天使の心
「綾人おなかすいた」
「そうか……わかった。今からご飯作るよ」
そう言うと、小林綾人は立ち上がり台所に向かう。考えてみれば、もう十時である。一時間ほど前に起きてから、二人とも何も食べていないのだ……。
一方、ルイスと名乗る奇妙な少年は、興味深そうにテレビを観ている。綾人は思わず苦笑した。ルイスには常識が無さすぎる。いったい今まで、どんな生活をしてきたのだろう? だがルイスに尋ねても、まともな答えは返ってこなかったのであるが。
昨日、公園で偶然に出会ったルイスは不思議な少年だった。まるで捨てられた子犬のように食べ物をねだり、さらには綾人の家まで付いて来てしまったのだ。綾人は迷ったが、仕方なくルイスを家に上げた。そして夜には夕飯を食べさせ、一晩泊めてあげたのだ。
昨夜、寝るまでの間……綾人はルイスに様々なことを尋ねた。両親、住所、学校、これまでの生活などなど。しかし、どれ一つとしてまともな答えが返ってこないのだ。一応、質問の意味は理解しているようなのだが……。
「両親いない」
「家ない」
「学校知らない」
「生活知らない」
さすがの綾人もお手上げである。とにかく、まずは一晩泊めてあげよう。どうするかは、その後だ……綾人はそう結論を下した。そしてルイスを隣の部屋に寝かせたのだ。
そして今、綾人は台所で卵を割り、目玉焼きを作っていた。ご飯は炊けているし、味噌汁もまだ残っている。後はふりかけか何かで誤魔化そう……。
だが、来客を知らせるブザーが鳴る。綾人は瞬時に身を固くした。この家に来客とは……母の関係者か、あるいはこの前の探偵なのか。いずれにせよ、ロクな用事ではあるまい……綾人は火を消し、緊張した面持ちで玄関に行った。
「やあ、久しぶりだね綾人くん……俺のこと覚えてるかな? 私立探偵の夏目正義です」
ドアを開けた綾人の前にいたのは、この前会った私立探偵の夏目だった。夏目は愛想笑いを浮かべながら、じっと綾人の目を見つめている。その、全てを見通そうとしているかのような目線を前に、綾人はたじろぎ目を逸らした。
「こ、こんな時間に何の用ですか……」
呟く綾人。その時、夏目の後ろにもう一人いることに気づいた。もう一人の男もまた、じっとこちらを見ている。トレーナーとジーパンという地味な出で立ちで中肉中背、これといって特徴はない……ように見える。こちらを威嚇するでもなく、かといって媚びるわけでもない。静かな表情で、じっと綾人を見ている。
だが、その男の醸し出す雰囲気は普通ではなかった……何か、尋常ではないものを感じさせる。
「ねえ綾人くん、すまないが、君にちょっと話を聞きたいんだ。ここじゃあ何だし、お宅にお邪魔させてもらってもいいかな?」
夏目はニコニコしながら尋ねる。しかし、綾人は首を振った。
「だ、駄目ですよ! 何を言ってるんですか!?」
「何で駄目なのかな? 話はすぐ終わるんだよ。五分……そう、五分で終わる。五分したら帰るから……それとも、ここで話すかい? こっちはそれでも構わないんだがね」
夏目は玄関に入り込み、なおも言葉を続ける。後ろの男も、それに続く。綾人は何を言えばいいのかわからす、言葉につまった。だが――
「い、今はお客さんがいるんです! 今日は帰ってください!」
「ああ、誰か来てるんだ……友だちかい?」
「そ、そうです! 友だちです!」
「友だちのことを、お客さんなんて言うかなあ。普通は言わないよねえ……」
そう言いながら、夏目は顔を近づけて来る……綾人は言葉につまり、後ずさっていく。だが……。
「綾人どしたの」
呑気な声とともに、ルイスが居間から出て来た。ルイスはすたすた歩き、綾人の隣で止まった。
そして、来客の二人を見つめる。
「ああ、本当に友だちがいたんだねえ。でも……君ら二人、こんな早くから何やってんの?」
尋ねる夏目。だが、綾人の耳にその言葉は届いていなかった。ルイスの顔つきが、みるみるうちに変貌しているのだ……先ほどまでのどこか壊れたような表情は消え失せ、代わりに狂気めいた笑みが浮かぶ。姿勢にも変化が生じた。顎を引き、上目遣いでじっと一点を見つめる……。
その視線の先にあるものは夏目ではない。もう一人の若い男だった。
「夏目さん、今日は帰りましょう」
それまで黙りこんでいた若い男が、いきなり言葉を発した。同時に夏目の腕を掴み、じりじりと後退する……その目はルイスをじっと見ていた。静かな表情は先ほどと変わらない。だが、額から汗が滲んでいた。声にも、僅かではあるが緊張の色がある。
「え……陽一、どうしたんだ?」
夏目は面食らった表情で男に尋ねる。だが、陽一と呼ばれた男は有無を言わさぬ勢いだ。
「いいから、今日は帰りましょう……綾人くんも忙しいみたいだし」
陽一はそう言いながら、半ば強引に、夏目を引きずるかのようにして去って行く……いや、後退すると言った方が正確だろう。その視線はルイスから離していないのだから。
そして、ドアが閉まる。二人はあっさりと引き上げてしまったのだ。
一方、綾人は唖然とした表情で目の前の光景を眺めていた……いったい今、何が起きたのだろうか。ルイスが姿を現した途端、あの陽一という男が夏目を連れ帰ってしまったのだ。
だが、まだ終わっていなかった……。
「まだ帰らなくていい……遊ぼう」
ルイスは取り憑かれたかのような声を出し、ドアを開けた。そして、ふらふらと外に出て行こうとする……綾人は慌ててルイスの腕を掴み、叫んだ。
「ルイス! ご飯食べようか! ね、食べるだろ!」
綾人がそう言うと、ルイスは立ち止まる。
「うん食べる」
ルイスの表情は元に戻った。彼は再び家の中に戻り、テレビの前に座る。
そして綾人は、今の感触の恐ろしさに驚愕し、立ち尽くしていた……ルイスの腕は太くはない。しかし筋肉の付き方は異常だ。その上、腕を掴んだ時に手のひらから伝わってきた、凄まじい腕力……あれは尋常ではない。人間というより、まるで野生動物のような感触だったのだ。
「ルイス……君はいったい……」
・・・
真幌市の外れにある、小さなアパートの一室……表札には『ラエムの教え 真幌支部』と書かれている。どうやら、新興宗教の事務所兼集会所として使われているらしい。上田春樹はその部屋の中で神妙な表情を作り、申し訳なさそうに座っていた。もっとも、内心では己の幸運に感謝しつつ次の手を考えていたのだが……。
昨日、よりによって襲撃犯と出くわしてしまった。その挙げ句、追いかけられたのだ……春樹は必死で逃げた。久しぶりに、全力で走った。そして振り返ると誰も追いかけて来ていなかった。
春樹はほっとして、その場にしゃがみこむ。だが、直後に強烈な腹痛が彼を襲う……久しぶりの全力疾走は、運動不足である春樹の体にはきつすぎたのだ。
春樹は恥も外聞もなく、道ばたでうずくまる。かろうじて堪えてはいるが、今にも戻しそうだ……。
「大丈夫ですか?」
女の声が聞こえた。春樹が見上げると、中年の女が心配そうな顔でこちらを見ている。五十代から六十代か。身なりからすると、金持ちではなさそうだ。しかし、その瞳には妙な輝きがあった。年齢にそぐわない、やたらと澄みきった瞳。春樹は異様なものを感じたが、背に腹は変えられなかった。
「実は……」
そして中年女は、春樹のデタラメ話を信じこんでしまったらしい。
「まあ、それはそれはお気の毒に。オヤジ狩り、ですか……」
「は、はい。いきなり少年たちが襲いかかって来まして……僕は抵抗も出来ず、さんざん殴られました」
ここで春樹は頭を抱え、震え出す。
「ああ……怖いんです……こうやって道を歩いていると、また彼らが襲いかかって来るんじゃないか……うわあ! 止めてくれ!」
叫びながら、春樹は再びうずくまった。もちろん演技である。とにかく今は、何処かに潜り込まなくてはならない。屋根と壁のある場所に……そのためには手段を選んでいられない。
中年女は迷っているような表情で、じっと春樹を見ていたが……。
やがて、意を決したような表情で口を開く。
「わかりました。この近くに、私たちの集会所があります。今夜一晩くらいなら構わないでしょう」
そして翌日。
一晩……と言われたにもかかわらず、春樹は未だに集会所にいた。そして、今後どう動くかについて考えていたのだ。
まずは、桑原徳馬についてだ。桑原は春樹のカードや免許証などを全て押さえている。春樹の自宅の住所は知られているだろう。となると、自宅には帰れない……銀行の金も、奴らが残らず引き出しているのではないか。
完全に八方ふさがりである。残された手段は警察に駆け込み、洗いざらいぶちまけるか……あるいは、田舎の実家に転がりこむか。
しかし、その両方とも不可能だった。警察に駆け込んだところで、誰が信じるだろうか……しかも、春樹は叩けば埃の出る体なのである。警察に訴えれば、自分も確実にダメージを受ける。
そして実家の両親からは、既に縁を切られているのだ。もし、おめおめと実家に顔を出したりしたらどうなるか……容易に想像はつく。
ならば、このピンチを凌ぐには……。
その時、ドアが開く音がした。次いで、誰かが入ってくる音も。
「上田さん、お加減は……大丈夫ですか?」
入って来たのは、若いスーツ姿の男だった。しかし、頭を押さえてうずくまっている春樹を見て、目を丸くしながら駆け寄る。
「すみません……急に人が接近してくると……症状が……」
「そうですか。PTSDの症状ですかね……お気の毒に。実は今、支部長と連絡を取りまして……あなた様のことを伝えたところ、しばらく居てもらって構わないとのことです」
「ほ、本当ですか……」
「はい。困っている方に手をさしのべるのも、我々の務めです。この部屋で良ければ、今夜も泊まっていってください」
「あ、ありがとうございます……本当に……感謝します……」
春樹はほっとした。実にありがたい話だ。これで、数日はどうにかなる。しばらくここに潜伏し、作戦を練るとしよう……。
・・・
西村陽一は、凄まじい勢いで夏目の腕を引いて行く……まずは、ここから離れなければならない。少しでも早く、少しでも遠く……陽一は夏目の手を引き、目に付いた公園まで歩いた。
そして陽一は、まともな武器を持ってこなかったことを激しく後悔していた。まさか、あんな奴がいようとは――
「おい陽一……痛えよ。手を離してくれ……」
夏目の声で、陽一はようやく我に返った。
「あ……すみません」
謝りながら、陽一は手を離した。すると、夏目はそばにあったベンチに座りこんだ。そして射るような視線を向けながら口を開く。
「陽一……どうしたんだ? 何があった?」
「いや、あれはヤバいですよ……それより逆に聞きますが、夏目さんはあいつをどう思いました? あの外人みたいなガキです」
「え?」
面食らったような表情になる夏目。しばらく黙って何やら思案げな動きを見せるが――
「どうって……変な奴だなあ、とは思ったけど……それくらいだな。陽一、あいつはそんなにヤバかったのか?」
「ええ……」
陽一は頷いた。そう、あいつは本当に危険な少年だ……そこら辺のチンピラヤクザなど、比較にならないほどの危険な匂いを発散していた。しかも、あいつは確実に襲いかかろうとしていた。まるで、獲物を前にした肉食獣のように。
この業界に入る前、陽一は完全に狂ってしまった男と相対したことがあった。己の内に潜む狂気の命ずるがままに、錆びた果物ナイフを振り回していた。結果、陽一の目の前で一人の人間を滅多刺しにして殺したのだ……あの時、陽一は本物の恐怖を感じた。殺されるかもしれない、という掛け値なしの恐怖を。
そして……先ほど出会った少年は、あの時の狂人と同じ匂いを発していた。綾人からも、危険な何かを感じたのは確かだ。しかし、あの少年は綾人など比較にならないものを感じる。
しかし、そうなると疑問が生じる。夏目は綾人を一目見て、事件の匂いを嗅ぎ付けたのだ……殺人かもしれない、と。にもかかわらず、あの少年に対しては、その嗅覚が反応しなかったらしい。これはどういうことなのだろうか?
あの少年と綾人の違いは……。
「陽一……もしかして、あのガキが二人を殺したのかね?」
不意に夏目が尋ねる。陽一は首を振った。
「いや、どうでしょうね……ただ、綾人とガキは全然違いますよ。綾人は何か隠してます。何かやらかして怯えてる、そんな印象を受けました。しかし、あのガキはまるで違う。あいつは……本物です」
そう、二人の違いはそこにある。綾人からは、罪の意識を感じた。何かを必死で隠そうとしている意識も……とんでもないことをしでかしてしまい、その大きさに打ちのめされ、怯えている……それが陽一の目から見た、綾人の印象だ。そのとんでもないこととは、恐らく殺人だろう。夏目の鼻は、その匂いを嗅ぎ付けたのではないか。殺人の匂いではなく、罪の意識の匂いを……。
だが、少年から受けた印象はそれとは違う。何のためらいもなく人を殺してのける……本物の殺人鬼だ。
陽一の脳裏に、今さっき見た少年の不気味な表情が映像として甦る。少年は陽一を見た途端に笑みを浮かべたのだ。いかにも楽しそうに。まるで、遊び道具を見つけた子供のような表情で笑ったのだ……。
そして次の瞬間、陽一は自分に殺意が向けられているのを感じた。
少年は強烈な殺意を剥き出しにして、陽一を見ていた……しかし陽一の方も一瞬ではあるが、頭の毛が逆立ち、全身の血が沸き立つような感覚に襲われた。何もかも忘れ、狂気に身を委ねたいという思いが五体を駆け巡る。本能の命ずるまま、少年と殺し合いたい。生きるか死ぬかの境界線に身を置きたい――
しかし……隣にいる夏目の存在が、陽一の本能を押し止めたのだ。
陽一はどうにか理性のブレーキを働かせる。そして、迷うことなく退却する道を選んだ。あのような人目に付きやすい場所では、殺しても殺されても、陽一には何の利益も無い。さらに言うと、夏目に危険を及ぼしかねない行動は慎まなくてはならないのだ。
「夏目さん、はっきり言います……あなたは奴らと関わらない方がいいですよ。この件から、手を引いてはどうです?」
「……あいつは、そんなに危険なのか?」
「そうですね。あくまで俺の勘ですが……あなたの手に負えるような相手じゃないですよ。関わらない方が身のためです。あとは、俺が引き受けますよ」
そう、奴と殺り合う時……夏目に近くに居られては足手まといなのだ。あのガキは、自分が仕留める。時と場合によっては、綾人も一緒に殺す。
そう考えただけで、陽一の血が騒いだ……。
「そうか……わかった。ちょっと考えておく。にしても……お前、妙に嬉しそうだな。どうしたんだ?」
そう言いながら、夏目は探るような視線を陽一に向けた。しかし、陽一は素知らぬ顔で目を逸らす。自分の思いを、夏目のような男が理解してくれるとは思えない。
そう、陽一には自覚があった。自分が狂っている、という自覚が……麻薬の依存性患者のように、闘争がもたらす快楽に取り憑かれてしまった己の愚かさや浅ましさに気づいてはいる。だが……それを理解できるのは、ごく一部の人間だけだ。少なくとも、夏目には理解できないだろうし、理解してもらおうとも思わない。
・・・
坂本尚輝はあちこち歩き回って話を聞き、そして電話を掛け、メールを送信した。いったい何事が起きているのか。そして自分が何に巻き込まれてしまったのか……それを把握するために。
しかし、わかった事は少なかった。
まず佐藤浩司については、典型的なチンピラとしか言い様がない。中学生の時、度重なる暴力沙汰のために鑑別所に行き、そこから少年院、さらには少年刑務所……順調に、破滅へと向かうレールの上を進んでいる男だったらしい。当然、人からの恨みを買うことも多かっただろう。
だが、バラバラ死体に変えるというのは異常だ。尋常ではない何かを感じる……人を殺すという行為だけでも、普通の人間にはまず不可能だろう。ドラマなどで見られるように、両手で首を絞めれば数秒後に死ぬ……というものではないのだ。
尚輝はじっくりと考えてみた。佐藤という男の評判は、はっきり言って良くない。今のところ、佐藤に関する話を聞けたのは二人だったが……口を揃えて言っていた。あいつはロクでもない奴だ、と。二人とも、かつては少年院や少年刑務所に行っていた男である。しかし、今はきっちり足を洗い、まともな仕事に就いている。
「いつまでもバカやってられねえよ。それに……俺はもう、刑務所には行きたくねえんだ。だが、佐藤なんかとつるんでたら……確実に刑務所に逆戻りだよ」
一人の男は、電話越しにそう言っていた。確かに、それは正論だ。しかし尚輝にはわかっている。この二人は運がいいのだ。人生には、本人のやる気や努力だけではどうにもならない部分がある。この二人は、やる気もあったのだろうし努力もしたのだろう。だが人生には、運に左右される部分が必ず存在する。尚輝もまた、これまでの人生において不運な流れというものを経験してきた。また、便利屋を続けていくうちに、様々な人間の人生模様を見てきたのだ。避けようのない運命というものは、確実に存在する。
そして佐藤もまた、犯罪者となるのは避けようのない運命だったといえる。尚輝は犯罪者を研究したわけではない。だが、この世界に僅かでも足を踏み入れれば、否応なしに様々なことを知ることになる。佐藤はまさに典型だ。幼い頃からの暴力傾向。やがてお決まりのコースを進んで犯罪者となり、あちこちで悪さをした挙げ句……バラバラ死体となった。
いったい、何をやらかしたんだ?
尚輝は考えた。そもそも、人体をバラバラにして路上に放置するというのは……裏社会における見せしめか、あるいは普通ではあり得ない精神状態に陥ってしまった者か……。
一つだけわかっていることがある。佐藤は裏社会の住人ではあるが、大物ではない。所詮はただのチンピラだ……そんな小物を、バラバラにして殺すだけのメリットがあるだろうか? あり得ない、とは言い切れないが……可能性としては低いだろう。
となると、怨恨だろうか……。
その方が、まだ信憑性がある。鈴木と佐藤は、過去に何らかの接点があった。そして佐藤は何か恨みを買うようなことをしでかした……。
その時、尚輝の頭に先ほど聞いた話が甦る。
(佐藤は……一時期は大学生と組んでたらしいよ。まずは、大学生を旦那のいる中年女と浮気させる。そして頃合いを見計らって佐藤が登場して脅迫し、金をせびるってわけさ……その大学生ってのが、いかにも年上の女に好かれそうな顔してるらしいよ。佐藤の奴、さんざんにフキまくってたなあ)
イケメン大学生に暇をもて余した主婦を誘惑させ、脅迫し金をせびる……セコいやり口ではある。そんなことで、わざわざ手間暇かけて殺したりするのだろうか?
だが尚輝は思い直す。やられた方にしてみれば、セコいやり口では済まないかもしれないのだ。色恋沙汰は男女を狂わせる。実際に「昔さんざん貢がせた挙げ句に自分を捨てたホストの顔を滅茶苦茶にしてくれ」という依頼を受けたこともある。五十万の仕事だったが、尚輝はそれを引き受けたのだ。可愛さ余って憎さ百倍という言葉もある。
しかし、その時……尚輝の頭に、別の疑問が浮かんだ。
待てよ……。
そもそも、佐藤はあそこで何をやっていたんだ?
(最近では、何かデカい仕事をしてると言ってたが、そっちの方は全然教えてくれなかったよ)
知り合いのチンピラから聞いた別の話が甦る。デカい仕事と言っていたが、どういうことなのだろう? あの少年を監禁するのがデカい仕事なのか? まさか……。
駄目だ……これじゃあ堂々巡りだ。
考えれば考えるほど、色々な可能性にたどり着いてしまう……これでは埒が開かない。まずは、佐藤がかつて組んで大学生の件を調べてみるとしよう。一つ一つ、確実に潰していく。今は、それしかない。