花電車 (回想)
桜の季節に。
桜の花びらが散っていたベンチ。
薄桃色のうえに腰をおろすと、どこからか電車の発車のベルがした。
目をつぶって耳を澄ます。
ごとん。
いっしゅん、体が揺れる。
タタンタタン、タタンタタン……。心地よい電車の揺れ。
「まーちゃん、見てごらんなさい」
母の声に目を開ける。
「ほら、桜がきれいよ」
着物姿の母が、眩しそうに車窓の向こうを眺めている。窓のほうへ振り向こうとした私を、ふわりと抱きあげる大きな手。
「見えるか?」
父の髭剃りあとのざらつきを頬に感じる。私は父の首に腕を回して頬を摺り寄せる。そうだ、父の頬を触るのが好きだった。父の背広からは少しだけ樟脳の香りがする。
三人して眺める窓の向こう。線路は川沿いに伸び、それにそって満開の桜並木が続いている。
小さな車両が起こす風に桜の花びらが舞っていく。
「きれいね、きれいね」
自分の声のあどけなさに驚く。
タタンタタン、タタンタタン。
母が私の髪を梳く。父と母は笑みを交わす。私は二人のあいだにいて、安心している。
目をつぶった私の瞼の裏に映る、幻燈。
「ああ、お母さん。ここにいたの?」
はっとして目を開けると、仕事帰りの娘が立っていた。そしてあぶなげな足取りで駆け寄ってくる女の子。
「ばあちゃ!」
私は膝に小さな手をのせた孫の頭を撫でる。孫は母とよく似た顔立ちだ。その血の繋がり、めぐり合わせに頬が緩む。
「お部屋に戻りましょう。風が出てきたから」
娘の手を借りて私はベンチから立ちあがる。そして髪についた桜の一片を取って私に見せた。
「今年の桜も、もう終わりね」
名残惜しそうに桜を娘は見あげた。
「ばあちゃ!」
舞い降りる桜の花びらを受け止めようと、孫がくるくると踊る。
孫の声は、いつかの私の声のよう。
私はあと何回この花をみられるのかしら。
いつか、あの電車の終着駅にいる父母に会うのでしょう……。そう思えば旅路の終わりも悪いものではないと思えるの。
了
父と一緒に見られる桜はあと何回あるのだろう、と思った。
今のところ、北欧神話のトールのように長い柄のハンマーをぶん回していたりするが、なんせ後期高齢者。
父にも、母にも長生きしてほしい。