この気持ちをいつまでも
「多以良君、君は料理が好きか?」
「うん!」
「多以良君、君は料理するのが楽しいか?」
「うん!」
「ならその気落ち、何があっても忘れないように。昨今の料理人は、利益しか考えていない。君のような存在がその気持ちを抱えたまま育つことを、私は切に願うよ」
「そんなの当たり前だよ! だって、僕は食べてくれた人に笑顔になってほしくて作ってるんだもん」
「そうか、それを聞けて安心だ。いつか君とはまたどこかで会えるだろう。その時君がどのように成長しているか楽しみにしている」
「うん、楽しみにしてて! おじさんのこと絶対驚かせるような料理を作るから!!」
「ああ、楽しみにして待ってるよ」
「第十二回、青年料理大会の優勝者は、大麻多以良君に決定しました! 多以良君、今の気持ちはどうですか?」
「物凄く嬉しいです。楽しく料理できましたし、審査員の皆さんに気に入っていただけるものが提供できて満足です」
「ほほう、楽しく料理ですか」
「はい、楽しく、です。僕の恩師、と言っても一回しかあったことがないですが、その人の教えの一つですね」
「なるほど、因みに差し支えなければその恩師はどのような方なの教えてもらってもよいですか?」
「はい、大丈夫ですよ。みなさんご存じかと思いますが梅林寺南風盛氏です」
「なんとあの料理界きっての巨匠が恩師とは、これは優勝してもおかしくはありませんね。――――さて、それではこのまま表彰式に移らせていただきます」
「……ふん、あの巨匠が恩師とか、裏で取引でもしてたんじゃないでしょうね」
「それは言いがかりだよ。それにあの人とは昔会ったきりで、それ以降一度も会うどころか話すこともしてないよ」
「……そうね、これは所詮負け惜しみだわ。あなたの料理が素晴らしいのは二位である私が、中生加永栄が一番良くわかっているものね」
「そう言ってくれて嬉しいよ。っと、そろそろ行かなくちゃいけないから僕はこれで失礼するね」
「ええ、またどこかで会いましょ」
レストラン『ジョーヤ』。
イタリアをメインに、欧州全般から一部エスニックまで取り入れた料理店。
店構えは欧州で実際に出ている店をイメージして作られており、店の見た目、そして味も相まって年齢を問わず毎日多くの客がやってくる。
二年と少し前に料理長である大麻多以良が開業した店。
開業する一年前に料理大会にて優勝したという触れ込みも相まって、開店当初は予約に行列が絶えない大繁盛店だった。
「料理長お疲れ様でしたー。お先に失礼します」
「お疲れ様です。明日もお願いしますね」
しかし、今は予約や列はそれなりにあるものの、あまり多くはなく、年々減少傾向にあった。
初年に比べて去年が三十パーセントダウン。
今年は現在までの売り上げ結果で計算すると、前年の二十パーセントダウンとなっている。
「はぁ」
思わずため息が出てしまった。
中性的な顔立ちを落ち込ませ、こめかみを手で押さえる。
売り上げが落ちている理由は分かっている。
始めは料理の質や提供の仕方などに問題があるのではないかとも窺ったが、違っていた。
――あの店ができてから、だよね。
一昨年、近隣に出店された料理店『グラーツィア』。
『ジョーヤ』と同じイタリア料理をメインに扱うメニューなのだが、問題はその値段と料理の材料だ。
多以良の店は家族連れにも楽しめるようにと材料費も提供する値段も控え目にしてあるのに対し、『グラーツィア』はその真逆をいっていた。
材料は一級品を使い、サービスに関しても味も店の雰囲気も、どれをとっても素晴らしく、一回の食事に値段が張るものの、大人受けがすさまじく良かった。
以前その店のオーナー兼料理長である中生加永栄。彼女に一日だけお互いの料理長を交換し、店の状況や客層を見てみないかと提案され、それに乗ったことから二つの間にどれだけ差があるか、嫌というほど知っている。
客足だけならば日中も夜も『ジョーヤ』が勝ってはいるのだが、一人あたりの客単価が圧倒的に違い、『グラーツィア』のできた年は収益の桁が一つ違っているほどだった。
ならば真似をして値段を上げれば済むか、と言えばそうではない。
それでは低価格を売りにし、それによってできた顧客が離れていくだけである。
「どうする、べきなのかな〜」
帳簿に写された数字から目を離し、座っている椅子の背もたれに体重をあずける。
売り上げ自体を見れば、よその店に比べれば圧倒的に高い方なのだが、なまじ初年の売り上げ結果が良すぎたせいか頭をちらつき、嫌でも意識してしまっていた。
過剰に意識しすぎているのは分かるが、そう簡単にはその考えから逃れられそうにない。
「はぁ……ん?」
もう一度ため息を吐き、帳簿に目をやろうとして、テーブル端に郵送物を目が留まる。
「これは……」
業者からの新商品の知らせなどの中に、一つ気になるチラシが混じっていた。
それを見た瞬間、多以良の中に電流が走り、チラシを手にしたまま勢いよく立ち上がった。
「これだ! これに出て優勝すれば知名度が上がってまた売り上げはっ!!」
そこに載せられていたのは、市を挙げて行われる祭りの知らせ。
多以良は天啓に導かれるように、即座に参加の希望を出した。
時は十二月一日。
師走と言われるだけあってどこも忙しくも活気付いていた。
だが、今年はその活気が例年に比べる必要もないほど市全体が熱気に満ちていた。
それもそのはず。今年から始まった市をあげてのイベント。十二月一日からクリスマスまでの間という長期間行われる、その名も[洗浄祭]。
コンセプトは、今年一年を通してつもりに積もった、ために溜めこんだものをぶちまけ、新たな気持ちで新年を迎えようというものである。
初めての試みであり、認可された物ならば必要経費はある程度市が受け持つということも相まって、市民はこぞってやる気を見せ市内は見事に飾り付けられていた。
他市他県に行った宣伝効果も功を見せ、通りはアリの巣をつついたように人、人、人でごった返しており、当初の目的としてあがっていた市を活気付かせるというものは、初日で満たせているようだった。
だが、多以良としては祭りの主旨などどうでもよい。
重要なのは、参加を希望したこの祭りのメインを飾る料理大会。
料理大会で優勝したとなれば知名度は言うまでもなく上がる。しかも優勝した者には賞品として現金百万円の贈呈と、一年間テレビCМにて無料で店の宣伝をしてくれるというものだ。
メディアの力は馬鹿にできたものではない。雑誌に店の情報が掲載されるだけでも客は増えるのだ。テレビCMとなればそれの比ではないだろう。
そのせいか思いのほか多くの参加者が集まっており、初戦は十名程のグループに分けられ、そのグループにいる者たちと競い、一番優秀な者だけが次の駒に進めるようになっていた。
グループはA〜Lまであり、後続が日を改めてするには不公平も生じるため、一度に皆が料理できる広い場所が必要であった。
そしてメインイベントを多くの観客にも見てもらうために今大会には市内にある野球のドーム球場を使われ、今まさに一回戦が行われている最中である。
大会には一戦ごとにテーマが決められている。
そして、多以良は初戦のテーマとしてあげられたスープを作っている最中だった。
予め大会参加者にはテーマが教えられていることから、この大会に合わせて参加者全員用意してきたレシピを基に丹精込めて作っている。
基本を真っ当し、シンプルでありながらしっかりしたものを仕上げる者から、オリジナルのレシピで作成する者。特にオリジナルを作る者が多く、出来栄えは千差万別状態だった。
多以良のいるBグループは見知った顔が何人かいるが、知っているだけに相手の力量も分かる。
そして料理に使っている材料や作業内容を見ても、今自分が作っているものに勝てないのは明々白々であった。
これは傲りというわけではなく、ある程度の域にまで達した料理人は材料と工程さえ見ていれば味を想像できるからだ。
――あれは悪くないけど普通に美味しいだけのものだね。あっちは逆に奇をてらっているのは分かるけどやりすぎ。ああ、あっちなんてそれじゃあ味のバランスが最悪だよ。
離れた位置から別グループの香りが流れてくるが、一部酷いものが混じっているようで、思わず鼻を押さえたくなるような異臭に近いものもある。
この大会の参加は料理店に勤めてさえいれば自由で、雑用をしている者でも参加できるようになっているのだが、それでも酷い、とても人様に出せられるレベルではない物も混じっているようだ。
それ以降は、材料を無駄にしているとしか思えない彼らの行動に嫌気が差すのと、自分の料理を完璧に仕上げるためにも、自分以外の気配を意識して断ち切った。
完成した多以良のスープは、店で提供している人気メニューの一つであるミネストローネ。それに手を加え、更に材料を良くしたことから圧倒的大差にて初戦は勝利をおさめた。
当然とも思える結果に感動はなくむしろむなしく思え、教えられた二回戦のテーマである肉料理のレシピを準備をするためにも、直ぐにでも去ろうとした多以良だったが、その背に声がかかる。
「久しぶりね大麻料理長。お互い初戦突破したようね」
「お久しぶりです中生加さん、貴女も参加してたんですね」
「ええ、折角お店が軌道に乗っているんですもの。これを維持するのにこの大会はうってつけ。あなたも似たような理由で参加しているのでしょ?」
「そうですね。『グラーツィア』にお客さんを取られましたので、この辺りで名前を売っていて損はないですから」
永栄の問いに多以良は真っ正直に答える。が、後半顔が自然と彼女を見れずに逸らしていた。そのことから彼女の眉が寄っていることに気付かなかった。
「それでは僕はこの辺で失礼します」
「ふん。ま、私はLグループであなたとは反対の位置にいるから会うとしたら決勝だけでしょうけど、それまでに負けないことね。今度こそ私があなたのその女みたいな顔を歪ませてあげるわ」
肩先まで伸びた髪を乱暴に払いながら、言いたい言葉だけ残して彼女は去って行く。
少しつった目には、普段から感じさせる強気な感情とは別の強さを感じさせていたが、多以良は終始気付くことはなかった。
その後一週間の準備期間を空けてから二回戦、更に一週間の期間を空け三回戦と行われた。
両方とも勝利を収めた多以良だが、三回戦で勝負したは相手はここまで勝ち進んでいただけのことはあり、料理センスは素晴らしく、接戦の末なんとか勝利を掴むことができた。
もう一度戦いたいかといえば御免こうむりたい相手である。
それほど実力は肉薄しており、そんな相手に今回勝てたのは運が自分に向いているからだと多以良は思っていた。
しかしそう何もかも都合よくいかないのが人生というものだ……
勝利した者は再び七日間の準備期間へとはいる。
次はついに決勝戦。
テーマとしてあげられたのは、血。血を使った料理ということだ。
これまでのテーマは一回戦がスープ、二回戦が肉、三回戦が油となっていたが、それらは日頃から扱っていることもあり、大会用に店のレシピの改変や新しい物を考えることもしてきたが、今まで数える程度しか扱ったことのない血は全く思いつかなかった。
しかも決勝戦の相手は『グラーツィア』の料理長である中生加永栄。彼女の実力は自分が嫌というほどわかっていることから、レシピを考えようとする度に彼女の顔がチラついてしょうがなかった。
何より、決勝戦は特別ゲストが呼ばれるようになっており、決勝進出者である多以良と永栄だけが先に名前を知らされていたのだが……
――まさかあの梅林寺氏が特別ゲストでくるなんて、それこそ下手な物なんて出せれない、出せれるはずがない……
小手先で作った物など出せられるはずもなく、それ以前にそのようなものを出せば対戦者である永栄にも負けることは必至である。
考えないように、考えすぎないようにとしても無駄で、日は刻々と過ぎていった。
決勝まで進んだ店ということで、折角店が繁盛しているのに嬉しくもなく、それどころか時折自分で気付かぬうちに上の空となっていることがあるようで――――ガシャンッ!
「うわ、ご、ごめん」
盛り付けをしていた皿を、最後の仕上げ用の調味料を取る拍子に落としてしまい、見事に床へぶちまけてしまっていた。
「料理長大丈夫ですか」
「うん、大丈夫。それよりごめん、お客様に時間がかかるよう伝えてくるよ」
そう言い残しその場を退避しようとしたが、腕を掴まれ阻まれた。
「そんなことしなくて良いですよ」
「でもこれは僕のミスだから」
何となく言いたいことは分かった。上役なのだから下に任せていればいいと言ったところだろう。だが、これは明らかに自分の過失なのだ。下の者ならばホールに任せていればいいが、自分の場合そうもいくまい。
そう思い、口に出そうとしたところで腕を掴んでいるものから先に言われてしまった。
「料理長は今大会で忙しい。しかも次は決勝だ。開店してから休んだことないし、今の間だけでも店は俺たちに任せて大会のことだけ考えていても誰も文句言いませんって」
「え?」
予想していたことと違うことを言われ、戸惑いを隠せずに返す。
――もしかして僕を気遣って……?
「でもそれに甘えるわけには……僕は料理長だし」
「……じゃあこの際ハッキリ言いましょう。今の料理長がいても迷惑です。ここ数日ミスばかりしてますよね? 正直ここにいてもらっても邪魔なんですよ」
「っ…………」
彼の物言いにカチンときて思わず口を開いたが、言い返すことができなかった。
彼が指摘している通り、三回戦が終わってから四日が経った今日まで、毎日何回も料理を失敗するは食器を割るはで、客どころか従業員にまで迷惑をかけていた。
――僕を気遣いつつ多分半分本音、なんだろうね。
自分が逆の立場ならば、この忙しい時に仕事に集中できない者がいたならば、少なからずイラッとしてしまっていたのは容易に想像がついた。
「そう、だね。今日はこの辺りで上がらせてもらうよ……」
忙しい中見送る彼らの視線を背に更衣室へ向かい、調理服から私服へ着替え、陽がさんさんと降り注ぐ外へと歩み出た。
吹きすさぶ冷たい風を受けながらここ数年、このような陽の高いうちに材料の買い出しや昼食以外で出歩いたことのないことを、今更ながら思い出す。
市内は祭りとクリスマスが近いこともあり、真昼間から喧騒に満ちている。
そんな様をボーっとした目で見つめ、ぐるぐると町内を歩いてから最終的に『ジョーヤ』の近くにある公園によってから、自販機でコーヒーを購入しベンチで一息ついた。
空を見上げると雲一つない青空があり、見事に澄み切っていた。
それが冬の寒い風に合わさって逆に寂しい気持ちになり、頭が垂れため息が漏れる。
―――なにやってるんだろうな、僕は。本当に情けない。店も従業員のみんなのことも、そして大会のことも……
自分の不甲斐無さに更なる頭が垂れそうになる、のを強引に持ち上げ、持っていた缶コーヒーを一気に飲み干す。
冷えてしまっていた液体は、体を温めるどころか内側から冷やしてしまい、思わず身震いをしてしまった。
そこで初めて自分が思っていたよりも寒空の下に長居していたことに気付く。
多少は防寒着を着ているものの、住まいから店までの距離が短いことから薄手のものしか身に着けておらず、そんな状態で数時間も外にいたのだ。寒くないわけがない。
――と、取りあえず一度家に帰ってからシャワーでも浴びようかな。このままじゃ風邪ひくかもしれないし。
そんなことを考えていると、不意に声がかかった。
「あら、あなたそこで何やってるの?」
公園であることから自分でない可能性も含め、取りあえず返事はせずにそちらへ視線を向けると、今落ち込んでいた理由の片割れと言える存在がこちらを見ていた。
「中生加さん……いやちょっと考え事を」
「ふ〜ん。もしかして贅沢な悩み? 最近またお客さん増えたようだし」
彼女が歩み寄り多以良の前で停止し、上から下まで観察されるように見られる。
「って感じじゃなさそうね。まさかまだ大会の料理を決めかねているとか?」
「当たらずとも遠からずです」
「呆れた。決勝戦まであと数日なのに何よその体たらくは! それでも私のライバルなの!?」
「ら、らいばる?」
聞きなれない言葉に思わず聞き返す。
「そ、ライバルよ。以前は負けたけど、それでも僅差での結果。つまり実力はほぼ同じってこと」
「だからライバル、と?」
「そういうこと。お店の件でも似たような状態だし、おかしくはないでしょ」
「ライバルかー」
――そんな風に思われてたんだ。でも中生加さんの言ってること、なんかシックリくるな。
口の中で転がすようにして発し、自分に言い聞かせる意味でも言ったのだが、それが気に召さなかったようで、
「何よ。あなた私がライバルだってことが不満なの?」
つり目を更につり上げ、息巻いて顔を近づけてきた。多以良はそれをのけ反って回避する。
――こ、怖い!
思わず口にしてしまいそうになったのを懸命に抑えて、やや引き攣った顔で返す。
「い、いや、ただ聞きなれない言葉だったから。それに僕が中生加さんのライバルだなんて恐れ多いというかなんというか……」
「あなた馬鹿でしょ。もしくは馬鹿にしてる? 私のことが眼中にないとか」
「それはないよ。だってそれだったらこんなに悩まないし……」
「ん? それはどういうこと?」
「それは――――」
そこまで言いかけ、彼女が顔を離していくことによる安心感からか、再び寒気に襲われ、
「は、ハックション!」
「わひゃあ!!」
くしゃみをしてしまった。離れかけていた彼女の顔に向けて……
「ご、ごめんなさい!」
「……もういいわよ。あれは私も悪いから。でもここはあなたの奢りよ」
「はい。なんでも頼んでください」
多以良だけでなく永栄もかなり前から外にいたらしく、二人とも長時間寒空の下にいたことから体がすっかり冷えてしまい、体を温めるのと謝罪も込めて近くにある喫茶店へと入った。
店内は程よい暖房がかけられており、冷えた体には心地よく、更にマスターの計らいから白湯を渡された。
コーヒーを淹れるにはまだ時間がかかることから、適度な温かさである白湯は心身ともに染み渡らせてくれる。
「こういうサービスは見習いたいものね」
「同感です。こういう些細な気遣いがお客様にはありがたいですから」
「ふふ、やっと以前のあなたと同じ目をしてるわ」
「え?」
――それはどういことだろう?
彼女の言っている意味が分からず、小首を傾げる。
「やっぱり分かってなかったのね。今回の大会初戦の日、あなた金に飢えた目をしてたわよ。客を数字でしか見ていないような腐った目を」
「……――――あっ」
ここ数年を振り返り思い出す。確かに彼女の言う通り自分は客を独りの人としてでなく、数字の上でしか見ていなかった。
特に最近はいつも考えるのは売り上げ売り上げと、一人一人の客が満足いくようなことをするのではなく、大衆受けするようなことしかしていなかった。考えていなかった。しかも売り上げが下がったことを半ば『グラーツィア』のせいにして、料理大会という安易な方向に逃げてしまっていた。
「はは、今更ながらそんなことに気付くなんて、確かに僕は馬鹿だね」
「やっと気付いたようね。因みに気付いたようだからばらすけど、私が大会に出た理由はあなたの店の従業員に頼まれたからよ」
「うちの従業員に?」
――どういうことだろう?
「あなたが開店当初に上げていた店の方針を忘れているようだから、それを思い出させてほしいってね。全くできた従業員よ」
「そんなことが……」
自分の知らないところでそんなに周りに迷惑をかけていたことを今更ながら知り、落ち込みそうになるが、押しとどめる。そんなことしたら逆に気遣ってくれた人たちに失礼だから。
「その、ありがとうございます」
「お礼ならあなたのところに従業員に言ってあげなさい」
「いえ、中生加さんにもありがとうございます、です。わざわざうちの従業員のお願いを聞いてくれて、そして気付かせてくれましたから」
多以良の言葉に永栄は目をぱちくりさせ、その後不敵に笑ってから返してきた。
「何勘違いしているの? 確かにあなたのところに頼まれはしたけど、最終的に決めたのは私の本心。私は自分が出たくて大会に参加したのよ」
「そう、なんですか?」
「当たり前でしょ? だって折角あなたとまた勝負できるんですもの。これを逃す手はないわ。それに全力のあなたと戦えないのは、こっちとしても不完全燃焼で終わりそうだったからまでのことよ」
丁度喫茶店のマスターがやってきて、頼んでおいた二人分のカプチーノが並べられ、永栄は早速ソーサーごと持ち上げて啜っていた。
多以良も彼女に苦笑いで返すとカプチーノを口に含む。
ココアパウダー等一切かかっていない、標準的なカプチーノは表面のクリームが甘く、下のエスプレッソ部分の暖かくも苦い味わいが心と体を温めてくれた。
まだお互い昼食もとっていなかったことから、コーヒーのついでに頼んでおいたサンドイッチにも手を伸ばし、咀嚼する。
卵のサンドイッチと自家製のジャムのサンドイッチはどちらも味わい深く、特に自家製ジャムは複数のジャムを混ぜられているようで、複雑ながらも調和を乱さない味にちょっとした感動を体感させてくれるほどだった。
――ん? パンにジャム……これは悪くない、か……? それに決勝戦の日程を鑑みればこれは面白いかも!
「どうしたの?」
急に押し黙り、尚且つサンドイッチを凝視していた多以良に気付いた永栄が声をかけてきた。が、右から左へと綺麗に流れていく。
だが、そのような失礼なことをしているにもかかわらず、彼女は怒るどころか多以良の目の前に何かを差し出した。
「これ、今のあなたに必要でしょ?」
「これはノートとペン……良いの?」
そこにあったのは彼女のレシピ帳と万年筆であった。
レシピ帳はその店の最重要機密と言っても過言ではない。それほどのものが記されているノートを借りるのは些か躊躇われたが、彼女は気にも留めないらしく、
「悪かったら渡さないでしょ。ここは素直に受け取っときなさい」
「うん、ありがとう中生加さん」
彼女の行為を無碍にせず、ここは素直に受け取った。実際彼女の行為は有難く、早速頭の中に浮かんだものを絵と文字で表そうとしたところで永栄の言葉で一旦止まる。
「宜しい。後それなりに長い付き合いになるんだし、そろそろお互い苗字で呼び合うのはやめない?」
「良いのかな……」
「うん多以良、あなたやっぱり馬鹿ね。これは間違いないわ」
「ごめんなさい……な、永栄さん」
「人間、時には素直にならないと駄目よ」
「……はい」
「それで宜しい。それじゃあ私はそろそろ行くから」
思わず項垂れそうになる多以良だが、永栄の言葉と離席する動作に再び頭が上がる。
「え、でもこれは……」
「ああ、それなら店に……入れ違いになったらそれはそれで面倒ね。私の携帯の番号教えるから用済みになったら鳴らして」
「分かりました。暫くお借りしますね」
「あ、中のレシピは見たければ見ていいから。それじゃあさよなら」
最後は挑戦的、それでいて棘のない明るい笑顔をで去っていく彼女の姿に惚けて、先程まで頭の中でいっぱいだったはずのことが一時抜け落ち、彼女の残滓を逃さないように自然と反芻させていた。
『さあついに決勝戦が始まりました。この日を待っていたかのように会場は人で埋め尽くされています。これまで多くのライバルを蹴散らし、この大舞台へ上り詰めたレストラン『ジョーヤ』の料理長である大麻多以良選手と、レストラン『グラーツィア』の料理長中生加永栄選手は、一体どのような料理を我々に見せてくれるのでしょうか。因みに小耳にはさみましたが、なんとこの二人は因縁であるようで、青年料理大会で過去競ったことのあり、その時は僅差で大麻選手が優勝を収めたそうですが、今回ははたしてどのような結果が待ち受けているでしょうか!』
司会の芝居じみた発言は近くで聞こえているにもかかわらず、どこか遠くで話されているような感覚で、更に遠くにいる観客のざわめきなど聞こえもしていなかった。
――それだけ集中できているのかな?
心にゆとりが持てているからか、頭のどこか冷静な部分がのんびり分析している。
三回戦まで日中行われてきた料理大会は、この決勝戦の日だけ夜となっていた。
ドームの外では雪も降っていることからホワイトクリスマスとなったこの日に、このような場所で料理できることを嬉しく思い、自然と顔が綻ぶ。
『さあこの決勝戦のために来ていただいた、特別ゲストである梅林寺南風盛氏にお伺いしましょう。この勝負どう見られますか?』
「ふむ、作業の動作を見る限り、どちらもかなりの実力者であることは変わりないでしょう。日本では馴染みのない血をテーマとされていることから、どのような料理を出してくるか分からないので今から楽しみだ」
『梅林寺氏から見ても相当な実力者ですか。それは楽しみですね。因みに血の料理はやはり難しいですか?』
「ええ、まず血はあの臭みが難敵で――――」
幼少期に一度しか会ったことのない恩師が、今そこにいる。
恩師はいつかどこかで出会うだろうとは言っていたが、まさかこのような場所で再会することになるとは思わなかった。知らされた当初は焦りに焦ってしまっていたが、今では落ちつけて作業ができている。
――ライバルが、永栄さんがいたから、だね。
チラリと正面の作業台でせわしく動いている彼女を見てからほくそ笑む。
彼女には随分と迷惑をかけ、助けられた。
そして、恩師である梅林寺南風盛氏の前で無様な料理を出すつもりはない。
――全力で、自分が今最良で最高に提供できるもので行くよ!
一瞬一秒たりとも狂いのないタイミングを見計らい、繊細さと大胆さを兼ね合わせた方法で料理を作っていく。
こんなにも料理が楽しいと思えて作れているのはいったい何年振りだろうか、などと思いつつも手は休むことなく動き続けていた。
だが、楽しいひと時とは体感時間が短くなってしまうもの。
二時間という限られた範囲は、多以良には欠伸一回分のような短さに感じられ、残念に思うと同時に、丁度完成した料理を早く食べてもらいたいという強い欲求に駆られた。
『さあ、では実食へ移ってもらいます。ここは先に完成した中生加選手から出していただきましょう』
司会による進行で、永栄の料理が先に実食されることとなった。
それに特に不満もなく、多以良はおとなしく彼女の料理のできを眺め、審査員たちの反応を見定める。
彼女が十人いる審査員すべての前に料理を並べ、審査員たちの前に立って結果が出るのを待っていた。
「ほぉ、これが血の料理ですか」
「あまりグロテスクな感じはしないわね」
「匂いを嗅ぐ限り血なまぐささもないな」
まずは見た目や香りの印象を語り、ナイフとフォーク、もしくはスプーンを手に食事を始めた。
永栄が作った物は、鴨のステーキにそのまま鴨の血を使ったソースをかけたものと、モルシージャと呼ばれる豚の血と挽肉を使ったソーセージに豚の血のスープ。
始めは審査員の一部が市の職員であり、食べ慣れない血の料理であることから中々発言に時間がかかったようだが、三口四口目に一同一斉に口を開いた。
「これいけるよ」
「うん、物凄く美味しい」
「ええ、依然海外で食べたものと違って口当たりがマイルドでとても食べやすいわ!」
審査員は口々に揃え、絶賛の声を上げている。
それは誰一人例外はいなかった。梅林寺南風盛を含めて。
「まだお若いのに、これほどのものを出すとは。いやはや世界は広いですな」
「お褒めに預かり光栄です。慣れぬ部分もありましたが、満足のいくものが作れ私も嬉しく思います」
梅林寺の言葉に永栄は恭しくお辞儀する。
『なんとなんと、審査員のみなさん大絶賛のようです。これは私も食べてみたいのですが、私の仕事は食べることではなく司会をすること。残念でなりませんっ。それにしてもこれはもしかして大麻選手は不利な状態ではなかろうか!』
――確かに不利だね。永栄さんの料理は完食されるほどだし、初めに好印象を出されるとそれを基準とされる。僕の料理はそれを越えられるだろうか……
そこまで考えて小さく首を振るう。
――越えたくないかと言えば嘘になるけど、やっぱり食べてくれた人が喜ぶようなものを作れているかどうかの方が気になるな。
確かに楽しく料理はできた。だからといって美味しいものが、みんなが満足いくものができたと決まったわけではない。
それが分かるのは実際食べてもらわないことには分かるはずもない。
『それでは大麻選手の料理に移っていただきます。では大麻選手、どうぞ』
司会の言葉に合わせて完成している料理を運んでいく。最後に梅林寺の前に置く時、不意に声がかけられた。
「時折笑っていたようだが、楽しかったかな?」
「はい」
不意打ちではあったものの、多以良は迷いなく即答し、梅林寺は顎に生やした髭を満足そうな笑みを浮かべながら撫でている。
それを尻目に多以良は先程永栄がいた位置に立つ。
永栄は現在自身が調理していた台の前でこちらを静観していた。
『さあそれでは審査員の皆さんに、大麻選手の料理を食べていただきましょう』
司会の音頭につられるように審査員の手が動く。
「先程のに比べたら地味ですな」
「そうですわね」
「確かに。赤ワインを添えているからといって、パンとジャムにゼリーだけとはちょっと侘しく感じるな」
審査員は永栄の料理とは打って変わり、インパクトが弱かったのか見た目の段階では評価が芳しくなかった。
料理大会は味が大事なのであって見た目は関係ないだろと思いがちだが、人の心を掴むにはまず見た目が重要である。そこでどれだけ引き付けられるかでも評価に大きく左右されるのだ。
実際過去に永栄と勝負した料理大会に勝ったのは、この辺りによる差で勝利を収めたといっても過言ではない。
料理大会ではそれだけ見た目も重要視されているのだ。
だが、それを逆手に取ることも不可能ではない。
「へぇこれは美味い!」
「パンの香ばしさもさることながら、この血を使ったジャム。ジャム単体だと食べるのはちょっときついけど、パンと合わさるだけでこんなにも美味しくなるなんてっ」
「この豚肉の入ったゼリーも美味しいわ」
見た目で残念そうな顔をしていたのが一変、多以良の料理を口にしていくたびに表情は驚きと満足感に変化していった。
「これはゼリーではない。血をゼラチンで固めたスープだ。そうであろう大麻料理長」
「梅林寺氏のおっしゃる通りです。それはベトナム等で一般的に食べられる豚の血を使ったスープ。豚に含まれているゼラチンを使い固まらせたものです。冬場に冷たいものを出すのは躊躇われたので自然に固まるのを待ちました。因みに豚肉はゼラチンと旨味だけ抽出したので味は残っていますが、肉自体はスープからは除けたので今中に入っているのは羊の肉ですね」
『これは食べ始めとは違い、予想以上の高評価です。これは端から見ている私にはどのような結果が待ち受けているのか全く分かりません』
司会者の言う通り、多以良にもどっちが優勢なのか分からず、永栄に視線を向けると「負けないわよ」と挑戦的な目で返された。
つまりお互い大した差があるようには感じられなかったということだ。
後は神のみぞ知るといったところか。
――僕の料理もみんな完食してくれたようだし、人事は尽くした。残るは天命を待つだけ。
『さあ色々お聞きしたいこともございましたが、残念ながらお時間の方が押してまいりましたので審査員の皆様には、このまま採点へと移っていただきます』
審査は単純明快で、審査員が今現在いるテーブルにはボタンが存在し、それを押すことでテーブル前にあるパネルへ数字が表示され、更に合計結果が遅れて球場の電光掲示板に表示されるようになっていた。
『それではまず中生加選手の点数をお願いいたします!』
唸る者や悩む者、もう決まっているのか即座に押す者と十人十色。
しかしそれでも、押すのに時間かかかっても、結果が必ず出ることは変わらなかった。
ついにすべての点数が表示され、電光掲示板へと合計点数が表示される。
『な、なんと九八点、九八点です! これは高得点だ!! 大麻選手が勝つには最低でも九九点以上出さなければなりません!』
「うわ、いきなりえげつない点数をたたき出すね」
「まあ当然ね」
いつのまにか隣に来ていた永栄が高得点をさも当然かのように答える。
素直にその豪胆とも言える性格が羨ましく思いつつ、十人いる審査員の中で唯一八点を押した梅林寺に視線を向けた。
多以良の視線に気付いたのか小さく笑い、掲示板へ視線を逸らす。まるでもう一度見ろと言わんばかりに。
『このような結果になった理由を尋ねたいですがそれは後程。では続きまして大麻選手の点数を出してもらいます』
それが何の意味を示しているのか今は分からず、ただ静かに自分の結果が表示されるのを待つ。
そして、永栄の時とは違いもう決まっていたのか、結果が出るのにはそう時間がかからなった。
『こ、これは――――』
司会者や審査員は驚きの声を上げ、隣にいる永栄も目を見張ってるその横で、多以良は静かに目を閉じた。
「八番テーブルオーダー急いで」
「ちょっと時間がかかる。十一番オーダー上がり」
「そろそろ予約のお客様が来る時間だから一つテーブル空けといて」
「分かりました」
料理大会が終わり、新年を迎えて数日後、レストラン『ジョーヤ』は決勝まで出たことへの触れ込みと、実際大会で作った料理を味わえるということから連日満席で店内は埋まっていた。
[洗浄祭]そのものや大会の余韻に浸る間もなく新年を迎えたことから、すっかり日常のペースを保っていた。
「お疲れ様でしたー。料理長、お先に失礼します」
「お疲れ様。明日もよろしくね」
伝票整理をしながら、帰宅していく従業員たちと挨拶を交わしていく。
永栄を巻き込んだ一件はあの日知った翌日には礼を言い、感謝の意を表して今度社員旅行を計画したことにより解決。既にいつもの状態へと戻っていた。
始めは旅行なんてそんなものいいと遠慮する面々であったが、この計画はライバル店である『グラーツィア』も巻き込んでの企画ということで、最終的には快く了承してくれた。
あちらには『ジョーヤ』を上げて迷惑をかけていることから、向こうが絡んで来れば嫌とは言わないだろうと、永栄に言われたが見事的中している。
――人心掌握というか、人の動かし方がうまいというか……
「あなたまだやってるのね」
「はえ?」
今まさに頭の中で描いていた人物が店内へ入ってきており、間の抜けた声で思わず返してしまった。
決勝戦前に出会って以降永栄とはちょくちょく会うようになり、こうして永栄が店に来たり、逆に多以良が行くこともあるのだが、まだ慣れないようで自然と心臓が早鐘を打っていた。
「うわ、こんな細かいところまで出してるの? マメね」
「やってるとそうでもなくなるよ」
「そう? 私はごめんだわ。それよりそろそろ準備しないと時間、危ないわよ」
「うそ、もうそんな時間!?」
慌てて壁掛け時計に目をやると、時刻は二四時の十分前となっている。
「うわ、急いで準備してくるから待っててもらっていいかな」
「良いから行きなさい」
「ごめん」
バタバタと片付けをし、まだ着ていた調理服から私服へ着替え、永栄の待つホールへと戻る。
「お待たせっ」
「それじゃあ行きましょうか」
永栄が予め店の前で待たせていたタクシーに乗り込み、目的の場所へと進む。
今日は彼女と外食を約束していた。といっても二人っきりというわけではない。
「梅林寺氏とプライベートで話せるなんて、人生何があるか分からないわね」
「確かに。僕もゆっくり話せるのは二回目だよ」
タクシーが止まったのは大きな料亭の前。
荘厳な佇まいに気後れしそうになるのを、前をサクサク進む永栄に尊敬を含んだ眼差しを向けつつ後をついて行く。
途中から仲居に案内され、着いた先は障子で仕切られた個室だった。
先に着いていた梅林寺は入ってきた存在に気付いたのか笑顔で迎え入れ、相対する席に腰かけるよう勧めた。
「ふむ、役者もそろったことだし、まずは酒でも飲みかわそうか」
「それではお言葉に甘えて」
――本当肝が据わっているというかなんというか……
梅林寺の言葉に即座に反応し、とっくりを掲げる梅林寺におちょこを手に差し出し、一気に煽って見せる永栄。
「おお、中生加君はいける口か」
「ええ、お酒は結構好きですし強い方かと」
「ほう、では食事が来るまでの間楽しもうか」
「喜んでお付き合いします」
何故かもう打ち解けている二人に半ば置いてけぼりをくらう多以良だが、料理が運ばれてくるとそうでもなくなった。頼んでいたのは会席料理だったらしく、順次運ばれてくる料理に舌鼓を打っていると、話内容が例の料理大会へとシフトしていった。
「そうだったそうだった。そういえばちゃんと言っていなかったな」
仰々しく言いつくろい、梅林寺が言葉を続ける。
「優勝おめでとう、中生加君」
「いえ、結果勝った形となりましたが、私としては負けた気分ではあります」
――どういうことだろう? 永栄さんは僕に四点差とはいえ確かに勝って優勝したのに、何で負けた気分になるんだろうか。
「ふ、それは何故かね?」
梅林寺は分かっているような素振りを見せつつも問いかけていた。多以良としては真偽が分からないので助かり、そのまま沈黙を保つ。
「簡単です。私は勝つことだけを考え、料理を作りました。勝つこととは即ち美味しく作ることで間違っていないと私は思っています。ですが彼は、多以良は違いました」
最近やっと永栄から言われな慣れてきた自分の名前を口にされたところで一度区切り、こちらに視線を合わせてからもう一度梅林寺に向ける。
「これは本人にも後日聞いていますから間違いないですが、多以良の料理は最後の晩餐に近い形で仕上げていています。決勝戦はクリスマスにあり、そして此度の祭りのコンセプトを鑑みれば料理のできも含め申し分ない。その意味を審査員がちゃんと理解していればより楽しく食べれ、梅林寺氏の思惑通り同点で終わっていたでしょう。そのような与えられた勝利など負けも同じです」
いつの間にか三人の食手は止まり、言葉のみが交わされていく。
「なるほど。多以良君、君はどう思う」
「僕ですか? 僕はあの結果をそのまま受け入れるつもりです」
あの時、梅林寺は永栄と同じく多以良にも八点を入れていた。でも多以良は負けた。
つまり梅林寺の他にも減点していたものがいたということだ。
――意味が伝わらなければ、思いが伝わっていなければこれは僕の力不足だ。だから九四点という数値は食べた方の素直な感想。梅林寺先生もそのことを教えたくてあの時はあえて二人とも八点にしたんだと思う。まだ僕らは伸びるのだと。伸び代があるのだと教えたかったんだと。
だが、多以良はあえてそのことを尋ねないでいる。
これは尋ねて聞いたからといって変わるものではない。本人の心の持ちしだいだから。
「ちょっとあなたはそれでいいの?」
「良いも何もあれは僕の力不足だから。それに純粋に永栄さんの料理、美味しかったし」
「むう、そう言われると何も言い返せないじゃない……まあいいわ。今回は形だけでも勝ちを貰っとこうかしら」
渋々とながら了承しつつもジト目で睨むように見てくる辺り、負けず嫌いだなと多以良は思い、内心苦笑いを浮かべる。
「二人とも向上心が高いな。ライバルがいることでそれが更に実力を伸ばしてくれるだろうし、悪い傾向ではないぞ」
「そう言っていただけると、それだけで救われる気がします」
「それは何よりだ……ところで気になっていたのだが、君たちは付き合っているのかね?」
「「……はい?」」
予め打ち合わせをしていたかのように二人して同時に応え、同じ方へ首を傾げてしまった。
だがそんなこと気にしていられないほど唐突で、爆発力のある言葉だった。
「な、なんでそうなるんですかっ」
「ん? 違うのか? 何やらただライバルという以上に仲がよさそうだったのでな、てっきりそうなのかと思っていたのだが」
「違います!」
多以良が応える間もなく永栄がどんどん先に応えていく。
――そんなに力強く否定しなくても……ん? なんで僕はショックを受けてるんだ? もしかして僕は永栄さんのことが……
今尚言い合っている二人をよそに、自分の心に気付いた多以良は不思議にも本人が思っている以上に落ち着いており、
――そういえばもう直ぐ永栄さんの誕生日だったな。そこでちょっとアクション起こしてみようかな?
冷静に現状を分析し、計画を立てていた。
ヒートアップしてか酒に酔ってか、はたまた恥ずかしくてか顔を真っ赤にしている永栄の横顔を愛おしく見つめる。
ここ最近。特に今日自分が変わったことを意識し、それは良いことだろうと彼女の前向きさを見習いつつも、二人のやり取りを静観するのであった。
一年以上前にとある場所で『血』をテーマに書いた時の作品です。
正直作風が定まらず悪戦苦闘していた時期に、思い切って変えてと言いますか、細音啓先生の文章が好きだったのでそれをまねて書こうとやった結果の物です。
なので内容はあまり凝らずにサクッと終わるようにしました。
そのせいかグダっているところが必要以上に浮いてしまっているという……
ま、まぁ色々試行錯誤している時期だったんでってことでそこは流してくれると助かります。
読んで頂き有難う御座いました!
あ、因みに血のジャムってのは想像上の産物なので悪しからず。