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3.

 テレビではようやく梅雨明けが発表され、気持ちの良い夏空が広がっている。八月に入り太陽の日差しは容赦なく照りつけ、痛いほどに肌を焼く。子供たちは待ちに待った夏本番を大いに楽しんでいる。そんな子供たちの賑やかな声が部屋の窓越しに漏れ聞こえる中、塔子は自宅で問題集の山と格闘していた。約一カ月後に突きつけられる大問題に比べれば今取り組んでいる山がどれほど取るに足りないかという想像など、この時塔子の頭には微塵も浮かんではいない。


 日が傾き始め次第に子供たちの声も少なくなってきた。塔子は問題集のページにノートを差し込み、椅子の上で大きく伸びをした。首を左右に倒すとゴキゴキと音がする。手元にあるジャスミンティーのグラスを一気に渇いた喉に流し込み、音楽プレイヤーのボタンを押してリラックスすることにした。

 小さなスピーカーから流れるのは【SEED】という今人気のアーティストの曲だ。透明感のあるボーカルの声も元気の出る歌詞やメロディーも全部気に入っている。机に伏せて手の甲に頬を乗せ、流れてくる歌声を聴いていると自然と塔子の唇も小さく動き出す。


 うっとりと夢に落ちる寸前に、近づいてくる聞きなれたバイクの音で塔子は目を開いた。父が帰ってきたようだ。空になったグラスを手に塔子は階段を下りた。

「おかえりお父さん」

父は玄関でバイクブーツを脱いでいるところだ。

「お、トーコちゃんただいま! 出掛ける時もだけど帰って来てもやっぱり可愛いわあ」

背中を少し曲げて塔子の顔を覗き込み、その黒く長い髪を大きな掌でくしゃくしゃと撫でる。父はひとり納得して頷き、歩きながら皮ジャケットを脱いでいる。塔子の父、三上優介は四十三歳で趣味はバイクとサーフィン。サラサラの髪は潮焼けですっかり色素が落ち、国家公務員とは想像できない風貌である。

「優ちゃーん、先にお風呂入っちゃうよねぇ?」

廊下の奥に向かって叫んでいるのは母の直子だ。同じく四十三歳で専業主婦。父母が名前で呼び合うのは物心ついた時からなので、塔子は特に気になったことは無い。ただ同級生の親より自分の両親がかなり若いのだとは自覚していた。


 夕食を済ませ、親子三人はテレビのロードショーで「火垂の墓」を見ながらすすり泣いていた。塔子がまだ子供の頃からこの映画は三上家の定番泣き映画となっている。

「トーコ、勉強ばっかりしてるから真っ白けじゃないか。今度久しぶりにサーフィン一緒に行っちゃう? ん?」

CMに変わった途端、父が鼻をかみながら塔子の白い腕を肘でこづいてきた。

「やだよ、カップルに間違われるのとかもう面倒くさい……。それにお父さん、海ばっか行ってると禿げるよ、マジで」

切って捨てるかのようにあっさりと塔子は一蹴した。

「ナオー、トーコがひどいですー」

「優ちゃんうるさい! ホラ始まったじゃないの」

母は父の戯言などお構いなしに再びテレビに釘付けだ。

「ウチの女の子達は冷たいよねぇ……。」

「黙って見る!」

小さな声で父は愚痴ったが、塔子は聞こえないふりをした。母の言葉が号令のように三人はまた物語に集中し、次第に鼻をすする音が最高潮に達して無事ラストまで鑑賞し終えた。


 映画の流れで何となくテレビを見ていたが、まもなく日付が変わろうかという時間になると父優介が小さな声で母を促した。

「ナオ……。」

来た来たという心境の塔子はすっかり心得ていた。この時間まで自室に戻って勉強を始めずに待っていたのはこのためだった。

「おっけー」

小声で返事をしたつもりらしい母は足取りも軽くキッチンへ向かっていく。これは毎年の恒例行事なのだ。

 トレーにシャンパンとグラスを三つのせて満面の笑顔の母が戻ってきた。シャンパンの瓶を父に渡し、素早く座って待っている。

「ハイハイ、間もなく日付は八月二日に変わります。トーコちゃんの二十二歳の誕生日を

誰よりも早く家族でお祝いしましょう!」

塔子は少し気恥ずかしい思いで両親の笑顔を交互に見つめた。母は無邪気に拍手している。シャンパンの栓が軽い音を上げて飛び、それぞれグラスを手に持って乾杯した。

「今年もハッピーバースデー一番乗りおめでとう! 俺!」

父はグラスを高々と天井に向けて見つめ、自分自身を祝福していた。毎年これを楽しみにしているのだ。誕生日前日と当日の夜は家族で祝うために、外出してはいけないというルールが出来上がっている。たとえ塔子に彼氏が出来ても、これだけは譲らないと父は宣言してきたのだ。

「来年はトーコも就職してるだろうけど、休み取って南の島にでも行けたらいいな! 一緒に波乗りも出来るし。ん?」

上機嫌の父は塔子の背中をバンバンと叩いてもう来年の光景を頭に思い描いているようだ。

「ねぇトーコ、今度友達と出掛けるんだけどまた服借りてもいいかなぁ?」

「えー、またぁ? いいけど前みたいに勝手に裾上げとかしないでよ? っていうか自分で買いなよ」

「買いに行くのはさすがに恥ずかしいんだよね。でもほら、いいじゃないサイズ合うんだし」

母はしょっちゅう塔子の服を借りたがる。確かにサイズは合うし見た目そうおかしくはないのだが、自慢の足がきれいに見えるようにと勝手に裾上げしてしまう。

 家族の中で自分が一番まじめで大人なのではないか――。塔子はまるで子供のような両親の姿をみるにつけ、そう思って小さなため息が出るのだ。


 ジーンズのポケットで携帯が震えた。震え方からするとどうやらメールらしい。

【誕生日おめでとう! ホントは直接言いたいけど五日まで楽しみは取っておくよ。五日は絶対来いよ(笑) 恭也】

 塔子の彼氏、黒田恭也からのお祝いメールだった。素早く携帯をポケットに戻し、自然とゆるむ口元を意識してひきしめ、何事もなかったようにシャンパングラスにまた口をつけた。



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