
「何で?」
「あの人はタカさんといって、奥さんとうまく行かない悩みの相談に通っていたんだけれど、私を殺して自分も死のうとしたの」
「えっ」
「コロニーコンピュータが判断してタカさんを出入り禁止にしたわ」
ぼくは、これはただごとじゃないぞ、と思った。スマイル・ガールという職業が人の悩み事の相談だというのはわかるが、下手をするとただじゃすまない、実に危ない仕事だと思った。
「リン、君はスマイル・ガールをやめようと思わないのか?」
「これが、私の仕事。コロニー世界で生きていくために与えられた職業」
ぼくは納得がいかなかった。
「リン、ぼくと一緒に逃げよう」
「えっ?」
ぼくはリンの手を引いて部屋から外へ飛び出した。