1話
世界中に存在する家々のとある一部屋で今日も目覚まし時計が鳴り響く。
そこで昨日と同じように一人の少女が目を覚ました。
毎時間毎日毎週が当たり前にやってくる、そんな普通で最も幸せとも思える日々を過ごす少女は今日も学校へと足を運んだ。
自分が過ごす日々に何もありがたみを思わずに。
それが普通、普通なのだ。
その普通で何気ない日常が終わりへの時間を刻んでいることを少女…いや、この町に住む人々は誰一人としてその終わりを知らない、それどころか終わりを迎えるその瞬間すら認識出来ない。
結局この町に住む少女、人々は無知のまま死を迎えるしかなかったのだ。
余程数奇な出会いでもしなければ助かるのは不可能だろう。
数奇な出会い、それは最早運命、出会うのが運命だと言っても別段おかしいとも思えない。
だとしたら今まさにその唯一の救い道を辿ろうとしている少女は、その数奇な出会いをすることが運命づけられているのだろうか?その出会いはこの世界にどれだけの影響を及ぼすのだろうか…それは世界中の誰一人として知る余地はない。
「おはようございます。」
数奇な運命を持ち合わせた少女、雨木桜子は今日もいつものように校門に立っている教師に挨拶する。
成績は別段いいわけではなく、容姿も普通、運動能力に関してはむしろ悪い方である彼女は知人への挨拶は絶対に欠かさない。
別にフレンドリーな性格をしている訳ではなく、単純に根は真面目な普通の女の子だった。
小学生の頃誰しも挨拶について勉強したりしただろう。
それを彼女は今も当たり前のように実行しているだけ、つまり真面目ということだ。
「ねぇ桜子さん。今日放課後皆で遊びに行くんだけど一緒にどう?」
その時桜子は悩んだ。
別段彼女らと行動したくないわけでもなく、用事があるわけでもなく、断る理由は一切なかったが、なんとなく、直感的に今日は真っ直ぐ家に帰った方がいい気がした。
普段なら真面目な桜子は理由もなく誘いを断ったりはしない。
気分的にことを決めることはなかったが、
「ごめんなさい。今日は母に早く帰るように言ってしまって、」
「いいじゃん!そんなのメールなり電話一本いれるなりすれば。暇なら一緒に行こーよ!」
「たまには家の手伝いもしないと…最近母の体調があまりよくないから少しは負担を減らしてあげたくて、」
「桜子さんは親思いでやさしいやつだね、いい子いい子。そういうことならまた今度遊ぼうね!」
申し訳なさそうに頷いてその場を離れた。
嘘までついて断るような事でもなかったので罪悪感的なものが若干あったのかもしれない。
「先生、さようなら。」
朝と変わらず挨拶を交わし、学校を足早に去った。
今日は真っ直ぐ家に帰ろうと頭に思い浮かべて。
今日はちゃんと家事を手伝おう。そんなことを考えながら信号が青になるのを待った。
この町は別段都会というわけでもなく歩道橋のような大層なものはなく、あるのは殺風景な住宅街の塀くらいだ。
しばらく歩いていると突然背中に悪寒が走り、桜子の足を止めさせた。
今まで感じたこともないような生々しい空気は少しずつ、少しずつ桜子の身体を覆っていき、手に握っていたカバンはドスンと音をたてて地面に落ちた。
足を動かすことが出来ないくらいに震えていた。
こんなことなら何も考えないで誘いを断らなきゃ良かった…ストーカー?こんな私を?でもじゃあ何なの?とこんな時に限って頭がフル回転する。
一秒あとのことなんか考えたくもないのにいろいろ想像してしまう。
それだけでもう胸が張り裂けそうで怖くて怖くてたまらなく、ひたすら恐怖に支配されていた。
そんな内心とは反対に首が少しずつ動いていた。
この未知という恐怖から一秒でも早く脱したい、そういった感情や、人間としての好奇心という欲求、様々な感情には逆らえなかった。
ゆっくり、ゆっくりではあったが確実に景色は動いていた。目を閉じようとしても重いまぶたは決して閉じることはなかった。
一瞬一瞬が何十秒にも感じられ、全身は冷や汗でぬれ、視界は屈折し、ぼやけてはいた。
そんな目を手で拭うよりも先に恐怖の根源、正体、この世のものとは思えないそれは姿を現した。
そこにいたのは二足歩行ではあったが尻尾があり、シルエットだけ見ればカンガルーのようなものではあったが、ドス黒く、首は湾曲し、顔はぐちゃぐちゃではあったが確かにあった口は牙がギッシリと埋め尽くし、桜子を喰らおうとしているからか涎がポタポタ落ち、地面をジュワジュワと溶かした。
未知という恐怖は一瞬にして死を直感する本能的な恐怖へと刺し変わり、桜子はその場に膝をついた。
恐怖のあまり絶叫することも出来ず、その場から逃げようととしても足がすくんで動かなかった。
カンガルーのような怪物はこれでもかと口を大きく広げ近づいてきた。
終わった、何もかも終わったと思い目を閉じたその瞬間。
「ダぁぁぁっ!!」
突然どこからとなく声がしたと思った直後目の前の怪物が吹き飛んだ。
怪物が立っていたそこには方膝をついた1人の少年がいた。
呆気に取られ、少したってからあっ!と気がつくように辺りを見渡し、十数メートル先に歪んだ顔面の怪物を見つけた。
元から歪んではいたが先程見た頭部に比べて明らかにめり込んでいる箇所があった。
そして一瞬で理解した。
「あ、あなたがけ、蹴り飛ばしたの?」
少年は桜子をまじまじと見詰め、安堵したのかハァと息を吐いた。
「怪我がないようで何より。まぁどうせ…」
その先は聞き取れなかったが今はそんなこと関係なかった。
あまりに数奇な出会い、衝撃的過ぎることだった。
先程の瞬間が脳裏に浮かぶ。
少年は視界の斜め上から現れ、とてつもない勢いで回転しながら怪物の頭部に蹴り込み、地面に叩きつけ、そのままの勢いで怪物はバウンドし、視界の外て飛んでいった。
一体どれ程の勢いで地面に叩きつけたらあんな位置に飛ぶのだろうか、目の前にいる少年は一体何者なのか、再び頭はフル回転していたがその思考を止めるかのように、
「考えるのはあとだ君は君自身の安全だけを優先するんだ。俺は止めをッ!」
突然視界に現れた少年は突然視界から消えた、と思ったら先程のカンガルー怪物の首をつかみ空へと投げた。
まるでテニスのサーブの時に投げるボールのようにその怪物は中距離空を舞い、自由落下を開始し、と同時に少年も同じく空にいた。
次の瞬間弾丸のような少年の拳が怪物の腹を捉え、鋭く重い一撃は怪物を再び地面に叩きつけた。
すると怪物は断末魔ようなおぞましい声をあげ、動かなくなった。
少年は桜子の元に駆けてきた。
「もうやつは死んだ。にしても認識しちまうなんて運の悪いヤツだな…見ろ」
少年が指さす方、先程仕留めたと言った怪物はそこには存在せず、かわりに塵のようなものが天へと昇っていった。
そこで桜子はやっと安堵し、眠ってしまった。