第二話 エリオ、勇者に絡まれる
魔界。バラライカの森──
「待って、そこの君!」
「──?」
背後から声をかけられ、エリオは振り返った。同い年くらいの少女が腕を組み、仁王立ちをしていた。
こんな所に……人? いや、それよりも――
エリオは目を細め、少女の胸を凝視した。そこには巨大な果実が二つ実っていた。
みるみるうちに、エリオの表情が険しくなる。挙句、エリオは少女を無視して歩き出した。
「ちょ、ちょっと! どうして無視するの!?」
「話しかけないで。殺すわよ、デカ乳」
理由は簡単。幼児体型のエリオは、巨乳の女が嫌いだった。
「……君、女の嫉妬はカッコ悪いぞ」
「失礼ね。嫉妬じゃないわ――って、面白い格好しているわね、あなた」
少女は薄い装甲の鎧を身に纏い、マントを風になびかせ、腰に大剣をぶら下げていた。
エリオの脳裏にとある職業が浮かぶ。
「まるで……勇者みたいね」
自然とそんな言葉がこぼれた。
すると、少女は金色のポニーテイルをふわりと揺らし、得意気に笑いだした。
「フッフッフ、よくわかったね! ウチの名前はリリス・エンドワーズ。お察しの通り、勇者だよ!」
リリスと名乗る少女が胸と腰に手をあて、満面のドヤ顔を見せる。
エリオは眉をひそめた。
「勇……者?」
「そうだよ。ビックリしたかい、偽勇者さん?」
偽勇者──
最初、エリオは誰のことかわからなかった。
しかし、向けられた人差し指が自分に向けられていることから、察した。
「それ……私のことかしら?」
「他に誰がいるのさ。君でしょ、最近魔界で暴れまわっている噂の偽勇者っていうのは」
「馬鹿言わないでちょうだい。確かに私は魔物を屠り倒して回っているけれど、勇者だなんて名乗った覚えは一度も――」
言葉を遮るように、リリスがエリオの口もとにそっと指を添える。
「いいんだよ、皆まで言わなくても。勇者に──いや、ウチに憧れてしまう君の気持ちはよくわかるから」
聞いちゃいない――っていうか、なんか殺意が湧いたわ……。
不機嫌を露わにし、ジト目を向けるエリオ。
すると、ずっと黙っていたプロメテウスが口を開いた。
「おい、エリオ。こいつが勇者だってんなら、腰にぶら下げてるあの剣は聖剣なんじゃねえのか?」
リリスの肩がビクッと跳ねる。
「ななな、何!? 今どこからか声が!?」
「喋ったのは、彼よ」
エリオはそう言って、指にはめたプロメテウスを見せた。
「え……この指輪が喋ったの?」
「そうだよ。指輪が喋っちゃ悪りいか」
「うわっ、本当に喋ってる!? なんなの、これ?」
「真理の聖剣、プロメテウスよ」
「聖……剣?」
眉をひそめ、首を捻るリリス。
「どうみても指輪じゃん。これのどこが剣なの?」
「まあ、確かに剣ではねえな」
「そうね。剣ではないわね」
リリスが訝しそうな顔をする。
「……君たち、頭大丈夫? 剣だと言ったり、違うと言ったり……」
「馬鹿ね。私は剣だとは言ってないでしょ」
「え……?」
「プロメテウスは──聖剣だと言ったのよ」
エリオの言葉に、リリスは目をしばたたかせた。
「えっ、ちょっと意味が……」
「ねえ。それ、少し見せてもらえないかしら」
「それって……エクスカリバーのこと?」
戸惑うリリスに構わず、エリオは腰にぶら下がった大剣を指差した。
言われるがままに剣を引き抜くリリス。
両刃の洋刀。金をあしらった、派手な装飾。絵に描いたような、勇者の剣である。
「これは……」
「伝説の聖剣、エクスカリバーだよ。勇者であるウチにぴったりでしょ」
「違うわね」
「ああ、違うな」
声をそろえる二人。
リリスの頭上にクエスションマークが並ぶ。
「え……? 違うって、何が?」
「それは聖剣じゃねえってことだよ、勇者の姉ちゃん」
「ち、ちょっと、言いがかりはやめてよ!? これは正真正銘、伝説の聖剣! むしろ君の方でしょ、聖剣じゃないのは!」
声を張り上げ、詰め寄るリリス。
無視して放置しても良いのだけれど……勇者だというなら、説明するべきかしら。困ったわね……。
エリオはその問いに答えるかどうか悩んだ。
何故なら──
こいつと喋るの面倒臭いわ……。
リリスのことが心底嫌いになっていた。
でもまあ、悪いやつでは無さそうだし、一応話してあげましょうか。
短いため息をひとつつき、エリオは右手をリリスへと向けた。
「仕方ないわね。説明してあげるわ……プロメテウスが」
「俺かよ!」
「馬鹿ね。当たり前でしょ」
「はあ……しょうがねえな。気は進まねえが教えてやる。一回しか話さねえからしっかり聞けよ」
「えと……う、うん!」
返事をするなり、リリスは律儀に膝を落とし、顔の高さをプロメテウスに合わせた。
「さて、じゃあまず聖剣の概念から話そうか」
「うん、お願い」
「聖剣ってのは、その世界で最も秀でた力を持つモノにつけられる呼称だ。だから、必ずしも形状が剣であるとは限らねぇんだよ」
「へえ、なるほど。じゃあ、その最も秀でた力っていうのは誰が決めるの?」
「決めるのは人じゃねえ。世界さ」
「世界……?」
「まあ、人間にピンとくる言い方だと、運命だな」
おおっ、とリリスが感嘆の声を漏らす。
こいつ、宗教とか詐欺とかに簡単に引っかかりそうね……。
エリオがそんなことを考えているとは露知らず、リリスは質問をつづけた。
「聖剣に選ばれる基準はなに?」
「厳密な基準はない。一言に力といっても、それは世界によって種類を変えるからだ。俺のいた世界では、知識が全てだった。軍事力でも、権力でも、暴力でもない。知識こそが、最高の力の象徴だった。だから、無限の学習演算機能を持つ俺が、その世界では聖剣と呼ばれたわけだ」
「ま、待って! 少し待って!」
プロメテウスに手のひらを向け、声をあげるリリス。
「あ? 何だ」
「それ、何かおかしくない? その言い方だと、まるで世界がいくつも存在する――みたいに聞こえるんだけど……」
「ああ、その通りだ。世界はいくつも存在する」
リリスは驚愕を顔に浮かべた。
「そんなバナーヌ……」
「バナーヌ?」
「この世界のギャグだ。察してやれ、エリオ」
「そんなところに能力を使うんじゃないわよ」
エリオが刺すような視線をプロメテウスに送る。
その時、ハッと気がついたリリスは猫のように目を丸くさせた。
「もしかして、君たちは……!?」
「ええ、そうよ。私たちはこことは違う世界──異世界から来たの」
「そんな──そんなことって……」
「信じる信じないはあなたの自由よ」
幾秒かの沈黙が流れる。
暫くして、おずおずとリリスが口を開いた。
「……な、なんのためにこの世界へ?」
「あら。その質問をするということは、信じてくれたのかしら?」
「まだ半信半疑──かな」
「そう。半分も信じてもらえたのなら十分だわ」
言って、エリオは口元を緩めた。
「私の目的は、さっき話した聖剣。それを集めることよ。そのために、幾つもの世界を渡っているの」
「集める……ってことは、この世界の聖剣も!? あ、あげないぞ! エクスカリバーは!」
リリスはエクスカリバーを庇うように抱え、叫んだ。
「馬鹿ね、いらないわよ。何度も言うけど、それは聖剣じゃないもの」
「うう……なんでよ! この世界ではエクスカリバーは伝説の聖剣だって言われてるんだから! さっき、聖剣は世界に選ばれるって、君も言ってたじゃないか!?」
プロメテウスに顔を寄せ、リリスは声を荒げた。
対して、プロメテウスは落ち着いた様子で答える。
「確かに言ったが……自分で言ってて気づかねえのか?」
「な、何を?」
「その剣は世界に選ばれたんじゃねえ。ただ、人間に選ばれただけなんだよ」
「──ッ!?」
言葉を失うリリス。
エリオは静かに、答えを待った。
ようやくリリスが口を開いたのは、三分ほど経ってからだった。
「君たちの言い分はわかった──けど、やっぱり納得はできない。何か証拠がほしい」
「……物分かりが悪いわね」
無理矢理わからせてやろうかしら……。
エリオは仏頂面で、リリスにジト目を向けた。
「落ち着け、エリオ。短気はお前の欠点だぞ」
エリオの思考を読み取ったプロメテウスが窘める。
一呼吸置き、プロメテウスは言葉を続けた。
「なあ、勇者の姉ちゃんよ。お前は俺から何か波動のようなものを感じるか?」
「波動……? 何も感じないけど……」
「それが証拠だ。聖剣同士は共鳴する。それは聖剣と、聖剣の所有者にしかわからない感覚だ。俺と一緒にいて何も感じないってことは、その剣が聖剣でないことに他ならないんだよ」
「そ、そんなの納得いかない! それは証拠にならないよ!」
憤るリリスに、エリオが問いかける。
「これじゃあ平行線ね。じゃあ、別の視点から話をしましょう」
「別の視点……?」
「ええ。そもそも、どうして聖剣の話をあなたにしたと思う?」
「どうしてって……ウチが君に聞いたから?」
エリオは首を横に振った。
「馬鹿ね、違うわよ。私は聞かれたって基本答えないわ。面倒だもの」
「なら、なんで――」
「それはあなたが勇者で、聖剣の所有者じゃないからよ」
「ど、どういうこと?」
「あなたは勇者だから、当然魔王を討伐しに行くのよね」
「うん、当然だよ!」
「問題はそれよ。あなたが魔王に殺されないように、聖剣の話をしたの。あなたじゃ絶対に魔王には勝てないもの」
顔をしかめるリリス。目を細め、エリオを睨む。
「言ってくれるね。勝てないと言い切る理由は何?」
「……世界は必然でできているのよ」
「え……? 何の話?」
戸惑うリリスに構わず、エリオは続けた。
「力は力を呼び、聖剣と強者は引かれ合うわ。勇者の元に聖剣が無ければ、魔王の元にあるのが――必然よ」
「魔王が聖剣の所有者ってこと?」
「ええ。そして、聖剣使いに勝てるのは同じ聖剣使いだけ。あなたじゃ犬死にするだけだと言ってるのよ」
「……よくわからないけど、例え魔王が聖剣の所有者だったとしても、ウチは勝ってみせる! この聖剣エクスカリバーと一緒に!」
エクスカリバーの柄を握りしめ、リリスは大声で言ってのけた。
しかし――
「無理よ。あなたがその剣をどう呼ぼうが勝手だけど、世界に選ばれた聖剣には決して敵わないわ。何度も言うけど、聖剣使いに勝てるのは――聖剣使いだけよ」
エリオはキッパリと否定した。
それは、エリオなりの優しさであった。
勝ち目のない戦いで無駄死にさせないよう、できるだけわかりやすく、ストレートにことを伝えたのだ。
押し黙るリリス。エリオも黙って、答えを待った。
これで分かってもらえればそれでよし。でも、もし私の言っていることが分からない馬鹿だった場合は――
「――ごめん」
リリスは──馬鹿だった。
馬鹿で、愚直で、勇者だった――
「君たちの話は面白いけど、受け入れられないよ。だって、ウチは勇者だから。勇ましく、前へと進む者だから!」
リリスは重心を低くし、エクスカリバーを――構えた。
「君が行く手を阻むのなら、ウチは自分の力で切り開く!」
「……全く、本物の馬鹿ね。こんなに馬鹿だと――」
体に教えるしか、ないじゃない――
「来なさい。弐の聖剣・ジークフリート」
エリオの手元に、不滅の聖剣が――発現した。
聖剣使いと勇者の戦いが、始まる――